わら天神宮


敷地神社(しきちじんじゃ)は、旧社格は村社< わら天神の通称で知られる。
舞殿

元々当地には、北山の神として葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇が祀られていた。天長8年(831年)、この地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇敬していた菅生石部神社(敷地天神)の神を勧請し、北山の神の隣に祀って菅生石部神の母神の木花開耶姫命を祭神に定めたという。

応永4年(1397年)、足利義満が北山殿(後の金閣寺)を造営するに当たり、参拝に不便になったことから、両社を合祀して現在地に遷座した。

安産の神として信仰されている。安産御守として藁が授与されることから「わら天神」の通称があり、藁に節があれば男児、節がなければ女児が誕生すると言われている。

六勝神社(摂社)

右側には伊勢、石清水、賀茂、松尾、稲荷、春日の六神を祀るという「六勝神社」。

六神のご利益は絶大で商売繁盛、必勝祈願、心願成就となんでもござれ!現在では「六(む)つかしい事に勝つ」という語呂合わせから、近年では難関試験突破の守護神としても注目されています。

ちなみに、安産祈願で訪れた場合は左側の本殿からお参りする順序となっています。

境内本殿西側に綾杉明神を祀っています。

「捨遣集」十神歌の部に清原元輔が安和元年(968年)「生ひ繁れ平野の原のあや杉よ、濃き紫に立ちかさぬべく」と詠む。

応仁の乱の兵火を免れましたが、明治29年8月の台風に惜しくも倒壊致しました。
昔から神木として崇拝する者多く、今や素屋根をかけ「綾杉明神」と敬い奉る。

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石座神社


創建については明らかでないが、日本三代実録に

元慶四年十月十三日癸巳、山城国正六位上石坐神、授従五位下

とあり、元慶4年(880年)時点で既に岩倉の地に鎮座していたとされ、この地の名称の由来となった。

なお、当時の鎮座地は、現在の岩倉西河原町にある石座神社の御旅所にあたる山住神社であり、社殿を持たず、御神体の磐座を崇める古神道の形が今に残る。

磐座から神秘的な雰囲気が 山住神社
古代の人々は、山住神社の後ろにそびえたつ山を神南備山(かむなびさん)と仰ぐ巨石を … 続きを読む →


天禄2年(971年)に行われた大雲寺の造営に伴い、石座明神がその鎮守神として、現在地の大雲寺境内に勧請される。

長徳3年(997年)4月18日に神殿が新築され、石座明神と共に、新羅・八幡・山王・春日・住吉・松尾・賀茂の七明神が勧請、合祀され「八所明神」と称した。

なお、旧来の石座明神社は、八所明神社の御旅所となった。

後に西社が建造され、東社の八所明神に加え、伊勢・平野・貴船・稲荷の四明神が祀られ「十二所明神」と称した。

天文15年(1546年)、細川国慶と当時の岩倉領主山本尚則が大雲寺近辺で交戦し、大雲寺も兵火を被った。

その際、鎮守社であった八所・十二所明神の社殿及び古文書を焼失する。

その後、天文22年(1553年)に両社が再興され、天正2年(1574年)に両社の社殿も再建される。

この社殿は明和3年(1766年)にも改造築され、この時作り変えられた社殿が現存している。

明治以降、旧来の石座明神社が「山住神社」、八所・十二所明神社が「石座神社」と改称される。

明治10年(1877年)、現在の岩倉村松町にあたる「正水山」の一言神社が石座神社境内に合祀される。

明治11年(1878年)には石座神社裏の「万年岡」にあった福善社が石座神社境内に合祀される。

昔、岩倉に2匹の大蛇が現れて、人々や田畑に危害を加えた。

人々はおおいに苦しみ、大蛇の退去を願って様々な手法を用いても効果がない。

神に祈っても無駄で途方に暮れていた。

石座大明神に訴えたある夜、夢枕に老いた尼が立ち、「神火をもちて向え」と教授したという。

夢が覚めて神前の燈火をうつして大蛇に対すると、大蛇は後ずさりしつつ、遂にいずれかへ逃げ去ったという。

現在、雌雄の大蛇をかたどった松明を燃やす神事は、大蛇退治の模式であるという。

