陰影のある露地行灯の灯りが見事 東山花灯路

平成15年3月から、「灯り」をテーマとする新たな観光資源の創出事業である『京都・花灯路』が行われている。

陽が落ちて辺りが暗くなるとそろそろ行燈の灯りが灯る。

ねねのみちに灯りが灯りました。

高台寺公園でも沢山の行灯に灯が入る。

ひときわ風情のある石塀小路を歩いてみます。

石塀小路が出来たのは比較的最近のことで、大正時代の初期の頃。

石塀小路の土地は、当初は圓徳院のの所有地でしたが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造りました。

現在のような姿に完成したのは、昭和になって京都から市電が廃止されるようになって、市電に使われていた石畳をここに敷いたことからのようです。

石塀小路といえば山村美紗を思い出す。

国内におけるミステリー界の女王やトリックの女王と呼ばれ、日本のアガサ・クリスティとも讃えられた。

今は故人の彼女の住まいはこの近くにある。

美術館の辺りのライトアップも風情がある。

通りを抜ければねねのみち。

大谷さんの参道、打水された石畳に行燈の灯りが薄暗い参道を明るい雰囲気にしてくれています。

創作行灯デザインコンペが行われており力作が並ぶ。

陰影の妙を魅せてくれます。

八坂神社では舞妓による奉納舞踊が行わせれ多くの見物人でごった返している。

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高取土佐町並み「町家の雛めぐり」

2007年から、始まった「町家の雛めぐり」は、今回で11回目。
町あげてのイベントに発展し、約百軒のお雛さんを町並みのあちらこちらで展示。

駅からお越しになる皆様を最初に御迎えする大きなお雛さま。
会場内唯一の真正ジャンボ雛です!

雛祭りの起源は平安時代中期(約1000年前)

