京都国際交流会館


京都市国際交流会館は、市民レベルの国際交流活動を推進する拠点として平成元(1989)年に開館。

PR不足なのかあまり知られていないのではないか。

3階建ての本館と和風別館から成り、イベントホール、会議室、ボランティアルーム、情報サービスコーナー、姉妹都市コーナー・展示室、図書・資料室、レストランなどがある。

ドリンクやデザート、ヘルシーなお弁当など。
テイクアウトもできる。

2Fは「東山和み館 玄」今日はここでお昼をいただいた。

一汁三菜 ~和食~ を基本としたメニューが味わえます。

1890年(明治23年)に通水を開始した琵琶湖疏水第1疏水に関連して、翌1891年(明治24年)6月に第一期蹴上発電所が運転を開始。

営業用としては日本最初の水力発電所。

当発電所の電力は、近接する蹴上インクラインの動力源として用いられ、近隣に配電されたほか、1895年(明治28年)に開通した京都電気鉄道(後の京都市電)でも使われた。

1912年(明治45年)、第2疏水の完成に伴い第一期蹴上発電所が取り壊され、第二期蹴上発電所が開業した。

1936年(昭和11年)には、第一期発電所の跡地に第三期発電所が建設された。

1942年(昭和17年)に京都市から関西配電に現物出資され、2017年現在は関西電力の発電所となっている。

目立つわりにあまり知られていない『巨大な輝き』と題する像。

下の碑文には「水門を開ける男と開かれた水門からキラキラあふれ出る命の水、幾数千万の力の結集が疏水隧道(トンネル)を造らせた。
それは巨大なエネルギー このパワーを人物に託し 琵琶湖からの永遠の恵みを感謝する気持ちを形とす。」と書かれていた。

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並河靖之七宝記念館


並河靖之七宝記念館は、京都市東山区の北端近く、三条通の一筋北に位置する、並河靖之の七宝の作品と工房跡を公開している。

虫籠窓、駒寄せ、一文字瓦を伝えるミセとオモヤの二つの棟を玄関でつないだ京町家のオモテヤ造りで、主屋・工房・窯場が国の登録有形文化財に登録されている。

並河靖之七宝記念館は、明治期から大正期に活動した日本の七宝焼き作家・並河靖之の作品を保管・研究・公開するとともに、作者ゆかりの建造物や庭園を保存し、もって工芸文化の向上に資することを目的としている。

日本国外では「七宝といえば”Namikawa”」として、東京の濤川惣助とともに、その名が認められてきた七宝作家・並河靖之の邸宅兼工房として建築された建物を改装し、靖之の作品130点余りを所蔵。

邸内には、「植治」こと七代目・小川治兵衛の作になる庭園が残されている。

一文字手水鉢 明治期の作成。

鞍馬石のカワスの自然石を一文字に彫り込んだ贅沢なもの。



植治の作庭園の特徴は、1890年(明治23年)に完成する琵琶湖疎水から得られた豊富な水を用いた躍動的なデザインだが、その萌芽をこの庭園に見ることが出来る。


並河邸の庭園は、七宝の研磨用に疏水から水を引き、その余水が池に注いでいる。

この池を中心とする庭園は、地主の靖之の意向を汲み、景石や燈籠、手水鉢など石をふんだんに用いた作りになっている。

池の中には、靖之が好きだった鯉が放たれている。


京都の町家は、「ウナギの寝床」と表現されるように、敷地の幅が狭く奥行きが長いため、そのまま縦長に建物を造ってしまうと、それぞれの部屋に満遍なく光や風を取り込むことができないのです。

そのため、どの部屋にも光や風が奥まで入り込めるようにするために、「中庭」や「通り庭」が造られたのです。

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比叡山横川


横川は本堂にあたる横川中堂を中心とする区域です。

西塔から北へ4キロメートルほどのところにあり、第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた。

本堂は、遣唐使船をモデルとした舞台造りの横川中堂です。

他に往生要集著者の源信僧都が隠居していた恵心堂やおみくじ・魔除けの角大師で有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)などがあります。