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岩倉実相院門跡


入り口の四脚門をくぐった正面に背の高い山桜が1本植えられていますが、ほぼ満開です。

現在ある本堂(客殿)、四脚門、車寄せは、享保6年(1721)に、東山天皇(在位1687~1709)の中宮承秋門院の女院御所を移築したものといわれます。

枯山水庭園の枝垂れ桜は訪問時(4月7日)には蕾の状態でした。

3つあるこのオブジェは木製で、表面を杉皮、白砂で覆われており波を表している。

表面は杉皮が施され、後側に盛り土をして、その表面を白砂で覆っています。

奥の書院と客殿の間にある池泉回遊式庭園、山地の澄んだ水にしか生息しないモリアオガエルが棲んでいるという。

うさぎちゃんを見つけた。


現在これらの建物は、かなり老朽化が進み、斜交い(はすかい)や鉄柱などで補強されています。
修繕のための資金集めに苦慮しているようです。

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磐座から神秘的な雰囲気が 山住神社


古代の人々は、山住神社の後ろにそびえたつ山を神南備山(かむなびさん)と仰ぐ巨石を神々の降臨する磐座(いわくら)と崇めていたという。

神社の説明書によれば、「三代実録」陽成天皇元慶4年(880年)の項に「山城国正六位石座神授従五位下」と記されている。

上部に磐座が見えている。

天禄2年(971年)に、当社から北に1キロほど離れた大雲寺の建立にともない、石座明神(現在の山住神社)が現在の石座神社(岩倉上蔵町)の地へ遷され、大雲寺の鎮守社となった。

明治時代に入るまでは、山住神社は「石座神社」と呼ばれ、鎮守社となった神社は「八所・十二所明神社」と呼ばれていたが、明治以後に、現在の石座神社にその名を譲り、山住神社はその御旅所となった。

元禄12年(1701)に記された「大雲寺堂社旧跡纂要」には、以下のように記されている。

石座明神。今、霊石在り。松の柱を立てて、之を覆い、瑞垣を以て之を囲む。目無川の末、西方の山麓に在り。今は農舎の間に介まれり。
俗、呼びて旅所と為し、神輿を祭礼して、此処に安く。これは八所・十二所の両社、寺内に勧請して、石座明神相殿なるが故。漸々に社祠破壊し、霊石顕著なるもの乎。茲により村里の人民、誤りて九月十四日の神祭の旅所と呼びて、山上の両社を修繕し、当社を営むに疎かなるものか。 – 権少僧都恕融『大雲寺堂社旧跡纂要』(1997年・竹田源訳)

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桜の時期も素晴らしい 妙満寺


妙満寺の仏舎利大塔は、最上階に仏舎利が納められている。

また、檀家さんたちの納骨もされており、トヨタ自動車の創設者、豊田佐吉翁以来の豊田一門の遺骨も。

大書院前のしだれ桜 満開が続いています。 2019/04/07

四季折々に花々が彩られる境内は、桜の時期もまた素晴らしく、しだれ桜や紅しだれ桜が咲きほこり春の訪れを告げます。
中には、桜守・佐野藤右衛門が寄贈した桜も。

市街地から少し離れているので、のんびりとお花見ができる穴場。
近年、門前に3000株のツツジが植えられて、花の寺として親しまれている。

雪の時期に訪れた妙満寺、本坊の雪の庭は、松永貞徳が造園した雪月花三名園の一つ。
雪の庭で有名 妙満寺
顕本法華宗の総本山。 康応元年(1389)日什上人により、六条坊門室町(現在の、 … 続きを読む →

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枝垂れ桜の桃源郷!「原谷苑」 ほぼ満開


京の桜の隠れ里、約4,000坪の敷地には20数種類の桜が約450本。
なかでも紅しだれ桜は、樹齢70年をこえる桜約65本を含め、約250本。

苑内は濃いピンク色に覆われます。

桜以外にもボケや雪柳なども同じ時期に綺麗に咲いていて、頭の上から足元まで花だらけ。

原谷苑の桜の見ごろ、京都市内のソメイヨシノの見頃から一週間遅れが目安。

遅咲きで有名な御室仁和寺とは見頃がほぼ一致。

桜の種類も多いので、長い期間桜が楽しめるというのも重要なポイント。

入苑料はなんと時価!