三月の初めの巳の日に、上巳(じょうし)の節句といい、無病息災を願う行事をしていた。

陰陽師を呼んで、神に祈り、人形に自分の災厄を托して海や川に流していたそうです。

その頃、上流階級の女の子の間では「ひいな遊び」というものがありました。

ひいなとは、人形のこと。紙などで作った人形と、御殿、身の回りの道具を模した玩具で遊んでいたそうです。

長い月日の間に、こうした行事と遊びが重なり合って、現在のような「ひな祭」と姿を変えてきたようです。

この上巳の節句が三月三日に定まったのは、室町時代(約600年前)頃。この頃は、まだ 「ひな人形」を飾って遊ぶ今のひな祭とはかけはなれた、祓いの行事 であった

江戸中期には、女性たちばかりでなく、女の赤ちゃん誕生を祝う初節句の風習も生まれ、ひな祭りはますます盛んとなりました 。

この頃から附属のひな人形やひな道具の種類も多くなり、かなり贅沢なものが作られるようになりました。

質素倹約を推奨する幕府はひな人形の華美を禁じるお触れを何度も出しています。

明治時代に入ると、新政府は従来の節句行事を廃止して新しく祝祭日を定め、節句行事は一時衰えました。

しかし、長い間人々の生活に根を下ろした行事は簡単になくなるものではなく、自然的に復活し、今日にも、ひな祭が行われるようになっています。

かぐや姫のお話である『竹取物語』と音が似ているため、高取町はかぐや姫の里としても積極的にアピールしている最中とか。

洋風のおひな様もあり、にぎやかです。

軒先で見かけました、この時期に見かける風景です。

歌よみにはお馴染み、季語・柊挿す。

節分の行事の一つ。節分の夜に、焼いた鰯の頭を柊の枝に刺し、戸口に挿しておく。鬼や邪気が家に紛れ込むのを防ぐまじない。

鰯のほか葱、豆殻、らっきょう、にんにくなど地方によって鬼よけの品は異なる。

柊さすはてしや外の浜びさし   蕪村 「蕪村遺稿」

柊をさすや築地の崩れまで   蝶夢 「草根発句集」

猫の子のざれなくしけりさし柊   一茶 「七番日記」

烈風の戸に柊のさしてあり   石橋秀野 「桜濃く」

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お水送り伝説の地 鵜の瀬を訪れる

名水百選(環境庁認定)に選ばれている鵜の瀬は、毎年3月2日に奈良東大寺二月堂への「お水送り」の送水神事が行われる所。

一週間前に降った大雪が残る鵜の瀬。

その昔、奈良で神様の会合があった時、若狭の神様である遠敷明神は釣りをしていて遅れてしまい、そのお詫びとして、本尊に供えるお香水を送る約束。

すると、奈良東大寺の二月堂の下から、白と黒の鵜が飛び立ち、きれいな水が湧き出したという。
その井戸は「若狭井」と名付けられている。

東大寺を開山した良弁(ろうべん)僧正は、若狭小浜のこの地、下根来(しもねごり)(白石)出身とされる。

また、大仏建立には当時若狭にて修行中のインドの渡来僧・実忠(じっちゅう)が招かれています。

天平勝宝4年(752年)、この実忠が東大寺二月堂を建立し、修二会(しゅじえ)を開いて全国の神々を招いたということです。

東大寺の公式HPでは「相模国(さがみのくに:神奈川県)の漆部(ぬりべ)氏の子として生まれ、義淵(ぎえん)僧正に師事されたといいますが、別伝では近江百済氏の出身で幼時に鷲にさらわれ、義淵僧正に育てられたともいわれています。」

と書かれており、若狭に生まれたという説はあまり有力な説でないからなのか、紹介すらされていない。

また、下根来(しもねごり)という読み方も独特だ、通常は「ねごろ」と詠むだろう。

「根」は おおもと という意味で、おおもとの神が来た場所 ということから名づけられたという説があります。

またもう一説には、ハングルの「ネ・コーリ」(あなたのふるさと という意味)から来ているという説もあります。

俳人 山口誓子(せいし)の句碑

瀬に沁(し)みて 奈良まで届く 蝉(せみ)のこえ

お水送りの神事になぞらえてよまれたもの。

鵜の瀬のほとり、ひっそりとたたずむ白石神社の前に立つ。
若狭彦神、若狭姫神が降臨(こうりん:おりたつこと)したという伝説の場所と伝えられています。

鵜の瀬公園資料館に展示されているお水送りの写真。

お水送りの送水神事は、神宮寺から山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に3,000人程の松明行列が、ほら貝の音とともに2km上流の鵜の瀬へ向かい、河原で護摩が焚かれた後、白装束の住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水(こうずい)を遠敷川へ注ぎます。
 
このお香水は10日かけて東大寺・二月堂の「若狭井」に届くといわれ、奈良のお水取りは3月12日に行われます。

以前お水送り神事を取材した時の記事です、勇壮な神事です、御一読を。

春先取り 火と水が織りなす荘厳の世界 お水送り
天平勝宝 4年(752)インドの渡来僧・実忠が二月堂の建立の時、修二会を催して全 … 続きを読む →


鵜の瀬を訪れた後、お水送り神事の行われる神宮寺を訪問、しかし、門は閉じられ静かな山中には読経の声のみが響く。

なんと2月15日から3月5日まではお水送りの祈祷中で参拝できませんと書かれているではないか。

以前訪問時の記事がこちらにあります。
お水送りの寺 若狭神宮寺
若狭神宮寺は福井県小浜市にある天台宗の寺院。 山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像。 … 続きを読む →

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竹送りの寺 国宝十一面観音を拝む
大御堂観音寺京都府京田辺市の『観音寺(大御堂)』は、奈良時代に、天武天皇の勅願により法相宗の … 続きを読む →

東大寺修二会(お水取り)上堂の松明を見る
修二会のシンボルのような行事、二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「お松明」。 … 続きを読む →

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しあわせ回廊をのぞく

なら取材のついでに開催中の「しあわせ回廊なら瑠璃絵」を少しだけ覗いてみる。

興福寺では五重塔ライトアップ、東金堂夜間拝観高山竹灯り等が公開されている。

回廊(廻廊)とは寺社仏閣の建物や中庭を囲む廊下のこと。
文字のとおり境内を「廻る」ための道。

そして「しあわせ」とは、手のひら(しわ)と手のひら(しわ)を合わせること。

東大寺では光の演出も行われている、そして大きな手、手のひら(しわ)を表現。

大仏殿の観相窓(かんそうまど)が開扉されていて、大仏さまのお顔が拝見できます!イベントで開扉される機会も出てきましたが、基本的にお正月とお盆にしか拝見できないお姿です。

