太陽公園 石のエリア


パリのシャンゼリゼ通りにある「エトワール凱旋門」、奥には巨石群が並ぶ。

公園は社会福祉法人愛光社会福祉事業協会(太陽福祉グループ)によって運営され、また同施設は障害者の雇用の場にもなっており、入場料等の収入は障害者への給与等に充てられている。

園内には三光園、愛光園などの福祉施設が併設されている。

有名なイースター島のモアイ像、なにか違和感を感じますが、目を見開いているからだと気付くまでに少し時間がかかります

アステカのチャクモール。

ベルギーの首都ブリュッセル市街中心部、グランブスのブリュッセル市庁舎にある、放尿する少年のブロンズ像。

世界各地に小便小僧はあるが、これが本家と言われる。

本場中国の兵馬俑博物館において作成した兵馬俑のレプリカを、なんと1,000体展示!

発掘当初の情景、上土を2メートルほど取り除くと、ゴザを敷き詰めた痕跡と丸太が現れ、丸太を取り除くと胸から腰まで土に埋まって壊れた兵馬俑が出現。

当初、兵馬俑は全て美しい極彩色で仕上げられていましたが、発掘され空気に触れると数分または数時間で色が薄れてしまいました。

鶏足寺、木の葉が色づき始めています。

おびただしい数の五百羅漢。

今日は紫禁城の庭で弁当にしました、涼しい風が吹き渡り心地よい。

双頭寺、境内から見上げると青空に突き出た二つの塔が見えます。

万里の長城の入り口。

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神戸中心部にある唯一の日本庭園 相楽園


相楽園は兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m²の都市公園・日本庭園。

日本の文化財保護法に基づく登録記念物の最初の登録物件である。
ツツジの名所として知られる。

旧小寺家厩舎

この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもの。

相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つ。

建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造。

外観は円型塔屋や急勾配の屋根・屋根窓と切妻飾り等々、ドイツ民家風の重厚な意匠に飾られている。

旧ハッサム住宅

設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。

竣工は1902年。
広大な日本庭園を望む南側ベランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。

明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。

1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの被害があったが修復され、現在に至る。
落下した煙突は震災の記録として前庭の一角に展示されている。

前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、現存する日本最古級のガス灯。

三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。

当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。

小寺邸内にあった茶室「浣心亭(かんしんてい)」は神戸大空襲で焼失、戦後に離れのあった、池の南側に新築された。

常時公開はしていませんが、ツツジが綺麗に咲く4月〜5月に、「つつじ遊山」という毎年恒例のお茶会イベントで一般公開されています。

船屋形(ふなやかた)は、兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物”川御座船”。

御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件である。

なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するもので、その希少性と歴史的文化的価値の高さから1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定されている。

池越しにパーラーを望む。

石段を下り、沢飛石を越えると石で囲まれたトンネルがみえてくる。

沢飛石の右手には二段落としの滝石組が作られている。


石組み・石橋・飛び石・敷石

伊予青石、丹波石、御影石、鞍馬石などを贅沢に使用しており、いろいろな表情を楽しめます。




今日のお昼はこちらのパーラーで。

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突然猫が・・・・・


2月堂の夕日の撮影を終えて登楼を降りていると突然猫が横切ったのです。

一番最後に降りたのでもう誰もいないと思い移動を始めたらしい。

見るとかわいい子猫ではないか。

今度は鹿の群れです。
裏参道を降り大極殿の角を左に曲がったところ。

ちょうど2月堂への参道、鹿がねぐらへ帰る群れと出くわしたのです、40~50頭はいたでしようか。
唖然として見送った。

大極殿、誰もいない、きれいなブルーの中を急ぐ。

前方には南大門、二人連れがゆく。

振り返ると大極殿、ブルーの中に浮かぶ。

南大門、奥に大極殿が闇に浮かぶ。

東大寺境内の重要なランドマークとも言える「南大門」ですが、その歴史は大仏殿等と同じく「奈良時代」にまで遡ります。

但し奈良時代から建設されていた門は平安時代中期の応和2年(962年)8月に台風の被害を受け倒壊し、200年以上経過してから鎌倉時代の正治元年(1199年)に東大寺中興の祖として現在も広く知られる「重源」が指揮を取る中で復興されたものが現在の南大門となっています。

