真夏の霊山寺

バラの開花期も終わり静けさを取り戻した霊山寺、真夏の散策です。

仙人亭の前は蓮の花が今を盛りと咲く。

バックにこんなかわいい像がいるんです。
でも、今日は仙人亭はお休みなのです、だから弁当持参です。

開基の行基さんいつもにこやか。

木漏れ日が優しい。

木漏れ日の中に噴水の波の輪がキラキラ。

放生池のほとりに咲き残りのアジサイ。

池から湯屋川に流れ込みます。

湯屋川も緑のトンネルでとてもいい雰囲気。

タテ構図でもう少し木々を入れてみる、こちらのほうが雰囲気あるかな。

本山寺務所への階段。

本堂への階段、この日も、最後の力を振り絞って大勢の信者が昇っていきました。

三重塔へ向かう。

緑のトンネル、木漏れ日の中を進む。

振り返ってもう一度雰囲気を確かめる。

三重塔。

千体不動滝、どこか霊気が漂う。
滝の両側に小さな仏像が無数に。

滝の落ち込みは竜。
竜の周りも無数の小さな仏。

千体仏をズームアップ、小さな像に細かな細工、落ち葉の大きさで千体仏の大きさを推測してください。

何度か訪れていますが、今まで見落としていました。もったいない。

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驟雨


霊山寺での撮影会、ちょうど右側のお堂のひさしの下でお弁当を広げていた。

いきなりポツリ、ポツリ。

そのうちバケツをひっくり返したような降り。

いわゆる驟雨ってやつですね、驟雨(しゅうう, 英: rain showers)は、対流性の雲から降る雨のこと。

英語のrain showersってそのものずばりだね。

対流性の雲とは、積雲や積乱雲のこと。

これらの雲は、大気が不安定な時に上昇気流により垂直方向にもくもくと発達する一方、水平方向への広がりが小さい。

そのため、一つの雲が通過する際に降る雨は、平均で十分程度、長くても数十分であり、すぐ止んでしまうのがふつう。

しかし、後で聞くと結構あちこちで大暴れしたようだ。

終わりかけたアジサイも激しく雨に打たれる。

シャッタースピード1/320

当日の夕刊に雨粒の形についての寸評が掲載されていた。

雨粒は降り注いでいるとき、どんな形をしているのだろう。

肩にふわりと止まる雪や地面を打つ霰に比べれば、ひと粒ひと粒の像が浮かんでこない。

実際は扁平な饅頭のような形であるらしい。

教育学者、左巻健男氏の「水の常識ウソホント77」(平凡社新書)に教わった。

空気の抵抗で横につぶれるためという。

イラストで見かける「涙」形が、はなはだ間違いであることがよく分かった。

水というものは人の体に入り、心のひだを通って初めて涙の形になるのかもしれない。

1/10秒になるとつながってしまう。

叩きつけるような雨ってこういうのを言うんだね。

約30分間の雨でした。
蓮もみずみずしく新鮮に見える。

ムクゲもすっかり雨に濡れた。

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薬師寺のハス

唐招提寺に続いて薬師寺、今日はハスデーです。

『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。

薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木扁に「察」)にも同趣旨の記述がある。

しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。

東塔は現在修理中。

平成32年の6月頃に修理が完了する予定。

国宝。現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)にさかのぼる唯一のもの。
総高34.1メートル(相輪含む)。

