真夏の霊山寺

バラの開花期も終わり静けさを取り戻した霊山寺、真夏の散策です。

仙人亭の前は蓮の花が今を盛りと咲く。

バックにこんなかわいい像がいるんです。
でも、今日は仙人亭はお休みなのです、だから弁当持参です。

開基の行基さんいつもにこやか。

木漏れ日が優しい。

木漏れ日の中に噴水の波の輪がキラキラ。

放生池のほとりに咲き残りのアジサイ。

池から湯屋川に流れ込みます。

湯屋川も緑のトンネルでとてもいい雰囲気。

タテ構図でもう少し木々を入れてみる、こちらのほうが雰囲気あるかな。

本山寺務所への階段。

本堂への階段、この日も、最後の力を振り絞って大勢の信者が昇っていきました。

三重塔へ向かう。

緑のトンネル、木漏れ日の中を進む。

振り返ってもう一度雰囲気を確かめる。

三重塔。

千体不動滝、どこか霊気が漂う。
滝の両側に小さな仏像が無数に。

滝の落ち込みは竜。
竜の周りも無数の小さな仏。

千体仏をズームアップ、小さな像に細かな細工、落ち葉の大きさで千体仏の大きさを推測してください。

何度か訪れていますが、今まで見落としていました。もったいない。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

勧修寺の半夏生

『勧修寺縁起』等によれば、当寺は昌泰3年(900年)、醍醐天皇が若くして死去した生母藤原胤子の追善のため、胤子の祖父にあたる宮道弥益(みやじいやます)の邸宅跡を寺に改めたもので、胤子の同母兄弟である右大臣藤原定方に命じて造立させたという。

胤子の父(醍醐の外祖父)藤原高藤の諡号(しごう)をとって勧修寺と号した。

山門へ至る参道の両側には白壁の築地塀が続き、門跡寺院の格式を表している。

勧修寺には、見所がたくさんあります。これはさざれ石。

藤原高藤と宮道列子に関する説話

『今昔物語集』巻22「高藤内大臣語 第七」には次のような高藤と列子のロマンスが伝えられている。
藤原北家の流れを汲む藤原高藤は、鷹狩が趣味であった。

ある時、鷹狩のため南山階(みなみやましな、京都市山科区)に来ていた高藤は、雨宿りのためたまたま通りがかった宮道弥益の屋敷を訪れた。

勧められるままに弥益の邸に1泊した高藤は弥益の娘(列子)に一目ぼれし、一夜の契りを結んだ。

翌日、鷹狩から帰らぬ息子を心配して待っていた、高藤の父・良門は激怒し、高藤が今後鷹狩に行くことを厳禁した。

その後、高藤と列子は長らく音信不通であった。

それから6年後、高藤はようやく列子と再会する。
列子には娘がいた。

6年前、高藤との一夜の契りで宿した子であった。
この娘こそが後に宇多天皇の女御となり、醍醐天皇の生母ともなった藤原胤子である。

半夏生の頃(毎年7月2日頃)に花を咲かせることから半夏生(ハンゲショウ)とよばれています。

また、葉の一部分を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説もあります。
見頃は6月下旬から7月上旬。

庭は勧修寺氷池園という池泉庭園である。

中心を占める池は氷室の池といい蓮で知られており、平安時代には1月2日にここに張った氷を宮中に献上してその厚さによって五穀豊穣を占ったと言われている。

この「氷室池」は、山科区内でも有数の水面らしく、年によっては冬にかなりの数のガンカモ類などが羽を休めます。

トンボが忙しく飛び回る。

シノブが涼し気に・・・・

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

夏の装い けいはんな記念公園

けいはんな記念公園はすっかり夏の装い。
木陰を吹き抜ける風は爽やかです。

モニュメント「嵐」

ザクロが実をつけています。

ザクロ(石榴、柘榴、若榴、学名: Punica granatum)は、ミソハギ科ザクロ属の1種の落葉小高木。

タカノツメ(鷹の爪、Gamblea innovans)は、ウコギ科、タカノツメ属の樹木。

落葉高木で雌雄異株。別名イモノキ。

スミレの仲間、草地に可憐に咲いています。

スミレ科にはおよそ16属850種があるが、そのうちでスミレ属が400種を占める。

日本産のものはすべて草本で、河畔のヨシ群落に生息するタチスミレのように背の高くなる例外もあるが、ほとんどがごく背が低い草。

茎を地表より高く伸ばさないものが多い。
葉はハート型か、それを引き伸ばしたような形をしている。

お昼ご飯の席にこがねむしの仲間が登場。

長谷池の西の端の湿地に半夏生が咲きました。

夏至を過ぎた頃に長さ10~15cmほどの穂状花序を葉の付けねにつける。

また、花のすぐ下に位置する葉の表面が白く変化し花弁の役目を果たすのが本種の特徴。

開花期にはドクダミに似た独特の匂いを出す。

名前の由来は、半夏生(太陽の黄経が100°になる日。グレゴリオ暦で毎年7月2日頃)の頃に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を残して白く変化する様子から「半化粧」とする説がある。