闇に浮かぶ吽形像。
素晴らしいコントラスト。

正面から見て門の左側には阿形像、右側には吽形像が安置されていますが、これらは鎌倉時代の天才的仏師(仏像を造る職人)である運慶が指揮をとり、快慶らとともに彫り上げたもので、門が完成した後、建仁3年(1203年)にわずか69日間の製作期間で造り上げられたと言われています。

なお、夜間には阿吽も含め周辺がライトアップされ、運慶らの「才能」をひときわダイナミックに鑑賞できます。

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安藤忠雄の世界 大阪文化館・天保山


サントリー創業90周年を記念し、佐治敬三氏が大阪に芸術や文化と親しめる空間、そして街中では中々見られない「きれいな夕日」を眺められる美術館の設計を安藤忠雄氏に依頼。



コンセプトは「夕日の見える美術館」とのことで、夕暮れ時には海の眺めも美しい。

ガラス面を多く採用し、空の青や海の濃紺を取り込み、時間帯によって様々な表情を見せてくれる。



「サントリーミュージアム」は旧称であり、2011年以降サントリーは運営に関与していない。

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京都迎賓館 正面玄関


京都迎賓館は、1994年(平成6年)10月に「国立京都迎賓館」として、その建設が閣議決定され、2005年(平成17年)4月17日に開館した。

内閣府のサイトの公式説明によると、京都迎賓館というのは、日本の歴史や文化を象徴する都市である京都において、海外からの賓客を心をこめてお迎えし、日本への理解と友好を深めていただくことを目的に建設された、という。

場所としては、江戸時代に園家・柳原家・櫛笥家など、複数の公家の邸宅が建っていた京都御苑の敷地の北東部に建設された。

正面玄関の扉には、樹齢700年の福井県産の欅(けやき)の一枚板を使用しています。

引手は銅製で、京都の組紐をモチーフにして絆の意を込めたシンプルなデザインの「有線七宝(ゆうせんしっぽう)」が施されています。

福井産の木は、直径二メートルを超える巨木だったという。

伐採後、三十年ほど眠っていた。

ゆっくりじっくり乾燥した木。
京都迎賓館の設計を担当した日建設計理事佐藤義信さん(五七)は「二つとある木ではない。出会いがすべて」と振り返る。

木目を生かすため、板には何も細工をしていない。
取り付けた最初は、全体が黄色っぽく、むらもあった。

「バタバタした木」と表現する人もいたが「木を知っている者は何も心配しなかった」と佐藤さん。
 
一年半過ぎて、扉は変わった。
色が落ち着き、木目は際立ってきた。
これからまだ変わる、という。時の流れが楽しみになってくる。

天井には吉野杉が用いられ、舟底形の天井になっています。

前方に見えるのが正門。

見学者は西門からはいります。

床板には欅(けやき)材を使用し、特殊な加工を床板に施すことによって、傷がつきにくくなっています。

カーテンは一切使用せず、窓などの内側は障子としています。

池が見えています。

正面玄関で靴からスリッパに履き替えましたが、国公賓客はそのまま靴で歩けるようにと、廊下の板には特殊加工がされているそうです。

賓客はそのまま靴で歩きますが、見学者には厳しいのです、柱に少し触れたら注意されますし、撮影時に膝をついたらだめといわれた。

「折り紙」をイメージした行灯

行灯は本美濃紙を使用し、鉄や釘を一切使わない伝統的技法である京指物で組まれています。

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北浜にレトロビルを訪ねる


北浜駅の近くにあり、壁一面に蔦の絡まった独特の雰囲気のビル。

蔦は甲子園から株分けされたという。

国登録有形文化財で、隣の伏見ビルとともに大正時代のビル。

館内には建設当時のステンドグラスやガラス窓が現存しており、階段の手すりのねじり細工、食堂(現在は珈琲店)のマントルピースや、葡萄模様の施された梁など、建物の各所に施主のこだわりがうかがえる。