日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る。

薬師寺の蓮、たくさんのハスの鉢植えが集まっている光景は、圧巻。

例年の薬師寺の蓮の咲き始めは、6月上中旬。
見ごろの時期は、6月中旬から8月上旬。

薬師寺、唐招提寺、喜光寺が共同企画「奈良・西ノ京ロータスロード~蓮とご朱印めぐりを楽しむ旅」を6月10日~8月16日に実施。

特別ご朱印めぐりは朱印帳が用意され、この期間限定の朱印を受けることができる。

共通拝観券は1枚3200円で、3カ寺の拝観料と朱印の納経料、朱印帳が含まれる。

朱印を受けるとハスの花弁をかたどった散華(さんげ)ももらえる。

こちらは拝観料が少し高めです。

玄奘三蔵院伽藍公開時。
大人1,100円、中学生700円、小学生300円。

玄奘三蔵院伽藍非公開時。
大人800円、中学生400円、小学生200円。

薬師寺の蓮だけが目当てなら、非公開時を狙って下さい。
大人800円で拝観可能です。

突然でしたが眞子さまにお会いしました。

婚約が発表され、ブータン訪問を終えられたばかり、お忙しそうです。

写真撮影は控えるようにとSPから注意、坊主の渋面と眞子さまのお茶目そうな笑顔。

ご両親の秋篠宮ご夫妻も先日訪問されたばかり。

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唐招提寺のハス

唐招提寺は、奈良市五条町にある鑑真が建立した寺院。
南都六宗の1つである律宗の総本山。

『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたもの。

寺名の「招提」は、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」などの意味を表す語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」などと同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われていた。

つまり、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合い。

先ず鑑真の廟所へ向かう。

廟所は広大で静まり返り厳かな雰囲気だ。

鬱蒼と茂る林と一面の苔が美しい。

廟は広大な庭の奥にある。

鑑真和上の故郷である、江蘇省揚州市の名花で、ガクアジサイに似た白い可憐な花を咲かせる「瓊花(けいか)」が鑑真和上の御廟の傍にある。

1982年6月、唐招提寺を訪問された中国の首相・趙紫陽(当時)に、苗木を一株植樹して頂いたもの。
鑑真和上ゆかりの名花 瓊花(けいか)と緑滴る唐招提寺
鑑真和上の御廟のそばと、御影堂供華園(くげえん)では、和上の故郷、中国揚州から送 … 続きを読む →


金堂の西側にある戒壇は僧となるための授戒が行われる場所で鎌倉時代に造られたが建物は失われ石段のみが残っている。

1980年に石段の上にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が造られた。

当時の日本では正式の授戒の制度はまだなかったので資格を持たない者が私的に出家してしまい、税や労役から逃れるために僧となる者が多く社会秩序の乱れにつながっていた。

そこで聖武天皇の勅命により遣唐使と共に唐に渡った普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)という留学僧の決死の嘆願により、正式の伝戒の師として来日することになったのが鑑真和上であった。

初めの5年間は東大寺の戒壇院にて受戒をしておられたが、のちに平城京右京五条二坊の新田部(にいたべ)親王邸の跡地に寺領を譲り受け、厳しい戒律伝導の拠点として現在の唐招提寺を建立 。

この講堂は平城京に建っていた東朝集殿という建物を移築・改造したものであり、まさに平城宮の遺構として現存する唯一の建造物として非常に価値が高い。

鑑真大和上が御将来されたと伝えられる「唐招提寺蓮」をはじめ、種類別に表示された蓮や境内2ヶ所の池に生育する数多くの種類の蓮「聖なる花」が華麗に咲く。

特に注目なのが、和上伝来の品種。
3種類あり、以下の通り。

唐招提寺蓮(赤・八重)。
唐招提寺青蓮(白・一重)。
奈良蓮(赤・半八重)。

例年の唐招提寺の蓮の咲き始めは、6月上中旬。
見ごろの時期は、蓮鉢と蓮池で異なります。

蓮鉢の見頃は、6月中旬から7月下旬。
蓮池の見頃は、7月中旬から9月初旬。

一般的に、ハスが最も美しく見れる時間帯は朝。
昼過ぎに訪れても、見れない事が多い。

渡航失敗を重ね、唐から来日したときには失明していたと考えられていた高僧、鑑真和上(688~763)について、来日当初は目が見えていたのではないか、とする説を西山厚・奈良国立博物館学芸部長が、唐招提寺(奈良市)で行った講演で披露した。