横川駐車場から約300m歩いたところにある九頭龍池は元三大師が大蛇を掌にのせて仏法の守護神としてこの池にすまわせた伝説のあるところ。

ここから見える中堂は若葉や紅葉の海に浮かぶ船の形をしています。

横川の本堂にあたるのが、この横川中堂です。
舞台造りで全体的に見て船が浮かんでいる姿に見えるのが特徴です。

お堂の中央部が2メートル程下がっていて、そこに本尊として慈覚大師作と伝えられる聖観音菩薩が祀られています。
現在の建物は昭和46年に再興された建物です。

横川中堂の本尊 聖観音菩薩

観音菩薩は衆生の苦しみや救いの声を聞きつけて馳せ参じてくださる仏様で 性別は女性でも男性でもないとされ、必要に応じて刹那刹那にあらゆる姿に変化される「かたよりのない存在」といわれています

四季講堂(元三大師堂)へ向かう杉並木、涼しい木立です。

途中に道元禅師得度霊跡への道の分岐があります。 

四季講堂(元三大師堂)

慈恵大師(良源)(元三大師)の住居跡と伝えられる元三大師堂は、康保4年(967年)、村上天皇の勅命によって四季に法華経が論義されたことから四季講堂とも呼ばれています。

現代のおみくじの形は、元三慈恵大師良源が考え出したと言われており、この元三大師堂はおみくじ発祥の地となります。

ここでは、角大師(つのだいし)のお姿を授与していて、魔除けの護符になっています。

修行中の僧侶が干しているわらじでしょうか…

この、ちょっと怖いようなお姿が、元三大師さまのお姿だそうです。

角大師(つのだいし)と呼ばれるそうです。
元々、立派な僧侶でしたが、疫病が流行した時に鏡に向かい合う姿で座禅を組み、瞑想に入られたそうです。

すると、鏡の中の元三大師の姿が、次第に変化して…

このような、鬼のような姿になったそうです。
それを弟子が書き写し、護符(お守り)として家々に配ったとか。

そのおかげで、疫病の流行は治まったそうです。
今でも、お堂の中では、この大師のお姿の護符をわけておられました。

怖いものに対しては怖い姿で対決されたのでしょうか…

四季講堂(元三大師堂)参拝の後バス停へ向かいますが厳かな雰囲気の場所です。

途中きれいな水場がありました。

今辿ってきた道が元三大師道です。

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比叡山西塔

西塔は、東塔より1キロほど離れた静かで美しい環境の中にあります。
天台建築様式の代表とされる荘厳な釈迦堂を中心に、にない堂・椿堂・瑠璃堂などが点在します。

親鸞聖人修行の地

法華堂

隣の常行堂と渡廊下によって連結していることから、両者あわせて「にない堂」と称されています。
天長3年(826)に建立されましたが、その後幾度かの焼失をへて、文禄4年(1595)に現在の建物が再建されました。

向かって左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂。

同形の2棟の建物が廊下でつながり、弁慶が廊下に肩を入れて担いだという伝説が残されていることから「にない堂」とも呼ばれる

釈迦堂へ行く階段を降りる途中に恵亮堂・西塔政所があります。

この恵亮堂は恵亮和尚(800‐859)を本尊として祀っています。

この和尚は大楽大師と称し、当時お山の中では修力霊験に最も優れた和尚だったそう。

京都の妙法院を創建し延暦寺西塔の興隆に尽力した

比叡山では、座ることを坐禅止観といって、最も大切な修行のひとつとしています。

恵亮堂

恵亮和尚(800‐859)を本尊として祀る。

この和尚を大楽大師と称し、当時お山の中では修力霊験に最も優れた和尚であり、京都の妙法院を創建した人であった。

なお、恵亮は延暦寺西塔の興隆に尽力した。

釈迦堂(転法輪堂)

西塔は本堂にあたる釈迦堂を中心とする区域です。

西塔の本堂にあたるのが、この転法輪堂です。
一般にはご本尊の釈迦如来にちなみ、釈迦堂の名で知られています。

現在の釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のもので、もとは三井寺の園城寺の金堂でしたが、秀吉が文禄四年(1595年)に西塔に移築したものとなります。 国重要文化財に指定されています。