また、葉の片面(表面)だけが白くなることから古くはカタシログサ(片白草)とも呼ばれている。

池の中ほどではカメさんが連れだって甲羅干し、そばにはカワウ、いつも一緒だ、仲がいいのかな。

巨石群の中にアジサイが。

巨石をバックにはいポーズ。

紅葉谷の木漏れ日の中、撮影にはもってこいの環境です。

紅葉谷の小径、みどりがきれいです。

谷あいの道を抜け西入口へ向かう。

傍らにはや、桔梗が咲く。
関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

雨後の住吉公園

梅雨入り以来初めての本格的な雨、小降りになったので公園へ出かける。

雨が似合う花

くすんだ紫陽花の色は太陽の下よりも雨雲の下のほうが映えます。
花のグラデーションがぼかしの効果になって、美しい風情を醸し出します。

万葉集には二首のみ。

言問はぬ木すら味狭藍諸弟(もろと)らが練の村戸(むらと)にあざむかえけり(大伴家持 巻4 773)

紫陽花の八重咲く如やつ代にをいませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)(橘諸兄 巻20 4448)

日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されている。
原産地は日本で、ヨーロッパで品種改良されたものはセイヨウアジサイ と呼ばれる。

幕末に来日した医師で博物学者のシーボルト(1796〜1866年)はアジサイをヨーロッパに紹介したことで知られています。

彼は日本人妻の楠本滝(くすもとたき)を「オタクさん」と呼んでいたようで、アジサイを「ハイドランジア・オタクサ」と命名しました。
「ハイドランジア」とは「水の器」という意味。種子の入っているサヤが水の器に似ているからです。

しかし、すでにアジサイは18世紀に中国経由でヨーロッパに伝えられ、別の学名がついていたので学名としては却下。ですが、ヨーロッパでは、今もアジサイは「オタクサ」と通称されています。

ノウゼンカズラの古名は「ノウセウ(陵苕)」または「ノセウ」で、それが訛って「ノウゼン」となった。

また蔓が他の木に絡み攀じ登るため「カズラ」の名がついた。
また古くは「まかやき(陵苕)」とも呼ばれた。

「ノウセウ」については凌霄(りょうしょう)の朝鮮読み「ヌンソ」の訛りとする説もある。

正岡子規の俳句に「家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな」がある。

草むらに落ちた花、草むらの露がきれいです。

雨の止み間にスズメもお散歩。

旅人に 雨降り花の 咲きにけり」・・・・・一茶 (江戸からの途中、雨の中、長野豊野町の正見寺にてホタルブクロを詠む)

ホタルブクロの名の通り蛍の飛ぶ頃に咲き、丁度その頃は梅雨の時期に当たるので、一茶の句にあるように雨降り花の別名もあって、季節感のある花の名前を持っている。

また、雨が降り出しました、カモたちも雨宿り。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

アジサイの頃初夏咲きコスモスが見頃です


コスモス寺として有名な般若寺、アジサイが見頃を迎えるころは初夏咲きコスモス約3万本が咲きます。

石仏を背景にコスモスを撮るのがここの定番。

美しい薬師如来像とコスモスの組み合わせが定番だが、この時期やはりアジサイかな。

縦構図もいい。

やはり薬師如来にはコスモスが似合う。

コスモス一輪と。

コスモスに埋もれる薬師如来。

やはりこの辺りに落ち着きますかな、少しアジサイも入れて。

真上からのアジサイ、やはり今一かな。

お地蔵さんの前掛を借景に紅い背景。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

早すぎました 岩船寺のアジサイ


期待しながら山門を潜る。

まだまだ色がついていません。

ここ数年、見頃に出会えたのは一回のみかな。

岩船寺 アジサイが見頃です
壱岐・対馬の旅の掲載を始めたばかりですが、季節の話題を挟ませていただく。 壱岐・ … 続きを読む →

花の寺 岩船寺
岩船寺は真言律宗の寺院、開基(創立者)は行基と伝える。 アジサイの名所として知ら … 続きを読む→

当尾のあじさい寺 岩船寺
京都府木津川市、京都と奈良の県境に近い当尾(とうの)と呼ばれる山里にあるのは、関 … 続きを読む →


深い緑の中に佇む三重塔。

木立の中のアジサイ、玉ボケねらいです。

美しい玉ボケを存分に楽しむ。

この時期だけの貴重な瞬間、残念がっていないで存分に楽しもう。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

