春日大社万葉植物園のフジ 今盛り


春日大社の社紋は「下り藤」。
藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、次第に定紋化された。

御巫(みかんこ)の簪又、若宮おん祭の「日の使」の冠にも藤の造花が見られます。
とりわけ御本社の「砂ずりの藤」は、名木として知られます。

藤の花を敬愛し、観賞するための庭園として萬葉植物園内の南庭にも20品種、 約200本もの藤の木が植栽される「 藤の園 」が設けられている。

藤の木の植栽は、立ち木作りの形式をとっており、藤棚のように見あげるのではなく目線で花が観賞でき、 また、花が外向きに咲くことで常に日の光を浴びて美しく見える、 まさに自然と一体化した風光優美な庭園となっている。

藤の開花期間は気候により多少前後しますが、通常ですと4月の末頃から5月上旬頃まで。

早咲きの開花から遅咲きが終わるまで約2週間しかなく、すべての藤が一斉に咲き揃うことはありません。

毎年ゴールデンウィーク頃に花が満開になることが多く、大層な人出となります。

唯一園内に香りを広げる中国の「麝香藤(じゃこうふじ)」やピンク色の濃い「昭和紅藤」など珍しい藤が多い時期は早咲きの頃

長い房の藤や「八重黒龍藤」などの咲き始めるのは、期間の中頃~終盤になります。

万葉集ではフジを詠んだ歌は26首あります。サクラの46首と比べても見劣りしない数です。
万葉の人々にとって、フジはサクラと並んで春の息吹を感じる花として、なじみの深いものだったのでしょう。

「 かくしてぞ 人は死ぬといふ 藤波の
    ただ一目のみ 見し人ゆゑに
 」
                   巻12-3075 作者未詳

(  こんなふうに恋ひ焦がれて、あげくの果てに人は死ぬものだという。
   見事な藤のような美しい人を、ただ一目見ただけなのに )

藤を女性の美しさに譬えた万葉唯一の歌です。
艶やかな女性に一目ぼれして、「もう焦がれ死にしてしまいそうだ」と悶々としている男です。

「 磯城島(しきしま)の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども
  藤波の 思ひもとほり 
  若草の 思ひつきにし
  君が目に 恋ひや 明かさむ 
  長きこの夜を
 」 
                           巻13-3248 (既出) 作者未詳

( この磯城島の大和の国に 人はたくさん満ちあふれていますが、
  藤の蔦が絡みつくように 私の想いがあなたにからみつき、
  若草のように瑞々しいあなたに 心が寄り付き、
  ただ ただ、お逢いしたいと、そればかり思い焦がれて
  まんじりともせず、この長い夜を明かすことになるのでしょうか )

「 春へ咲く 藤の末葉(うらは)の うら安に
    さ寝(ぬ)る夜ぞなき  子ろをし思(も)へば
 」
                   巻14-3504 作者未詳 東歌

( 春の盛りの今 咲き誇る藤の花。
 その藤を覆う末葉ではないが、心(うら)安らかに寝る夜など一夜とてない。
 あの子のことばかり思うと )

恋しけば、形見にせむと、我がやどに、植ゑし藤波、今咲きにけり
第八巻: 1471  山部赤人

恋しいので形見にしようと庭先に植えた藤が、今、咲いています。

我が宿(やど)の、時じき藤の、めづらしく、今も見てしか、妹(いも)が笑(ゑ)まひを
第八巻  大伴家持

この歌の題詞には、大伴家持(おおとものやかもち)が季節はずれの藤の花と萩の紅葉を折り取って、坂上大嬢(さかのうえのだいじょう)に贈った歌、とあります。

フジの花に関連して井沢元彦氏の説を紹介する。

日本の歴史を通史で考えるときにはわかりやすい論法だ。
白村江の戦いの辺りからずっと見ていくと彼らが何をしたかがよくわかる。

藤原氏の行動原理のシンボル「藤の花」

藤原氏の原理とは何か?
 
言うまでもない、「藤原氏は日本の寄生虫である」というのが日本史の原理である以上、藤原氏の原理とは「決して天皇(日本の王)にならず、あくまで天皇家に対する寄生虫の立場を守る」ということになる。
 