西山部長は、これまでに書状の筆跡などを根拠に失明したのは来日数年以降と考えていたが、最晩年に目が悪くなったことを平安時代の史料でも確認したという。

境内ではナンテンの花がきれいに咲いている、梅雨の時期に咲くナンテンの花、多くは雨に打たれて散ってしまう。

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アジサイの頃初夏咲きコスモスが見頃です


コスモス寺として有名な般若寺、アジサイが見頃を迎えるころは初夏咲きコスモス約3万本が咲きます。

石仏を背景にコスモスを撮るのがここの定番。

美しい薬師如来像とコスモスの組み合わせが定番だが、この時期やはりアジサイかな。

縦構図もいい。

やはり薬師如来にはコスモスが似合う。

コスモス一輪と。

コスモスに埋もれる薬師如来。

やはりこの辺りに落ち着きますかな、少しアジサイも入れて。

真上からのアジサイ、やはり今一かな。

お地蔵さんの前掛を借景に紅い背景。

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「ささゆり無料招待デー」 大和文華館

大和文華館の展示館は、奈良市の西の郊外の静かな住宅地のなかにある。
菅原池(通称、蛙股池)に面した丘の上に、赤松の古木と「文華苑」と呼ばれる自然苑に囲まれて建つ。

展示室は、竹の植えられた中庭をめぐって配置されており、バルコニーからは遠く春日山や平城京を望むことができる。

最近ではめっきり数が減り花屋さんでも珍しくなっている。

大和文華館では毎年「ささゆり無料招待デー」 を実施、多くのファンが詰めかける。

雑木林の中に楚々と咲く様子は清々しい。

雑木林の中、このような木漏れ日の下に咲く。

初夏の奈良を彩る行事のひとつに、率川(いさがわ)神社(奈良市本子守[ほんこもり]町)の三枝(さいくさ)祭がある。

「ゆりまつり」の名で親しまれているこの祭は古く藤原京の時代に厄病を鎮めることを祈る国の祭祀(さいし)と規定されていた。

三島由紀夫の小説「奔馬(ほんば)」には「これほど美しい神事は見たことがなかった」と語られている。

この由緒ある優雅な祭りの主役はササユリだ。その強い香気と葉は邪気を払うと考えられてきた。
率川(いさがわ)神社 三枝祭(ゆりまつり)
三枝祭(さいくさのまつり)の名は白酒黒酒(しろきくろき)の酒樽に本社三輪山でとれ … 続きを読む →


帰り道、涼やかな像を見た。

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山法師がとてもきれい 霊山寺


霊山寺境内では山法師が見頃を迎えている、紅い色とよく映える。

山地に普通に生え、本州から九州、および朝鮮半島、中国に分布する。街路樹・庭園樹・公園樹としても用いられる。

材は器具材として用いられる。近縁にハナミズキ(アメリカヤマボウシ)があるが、こちらの果実は集合果にならず、個々の果実が分離している。

紅葉の赤とのコラボです。

スイレンも今は盛り。

伝承によれば、小野妹子の子である小野富人は、壬申の乱(672年)に加担したかどで右大臣の地位を辞し、今の霊山寺境内にあたる登美山に閑居して登美仙人あるいは鼻高仙人(びこうせんにん)と称したという。