浄瑠璃寺のアジサイ

浄瑠璃寺は、京都府木津川市加茂町西小(字)札場(にしお ふたば)にある真言律宗の寺院。
山号を小田原山と称し、本尊は阿弥陀如来と薬師如来、開基(創立者)は義明上人。

本堂(国宝)は寄棟造、本瓦葺き。桁行11間、梁間4間(ここでいう「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す)。
堂正面の柱間装置は、左右両端間は上半を連子窓、下半を土壁とし、他の9間は板扉とする。

三重塔(国宝)は、『浄瑠璃寺流記事』によると1178年(治承2年)、京都の一条大宮から移建したとするが、もともとどこの寺院にあったものか不明。

構造上の特色は、初層内部には柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。

緑深い境内には、池を中心とした浄土式庭園と、平安末期の本堂および三重塔が残り、平安朝寺院の雰囲気を今に伝える。

堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』にも当寺が登場する。

池の周りは緑が鮮やか。

花に蝶が群がる姿が見られる。

木立の中のアジサイ、陽に透かして見る。

雨が似合うアジサイだが今年は梅雨入り宣言後雨が一滴もない。

カシワバアジサイの白が鮮やか。

透けている姿が見事。

お昼はこのそば屋で、というのが定番になってしまった。
この店のアジサイ園は広大で見事、一見の価値あり。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

五百羅漢とアジサイ 正俊寺


久貝因幡守正俊を弔い、息子である正世が建立した久貝家菩提寺。

父の名より長尾山正俊寺と命名された、曹洞宗の寺院。

鎌倉時代に作られた高さ4.3mの花崗岩製の十三重塔が本堂左手にあり、大阪府有形文化財に指定されている。

アジサイ園のすぐ隣を交通量の多い車道が走っているが園内は訪れる人も少なく静かにアジサイを観賞できる。

アジサイ園は2か所あって、かなり広い。

入口付近の第一紫陽花園はブルー系と白、第2紫陽花園は赤系と紫系がとても綺麗。

羅漢とアジサイの組み合わせはユーモアがあってなかなか面白い。

このような絵が園内随所で撮れる。

かわいいお地蔵さんとアジサイ。

アジサイは杉木立の中に植えられており、直射日光が遮れれており撮影にはおあつらえ向き。

前半は五百羅漢の撮影に時間を費やしたが最後は思いっきりマクロ。

日陰の撮影で背景も暗くならない。

アジサイ園には約1万5000枝の字祭が植えられており、ほぼ貸切状態での撮影だ。

入り口は無人ですが、環境保存協力金という形で100円を支払います。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

女人高野へ


橋本で「天空」に乗り換え。

「戦国BASARA×南海電鉄 夏の陣 ~真田ゆかりの地へいざ出陣~」と題して、こうや花鉄道「天空」車両に連結している自由席車両に、『戦国BASARA 真田幸村伝』の登場武将をラッピングして運行!

ワンビュー座席、4人掛けコンパートメント座席の特別仕様車両。

3枚続きのワイドな車窓から、紀の川、不動谷川や険しい山間の風景を一望。

急勾配・急曲線の山間を縫って走る先頭からの眺めを楽しめる先頭展望席からの眺め。

橋本駅 – 極楽橋駅間は山岳路線であり、特に高野下駅以南は50‰の勾配や、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっているため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両が専用車両として使用されている。

終点極楽橋駅に近づきました、これが駅名の由来になった極楽橋です。

この橋は不動坂という高野山への参道に通じています。
現在の橋は1954年に架け替えられたものだそうです。

江戸・明治時代は不動橋と呼ばれていました。

京都・大阪方面から高野山への参詣道は、高野七口の1つ「高野街道京大阪道」と呼ばれ、江戸時代の末には町石道に代わって利用されました。

紀ノ川を越えてからは学文路(かむろ)から極楽橋を通り、高野山の女人堂に至る10kmの道です。

極楽橋から女人堂までの2.5kmの坂道は「不動坂」と呼ばれ、大正時代に改修されています。
「いろは坂」と呼ばれる難所を通る旧不動坂ルートが、最近調査・復元されています。

ここからケーブルカーに乗り換え、足元を流れる不動谷川の渓流、アジサイが見頃です。

2両連結の車両(コ11・21形)が最大568.2‰(29°21′)の勾配を往復している。

上り下りのすれ違い地点。

まず女人堂を訪れる、高野山の北西の入り口にある不動口にいまだのこる女人堂は、一千年余りの間女人禁制であった高野山の七つの入り口にそれぞれ建っていた女人堂の唯一の残存建造物である。