中門外側からの拝観。

夜参り提灯も行われている。

奈良国立博物館本館のライトアップ。

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除夜祭 2016住吉大社


大祓に引き続き場所を第一本宮へ移して除夜祭が行われる。

この頃になると参拝者もぐっと増え、第一本宮前は身動きが取れない。

巫女さんの舞奉納。

1年最後の日が暮れる頃、行く年への感謝と良き新年の訪れを祈ります。

除夜式が終わるとすべての門はいったん閉じられ初詣の参拝者を待つ。

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住吉大社へのアクセス、行き方歩き方

〒558-0045 大阪府大阪市住吉区住吉 2丁目 9-89  
TEL : 06-6672-0753 
FAX : 06-6672-0110

南海本線「住吉大社駅」から東へ徒歩3分
南海高野線「住吉東駅」から西へ徒歩5分
阪堺線 「住吉鳥居前駅」から徒歩すぐ

大祓2016 住吉大社

大晦日、1年の罪や穢れを祓いやる儀式「大祓」が住吉大社幸寿門前で行われた。
早くから参拝者が詰めかけ、太鼓橋から門前までぎっしりの人で埋まる。

陽が落ちて間もなく大祓の開始。

神職の入場。

巫女さんが続く。

カメラが気になるのか視線が・・・・

一般の参拝者は神事に参加し、神職からお祓いの道具となる「切麻 (きりぬさ)」を賜ります。

これは小さい四角い紙の切れ端のようなものでまさに神具ともいうべきものであり、参拝者は自分自身でお祓いし、悪疫退散と除災招福を願います。

布を引き裂いて穢れを祓う「烈布(れっぷ)」の儀式。

参列者たちの身の穢れを移した紙の「切り麻(幣)(ぬさ)」

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住吉大社へのアクセス、行き方歩き方

〒558-0045 大阪府大阪市住吉区住吉 2丁目 9-89  
TEL : 06-6672-0753 
FAX : 06-6672-0110

南海本線「住吉大社駅」から東へ徒歩3分
南海高野線「住吉東駅」から西へ徒歩5分
阪堺線 「住吉鳥居前駅」から徒歩すぐ

神の座

いよいよ年も押し迫った、たまには遠い昔のことを思い出してみるのもいいだろう。

都会暮らしが長くなり正月だからといって神棚の事なぞ考えることもなくなってしまった。
昨今は神棚さえない家が多いだろう。

アイヌのヌササン(祭壇)、二風谷では家の南東にあるのが上座の窓でその窓の外にヌササンを設ける。

カムイはこの窓から出入りし、儀式にもちいるものなどもこの窓から出し入れするが、この窓から家の中を覗くことはタブーとされる。

年に一度くらい子供のころのことを思い出してみるのもいい。

人々は祭りや行事のたびに、神を迎え神を送る。

正月棚 (埼玉県1970年代)

それらは、仏壇や神棚が整う以前の古い祭壇の姿をとどめている。

正月棚 (愛知県1978製作)

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安井金毘羅宮 櫛祭り

古くなったり傷んでしまった櫛やかんざしに、感謝をこめて供養するお祭りです。
境内北側にある櫛塚(久志塚)は、女性の命とも言われる髪の美しさを引き立てる櫛をお祀りしていて、美願のご利益があります。

