丹波の国 国分寺跡


国分寺の付近は古代丹波国の中心地と云われ、丹波国府が置かれていました。

まだ、京の都が形成される前のはなし。

今は訪れる人も少なく、鄙びた風景の中に佇んでいます。

丹波国分寺跡 遠景手前に回廊跡、奥の樹叢に主要伽藍跡と現境内。

現在の本堂・鐘楼・山門は、安永3年(1774年)の建立。
いずれも亀岡市指定文化財に指定されている。

創建は不詳。出土瓦から実際の創建は奈良時代末期と見られている。
国分寺の付近は古代丹波国の中心地で、現在も丹波国一宮の出雲大神宮や千歳車塚古墳などが残る。

『延喜式』主税上では、丹波国の国分寺料として稲4万束があてられた旨が記載されている。

発掘調査からは平安時代末期頃の再建が認められるほか、平安時代後期の薬師如来坐像が本尊として伝わっているが、文献上ではその後の経緯は明らかでない。

寺伝では、戦国時代に明智光秀の兵火により焼失したため、安永3年(1774年)に護勇比丘によって現本堂が再建されたという。

ただし、国分寺には元禄14年(1701年)銘の鰐口が伝わることから、それ以前には復興されていたと考えられている。

「本堂」前には立派な「香炉」があります。

いつごろのものかは分かりませんが、この場に鎮座して、変わらぬ風景を見ながら、毎日時間の流れを感じているんでしょうね。

周囲は深い草に埋もれています。

暮れていく山肌を照らす光が幾重にも重なる山襞を映し出しきれいです。

国分寺跡遠景、深い森に静かに眠る。

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布袋さんのお寺 養仙寺


丹波七福神の第2番札所。

内外・大小・新旧さまざまな布袋さんが約600体ほどあり、「布袋寺」といわれ親しまれています。

清水焼布袋尊

和顔

家内隆昌
福寿円満
子孫長久
家内安全
学業成就

養仙寺の創建は天平13年(741)とも寛正年間(1460~1466年)とも云われる古寺です。

往時は寺運も隆盛したとされますが度重なる兵火により衰微し、戦国時代には明智光秀の侵攻により衰退しました。

境内に残された石仏、石碑、石塔等は光秀が築城した亀山城の石垣や石造物として利用され寺観も荒廃しました。

すすぎ揺れる丹波の田舎寺、のどかです。

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元愛宕 愛宕神社


京都府亀岡市千歳町国分にある神社。
旧称は「阿多古神社」。
式内社で、旧社格は村社>

愛宕灯篭

亀岡市内には愛宕灯篭がいくつかあり、石灯篭内部にある燭台は町内を回覧板のように各家に回っていく。

この燭台は手提げ式の灯篭になっており、各家は回ってきた燭台に火を灯して次の家に回す。

社伝では愛宕山の愛宕神社(京都府京都市)は当社からの勧請とし、そのため「元愛宕」や「愛宕の本宮」とも称される。

愛宕山の愛宕神社同様に「愛宕の三つ参り」として、3歳までに参詣すると一生火災に遭わないとして信仰される。

つまり亀岡の愛宕神社が最初にあって、そこから京都市に勧請されたと言われているのです。

元祖が亀岡で、京都市のは分社ということです。

亀岡の方が創建年代が500年ごろ。

対して京都市の方が大宝年間(701~704)。亀岡のほうが二百年近くも早く作られています。

しかし、京都市のほうが人口も多いので、いつの間にか京都市側のほうが有名になってしまったわけです。

社伝によると創祀は神代で、山を神籬として祀られたという。

その後、継体天皇元年(507年?)に社殿が創建されたと伝える。

当社付近には丹波国分寺が位置するが、その衰退で僧侶が当社に奉仕したこともあり、神仏習合によって仏像が立てられ「愛宕権現」と称されたという。

現在、その仏像は当社西にある養仙寺に移されている。

また社伝では、当社の分霊が京都鷹ヶ峰に祀られた後、和気清麻呂により嵯峨山に遷され、これが現在の愛宕山の愛宕神社になるとしている。