にない堂をみあげる。

浄土院へ向かう。

浄土院

伝教大師の御廟がある浄土院は、弘仁13年(822年)6月4日、56歳で入寂された大師の遺骸を、慈覚大師が仁寿4年(854年)7月ここに移して安置した場所です。

浄土院御廟所。

山王院へむかう、少々距離がある。

元三大師霊場。

山王院は東塔の惣持院の西方に位置する小堂です。
見た目は、まるで田舎の小高い丘にあるひなびた神社のようです。

ここは智証大師円珍(814~91)の住房であったことで知られています。

天台宗第六祖・智証大師円珍の住房で後唐院とも呼ばれた。

千手観音を祀ることから、千手堂、千手院とも呼ばれる。

円珍没後、天台宗は円珍派と慈覚大師円仁派の紛争が起こり、円珍派は、ここから円珍の木像を背負って園城寺(三井寺)に移住したのだという。

武蔵坊弁慶が千日間の参籠をした堂とも伝えられている。

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比叡山東塔へ


涼しいという話に乗って比叡山を目指す。
高野川では子供たちが魚とり、これは涼しそうだ。

叡山電車「八瀬比叡山口駅」から徒歩1分という便利な場所にある叡山ケーブル「ケーブル八瀬駅」。
ここから「ケーブル比叡駅」まで移動します。

ケーブル比叡山駅についたら叡山ロープウェイに乗り換え、「ロープ比叡駅」から「比叡山頂駅」に移動。
そこから延暦寺まではバスが出ています。

比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山。
平成6年に世界文化遺産に登録されています。

奈良時代末期、19歳の最澄(さいちょう)(767-822)が、比叡山に登り草庵(そうあん)を結んだのが始まり。

最澄が中国に留学して天台宗を開立してからは、弘法大師(こうぼうだいし)の開いた高野山金剛峰寺(こうごうぶじ)とともに、約1200年もの間、日本の宗教界最高の地位に君臨し、この比叡山からのちに日本仏教をささえた円珍(えんちん)(814-891)、円仁(えんにん)(794-864)、慈円(じえん)(1155-1225)、源信(げんしん)(942-1017)、法然(ほうねん)(1133-1212)、親鷲(しんらん)(1173-1262)、一遍(いっぺん)(1239-89)、道元(どうげん)(1200-53)、日蓮(にちれん)(1222-82)などの傑僧(けっそう)を輩出しています。

画像は大講堂

大講堂は比叡山延暦寺東塔に位置する建物で、単に「講堂」とよばれることもありますが、横川の四季講堂などと区別するため「大講堂」と称されています。

戒壇院よりも高い場所に位置しており、多くの法会の舞台ですが、幾度も焼失してきました。

現在の建物は昭和38年(1963)に讃仏堂を移築したもので、寛永11年(1634)の建立です。

東塔は延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域。

伝教大師最澄が延暦寺を開いた場所であり、総本堂根本中堂をはじめ各宗各派の宗祖を祀っている大講堂、先祖回向のお堂である阿弥陀堂など重要な堂宇が集まっています。

大講堂の西側、一寸した高台の上に「戒壇院」が建っている。

ここは、天台宗の僧が住職になるための必修の条件である大乗戒(規律)を受ける堂で、年に一度授戒会が行われる。
このためか「戒壇院」比叡山中でも最も重要な堂の一つであるとされている。

最澄上人が大乗戒壇院を建立すべく心血を注いでいたが、存命中は実現せず、最澄の死後7日目に嵯峨天皇より勅許が下ろされ、堂は天長5年(828年)に第一世義真座主により創建されたといわれている。