そして、もちろんこれは膝原氏自身も自覚していたのである。
 
藤原氏のシンボルは「藤の花」である。
藤原氏の氏神(守護神)である奈良の春日大社の神紋も「下がり藤」だ。
 
藤原氏のシンボルが「藤」であることに注意しなければならない、と述べたのは梅原猛
氏たった。

これは卓見である。
 
なぜなら藤という植物は次のような性質を持つからだ。

他物にがらんで成長するのが、藤なのである。
   
つまり、「からみつくための他物」が無いと籐は生きられないのだ。

あくまで「他物」を「主」とし、自らは「従」となる。

これが藤原氏の行動原理である。

その行動原理を、まさに「藤」というシンボルは見事に体現しているのだ。

もっとも史料至上主義者たちは、そんなことは偶然だと言うだろう。

途中略・・・・・

これれはまさに、宿主と寄生虫の関係そのものではないか。
   
寄生虫(藤原氏)が本来宿主(日本国)に行くべき養分(税)を途中で吸い取ってしまう。
  
そのことによって宿主はやせ衰え死にかけるのだが、寄生虫は宿主がどうなるうと知ったことではない。

あくまで自分のことだけを考え養分を吸いつくす。
   
平安末期の政治というのは、まさにこのようなものであった。

藤原氏が荘園というカラクリで肥え太っても、それを少しでも国家に還元したのなら、私も彼等を「寄生虫」とまでは言わない。

彼らが不正な手段で築いた有り余る財力を、たとえば国家治安向上のために使うとか、羅城門等都の施設を修理するとか、そういうことに使ったのならいい。

だが、彼等はそういうことはまったくせずに自分たちの豪華な寺や別荘を建てるためには湯水のように消費した。

そればかりではない。
藤原摂関政治の頂点を極めた藤原道長は法成寺という自分の寺を建てる時に、羅城門の礎石を盗むことすらしているのだ。

これは当時の記録(『小右記』)に堂々と書かれてある。

これは現代にたとえれば、首相が別荘を建てるために国会議事堂をこわしてその石材を使うような-

いや、もうやめよう。それは現代の政治家たちに失礼だ。
道長ら藤原摂関政治の担い手たちはまさに現代の政治家以上に「自分のことしか考えていない」とんでもない奴等だったのだ。

平将門はこういうデタラメな政治体制に怒ったのである。

だから反乱というよりは、むしろ革命を起こそうとしたのだ。

しかし、将門を正しく評価するためには、当時の藤原摂関体制という「巨悪」に触れなければいけない。

そこで御用史家たちは将門を犬悪人にしたのだ。

ところで、およそ三世紀のちに、将門の果たせなかった夢を実現した男がいた。
それが鎌倉学府の開設者源頼朝なのである。

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万葉植物園 フジが見頃です

春日大社の社紋は「下り藤」。

藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、次第に定紋化されました。

御巫(みかんこ)の簪又、若宮おん祭の「日の使」の冠にも藤の造花が見られます。
とりわけ御本社の「砂ずりの藤」は、名木として知られます。

フジの別名「野田藤」は、フジの名所であった大阪市福島区野田にちなんで、牧野富太郎が命名。

ショウワシロバナ系の白野田藤は、紫色ではなく白色の花をつける。花房60cmほどです。

花は小輪で、遅咲き、昭和白藤とも呼ばれます。

黒龍藤はノダフジ系。
紅紫色の花房は蝶形花が総状花序に垂れ下がり、約50cmくらいになります。

唯一園内に香りを広げる中国の「麝香藤(じゃこうふじ)」やピンク色の濃い「昭和紅藤」など珍しい藤が多い時期は早咲きの頃、長い房の藤や「八重黒龍藤」などの咲き始めるのは、期間の中頃~終盤になります。

『古事記』には春山霞壮夫(はるやまのかすみおとこ)が母親が整えたコスチュームのおかげで恋敵に先んじて難攻不落の美女を射とめる話がある。

彼が身につけていたものとは上着から弓矢にいたるまですべて藤つるで作ったもの。

彼女の元を訪れたとき彼の全身から藤が薄紫の花房をたらし、さながら「藤人形」の趣きだったという。

藤には呪性があると考えられたらしい。

フジの語源は花が風に吹き散ることから名付けられ、漢字の藤があてられたそうだ。
 「春日野の藤は散りにて 何をかも御狩(みかり)の人の折りて挿頭(かざ)さむ
  万葉集巻10-1974。