思い思いの格好で準備の座敷に集まる参列者。

供養式典会場は華やかな雰囲気に包まれています。

この塚の前で祭典が執り行われ、拝殿で舞踊「黒髪」が奉納されます。
その後2時頃より各時代の髪型に髪を結い衣装をまとった、時代風俗行列が神社周辺を練り歩きます。

この行列はカツラを使わず、全て地毛で結いあげてあります。

古い櫛を代表者が神前に奉納。

神主さんが奉納された古い櫛をお祓いします。

参列者代表が献花・・・粛々と供養式典が執り行われます。
当日参加者の髪型を2,3紹介しよう。

春信風島田(はるのぶふうしまだ)
町家の娘に結われ流行した髪型。

当時全盛だった鈴木春信の浮世絵によく見られる。
特徴は、跳ね上がった髱。
長いだけでなく、一度下がってまた上がっている。

元禄島田、元禄時代ごろに流行した 島田髷の中でも古い形のもので 男性の髷だった頃の面影をすこし残している。
島田髷系統の原型で女性の髪形。

接客業などに就いている 十代半ばの若い女性に広く結われた。
やや野卑な印象の大島田を洗練させたものが元禄島田で 特に 「鶺鴒たぼ」(せきれいたぼ)という。

反り上がった「たぼ」のものは 当時の美人画の名手として有名な鈴木春信にちなんで「春信島田」と呼ぶこともある。

髷の前方部分の位置は下がり 髷自体は短く太くなっている。
後世の島田に比べると髷は水平に近く 髷の根はまだ上がっていない。

元禄玉川島田、江戸前期 元文(1736~41)初めから流行。
前髪低く引きつけ、鬢もあまり張らず、つとも低く短い。

丸髷(まるまげ)、江戸後期以降、江戸を中心とした東日本で、明治以降は全国的に 広く一般に結われた髷。

江戸~明治時代を通じて最も代表的な既婚女性の髪形。
江戸時代前期に大流行した勝山髷を変形させたもので 本格的な「丸髷」の登場は文化・文政ごろ。

幕末には髷の中に和紙製の型を入れるなどして形を保つようになった。

勝山髷とほぼ同じ結い方をするが 髷の輪が厚く広くなって輪と結うより丸に見えることからこの名がついた また髷の大きさで年齢をあらわし 若い人ほど髷を大きくした。

現在一般には髷の下に布を入れるところで勝山髷と区別している。

髷の形には 個人の好みを反映させるため 明治末期には「両国形」「老松形」など数多くの「丸髷型」があった。
未婚時代には島田髷が結われるのに対して、既婚者は丸髷を結います。

花嫁、現代舞妓の代表的な髪型です。
元来は12~3歳から芸妓になるまでの間を舞妓と呼んでいました。
現在では16歳からです。

舞妓になる為には最初「仕込みさん」として踊りやお茶などの稽古をします。
そして次に「見習い」としてお姉さんに付いてお座敷に出ます。
帯は“半だら”にします。

この期間にお座敷の作法、お客さんの接待の仕方を学びます。
芸、作法、その他色々な事をマスターしていよいよ舞妓としてデビューです。

帯を“だらり”に結び 「店だし」というお披露目をします。
芸妓として襟替えの時を迎えるまでその時々に合わせて髪型や髪飾りを替えます。
舞妓の間は髪は地毛で結い上げます。

おしどり(雄)、幕末から明治ごろの女性の髪形。
水鳥のオシドリを模したもので、主に京都や大阪の十代後半の婚約を終えたばかりの娘、嫁いで間もない若妻たちに広く結われた。

根の低い島田髷に手絡を結んだ結綿が原型で、おしどりはこの結綿に「橋の毛」をアーチ状にかけたものを言う。

「橋の毛」の先がゆるいカーブを描いて上に跳ねる様子が オシドリの冠毛に似ていることから「おしどり」の名が付いた。
おしどりには雄と雌の二種があります。

「おんおしどり」・・・実際の雄のオシドリのように華やかな印象で使用する髪飾りが多い。
「めんおしどり」・・・は同じ形だが髪飾りの少ない地味なものです。

現在も成人式などで雌雄どちらを結うかは個人の好みに任される。
振袖に合わせて派手な「おんおしどり」を結うことが多い。

耳かくし、大正時代流行した束髪の一種。
大正8年~10年頃 パーマネントを導入した当時最先端の髪型。

前髪を七・三に分けてサイドに流し 、コテで大きなウェーブをつけ サイドの髪で耳を隠すように ゆったりと後ろでまとめ 低い位置でシニヨンを作る。

左側  割れしのぶ、現在も京都で舞妓が結う髪型(嶋原太夫の髷と同じもの)。
髷の上下が開いて鹿の子が見えることから「割れしのぶ」と呼ばれる。

店出しから1~2年の年少の舞妓が結う髷で、「ありまち鹿の子」と呼ばれる手絡(てがら)や「鹿の子留め」や「花簪」と呼ばれる簪など特殊な髪飾りが多用される華やかで愛らしい髪型。