そのため「元愛宕」「愛宕の本宮」とも称されるほか、社殿には当社が全国の愛宕神社の総本山であると記載してあり、鳥居脇の社号標にも「本宮 愛宕神社」と記している。

社務所の前には「亀岡の名木 大スギ」があり、境内の中央には「亀岡の名木 イヌマキ」。

当社の森にはムササビが住んでいるらしいのだが、参拝時には見かけなかった。

牛松山へ向かう道。

明智越に至り、 明智光秀が織田信長を奇襲攻撃するために、亀岡から京都へ抜けるために利用した山道である。

山道付近は紅葉の真っ盛り。


「和らぎの道」に至る。
桜の名所として有名です。

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初秋 京都植物園


ワイルドガーデンにある『麦わら帽子と少女』のモニュメント、花に囲まれてピンクに染まっています。

タイワンホトトギス、この時期公園のあちこちで見かける。

アップして見ます、花期は9-10月。

茎先に腺毛のある散房花序をつけ、数個の花を上向きにつける。

小花柄は1-6cmになり、軟毛が生えるか無毛。

花被片は6個で、長さ2-4cm、幅4-11mmあり、ラッパ状に開き、白色から淡紫色で内面に紅紫色の斑点がある。

コスモスはこの時期あちこちで人気のようです。

ミツバハマゴウ

藤色の花が咲きますが、それほど密には咲きません。

大小四つの池に囲まれた、なからぎの森は古くから、流れ木の森ともいわれ、ここ下鴨の地に残された山城盆地の原植生をうかがい知ることのできる園内唯一の貴重な自然林です。

カモがくつろいでいます。

森の広さは約5,500平方メートルで、中ほどには、上賀茂神社の境外末社である半木神社があります。

また、池の周りにはカエデ類が多く、特に秋の紅葉は園内有数の美しさです。

半木神社の創建についての詳しい年代はわかっていないそうなんですけれどもともとは西賀茂浮田の森(うきたのもり)にあった3座の神様のうちの1座でそれが賀茂川の洪水によって流されこの地に漂着し留まった事か その流木で社殿を設けてお祀りしたんだそうです。

間もなく紅葉が始まりますが、すごい数のカメラマンが押しかけます。

この時期は鳥の撮影の人も多くいますがゆっくり落ち着いて過ごせます。

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秋の福知山城


秋の一日福知山城を訪れた。
ドラマ「麒麟が来る」の宣伝一色。

現在のような縄張りは明智光秀がおこなった。

畿内を押さえた織田信長は、豊臣秀吉と明智光秀に中国攻めを命じた。
豊臣秀吉は山陽道から進軍したのに対して、明智光秀は山陰道側より入った。

丹波国を平定した明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を城主とした。

1973年(昭和48年)には東京工業大学の藤岡通夫によって基本設計図が描かれ1982年(昭和57年)には塩見精太郎市長が天守再建の意向を示し、1983年(昭和58年)には調査費が計上される。

2020年(令和2年)、福知山城天守の写真が発見された。

写真は不鮮明ながら全容を確認することができ、ほぼ正しい姿で再建されていることが裏付けられた。

本丸、天守の東側に「豊磐井」(とよいわのい)と呼ばれている大型の井戸が残っている。

この井戸は城主であった朽木稙昌の父朽木稙綱の神号「豊磐稙綱命」にちなんだもの。

井戸の深さは50mあり、海面下7mに達する。高所に関わらず水深37mもあり、現在も満々と水をたたえている。

伝承ではこの井戸に抜け穴があり、二ノ丸の北側の対面所裏にあった横穴に通じていると言い伝えがある。

福知山城の本丸には朝暉神社(あさひじんじゃ)がある。

1669年(寛文9年)6月に入部した、福知山初代藩主である朽木稙昌(くつきたねまさ)が父・稙綱(たねつな)を藩祖として城中に祀ったことにはじまり、11代藩主・綱條(つなえだ)のときに一社を建立して朝暉神社と号しました。