薬問屋街の道修町に残る旧小西家住宅は、近代大阪の町家を集大成した和風建築(国の重要文化財)。

小西家は、初代儀助(ぎすけ)が安政3年(1856)、京都から大阪道修町に出て薬種業・小西儀助商店(現・コニシ株式会社)を創業したことに始まる商家。

現在の建物は明治36年(1903)から3年かけてつくられたもの。
主屋裏には奥庭を挟んで衣装蔵および二階蔵がある。

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師走の万博公園

北日本では大雪との気象情報が連日流れる、この日も北風の寒い一日でした。

太陽の塔の西側の通路を民博へ向かう。
この通りは紅葉期にはとてもきれいな景色を見せてくれますがこの時期すっかり落葉して木枯らしの吹き抜ける通りになっている。

万博公園の秋
万博公園では早くも紅葉の見ごろを迎えている。 一方、先日の台風の被害は大きく、コ … 続きを読む →


民博の前庭のトーテムポール。

水の広場横の柳の木永く木陰を引いて寒々とした景観。

ヤナギの木越しに太陽の塔。

水の広場から東を望む。

国立民族学博物館、略称は民博(みんぱく)。
民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っている、博物館を持った研究所。

現在、総合研究大学院大学の文化科学研究科も設置されている。

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大阪市中央公会堂


大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(現在の貨幣価値にしておよそ数十億円とも)を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。

特別室に入るとまず目に飛び込んでくる壮大な天井画!!

日本神話から「天地開闢(てんちかいびゃく)」の様で高天原に生まれた三柱の神。

伊邪那岐に天沼矛を授けようとする天津神。

堀江を開削し 茨田堤(まむたのつつみ)を築き、高津宮を難波に造営した仁徳天皇。
画は 仁徳天皇が 淀川の治水工事の関して臣下から説明を受けているところだろうか。

北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。

彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。

見事なステンドグラス!中央円部分の四隅のリボンのような紋様が大阪市の市章である「みおつくし」になっています。

このリボン、実は大阪の市章「みおつくし」をモチーフにしたデザインなのだそう。

「みおつくし」とは、船の航路を示す目印として海に立てられた杭のことで、川が多いため水の都と言われた大阪市が、明治時代に市章として採用したものです。

扉の模様も描かれているように見えて、実は色の異なる木を模様に切り出しはめ込むという木工象嵌(もっこうぞうがん)という技法が用いられています。

このような技術者はもういないという。

このカーテンは建設当時の物を復元したもので、図柄は「四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)」と言い法隆寺に伝わる国宝から取っているそうです!

四騎獅子狩文錦は1400年以上むかしササン朝ペルシャで流行した文様である。
この錦はササン朝ペルシャで製作されシルクロードを通って隋朝の中国にもたらされたかまたは中国でペルシャ人織工によって織られたかまたはペルシャ織を学んだ中国人染工、織工によって中国で製作されたのだろう。

いずれにせよ遣隋使小野妹子が日本に持ち帰り厩戸の皇子( 聖徳太子 )に献上した。

太子は行啓(ぎょうけい)の際、この錦を御旗とした。

隋、唐の文明も 西域の影響を受けていた。

この大理石の床には所々に化石も見られます。

なによりも一枚一枚タイルが敷き詰められているように見えますが、実は大きな石一枚に筋を入れて9枚のタイルに見えるよう細工されているそうです。

この部屋はツァーの対象外、何か催しの準備中。

地上3階地下1階建ての建築内部は階段部分のみ吹き抜けになっていて、手すりのレリーフなども凝ったデザインが施されています。

また地下一階展示室北側の階段脇には、創建当時、地中に打ち込まれた松杭も保存展示されています。

通常時のガイドツアーは要予約で月に5日ほど設定日があります。

コースは、特別室と展示室や地下一階の見所を案内してもらえる30分ほどのベーシックコース(500円)と、地下1階のレストランでのランチ付きスペシャルコース(2000円)の2種類。
どちらも公会堂オリジナルグッズのお土産付き。