日本の藤はヤマフジ系(花は大型、花房は短く花の数は少ない)とノダフジ系(花は小型ながら花房長く花の数は多い)に分けられる。

つるの巻き方はヤマフジ系は右巻き、ノダフジ系は左巻き。素人にも分かる見分け方だ。

花菖蒲を背景に取り込んだ。

見事な咲き振り、カメラを構えた人が前面に立ち、中々シャッターが切れません。

ボカシの背景の色付けが難しい、ピンク系の背景に玉ボケ。

本殿の砂ずりのフジは遅咲きです、まだまだこれから。

灯籠を背景に。

本殿西側のフジもきれいです。

万葉植物園を散策。

可憐な花に似合わず、カマツカの名は「鎌柄」そのもので、材が硬くて折れにくいことから、鎌の柄に用いられたことに由来する名称とされる。

別名の「ウシコロシ」は、牛の鼻環としたからとする説明と、これとは全く異なる鼻環の孔あけに使用したからとする説明を聞く。

いずれにしてもその堅さ及び丈夫さが知られていて、各地でその特製に着目した利用がなされてきた模様である。

トチノキ(栃、橡、栃の木、学名:Aesculus turbinata)は大木に成長し、樹高25m、直径1mを越えるものが少なくない。

葉も非常に大きく、全体の長さは50cmにもなる。
長い葉柄の先に倒卵形の小葉5〜7枚を掌状につけ(掌状複葉)、葉は枝先に集まって着く。

梅の実が膨らんでいる。

シラン(紫蘭、学名: Bletilla striata Reichb. fil.)は、ラン科シラン属の宿根草。

花期は4月から5月。花は紫紅色で、30から50cm程度の花茎の先に数個つく。

花弁は細長く、あまり開ききらないような感じに咲く。
観賞用に、花の色が白色のもの、斑入りのもの、淡色花、花弁が唇弁化した「三蝶咲き」などがある。

萬葉植物園の中央に萬葉時代の庭園を思わせる造りの池がある、たくさんの鯉が愛嬌をふりまく。

竹林がきれいだったので太陽の鉛筆で。

「オオムギ」は漢名の「大麦(だいばく)」を訓読みしたもの。

「大」は、小麦(コムギ)に対する穀粒や草姿の大小ではなく、大=本物・品質の良いもの・用途の範囲の広いもの、小=代用品・品格の劣るものという意味の接辞によるものである。

大豆(ダイズ)、小豆(アズキ、ショウズ)、大麻(タイマ)の大・小も同様である。

馬柵越(うませご)しに麦食む駒の罵(の)らゆれどなほし恋しく思ひかねつも

万葉集 [巻十二 3096]

静かな林の中、鹿が静かに昼寝。

濃い緑の中にあずまやが風情を醸す。

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春日大社へのアクセス、行き方歩き方

春日大社公式サイト

住所:〒630-8212 奈良市春日野町160   
電話:0742-22-7788 FAX:0742-27-2114

JR・近鉄奈良駅より奈良交通バス「大仏殿・春日大社前」もしくは「春日大社表参道」下車、徒歩10分。※時間により「春日大社本殿前」行きもあり

長居植物園万葉のみち

万葉集に因んだ植物が植えられている万葉のみち、こちらでも春を迎えています。

ハギ

やっと新芽を延ばしているところ、古くから日本人に親しまれ、『万葉集』で最もよく詠まれる花でもある。
秋ハギと牡鹿のペアの歌が多い。

草枕 旅行く人も  行き触れば
にほひぬべくも 咲ける萩かも

  ~笠金村(かさのかなむら) 万葉集 巻8-1532

ササはタケと同じく地下茎が横に伸びるが、茎を包む鞘が剥がれず、枯れるまで残る。

小竹の葉はみ山もさやにさやげども我は妹思ふ別れ来ぬれば  柿本人麻呂 万葉集 巻2-133

マキ

こちらも新芽を出しています。

時雨(しぐれ)の雨間(ま)無くし降れば三笠山小末(こぬれ)あまねく色づきにけり

作者不詳 万葉集 巻8-1553

ユリ 

新芽がやっと出たところ。

道の辺の 草深百合(くさふかゆり)の 花咲(ゑ)みに

笑みしがからに 妻と言ふべしや

  ~作者未詳 万葉集 巻7-1257

ツタ

・・・・・玉藻なす 靡(なび)き寐(ね)し児を

深海松の 深めて思へど

さ寝し夜は いくだもあらず

這(は)ふ蔦(つた)の 別れし来れば・・・・・   柿本朝臣人麿  万葉集 巻2-135

ヤマブキ

古歌にも好んで詠まれ、しばしば蛙(かはず)とともに詠み合わせられる。

かはづ鳴く神奈備川に影見えて今や咲くらむ山吹の花  厚見王 万葉集 巻8-1435

「ミツマタの花」は日本においては仲春(啓蟄〔3月6日ごろ〕から清明の前日〔4月4日ごろ〕まで)の季語とされている。

古代には「サキクサの」という言葉が「三(み)つ」という言端(ことば)に係る枕詞とされており(例:「三枝〔サキクサ〕の三つば四つばの中に殿づくりせりや」〔催馬楽・この殿は〕)、枝が三つに分かれるミツマタは昔は「サキクサ」と呼ばれていたと考えられている。

春されば まず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあれば 後にも逢む な恋ひそ吾妹  柿本人麻呂 万葉集 巻8-1895

スミレ

春の野に すみれ摘みにと 来こしわれそ 野をなつかしみ 一夜寝にける

山部赤人 万葉集 巻8-1424

タケ

御苑ふの 竹の林に 鶯は しばな(鳴)きにしを 雪はふりつつ  大伴家持 万葉集 巻19-4285 

フジ

恋しけば、形見にせむと、我がやどに、植ゑし藤波、今咲きにけり  山部赤人 万葉集 巻8-1471

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2016年春「妙心寺退蔵院のさくら特別拝観」

退蔵院ではこの時期、お食事つき特別拝観プランが行われている。

退蔵院の目玉で国宝に指定されている『瓢鮎図(ひょうねんず)』に因んで屋根の瓦にも瓢箪とナマズが。

方丈前に掛かる日本最古と伝わる山水画「瓢鮎図(ひょうねんず)」は山水画の始祖といわれている如拙が、足利義持の命により心血注いで描き、現存する彼の作品の中で最高傑作といわれています。