むかし、女性はここから山内に入る事が許されなかった。

目の前は高野山北西の入り口。

高野山は町全体が総本山金剛峰寺の境内です。
この門より中はお寺の境内となります。

女性は1872年(明治5年)まで、この門より中に入る事ができなかったため、門の外でも参拝ができるよう女人堂ができました。

昔、こういった高野山の入り口は七箇所あり七箇所全てに女人堂がありました。
当時の女性が高野山の外から参拝をする為の道でもあり、七つの女人堂をむすぶ道を女人道と呼ばれています。

「女人堂」のお向かいに「お竹地蔵尊」があります。

案内・・・
お竹地蔵の由来
この地蔵尊は安政年間江戸の大地震で亡くなられた人々のため、又自分の父母の菩提のために自分の身を仏様に捧げて30年の年期奉公し身を粉にして働き蓄えたお金で建てられたお地蔵様です。

建立された人は横山竹さんと申される女性で江戸(もと飯田町)のかたです。

女人堂前のお竹地蔵さんと崇められ、今なお多くの参拝者で線香の煙が絶えることがありません。
お願い事は縁談、進学、子授、水子供養等をお聴き届け下さいます。

小杉明神社

その昔、越後の国に本陣宿紀(ほんじんやどき)の国屋があり、そこに小杉という娘さんがおりました。

数奇な人生を送られましたが、お大師様に救われ、尼僧になられて、女人禁制の高野山に登って来られる女人の方々のために不動坂上に最初の女人堂を開かれ、やさしい接待をされておりました。

その小杉さんが、女人堂の鎮守小杉明神としてお祀りされている祠です。

現在の女人堂は現存するものだけですが女人道は現在もあります。
女人道を歩く女人堂跡巡りなどのイベントもあり、高野山を別の角度から見ることができるオススメ観光スポットです。

女人堂の前にある”お竹地蔵”の右に登山道がある。
コンクリートの急坂を登りきると、木の根が露出した昇りに変わる。

登山道はよく整備されており危険なところも、息を切らす急登もなく約20分で弁天岳(984m)に着く。

頂上には3等三角点があり、近くに嶽弁財天社と避難小屋がある。
降りは大門へのルートをとる。

幾つもの赤い鳥居を潜り ながらなだらかな坂道を辿れば約15分で大門に到着する。

高野山の入口にそびえ、一山の総門である大門。

開創当時は現在の地より少し下った九十九折(つづらおり)谷に鳥居を建て、それを総門としていたそうです。

山火事や落雷等で焼失し、現在の建物は1705年に再建されました。

五間三戸(さんこ)の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。

正面には「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」という聯(れん)が掲げられています。
この聯は、「お大師さまは毎日御廟から姿を現され、所々を巡ってはわたしたちをお救いくださっている」という意味であり、同行二人信仰を表しています。

また、大門の横手には弁天岳登山口があり、山頂には弘法大師が勧請された嶽弁才天(だけのべんざいてん)がまつられています。

左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。
この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像と云われ、江戸中期に活躍した大仏師である運長と康意の作です。

今を盛りとアジサイが咲き誇っています、大門の赤の建物とよくマッチしています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

見頃を迎えた浄瑠璃寺のアジサイ

もう一編季節の話題を。

ウィークデーで岩船寺ではお昼をいただくことができずおなかを空かして浄瑠璃寺へ。
茅葺屋根が目印の浄瑠璃寺門前 あ志び乃店。

ここは100年以上も続く古い民家を改造したお店。

名物の「とろろそば」をいただいた、満足。

店の庭は、ずっと奥が広く、歩道がついていて、散策できます。
秋には紅葉が見事です。

ものすごい数のアジサイが植えられています、どこを切り取ればいいのか判断がつかず。

木漏れ陽の中にそっと咲くアジサイ。

花びらを裏からそっと。

藤棚ではもう実をつけていました、都会育ちには珍しいのでは。

クルミの実を見つけました、これも都会育ちには珍しいね。

やっと浄瑠璃寺です、本堂入り口付近でホタルブクロを見つけた、古瓦ととホタルブクロのコラボ。

本堂の入り口で見つけた、なんとも素朴。

本堂の裏手にそっと咲くアジサイ、薄暗い回廊と一筋の光。

京都府木津川市当尾にある浄瑠璃寺は、平安時代に広まり京都にも多く造られた九品仏が現存する全国唯一の貴重な寺院で、九体阿弥陀仏と本堂はともに国宝です。

ここでも木漏れ陽のなかのアジサイに目を奪われる。

本堂の回廊でネコがうたた寝、カメラを向けると思わずあくび、ほっとした瞬間でした。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

浄瑠璃寺へのアクセス、行き方歩き方

京都府木津川市加茂町西小札場札場40
0774-76-2390

JR「加茂駅」より徒歩約1時間
または、コミュニティバス当尾線「浄瑠璃寺前」下車すぐ