大会議室の緞帳が廊下の壁に保存されている。

この緞帳は五代目で1968年公会堂の建設50周年記念に造られた。
そごう百貨店、日本生命によって寄贈された。

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興福寺門跡寺院庭園 大乗院庭園


興福寺の門跡寺院である大乗院の寛治元年(1087年)創建と同時に築造された庭園は、12世紀における平重衡による南都焼討で被災し、興福寺別院である定禅院跡地に移築されたが、ここも15世紀中期の徳政一揆で荒廃したため、復興を目的に尋尊が銀閣寺庭園を作った善阿弥父子を招いて池泉回遊式庭園を改造させた。

以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられた。

西小池、南池。

同庭園は室町時代の徳政一揆で荒廃したが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥によって改造される。

将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れた。

庭園の一部は修復工事の最中、聖ラファエル教会が遠望される。

名勝大乗院庭園文化館2階からの眺め。

奈良ホテル入り口。

岡の上から庭園を望む。

奈良ホテル、第二次世界大戦前には国営(鉄道院→鉄道省直営)の時代が長く、関西において国賓・皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設としての役割をになっていた。

このため「西の迎賓館」とも呼ばれる。今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専ら。

本館は寺社の多い奈良の景観に配慮し、屋根上に鴟尾を置き壁面を白い漆喰仕上げとした木造2階建て瓦葺き建築で、内装は桃山風の豪奢・華麗な意匠とドイツ風の重厚な意匠が混在する、和洋折衷様式となっている。

聖ラファエル教会、軽井沢の聖パウロカトリック教会と同じくA・レーモンドゆかりのレーモンド設計事務所の設計になる建物。

軽井沢聖パウロカトリック教会
軽井沢聖パウロカトリック教会(かるいざわせいパウロカトリックきょうかい)は、長野 … 続きを読む →

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興福寺塔頭摩尼珠院の跡に造成された吉城園
吉城園は、二月堂の辺りを源流とする小川で、この吉城園の脇を通る「吉城川」から … 続きを読む →

大乗院庭園公式サイト

奈良市高畑町1083-1

JR・近鉄奈良駅→奈良交通バスで天理駅・下山行き「奈良ホテル前」下車すぐ、
JR奈良駅→徒歩20分、 近鉄奈良駅→徒歩15分

書写山円教寺雨中散策

円教寺は1千余年前に性空上人(しょうくうしょうにん)によって開かれた天台宗のお寺で西の比叡山とも呼ばれている。

今日はあいにくの雨、冷たい雨の中の散策となった。
まず、磨尼殿を訪れる。

西の比叡山と称される天台宗の古寺。
西国27番札所でもあり、ロープウェイを降りれば、そこは深山幽谷の世界。

京都の清水寺に似た摩尼殿、重要文化財の大講堂、食堂などは一見の価値がある。

摩尼殿の舞台から望む「はづき茶屋」は、 塔頭での精進料理(要予約)以外に食事の出来る唯一のお店。

磨尼殿のお参りをすました後は、もう一踏ん張り、水子地蔵の丘があり後方にずらっと並ぶ。圧巻。

瑞光院、一般公開はしていないようで、切妻、本瓦葺の表門は閉められています。

円教寺の参道からは長い古びれた土塀が印象的で古寺の雰囲気がありる。

案内板によると「創建、縁起は不詳。圓教寺の各塔頭は、往時は多数あった講(信者のグループ)の宿院も兼ねていた。

瑞光院も現網干観音講の宿院となっている。

書写山の紅葉は各所にあるが、門前の紅葉は11月ともなれば、古びた土塀ともよくあって抜群の美しさである。
本尊:六臂如意輪観世音菩薩」とあります。

大講堂の東南の隅に土塀で囲まれた姫路城城主本多家の墓所があり廟屋五棟と本多忠刻らの墓碑が並んでいる。

五棟の廟屋は、江戸初期から中期にわたる廟屋の建築として県下でも例のない珍しいもの。(兵庫県指定文化財)