「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決するか、将軍義持は当時の京都五山の禅僧31人に参詩を書かせました。

高僧連が頭をひねって回答を連ねた様子は正に壮観です。

方丈の枯山水庭園「元信の庭」は国の史跡名勝。
室町期の画聖・狩野元信の作と伝わります。

今日のお昼は通常非公開の「書院」でいただいたが、実はその書院の壁面に「かくれ茶室」があります。
ご覧の通りふすまを開けると茶室が現れます。

参禅を第一主義とする妙心寺では、茶の道が修行の妨げになると考え、これを禁じた時代がありました。
ところが執心のあまり、密かに茶室が作られました。

第六世千山和尚の作と言われ、外部からは茶席とわからないように巧みに設計されていることから、「かくれ茶室」とも言われています。
通常非公開ですが、特別拝観時などに公開しています。

約50年前、「余香苑」の完成時に植えられた退蔵院の紅枝垂れ桜は、平安神宮の孫桜にあたる木で、2013年にJR東海「そうだ京都、行こう。」キャンペーンにも使用されました。

どの手水にも花が添えられていた。

茶室の前の庭の桜は見事に咲き誇っている。

その傍らにはこの時期としては珍しくアジサイも。

マンサクの花も満開です。

約1千坪に及ぶ退蔵院の池泉式回遊式庭園「余香苑」。

この広大な庭園は造園家・中根金作氏の設計によるもので、昭和38(1963)年に着工し、3年の月日を費やして完成しました。

余香苑(よこうえん)は伝統的な造園手法を基盤とした厳しさの中にも優雅さを含み、京都はもとより全国でも有数の昭和の名園と言えます。

構造上目立たぬ苦心が随所に払われており、正面から庭園を見渡すと、奥行きが生まれ、庭園が広く見えることなどが例としてあげられます。

一年を通して、紅しだれ桜や藤、サツキ、蓮、金木犀、楓などが彩ります。

桜の花びらの中をコイが泳ぐ。

モネの絵ではないがスイレンも。

池の畔の藤棚では藤の花芽が。

紅葉の緑が鮮やかだ。

ヤマブキもあちらこちらに見られる。

珍しい「日陰ツツジ」

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退蔵院へのアクセス、行き方歩き方

京都市右京区花園妙心寺町35

JR花園駅から徒歩7分

藤の春日大社緑も鮮やかです

東海北陸の20名城の記事の掲載中ですが、季節の話題を挟ませてもらいます。
春日大社の社紋は「下り藤」。
藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、御巫(みかんこ)の簪又、若宮おん祭の「日の使」の冠にも藤の造花が見られる。

残念ながら、「砂ずりの藤」はすでに見頃を過ぎていますが、いたるところ緑がきれいです。

茶店でも緑に囲まれゆっくりとお茶を楽しむことができます。

空を見上げれば陽に透かしたモミジの緑が鮮やかだ。

万葉植物園では20品種・ 約200本もの藤の木が植栽されています。

早咲き種の盛りが過ぎ、今は遅咲き種の真っ盛り、見上げる藤にウットリ。

色取り取りに咲くフジ、ピンクもかわいい。

クローズアップして見た。

背の高い富士の一部を切り取り、豪華です。

遊び心で少しアート風に。

園では草木染の店も開かれ、彩りを添えている。

ユリ系の花、黄色が青空に映えます。

大麦も見事、このほか約300種の万葉植物が季節ごとに開花する。

長居植物園は春真っ盛り

花たちも春を待っていたのか一斉に自己主張を始めました。
長居植物園は春真っ盛りです。

この時期ハナミズキが存在感を示します。

木の下から仰ぐ、別名、アメリカヤマボウシ。
ハナミズキの名は、ミズキの仲間で花が目立つことに由来する。

花弁のように見えるのは総苞で、中心の塊が花序である。
実際の花は、4弁の直径5mm程度の目立たない花が集合して、順次開花する。

サトザクラもまだまだ健在です。

サトザクラの歴史は、人々がサクラを庭に植え始めた平安時代からと言われる。
このころから品種の育成が行われ、人為的な交配や突然変異、野生のものからの選抜育成などが続けられた結果、200種以上のサトザクラが誕生した。