気温27度といううたい文句につられてきたが、木陰は涼しいものの、日向に出ると熱風が容赦なく吹き付ける。

阿弥陀堂

昭和12年(1937)に建立された、檀信徒の先祖回向の道場。
本尊は丈六の阿弥陀如来です。
一般の方々の回向法要もしております。

法華総持院東塔

昭和55年に阿弥陀堂の横に再興された。

伝教大師最澄は日本全国に6か所の宝塔を建て、日本を護る計画をされましたが、その中心の役割をするのがこの東塔になります。

本尊は大日如来をはじめとする五智如来が祀られており、塔の上層部には仏舎利と法華経が安置されています。

本尊の阿弥陀如来

「雷すでに起らずなりぬ秋ふかく大比叡の山しづまりたまへ」

吉井勇は比叡山に来るといくらでも歌が作れたらしく、著作「京都歳時記」には山中での出来ことを題材にした多くの歌が詠まれている。

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京都迎賓館 庭園

京都迎賓館の庭園は、御苑の緑を借景とし、広大な池を中心に、様々に表情を変えつつ、まわりの建物に融け合うように配置されています。

これが、古くから日本人の住まいに貫かれた伝統「庭屋一如」(ていおくいちにょ)の思想です。

廊橋の天井は、船底を逆さにしたような形で、中央部が高く、両端が低くなった「船底天井」で、吉野杉を使用しています。四隅には、昆虫の透かし彫りが施されています。

廊橋を境に池の水深が変わっており、島の配された「海」の部分と、「ネビキグサ」のある「水田」の部分に分かれます。

廊橋天井の四隅に施された透かし彫り左から蟋蟀(こおろぎ)、鈴虫、蜻蛉

様々な木々や花々が植え込まれており、四季折々の色が楽しめるようになっています。

北側の池には様々な色をした錦鯉が放たれています。海外の賓客に、餌やりをお楽しみいただいております。

山越村の鯉も大きくなっていた。

繁殖しているらしく、稚魚もたくさんいた。

サギはその稚魚を狙っています。

海外からの賓客に、和舟に乗って日本の文化「舟遊び」を楽しんでいただきます。

池の浅さを考慮して、底が平らになっています。

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京都迎賓館 桐の間

桐の間は、和食を提供する「和の晩餐室」。

最大24名までの会食が可能なこの部屋では、京料理でおもてなしします。

軽やかな和風建築を引き締める漆黒の漆

全長12メートルの漆の一枚仕上げのテーブルが鏡のように庭の緑や天井の意匠を写して室内に豊かな景色を創り出しています。

正座に慣れないお客様にもくつろいでいただけるよう掘り炬燵式としています。

畳は、「中継ぎ表(なかつぎおもて)」という昔ながらの技法で、イグサの良い部分のみを使って、中央でつないでいます。

畳縁は、麻の本藍染を使用しています。

軸装(じくそう)「雲水峡(うんすいきょう)」<雨林><水行><深山>菅原健彦(すがわらたけひこ)の作。

桐の間から見える日本庭園。

白地の唐紙(からかみ)に白い雲母(きら)の桐紋が光り、座敷に深い陰影を作っています。


「五七の桐」が描かれた座椅子

座椅子の背の部分には「五七の桐」の「蒔絵(まきえ)」が施されています。

桐の葉の色は微妙に異なり、同じ模様の椅子は一つもありません。

「五七の桐」は、昔は、皇室の裏紋として使用されていましたが、現在は、日本国政府の紋章として使用されています。

廊下を通り、庭の方向へ。

通常、ゲストは明るい外の方から来るが、今回の見学順路は、裏側からだったので、おもてなしのルートとは逆に歩くことになる。

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京都迎賓館 藤の間

京都迎賓館で最も大きな部屋で、洋食の晩餐会や歓迎式典の会場として使用されています。

「櫛の歯」の形にテーブルを並べた宮中晩餐方式のレイアウトで約60名、円卓を使うと約120名までの会食が可能です。

壁面装飾「麗花」

壁面装飾は、日本画家の鹿見喜陌(しかみ きよみち)の下絵をもとに、綴織りの技法で織った織物で、39種類の日本の草花が織り込まれており、作品名は、「麗花(れいか)」と言います。