前髪を高く結い上げて布紐で結い ふっくらと自然に鬢を張り出して髱(たぼ)は出さず襟足を美しく見せる。
季節の花をかたどった大きな花簪が特徴的で その他「びら簪(びら止めも)」「玉簪」「根挿し」なども飾られる。

右側  おふく。
少女の髷として登場し現代は京舞妓に結われる髪型 吹髷(ふくわげ)とも言う
見た目が大分異なるが 京都の嶋原太夫に結われているものは 構造的に同じで舞妓風のおふく。

勝山髷系統の髪型で、吹輪の派生 初期は 大奥に勤める若い見習いの御殿女中に結われていたが 民間にも広まり華やかにアレンジされて現代の舞妓に結われている。

ちなみに年少の舞妓は割れしのぶを結うが、舞妓になって2~3年ほど経ち、可愛らしい割れしのぶが似合わなくなった頃に「おふく」に結い変る(髷替え)。
芸妓になる1~2ヶ月前から「奴島田」を、一週間ほど前になると「先笄」を結う。

先笄(さっこ、さきこうがい)、江戸時代後期に上方を中心に町家の若い既婚女性によく結われた髷。
明治の末頃まで結われた 現代では舞妓が衿替え(舞妓から芸妓になること)直前の挨拶回りに結う(町家のものとはやや形が異なっている)。

先笄は結うときに笄が不可欠な「笄髷」の一種。
後頭部で髪をひとつにまとめて折り返し、笄に毛束を交差して巻き付けた後、毛束を髷の根元に折り返して持って来て「さばき橋」(髷の上を縦断する毛束)にする。

髪飾りは髷の根元に手絡を巻きつけて、一揃いの櫛、笄、前挿し、根挿し、いち留を使用する(舞妓は鼈甲に統一し花簪を挿す)。

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安井金毘羅宮への行き方・歩き方

安井金毘羅宮公式サイト

京都市東山区東大路松原上ル下弁天町
電話:075-561-5127

JR新幹線・東海道本線京都駅から
市バス206系統北大路バスターミナル行、東山安井下車、南へ徒歩1分

京阪本線四条駅・阪急京都線河原町駅から
市バス207系統九条車庫行、東山安井下車、南へ徒歩1分
または四条通を東へ徒歩15分、東大路通を南へ徒歩10分

日本唯一 髪の毛の神社 御髪神社

小倉池のふもと(小倉池の前)に鎮座。日本唯一理容・美容(化粧品・洗髪剤・育毛剤・カツラ等)にたずさわる業の始祖を祭神とする神社で、藤原鎌足の末孫、藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)公を祀る。

藤原采女亮政之 略歴

京都生まれ。藤原鎌足の子孫である藤原晴基(または基晴)の三男。

亀山天皇の時代、京都御所の警備役だった晴基が宝刀の九王丸(または九龍丸)を紛失、責任をとって浪人となる。

長男元勝(反物商)と次男元春(染物師)は京にとどまり探したが、采女亮は探索のため諸国行脚の旅に出る晴基に同行した。

文永5年(1268年)、晴基は宝刀の国外流出を防ぐため朝鮮半島に近い下関に下る。

元寇に備え武士が集まっているとにらんだ。

刀を捜し続ける一方、髪結職で高い収入を上げていた新羅人に親子で学び亀山八幡宮裏の中之町に武士らを相手にした髪結所を開く。

この店に床の間があり亀山天皇を祀る祭壇と藤原家の掛け軸があったことから「床屋」と呼ばれるようになったといわれる。

弘安1年(1278年)、晴基、刀を見つけられないまま(#下関 「床屋発祥の地」記念碑の碑文では後に采女亮が発見)没。
弘安4年(1281年)、采女亮は鎌倉に移る。
建武2年(1335年)、采女亮没。髪結いの技術が評価され、亡くなるまで幕府で重宝されたという。