オオシマザクラの影響は大きいと言われる。

サトザクラは往々にして人間の観賞用に改良されてきたため、花びらの数の多いものや、見栄えのするものを選んで作られている。
八重咲き、枝垂れ咲きの種類も多い。

ボタン園も花が咲きそろい多くの人を引き付けていた。

そばのメタセコイヤの林、少し、アート風に撮ってみた。

竹の径もアート。

御苑布能 竹林尒 鶯波

          之波奈吉尒之乎 雪波布利都々

                 大伴家持 巻19-4286

     御苑生(みそのふ)の 竹の林に 鶯は

          しば鳴きにしを 雪は降りつつ

 御苑の竹の林で、鶯はもう度々鳴いて春を告げていたのに、いま、雪は降り続いているよ。

かはづ鳴く 神奈備川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花

厚見王
・・・・・・・・・・・・・・
蛙の鳴く甘南備河に影を映して

今こそ咲いているだろうか山吹の花は
・・・・・・・・・・・・・・

植物園の南に菜の花が一面に咲く。

品種は「寒咲き花菜」だそうです。
厳冬期の花の少ない時期から開花するので、養蜂のためにも栽培された。

花は見事であるが、葉はあまり食べないようである。

菜の花畑の向こうにフジが咲く。

目立たないがクヌギも春を迎えている。

花は雌雄別の風媒花で4-5月頃に咲く。
雄花は黄色い10cmほどの房状に小さな花をつける。

雌花は葉の付根に非常に小さい赤っぽい花をつける。
雌花は受粉すると実を付け翌年の秋に成熟する。

コデマリ(小手毬、学名:Spiraea cantoniensis)は、バラ科シモツケ属の落葉低木。
別名、スズカケ。

春に白の小花を集団で咲かせる。
この集団は小さな手毬のように見え、これが名前の由来となっている。

春の陽気に誘われ、多くの人が植物園を訪れている、散策を楽しむ人、友達と弁当を広げる人、おしゃぎ回る子供たち・・・・・・

ヤナギもあおい芽をふいてそよ風に揺れる、手前にはポピーも、池の向こうはハナミズキ。

ライラック(Lilac、紫丁香花(むらさきはしどい)、学名:Syringa vulgaris)はモクセイ科ハシドイ属の落葉樹。

ライラックの呼称は英語の仮名転写に由来し、他にフランス語由来のリラでも呼ばれる。
和名はムラサキハシドイ(紫丁香花)。

花言葉は友情・青春の思い出・純潔・初恋・大切な友達など。

原産地はトルコのアナトリア地方とされ、トルコ国内の宮殿(トプカプ宮殿等)やモスク(ブルーモスク等)に貼られたタイルに描かれている。
生産地ではオランダが非常に有名で、各国へ輸出されている。

和名は鬱金香(うこんこう、うっこんこう)、中近東ではラーレと呼ばれる。

和名の鬱金香は、この花の香りがスパイスまたは食品を黄色く染めるのに使われるウコンのような、ほこり臭いことに由来する。

チューリップの花言葉、色が変わると意味が全然違います。
中には「失恋」を意味する色もあるので、プレゼントに使うときは注意しましょう!

チューリップは恋愛にまつわる伝説が多い花で、「男性からの積極的な求愛に困惑した美しい女性が、女神に頼んで花にしてもらったのがチューリップ」とか「恋人の死を知って身を投げた男性の真っ赤な血だまりからチューリップが咲いた」とか、情熱的でありながらどこか悲しい物語に登場します。

黄色いチューリップ(Yellow Tulip)の花言葉は「望みのない恋」「名声」

キリシマツツジ(霧島つつじ、霧島躑躅)。

花の名は、鹿児島県霧島のヤマツツジ(山躑躅)と九州の高山に自生するミヤマキリシマ(深山霧島)が交雑して生まれたことからつけられたという。

花言葉「燃え上がる愛」は、ぽつぽつと咲き始め、満開のときには葉が見えなくなるほど集まって咲く鮮やかな赤い花の印象からつけられています。

芝桜をバックにツツジ。

山越えて、遠津(とほつ)の浜の、岩つつじ、わが来るまでに、含(ふふ)みてあり待て

遠津の浜の岩つつじよ、私が帰るまではつぼみのままで待っていて。

自然史博物館の2Fで、鉢植えのツツジがきれいでした。

コルムネア’アラジンズランプ、花は長い筒状で先端が開き、左右や下が反り返るものが多く、弧を描くように横~上向きに付きます。

花色は鮮やかな赤や黄色、オレンジ色など暖色系で占められます。

英語で金魚の木と呼ばれています。

赤いイルカが、カリブの海で跳ねているようにも見えます。

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春日大社神苑の藤 早咲き遅咲き同時鑑賞

この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2011年5月8日訪問時のものです。

香りを広げる中国の「麝香藤(じゃこうふじ)」やピンク色の濃い「昭和紅藤」などの珍しい藤は早咲き、長い房の藤や「八重黒龍藤」などは、期間の中頃~終盤に咲きます。
しかし、今年は異変が起きています。

早咲き種の開花が1週間ほど遅れたため、早咲き種の麝香藤(じゃこうふじ)も遅咲きの八重黒龍藤も同時に見れるのです。
通常ではあり得ない状況が起きているのです。

今回の訪問者は非常にラッキーと思います。

近鉄奈良駅から15分位歩くと奈良公園に着きます。
交差点を直進すると参道になり、すぐ左手に春日大社のシンボル「藤」の開花で知られる庭園、神苑萬葉植物園正面が見えてきます。