床に敷かれた緞通は、壁面装飾に描かれた「藤の花」が舞い散った様子を表現しています。


ここには桜、藤、牡丹、菊など、39種の花が描かれているのだそうです。

格子光天井

天井の照明は、本美濃紙と京指物の伝統的技能が使われた格子光天井になっています。
「和凧」の連凧のような3段の笠は、高さが調節でき、そのパターンは、15種類にも及びます。

舞台扉に光る伝統技能「截金」

人間国宝の故 江里佐代子の作品で、金箔と銀色のプラチナ箔を使用しています。

金と銀が、互いの美の長所を引き立て合いながら、二つの色が交差するさまに、「人と人との出会いもそうありたい」との願いが込められています。

作品名は、「響流光韻(こうるこういん)」と言います。

優雅な日本の伝統文化が披露される舞台

舞や能、箏(こと)の演奏、雅楽などが披露され、訪れた賓客の方々へ日本の伝統文化を紹介しています。

伝統技能をちりばめた几帳

室内の間仕切りや目隠しとして使う「几帳(きちょう)」は、絹の薄織物の「紗(しゃ)」よりも薄い「羅(ら)」織物や漆、京縫い、組紐などの伝統技能が用いられています。

「錺金物(かざりかなもの)」と言う建築各部に用いる補強と装飾を兼ねた金具。
釘隠、襖の引き手等、天井金物にも活用されとの事。

池には「ネビキグサ」がみえています。


サギに目が行きます。

陰影の美しさ。

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京都迎賓館 夕映の間

大臣会合などの会議や立礼式(りゅうれいしき)のお茶のおもてなし、晩餐会の待合として使用されている。

東西の壁面を装飾する「比叡月映(ひえいげつえい)」、「愛宕夕照(あたごゆうしょう)」という二つの織物作品の一文字ずつをとって、この部屋を「夕映の間」と呼んでいる。

日本画家の箱崎睦昌(はこざきむつまさ)の下絵をもとに、「綴織り」という技法で織った織物です。 「比叡月映」は京都の東にそびえる比叡山を月が照らす様を描いています。

綴織り(西陣織)の技法で製作された織物です。

「愛宕夕照」は京都の西に連なる愛宕山に夕日が沈む様を描いています。

東西の壁面は可動式になっており、部屋を三分割して使用することができます。

潮の音 竹工芸 杉田静山

花篭 竹工芸 杉田静山

坪庭

飾り台の「蒔絵(まきえ)」・「螺鈿(らでん)」は、山紫水明(さんしすいめい)をテーマに、人間国宝の北村昭斎と息子の北村繁によるものです。

京都迎賓館の庭園の石材には、一時代に活躍していたものを再利用しているものが多くあります。
また、水田をイメージして、1年中緑色をしている「ネビキグサ」を植えています。

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京都迎賓館 聚楽の間

晩餐会や大臣会合などが行われる際に、招待されたゲストの控室、随行員の待合とするなど多目的に利用されている。

「聚」は、寄り集まるといった意味があり、心が安らかで楽しいことが集まる場所という意味をこめて、この部屋を「聚楽の間」と呼んでいまる。

鉄や釘を一切使わない伝統的技法である京指物を用いた安楽椅子が並んでいます。

鮮やかな赤色の「西陣織」の布地を用いて、華やかさを演出しています。

接遇の際は、この飾り台の上の花籃(はなかご)にいけばなをしつらえます。

人間国宝の故 五世 早川尚古齋の作品です。

部屋の中ほどにある飾り台には、「漆」、「螺鈿(らでん)」、「竹工芸」などの技法が施されています。

薄暗い空間に真っ赤な小菊が咲くように、と朱漆のひごを使って編んだ「色漆差六ツ目銘板」

「型絵染め(かたえぞめ)」という言葉は、1956年に芹沢銈介氏が人間国宝に認定された際、その他の型染めの技法と区別するために考案された名称。

技法的には沖縄の紅型とよく似ています。

「釘隠(くぎかくし)」として用いられている「錺金物(かざりかなもの)」は、「千代結び」をイメージしたもの。

人と人との結びつき、平和の輪といった気持ちが込められています。

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