朽木に信長遁走の跡を訪ねる
投稿日時: 2017年12月1日
興聖寺はもともと現在の位置とは安曇川を挟んで反対側の上柏村指月谷にあったが、江 … 続きを読む →

興聖寺脇の渓流沿いの小径、朽木氏の闘争のための経路という。
信長もこの経路で脱出したようだ。

街中にこのようなイラストが氾濫するが、イメージと全く合わず違和感を感じる。

天守から北方向の眺望。

正面の一番奥が大江山。

秋の深まりを感じる城内、ハナミズキの赤がきれいだった。

福知山城下は由良川(ゆらがわ)と土師川(はぜがわ)が合流する地点で、たびたび氾濫を起こしていた。

天正八年(1580)明智光秀は城下町を築くため、現在の福知山駅付近まで蛇行していたと推定される由良川に堤防を築いて北向きに固定し、堤防の前面には衝撃を和らげるための藪を設けたと伝わっています。

かつて蛇ヶ端(じゃがはな)御藪と呼ばれたその藪は、今では「明智藪(光秀堤)」として親しまれています。

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明智光秀が再興に尽くした 西教寺
光秀は、本能寺の変で主君織田信長を討ち、非道な逆賊のイメージが強い。 だが、領地 … 続きを読む →

光秀は、本能寺の変で主君織田信長を討ち、非道な逆賊のイメージが強い。
だが、領地の近江坂本周辺では、善政を敷き、教養に秀でた名君として、今も住民らに慕われている。

祇園白川に 明智首塚
1582年(天正10年)、天正天王山の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智光秀は、坂本城を … 続きを読む →

光秀の首塚は、もとはこの場所にあったのではありません。『京都坊目誌』によると、光秀の首は、粟田の刑場にさらされた後、そのすぐ近くの西小物座町の人家のうしろに、他の数千の首と一緒に埋められ塚が築かれました。

悲運の武将 明智光秀終焉の地
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この明智藪は、今日に至るまで、戦国武将明智光秀の終焉の地として傳えられており、現在は西側にある本経寺(日蓮本宗)の寺領となっている。

細川ガラシャ終焉の地
明治27年(1894)に「聖アグネス聖堂」として建てられたが、空襲で焼失。 昭和 … 続きを読む →

38歳で死を選択した彼女の辞世の句は胸に響きます。

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翌日羽柴軍が山崎城に陣取ったため優勢となり、光秀は逃亡、討死する結果となった。

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勝竜寺城は京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置し、西国街道と久我畷が交 … 続きを読む →

羽柴秀吉の中国大返しによって山崎の合戦に敗北した光秀は一旦この城に逃れるも、もち直す事は不可能であり本拠坂本城に向けて脱出した。

その際に光秀が逃亡した時に使用したという門址跡。

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無鄰菴


無鄰菴は山縣有朋の別邸で七代目小川治兵衛の作庭。

新型コロナウィルス感染拡大防止のため、当面の間無鄰菴の入場につき、事前予約制となっている。

名前の由来はこの草菴に隣家がないことによる。

あるいは『論語』「徳不孤必有鄰」 “徳は孤ならず、必ず隣あり” にあるかもしれない。

心地よいせせらぎを響かせる「流れ」。

実は琵琶湖から引かれたお水です。

皇居が東京に遷り、経済の衰退をたどる京都を活性化させようと行われた明治の大公共事業、琵琶湖疏水開通。

それに政治家として関わった有朋は、この地で最初に別荘を築き、疏水の水を直接引き入れました。
サイフォンの原理を使って滝口まで持ち上げる治水方法は現在もそのまま利用されています。

無鄰菴に疏水を引き込む際、「防火用水」の名目が使われている。

琵琶湖疏水の建設には多額の税金が掛けられているため、京都市としては「庭園のため」では許可出来なかったためである。

洋館2階、以前に訪れた時と比べかなり傷んでいる気がする。

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「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。 最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関 … 続きを読む →