今日は本殿の砂ずりのフジが先に見たいので右手の表参道を進みます。

二の鳥居の前で戯れる春日大社の神使、奈良公園の鹿。

石灯籠、釣灯籠あわせて約3000基に灯が入れられる万灯籠(節分とお盆)は文字通り幽玄の世界をかもす。

階段を上がると南門。
この奥に目指す砂ずりのフジがあります。

直会殿前に有名な「砂ずりの藤」があります。
美しい藤の花穂が1m以上垂れ下がり地面の砂を擦るほどのびることから、この名前がついています。

力強く絡まり合った根にも注目。
樹齢700年を超える生命力を分けてもらえる気がします。

毎年更新される掲示の記録表を確認したところ、案外長めの 1m68cm とのこと。

社殿の赤と藤の紫、そして木々の緑が織りなすコントラストの美しさをご覧あれ。

春日大社の社紋は「下り藤」。
藤は境内随所に古くから自生し、藤原氏ゆかりの藤ということもあり、次第に定紋化されました。

まだまだ砂をするような長さではありませんが、藤色の花房が朱色の社殿に目にも鮮やかに映えて初夏の訪れを感じさせてくれます。

御巫(みかんこ)の簪又、若宮おん祭の「日の使」の冠にも藤の造花が見られます。
藤原氏の氏神であることから古来、とりわけ藤は大切にされてきた。

境内のいたるところ、野生の藤が薄紫の色を散らしているが古くから有名な藤が2種ある。
拝殿前の「砂ずりの藤」と若宮神社にある「八つ藤」。

砂ずりの藤は樹齢700年以上といわれる古木。
文字どおり地面に届かんばかりに長い花房をたらし、花どきは優雅にこの上ない花の滝になる。

八つ藤はナギの木に大蛇のように巻きついた藤。太いつるが八つに分かれているからとか
花が八重咲きだからとかともいわれるが名の由来は不明。

廻廊(重文)につるされた釣灯籠が絶妙のアクセントになり、王朝絵巻をひもといたような華麗な優美さ。

鮮やかな緑が目に染みる慶賀門、奥に砂ずりのフジが見えています。

意外と知られていないのが、内侍門から見える多賀神社前の砂ずりのフジ。

祈祷所には女性参拝者の姿が絶えません。

迎賓館の玄関に神主さん、巫女さんが整列しています。
「読売新聞の社長さんが来ているらしい」と通りがかりのおじさんが教えてくれた。

GW前半4月末でないと楽しめないのが麝香藤(じゃこうふじ)。
その白い藤の花からは,麝香の香りが園を越え春日大社参道まで届くほどに,強い芳香を放っている。

この香りを楽しむために,遠方から人が集まる。
今年はこの時期(5月8日)でも見ることができた。

萬葉植物園では藤の木の植栽は、立ち木作りの形式をとっており、藤棚のように見あげるのではなく目線で花が観賞でき、 また、花が外向きに咲くことで常に日の光を浴びて美しく見える、 まさに自然と一体化した風光優美な庭園となっています。

一番人気の中頃咲きの『八重黒龍藤(ヤエコクリュウフジ)』
期間の中頃~終盤に咲きます。

今年は早咲き種の麝香藤と同時に見ることができるという通常ではあり得ない幸運に恵まれた。

ちょっとはずれたところにはこのような野生の藤・・・というか、立ち木造りから はみ出して大木に自由に絡み付いている藤もある。

野田藤の種類の中でも最も遅咲きの最後にしか見れない真っ白な珍しい『白野田藤』も出てきて遅咲き開花の時期!!
『最も長い九尺藤(キュウシャクフジ)』も、まだ見れる。

剣沢(つるぎのさわ)

この池は古くから「つるぎの沢」または「剣沢」と呼ばれていた。
近くには興福寺の僧が、当社に参拝する折にお籠りする、五箇の屋の一つである、「西の屋」や「円窓亭」(現在奈良公園内片岡梅林に移築国指定・重文)があった名所旧跡でもある。

万葉植物園のある春日大社神苑の一番奥まったところに、歌泉堂がある。
こじんまりした趣のある建物だ。

注連縄が張ってあるこの社の祭神は、柿本人麻呂である。
万葉集第一の歌人がここに神として祀られている。

百人一首の「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」は最もよく知られている詠だ。

歌泉堂絵馬掛け所
絵馬に詩歌を記入して奉納する。
優秀作は社宝へ掲載されると書いてある。

臥龍のイチイガシ
春日原生林には多くのイチイガシがあるが、万葉植物園(神苑)のイチイガシは幹周りが3mもあり大風で木が倒れてしまったにもかかわらずそこから起き上がって成長している様子が龍にたとえられ”臥龍のイチイガシ”と呼ばれ天然記念物に指定されている。

この木の生命力の強さを感じさせられる。

島崎藤村揮毫の万葉歌碑

 「むらさきは 灰さすものぞ つば市の
    やその ちまたに 逢える子や誰」
 「たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど
    道行く人を 誰としりてか