鼻高仙人となった小野富人は、登美山に薬師如来を祀り、病人を癒すために薬草を栽培し薬湯を設けた。

これは、彼が熊野本宮大社に参篭した際に出現した薬師如来(熊野速玉大神の本地仏)のお告げにしたがったものであった。

テーブルの上にあった小さな妖精、バックのバラの赤がきれいです。

こういうの撮りだすと止まらなくなります。

行基さんの立ち位置がいい、光線とも相まって優しさが感じられる。

こういう日漏れ日が降り注いでいるのです。

バス停の近くで見かけたブラシの木。

ホテイアオイ。

白色松葉菊

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今盛り 霊山寺バラ園

霊山寺は天平8(736)年、聖武天皇の勅命で、行基が建立し、バラモン僧菩提僊那が地相がインド霊鷲山に似ているところから霊山寺と名付けたといわれる古寺。

ブルームーン、作出国はドイツ。

「ユーロピアナ・ローズ」は華やかで強烈な花色。
五十二年前オランダで生まれた。

濃いローズレッドといわれるベルベット調で丸い花弁。

満開時でも鮮やかな花色を保つバラ「宴」

カクテル、一重の赤つるばらを代表する品種で、緋色に中心黄色の華やかな色彩を持つ。

高雄、鮮明な黄色の花に鮮やかな朱紅色の覆輪がはっきりとでます。
それは錦秋映える高雄の山のごとく。

咲き始めは濃い黄色、開花にしたがって 花びらの端が緋紅色に染まってゆきます。

日傘

ラベンダー、背景にいい花色を見つけた。

ブルーヘブン、従来、青い色素を持つ原種バラは発見されていなかったため、従来の原種を元にした交配育種法では青バラ作出は不可能とされてきた。

そのため、現在の園芸品種にも青色といえる品種は存在しない。

また「青バラ」と呼ばれる品種は、主に赤バラから赤い色素を抜くという手法で、紫や藤色に近づけようとしたものである。

エルフルト、半八重のカップ咲きで花びらの先端が少し波打って花の表情にリズムが感じられます。

サリーホルムズ、上品なアイボリーホワイトの一重~半八重の花で大きなブーケのようになって咲きます。

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南都八景 飛火野


「神山御蓋山展望地」の碑のありから南東方向を望む。中央左寄りの峰が高円山、その右に続く低い山が鉢伏の山。

春日(かすが)または春日野(かすがの)は、奈良県奈良市春日野町の春日大社一帯の名称。

奈良市および付近の名称。奈良時代に烽(とぶひ)が設置されたことから、飛火野(とびひの)の別名がある。「春日野鹿」 は南都八景の一つとなっている。

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(阿倍仲麻呂)

古くは「とぶひの」ともいわれ、鹿島大明神が春日の地にお着きになられたとき、八代尊様が光明のため口から火を吐かれ、その炎がいつまでも消えず飛んでいる様に見えたことからこの名がついたとも、飛火が古代の通信施設「烽火(のろし)」の意味であるからだといわれています。

飛火野は奈良市街よりも高台にあるが、烽に適した地形ではない。

現に飛火野から生駒山は見えない。周囲の樹木に視界が遮られるのだ。他所からも見通せないだろう。

飛火野が広大な芝地になったのは明治以後公園になってからである。
江戸時代は森であったというから、「芝地が烽の跡」云々もまったく成り立たない。

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不思議な奈良のピラミッド 頭塔

頭塔(ずとう)は、奈良市高畑町にある土製の塔。
1辺30m、高さ10m、7段の階段ピラミッド状の構造をしている。

奈良時代の建造で、東西南北の各面に石仏を配置する。
1922年(大正11年)、国の史跡に指定された。

奈良時代、藤原広嗣のたたりで死んだ僧玄昉の頭を埋めたとの伝説のため、頭塔と呼ばれていますが、正しくは、東大寺の僧実忠が国家安泰を祈って築いた土塔の跡といわれている。

方形の封土を3段に築き、その4面に石仏を配列したもので、現在浮き彫りの石仏が13個あり、奈良時代の数少ない石仏群として有名。

奈良文化財研究所による1986年(昭和61年)からの発掘調査終了後、北半部は復元保存、南半部は発掘前の現状保存の形で残されている。

塔は版築による方形の土壇で、基壇は一辺32メートル、高さ1.2メートル。
上壇になるにしたがって3メートルずつ縮小して、最上壇は一辺6.2メートル。

高さは奇数壇で1.1メートル、偶数壇で0.6メートル、基壇裾から最上壇までは約10メートルの高さ。

その形態に類似性が認められる日本国内の遺址として、堺市の大野寺に見られる「土塔」がある。

石仏の上にのっている屋根瓦は、石仏を直射日光や風雨から保護するために置かれていたもの。
発掘された屋根瓦がどのような使われ方をしていたかについては諸説あり、資料が少ないために現在復元された形となっている屋根瓦の葺き方が正しいのかどうか、定かにはなっていない。

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