花の咲き方によって300円から最大1500円までという幅があります。

1500円というと高いという気がしますが見れば納得、逆に1500円の時は見頃ということ。

気になるアクセス方法、「原谷苑」があるのは金閣寺から見て北西の方向にある原谷という小さな集落内。

この原谷は金閣寺の裏にある山をひとつ超えた山間部に位置しており、辿り着くのが少し大変なのです。

先ず一つ目は京都市バス。

立命館大学前と原谷の間を結ぶM1系統は1時間に1~2本しかありませんが、唯一の原谷へ通じる公共交通機関。

2時間に1本程度ですが北大路バスターミナルと原谷を結ぶルートもある。

ただ、市バスM1は原谷地元住民の生活の脚となっており、花見時に大変混雑し、迷惑をかけますので、出来る限り賃走タクシーをご利用ください。と、原谷苑のホームページには但し書きがあります。

二つ目はタクシー。

一緒に行く人が多い場合はタクシーの方が効率もいいし、割安になるかも。

●地下鉄<北大路駅>またはJR<円町駅>より約10分。
●阪急<西院駅>より約15分。
●金閣寺のタクシー乗り場、もしくはわら天神前から約5分。

三つ目はシャトルバス。

原谷苑が無料で運行、乗り場はわら天神宮の鳥居前あたり、原谷苑の門前まで9:00~16:00の間を約10分で結んでいます。

四つ目ツアーに参加すること。

桜シーズンの京都は各旅行会社によるツアーが数多く販売されていますが、原谷苑がコースに入っているツアーも毎年企画されています。

原谷苑以外の桜も同時に楽しみたいのなら、お手軽にツアーに申し込むのが賢明。

ツアー参加の場合はタクシーで原谷苑へ向かうことになります。

五つ目は徒歩。

●市バス北1系統源光庵バス停より約2.5km。 (所要時間:約30~40分)
●鹿苑寺金閣より、約2.2km。 (所要時間:約30~40分)
●御室仁和寺より、約2.1km  (所要時間:約30~40分)