       藤村 老人

と、2首の歌が、銅版に刻まれて三角の石にはめ込まれてある。
昭和13年   藤村66才の秋の書。

会津八一歌碑

かすがのに
 おしてるつきの
 ほがらかに
 あきのゆふべと
 なりにけるかも
 

「南京新唱」巻頭の歌です。

春日大社神苑は、萬葉植物が植栽され、広さは9,000坪もあります。
花菖蒲を撮りました。

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春日大社へのアクセス、行き方歩き方

春日大社公式サイト

住所:〒630-8212 奈良市春日野町160   
電話:0742-22-7788 FAX:0742-27-2114

JR・近鉄奈良駅より奈良交通バス「大仏殿・春日大社前」もしくは「春日大社表参道」下車、徒歩10分。※時間により「春日大社本殿前」行きもあり

平等院のフジ

この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。
画像は2011年5月8日訪問時のものです。

光源氏のモデルといわれる源融の別荘として建てられたものを藤原道長が譲り受け、息子の頼道が1052年(永承7)に寺に改めた。

関連記事:幽霊屋敷 河原院跡  「源氏物語ゆかりの地・枳殻邸(渉成園)」

極楽浄土を思わせる庭園に長い房を垂らす藤の古木。

10円硬貨に描かれた鳳凰堂は浄土庭園に面しているが、庭園には阿字池があり、ほとりに4本の藤がある。
推定樹齢200年といわれるこの木が長い房をつけるのは4月下旬。

芳香を放ちながら咲く花姿には高貴な雰囲気が漂う。

藤は藤原氏の家紋でもあり、平等院のシンボルでもあります。満開になるとその長めは見事なもので、藤の花も、長いものだと1メートルを超えるものまであります。

鳳凰堂は東を向いて建っている。
朝日を浴びて阿字池に映る御堂は、息をのむ美しさだ。
中堂の屋根上には鳳凰が一対、翼を広げている。

鳳凰堂前に広がる「阿字池」の対岸から「鳳凰堂」中堂中央正面の格子状障壁につけられた丸窓を通し本尊の「阿弥陀如来」の顔を拝観することができる。
まさに極楽浄土を思わせる風景である。

JR宇治駅から宇治橋通り商店街へ向かうと、中村藤吉本店があります。
この暖簾をくぐった奥の方にカフェがある。

商店街の各店の軒先には丹精した盆栽が並ぶ。

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平等院への行き方・歩き方

平等院

〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116 
電話:0774-21-2861
FAX:0774-20-6607

電車 
JR奈良線で「宇治駅」下車、東へ徒歩10分。
京阪電鉄宇治線で「京阪宇治駅」下車、徒歩10分。

お車
大阪方面から…… 名神高速「大山崎」ジャンクションから京滋バイパスに乗り換え「宇治西」インターから京滋バイパス側道を直進
名古屋方面から… 名神高速および新名神「瀬田東」ジャンクションから京滋バイパスへ乗り換え「宇治東」インター出口左折
奈良方面から…… 京奈和自動車道「城陽」インターから国道24号線を経て京滋バイパス側道へ右折

伝統行事 氷室神社 献氷祭

和銅3年(710)、吉城川の上流、春日山のふもと(現在の月日の磐)に、氷室すなわち氷の貯蔵所を設けて神を祭ったことに由来する伝統行事。
全国の製氷販売業者・氷売り業者が参列、祭典が行われる。

関連記事:奈良で一番早く咲く「氷室神社」のしだれ桜

氷室神社の祭神は、中央に主神の闘鶏稲置大山主命(つげいなぎおおやまぬしのみこと)を祀っています。

この神は闘鶏国造の祭神で、闘鶏一族は氷の貯蔵法を発明し、冷蔵の道を案出したといわれています。
本殿は三間社流造・桧皮葺の江戸期の造営で、県指定文化財となっています。

祭日には、本殿玉垣前の芝生の左右に「献氷」の文字を刺繍した大錦旗が立てられて、祭典は午前11時より始められます。

奉納されている氷は「純氷」と呼ばれるもので、良質の水を長時間で凍らせたもので、融けにくいそうです。

純氷とは良質な水を48時間以上かけてエアレーションを行いながら凍らせた透明で堅い氷のことをいいます。

家庭の冷蔵庫や全自動製氷機と比べて、溶けにくい特徴をもちます。

家庭用冷蔵庫で作った氷が白くなるのは、立方体の6面の表面が同時に凍り始めるため、水に含まれる空気が氷の中に閉じ込められるためです。

製氷工場では、立方体の5面から氷の結晶を成長させていくため、氷の中に空気が閉じ込められることがなく、透明になります。

この時期藤が花をつけ彩りを添えています。

全国の製氷会社から献上の御所車。

この席に宮司以下が着座し、祭典が行われる。

式典は午前11時に始まった。
参道両側には氷柱、神前には昇り龍の大きな彫刻。

2011年まではタイやコイを封じ込めた氷柱が奉納されていたが、職人の引退で龍の彫刻に替わったという。

神官による修祓で式典が開始される。

「献饌」
神様にお食事を供えます。
通常2,3人の神職の方によって受け渡されて供えられますが、このお祭では氷業界の代表の方々が出てきて、大人数で受け渡してゆきます。