この洋館2階の間は、しばしば要人との会見に用いられた。
日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日にはここでいわゆる「無鄰菴会議」が行われた。

その時の顔ぶれは、元老山縣有朋、政友会総裁伊藤博文、総理大臣桂太郎、外務大臣小村寿太郎である。

南禅寺界隈別荘群の中で唯一通年公開されている庭園で、昭和26年(1951年)に国の名勝に指定されています。

洋館の2階には、伊藤博文らと山縣有朋が日露開戦に向けて話し合った「無鄰菴会議」に使われた部屋があり、当日の様子を今に伝えます。

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嵐山花灯路を見ようとゆっくり目に出発、とりあえずがんこ二条苑高瀬川源流庭園で腹ご … 続きを読む →

”おおよそ380年前の慶長16年 角倉了以によってつくられた当庭園はその後、明治の元勲山県有朋の別邸「第二無鄰庵」となり第三代日本銀行総裁川田小一郎の別邸、阿部信行首相別邸等をへてがんこが引き継いでいる。

『ねじりまんぽ』とは明治二十一年に完成した、長さ約2メートルのトンネルで、古い言葉でトンネルのことを『まんぽ』と呼ぶそうです。

『ねじりまんぽ』の真上には蹴上インクライン(傾斜鉄道)があり、昔インクラインは琵琶湖疎水による大津~京都の船運ルートとして、台車に乗った船が通っていました。

『ねじりまんぽ』は、その重さに耐えられる構造として、トンネル内壁の煉瓦を斜めに巻き、トンネル自体もインクラインと直角にならないように、斜めに掘られています。

トンネルの入口上部には、第3代京都府知事だった北垣国道が書いた扁額があります。

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京セラ美術館


2020年のリニューアルに伴い京セラが命名権を取得し、来館を京都府民に限定して2020年5月26日(火)にリニューアルオープンしていたが、2020年6月19日(金)より京都府以外に在住の来場者も受け入れることになった。