金閣寺、仁和寺よりのコースは登りとなり、健脚向き。

鷹が峰から千束を経て【原谷苑】、御室仁和寺へ下るコースがオススメです。

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白川畔の桜


白川畔を訪れたときはすでに黄昏が迫っていました。

見頃を迎えた桜は夕日を受けてきれいです。

料亭のガラスに映った桜も趣があります。



辰巳橋の上から川下を眺める、夕日が映えてまぶしい。

吉井勇の歌碑、外国の若者たちにとっては意味不明の石。

ビルの壁に影を落とす夕日。

若者たとはそれぞれの獲物に夢中だ。

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佐野 藤右衛門邸の桜


佐野藤右衛門邸は、京都の桜の名所。

しかし、雑誌にもほとんど掲載されないため、知る人ぞ知る場所となっています。

春には無料で一般開放されており、誰でも桜を観賞する事が可能。

佐野 藤右衛門(さの とうえもん)は、庭師の名跡。
京都・嵯峨野にある造園業「植藤」の当主が襲名する。

藤右衛門は、天保3年(1832年)より代々、仁和寺御室御所の造園を担ってきた。

当代の第16代 佐野藤右衛門(1928年(昭和3年) – )は、日本の造園家、作庭家。

祖父である第14代藤右衛門が始めた日本全国のサクラの保存活動を継承し、「桜守」としても知られる。

京都府京都市生まれ。
京都府立農林学校卒業。

造園業「株式会社植藤造園」の会長。
桂離宮、修学院離宮の整備を手がける。

パリ・ユネスコ本部の日本庭園をイサム・ノグチに協力して造る。

1997年(平成9年)、ユネスコからピカソ・メダルを授与された。
1999年(平成11年)には、勲五等双光旭日章を受章。

2005年(平成17年)には、京都迎賓館の庭園を棟梁として造成。

佐野藤右衛門邸の桜の魅力は、綺麗な事はもちろんですが、その種類の多さ。

十月桜、手毬、白雪、咲耶姫など、約200種類の桜が植えられています。

夜には、かがり火も焚かれて、桜がライトアップ。
かがり火に照らされる夜桜は、幻想的な光景です。

先日の新聞に台風被害にあった背割堤の桜をよみがえらせたという記事が載っていたので見られた方もいると思いますが当代1の桜守です。

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岡田茂吉記念館


世界救世教を創始して「地上天国」の実現に生涯を捧げた岡田茂吉教祖。

美しい自然環境と芸術空間との調和を願って、箱根には箱根美術館と神仙郷、熱海にはMOA美術館と瑞雲郷が、それぞれ聖地として造営されている。

昨日紹介した平安郷は岡田茂吉の創始したもの。

岡田茂吉記念館の建物は3棟からなり、大きな屋根と各棟を結ぶ周遊回廊を特徴とするシンプルな設計。

岡田 茂吉(1882年〈明治15年〉12月23日 – 1955年〈昭和30年〉2月10日)は、日本の新宗教・世界救世教の教祖。

宗教家、文明評論家、書家、画家、歌人、華道流祖、造園家、建築家、美術品収集家。

その佇まいは、記念館を囲む庭園とともに嵯峨野の風景にとけ込み、展望棟2階からは、広沢池と愛宕山に連なる山々の眺望を楽しむことができます。

二階から見えている桜はお昼をいただいた『池の茶屋』のもの。

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京都 桜の穴場 平安郷


平安郷(へいあんきょう)、広沢池の畔にある宗教団体の土地で、桜の時期に3日間だけ一般に無料公開されます。

普段は『世界救世主教いずめの教団』の聖地として使用されているため非公開です。

以前から気になっていたのですが一般公開の期間が短かすぎてなかなか果たせずにいましたが今年は運よく訪問できました。

しかし、桜は5分咲きかそこらでいまいちです。

今年の一般公開は3/30~4/3の予定でしたが開花が遅く、4/7まで期間延長したようです。
そのころは満開になるかな、楽しみ。

園内の桜は『桜守』として有名な佐野藤右衛門氏が手入しているそうです。

広沢池越しの借景が心地よい野点をはじめ、特設ステージで催される雅楽や邦楽などを楽しむことができます。

苑内は桜だけでなく、季節の花々もあちこちで咲いていて、春の訪れを感じる事ができます。

桜と竹林、スイセンとのコラボレーションなんて贅沢すぎます。

園内は宗教臭がなくとても爽やかです、麦わら屋根も風情があります。

ヤナギと桜のコラボも素敵です、山の上に人がいますがこの山は「東山」という山で、120mぐらいの高さ、ここから約15分ぐらいのを散策だということで後程トライします。

そういえば昨日の夕刊に背割堤の台風被害の桜を佐野藤右衛門さんが再生に尽力したとの記事が出ていました。
桜にかけては第一人者ですね。

東山展望台への登山口、約15分の散策です。

展望台からの眺望、平安郷の庭、広沢池が見えています。
広沢の池の後方左手の白いものがポツリポツリと見えているのが嵐山です。

そして反対側、隣の佐野藤右衛門邸の桜園です。
ずっと遠景、京都タワーが見えています。

展望台から降りるときに気づいたのですが、「山越古墳群」という古墳がありました。
6世紀~7世紀前半、古墳時代にかけての遺構だそうです。

今後、新緑の一般公開が5/4~5、秋の一般公開が11/22~24と予定されているようです、穴場です、お見逃しなく。

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