「奉幣の儀」
これも業界の代表者が、大きな御幣をお供えしてゆきます。

参列の方々が、まだ玉串を添え終わらないうちに神主舞「納曽利(なそり)」が始まりました。

わが国での氷室の発祥の地は現在の天理市福住町で、都祁(つげ)氷室とも称されています。

仁徳記62年(374)以来、毎年朝廷に献上されていて、允恭天皇3年(414)にここ福住に氷室神社を祀り、のち元明天皇が春日御蓋に分霊し祀ったと、東大寺の元要記に記されています。

福住には当時の氷室池らしき痕跡が残されています。
現在では、「日本書紀」仁徳記に書かれている規模の氷室が、長屋王邸跡から出土した木簡などにより、山麓に復元氷室として作られています。

また、この地の氷室神社では7月1日に夏祭り、10月15日に秋祭りが開催されています。

冬の間に氷室に埋めておき、夏になって一塊ずつ大勢の人によって都へ運び出すというのは大仕事であり、古代には氷は大変高価なものだったにちがいない。

そのため、庶民にとっては氷酒を飲むことはまさに高嶺の花のようなだったと思われがちである。

しかし、最近では、氷室が全国にあり、貴族だけでなく庶民も氷を利用する習慣があったことがわかってきた。

例えば『正倉院文書』から、平城京の東西の市で氷を売る店があり、主水司に納められる氷が配給されなかた役所は、民間の製氷業者から氷を買い入れていたことがわかっている。

清少納言は『枕草子』の中で、「あてなるもの」(上品なもの)には「金椀にいれてあまづら(甘葛)をかけて食べる」というかき氷のシロップかけを思わせるものを挙げている。

紫式部の『源氏物語』にも氷に関する記述があり、氷を上品で美しいもののひとつに挙げ、当時の人々が夏に涼を楽しむ風流なものとして描かれている。

当日は、かち割り氷り水やかき氷が無料接待されます。

本殿東側には末社として、南都舞楽の楽祖となる狛光高公を祀った舞光社がある。

仁徳天皇歌碑

高き屋に
のぼりて見れば
煙立つ
民の竃は
にぎはひにけり

氷室神社には献氷の典礼を開いたとされる大鷦鷯命(おおささぎのみこと)すなわち仁徳天皇と、その異母弟で貯氷の術を奏上したとされる額田大中彦命(ぬかたのおおかなつひこのみこと)が配祀されている。

何のことはない、『日本書紀』仁徳天皇62年の氷室起源説話の登場人物がそれぞれ神として祀られているわけである。

平安時代まで盛んだった蔵氷と賜氷の制度はその後衰退した。
しかし、江戸時代には毎年6月、富士山の氷を将軍に献上するという形で復活した。

ふもとの氷室に貯蔵されていた約1m角の氷が、江戸城に着くと溶けて数cm角になっていたとのことだ。

幕末の横浜には大量仕入れの氷屋が登場した。
明治3年(1870)には、日本で最初の人工氷が生まれ、明治16年(1883)には製氷会社も設立された。

国際奈良学セミナーハウスでは「盆藤展」が開催されていた。

向かいの奈良公園では鹿が草を食むのどかな風景が見られます。

春日東西塔跡

春日大社一の鳥居を入った北側にあたる、東西に並んだ二基の塔跡で、現在その礎石が廻廊や門の部分を含め博物館なら仏像館の南側に残っています。

西塔は永久4年(1116)に関白の藤原忠実(ふじわらのただざね)によって、東塔は保延6年(1140)に鳥羽上皇(とばじょうこう)の本願によって建立され、西塔は「殿下の御塔」、東塔は「院の御塔」と称されていました。

治承4年(1180)、平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き討ちにあって焼失し、その後再建されましたが、応永18年(1411)に落雷によって焼失し、その後は再建されずに今日に及んでいます。

東西両塔の規模はともに興福寺五重塔とほぼ同じで、初層の一辺は約8.6メートル、高さ約50メートルだったと推測されています。

また、両塔の南正面には複廊、中央には楼門を設け、東・西・北の三方には一辺約70から80メートルの築地(塀)を巡らしていました。

往時の偉容は、絵画の春日宮曼荼羅(かすがみやまんだら)などに見ることができます。

マンホールのデザインは「奈良公園の鹿」と「市章」を中央に配置し、周囲には、平安朝の女流歌人伊勢大輔歌「いにしえの奈良の都の八重桜けふここのへに匂いぬるかな」(歌詩集)によって知られる「八重桜」を図案化しています。

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氷室神社へのアクセス、行き方歩き方

氷室神社公式サイト

住所:奈良市春日野町1-4
電話:0742-23-7297

近鉄奈良駅から徒歩10分から15分