独特のお参り方法

こちらの神社では、特に髪の毛にご利益があるとされる特別なお参り方法があります。

献髪と言って、神職の方に髪の毛を一房切っていただき、それを「御髪献納」と書かれた袋に納めて、神前にお供えしてお参りするのです。

境内には、願いごとをしながら切った髪を納めると御利益があるとされる髪塚があり、献納された髪は日々神官により祈拝を受ける。

また、毎年春・秋の御大祭日には業祖神奉祭と髪供養が行われる。

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御髪神社へのアクセス、行き方歩き方

御髪神社公式サイト

京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町10−2
TEL075-882-9771

JR山陰本線「嵯峨嵐山駅」下車、徒歩約15分
嵯峨観光鉄道「トロッコ嵐山駅」下車、駅前
嵐電嵐山線「嵐山駅」下車、徒歩約8分
阪急嵐山線「嵐山駅」下車、徒歩約20分

お水送りの寺 若狭神宮寺

若狭神宮寺は福井県小浜市にある天台宗の寺院。

山号は霊応山、本尊は薬師如来坐像。東大寺二月堂への『お水送り』が行われる寺。

まずお水送りの神事の行われる鵜の瀬を訪れる。

名水百選(環境庁認定)に選ばれている鵜の瀬は、毎年3月2日に奈良東大寺二月堂への「お水送り」の送水神事が行われる所。

お水送りの送水神事は、神宮寺から山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に3,000人程の松明行列が、ほら貝の音とともに2km上流の鵜の瀬へ向かい、河原で護摩が焚かれた後、白装束の住職が祝詞を読み上げ、竹筒からお香水(こうずい)を遠敷川へ注ぎます。

このお香水は10日かけて東大寺・二月堂の「若狭井」に届くといわれ、奈良のお水取りは3月12日に行われます。

毎年3月2日に行われる、奈良・東大寺二月堂への「お水送り」神事が有名な古刹。

室町時代建立の本堂(国指定重要文化財)は、神体山を借景に、若狭随一といわれる華麗な姿です。

元正天皇の勅願により奈良時代は和銅7年(714年)、若狭国一の宮(若狭彦神社)の神願寺として泰澄大師の弟子沙門滑元による開創されたと伝わる。

鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改めた。

本堂(重要文化財)は室町時代に朝倉義景の寄進により再建された。

七堂伽藍二十五坊を有していた時代もあったが、豊臣秀吉の時代に寺領没収に遭い、さらに明治時代初頭の廃仏毀釈により衰退した。

神事が行われることからもわかるように、神仏習合の寺院であり、参拝者は柏手を打つ非常に珍しい寺院です。

住職によると、本堂内で二拍一礼でお参りするのは、この寺だけとのこと。
本堂入口には”しめ縄”が張ってある。

向こうは茶室、萱葺き屋根、6畳茶室・囲炉裏のある8畳間。

椎(スダジイの木)天然記念物・樹齢推定500年、幹周り6.4m 高さ18m。

閼伽井戸、ここの水を上流2kmの鵜之瀬に流す、10日間で東大寺の若狭井に到達する。

お水送りの伝説:

その昔、奈良で神様の会合があった時、若狭の神様である遠敷明神は釣りをしていて遅れてしまい、そのお詫びとして、本尊に供えるお香水を送る約束をしました。

すると、奈良東大寺の二月堂の下から、白と黒の鵜が飛び立ち、きれいな水が湧き出したということです。
その井戸は「若狭井」と名付けられています。

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若狭神宮寺へのアクセス、行き方歩き方

福井県小浜市神宮寺30-4
TEL.0770-56-1911

JR東小浜駅から徒歩30分

舞鶴若狭自動車道 小浜ICから車で12分
北陸自動車道 敦賀ICから車で60分