東山キューブの面積は約1000平米。天井高は5メートルで、展示室と収蔵庫、バックオフィス、屋上庭園を備えている。

天井がどことなく体育館ぽい「中央ホール」。両側のバルコニーや左に見える螺旋階段を新設した。

「ガラス・リボン」の上部にあたるエリア。

天井のステンドグラスなどの装飾が美しい。

冷泉通(れいせんどおり)は鴨川以西の夷川通を東へ延長した線上よりもやや北にあり、西は川端通から東は左京区若王子町まで。

平安神宮の南側、応天門前を通る通り。

平安神宮より西では琵琶湖疏水の南に沿い、この区間に夷川ダム(関西電力夷川発電所)がある。

夷川と名前が変わる前の古い時代の呼称が残る区間である。

泉冷通を疏水沿いに行く桜の穴場
川端冷泉通りを疏水沿いに行く道は、桜の穴場として親しまれています。
… 続きを読む →

冷泉は、古くは【れいぜい】と読まれていたはずなのだが、さいきんは【れいせん】が公式の読みになっていて、道路標識でも、Reisen-Dori、と大書されている。

今日のお昼は京料理 六盛、平安神宮のほぼ隣に位置する。

明治32年創業から110年以上も京料理ひとすじの老舗料亭。

今回は六盛名物の『手をけ弁当』をいただきました。

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梅雨雲 京都駅


今日はOB会のメンバーと外出自粛解除後久しぶりの再会、少し早めに待ち合わせの京都駅へ。

京都駅はよく撮影に訪れた。
京都駅百景
京都駅で作品作り、さて撮影場所はどこだろう、意外と知らない京都駅の一面が・・・・ … 続きを読む →


まだ人出も少なく梅雨の合間の晴れを楽しむ。

梅雨雲って陰暦五月の五月雨の降るころの雲を言うらしいが、今は梅雨も末期、晴れなんだけど重い雲が立ち込めている。


いつも標準ズームの画像ばかりなので今日は思い切って広角で表現、なかなか新鮮だ。

朝早い時間なので大階段も人はまばら。

やはりここでは京都タワーを絡めた画像になってしまう。




葉ッぴいてらすも人はまばらです。

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花蓮・睡蓮展 ~関西最大級を誇る水生植物たちの姿~


咲くやこの花館の外観は、鶴見緑地の周辺の原風景が湿地帯であったことから、その水面に浮かぶスイレンの花をイメージしてデザインされたものです。

鉄骨造の総ガラス張り、地上2階建、高さ約30m、建築面積約4,750m2、延床面積約6,890m2の建物で、国内最大級の大温室です。

見頃のスイレンを見ようと雨にもかかわらず出かけたが・・・・

すべて館外展示のため、一番美しく花開く早朝の花蓮の姿も、入館せず無料で見れます。

パラグアイオニバスも見事。

・花蓮約130品種
・碗蓮約70品種
・睡蓮約30品種
・水生植物約10数種が展示されています。

今回の訪問目的のもう一つの目的はモネが愛した睡蓮の中でどうしても咲かせることができなかったという青い睡蓮を見ることにあります。

青い睡蓮は熱帯産のため次の画像以下の水連は全て室内の​​<水生植物室(ロータス・ガーデン)>​​にあります。

ロータス→「ハス」の英語名、ギリシャ語由来の言葉で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「ヨザキスイレン」を指す言葉だったようです。

「ハス」はヤマモガシ目、ハス科、ハス属、ハス種の水生植物だそうです。

モネが愛した睡蓮の中でも、熱帯産の青い睡蓮だけはジベルニーの庭では咲かせることが出来なかった。

モネの庭マルモッタン 水の庭
念願のモネの庭に来ました。 青春18切符で列車を乗り継いで。 モネは生涯の祈り返 … 続きを読む →

モネが夢みた青い睡蓮

当園で咲いている睡蓮のほとんどは、連作「睡蓮」の舞台となったフランス/ジヴェルニーの「モネの庭」から株分けされたものです。

ニンファエア 紫式部

ちなみにニンファエアとはスイレン属の学名です、「スイレン」はスイレン目、スイレン科、スイレン属の水生植物です。

ニンファエア コロラタ

ニンファエア ブルーアスター

今では奥はないがブルー系の水連も気を付けていればみかけることができます。

以前京都植物園でブルー睡蓮を見かけました。

涼を求めて 京都府立植物園に「昼夜逆転室」を訪ねる
夜咲く花、昼に鑑賞するという企画を京都植物園に尋ねた。 サガリバナ 東南アジア一 … 続きを読む →

観覧温室の前の池では熱帯スイレンが咲く。

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メルヘンの世界 人形工房&カフェビストロ「アイトワ」


嵯峨野散策の途中池のほとりの木立の中にお洒落なカフェ。

いつも気になりながら通り過ぎていた。

庭ではメルヘンチックな人形たちが誘っているのです。

子供でありながら憂いを秘めた深い表情がかわいい。


人形作家の森小夜子さんがご自身の工房の隣に開いたカフェ。

屋外にもテーブル席があり美味しいケーキセットなど頂き見事に活けられた花など眺めてゆったりと過ごします。

おすすめは手づくりケーキ(マッセナ)。
ほんのり暖かくやさしい甘さ、コーヒーとセットで。

その他、山菜ピラフも人気がある。

隣が工房、ギャラリー。

ギャラリーへの見学は、カフェでお好みの「人形のポストカード」を、枚(300円)買い求めると入れます。

食事を頂いた後、ギャラリーを見学させて頂きました。

一階は工房、製作中の作品がありました。

二階がギャラリー。

子供でありながら憂いを秘めた深い表情と精緻な民族衣装が特徴です。

カフェ・アイトワさんのアイトワとは「愛とは?」「愛と環」「愛永遠」の三つの意味を込めた言葉から来ているそうです。

森小夜子さんの人形は、、写真集や展覧会も人気です。
森小夜子さん写真集のお求めはこちらから

写真は全部自分で撮影したとおっしゃっていました。
拝見させていただきましたがなかなかのものです。




あまりにかわいいのでアップで。

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