本多家の墓所の前、そこには三つの堂と呼ばれる大講堂、食堂(じきどう)、常行堂の三つの建物がある。

食堂から大講堂、、常行堂、本多家の墓所をのぞむ。

円教寺の鬼瓦は面白いものが多い。

三つのお堂(重要文化財)の食堂には写経をするところもあるが、鬼瓦や仏像の貴重なものも展示されている。

食堂本尊僧形文殊菩薩坐像、間近で見ることが出来る。

常行堂(じょうぎょうどう)では、ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行を行う。

本尊は、阿弥陀如来坐像。通常非公開。
本日は、。常行堂(じょうぎょうどう)では、ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行を行うのです。

常行堂
本尊は、阿弥陀如来坐像。通常非公開。
本日は、扉が開いており、隙間から坐像を撮影。。

元は往生院の本尊で、1005年安鎮の作。 明治期に大講堂に安置された。
本尊は宝冠の弥陀と呼ばれ、法・利・因・語を含めた五尊で祀られていた。

安鎮は、性空上人の弟子で感阿(かんな)上人とともに彫刻に優れた技能を持っていた。

元は往生院の本尊で、1005年安鎮の作。 明治期に大講堂に安置された。

本尊は宝冠の弥陀と呼ばれ、法・利・因・語を含めた五尊で祀られていた。

安鎮は、性空上人の弟子で感阿(かんな)上人とともに彫刻に優れた技能を持っていた。

トムクルーズと渡辺謙が挨拶を交わすシーン撮影はこの常行堂で行われた。

またNHK大河ドラマ・武蔵(2003年)や軍師官兵衛(2014年)のロケ地にもなった。

圓教寺開山の性空上人をまつる堂。

書寫山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続け朝夕欠かさず勤行がおこなわれている圓教寺奥之院の中核。

現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作。

軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち西北隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したと言う伝説は有名。

回廊から護法洞、不動堂をのぞむ。

書写山円教寺には、和泉式部の歌塚がある。

伝説では、一条天皇の中宮彰子に仕えていた和泉式部が、彰子やほかの女房たちとともに性空上人を訪ねたが、上人は会ってくれない。
そこで式部は寺の柱に、一首の和歌を書いて立ち去ろうとした。

くらきより くらき道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月

この歌に感心した上人は、一行を呼び戻して丁重に教えを垂れたと伝えられている。

性空上人は、式部が彰子に仕えるより早く亡くなっているから、この話は事実ではないだろうけれど、詠まれた歌は確かに存在する。

昼寝の時に顔にいたずら書きをされ、顔を映したという池。
この後怒った弁慶が諸堂を焼き払ったという伝説がある。京都で義経と出会う前のお話。

大仏さんも雨に濡れて質感がしっとり。

十妙院、江戸時代の建物、平成4~7年大修理が完成。

建物は仏間を中心とした方丈と台所を設けた庫裡とを会わせた構造、壽量院と共に圓教寺型ともいえる独特の構造を持った塔頭。

この辺りからは姫路城も視界にとらえられるはずだが、ご覧の霧では・・・・・

悪路に難儀しながら進む。

参道に沿って33体の観音様がお迎えしてくれます。

ロープウェイ山上駅からの眺望、ほぼ視界ゼロ。

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書写山円教寺へのアクセス、行き方歩き方

書写山円教寺公式サイト

兵庫県姫路市書写
姫路駅からバスで30分「書写ロープウェイ行き」終点下車。ロープウェイで山上駅まで4分