約2か月ぶりに開門 住吉大社

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言を鑑み、4月8日よりすべての業務を停止し、閉門。

政府による緊急事態宣言の解除等に伴い、6月1日より西側正面門のみ開門。

汐掛道
住吉大社の旧表参道の汐掛道は、海岸に上陸した海神が通った道で、出見の浜〜住吉高灯 … 続きを読む →

「住吉」の読みは、現在は「スミヨシ」だが、元々は「スミノエ(スミエ)」だった。

例えば奈良時代以前に成立した『万葉集』には「住吉」のほか「住江」「墨江」「清江」「須美乃江」という表記も見えるが、平安時代に成立した『和名抄』にはすでに「須三與之」と記されている。

本居宣長の『古事記伝』以来の通説では、元々の「スミノエ」に「住江」「墨江」「清江」「住吉」等の表記があてられた中で「住吉」が一般化し、それが音に転じて平安時代頃から「スミヨシ」の呼称が一般化したと解されている(類例に日吉大社<ヒエ→ヒヨシ>)。

ただし過渡期の平安時代には両者の使い分けも見られ、歌枕としての扱いでは、「スミノエ」は江を指し「スミヨシ」は社・浦・里・浜を指すと歌学書にはある。

実際に住吉大社南側の細江川(細井川)旧河口部には入り江があったとみられ、古代にその地に整備された住吉津(墨江津)は難波津とともに外交上の要港として機能し、住吉大社の成立や発展に深く関わったと考えられている。

参道には多数の石燈籠が建ち並び、その数は約600基にも及ぶ。
最古は寛永21年(1644年)まで遡り、その多くは江戸時代の廻船業関係者からの奉納になる。

古くは古墳時代から外交上の要港の住吉津・難波津と関係して、航海の神・港の神として祀られた神社。

古代には遣唐使船にも祀られる国家的な航海守護の神や禊祓の神として、平安時代からは和歌の神として朝廷・貴族からの信仰を集めたほか、江戸時代には広く庶民からも崇敬された。

摂津国の一宮として大阪で代表的な神社であるのみならず、旧官幣大社として全国でも代表的な神社の1つである。

太鼓橋

豊臣秀吉の側室の淀君が慶長年間(16世紀末から17世紀初頭に住吉大社に奉納したものと言われています。

住吉大社 枝垂れ桜見納め
早朝に住吉大社を訪れた。 汐掛け道は人通りもまばら、ちょうど側道の植え込みに潅水 … 続きを読む →

川端康成が、戦後に発表した、「しぐれ」「住吉」とともに住吉3部作の一つとして数えられる「反橋」には、「上るよりもおりる方がこはいものです。

私は母に抱かれておりました」と描いており、橋の傍には康成の文学碑が設置されております。

文末にあらすじを掲載しておきます。

第一本宮。

また伝統的な神事を多く残すことでも知られ、特に御田植神事は全国でも代表的なものとして国の重要無形民俗文化財に指定、夏越大祓神事は大阪府選択無形民俗文化財に選択されている。

第三本宮と第四本宮。

住吉公園、元は住吉大社の境内で、大社の馬場があった。
公園の中央を東西に走る「潮掛け道」は、住吉大社の表参道だった。

また鎌倉時代の元寇の時は、蒙古撃退のための住吉大社による住吉大神への「浜祈祷」は、住吉公園の前に広がっていた住吉の浜で行われた。

大阪府営公園としては浜寺公園とともに1873年に指定され、大阪で一番歴史のある公園となっている。

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住吉大社


外出規制は解除されたけど、住吉大社は5月31日まで閉鎖中。

住吉大社の手水舎の水口は神使の兎像、次のような説明が付けられている。

「(住吉大社と兎) 兎(卯)は当社の御鎮座(創建)が神功皇后摂政十一年(211)辛卯(かのとう)年の卯月の卯日である御縁により奉納されたものです」

水面の照り返しを映しきれいです。

厩舎の軒先、朝の光が降り注ぐ。

角鳥居の脇に早咲きのアジサイが咲いていた。

境内のあちこちに卯の花が咲いています。
「住吉大社」は卯の年・卯の月・卯の日に鎮座したとされる。

今年は卯花苑の公開は中止された。

卯の花の咲く頃
住吉大社卯の花苑が公開中。 住吉大社にとって卯の花は特別、鎮座日が、神功皇后摂政 … 続きを読む →

住吉大社にとって卯の花は特別、鎮座日が、神功皇后摂政11年の卯年の卯月の卯日と伝えられている、「卯の葉神事」にはかかせない花となっている。

古式床しく 卯之葉神事 住吉大社
住吉っさんがこの地に鎮座したのが、神功皇后摂政11年(211)の卯年の卯月の卯日 … 続きを読む →

卯之葉神事は13時から第一本宮と五所御前で卯の葉を使った玉串を捧げての祭典が行われた後、14時からは石舞台にて舞楽が奉納されます。

住吉公園の心字池の桜の葉、池の水面を映してきれいです。

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住之江公園花散策


カラッと気持ちよく晴れた日が続く5月。

しかし、外出自粛要請で家に閉じこもる日々、体力維持のため近くの公園の散策が日課。
児童遊技場のあたりは子供ずれで賑わっている。

花と緑のスクエアは人もほとんどいない。

ブラシの木も咲きだした。

植物園にもバラ園にも行けない、ここのバラで辛抱。

朝露がきれいです。

花と緑のスクエアにはたくさんの花が植えられている、ラベンダーも咲いています。

ナデシコが咲き誇る。

派手さのないどちらかといえば地味な部類に属するシロタエギクが存在感を示しています。

散歩を楽しむ人たちが時折通り過ぎていく、静かな公園のひと時です。

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昨日の夕日


立夏も過ぎて夏日を思わせる日日が続いている。

昨日やっと外出自粛の出口の指標が大阪府により示され、ほっと一息ついている。

上空は暗いがきれいな夕日だ、六甲連山もくっきり見える。

これから体力維持のための散歩だ、近くの住之江公園の周囲を歩く、ジョギングの人もたくさんいる。

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止止呂支比売命神社


若松神社が地元の愛称です。

ご祭神は、素盞鳴尊・稲田姫命を祀りま す。
式内社ですが創建年代は不明です。

神功皇后の創設とも言われ、住 吉大社の摂社(奥の院)でしたが、明治4年(1871)、独立分離して村 社となりました。

若松神社の名は承久3年(1221)、後鳥羽上皇が行幸 したさい、津守経国が境内の松林の中に行宮を造り、若松御所と名付 けた事によります。

境内に「御鳥羽天皇行宮跡」が建立されています。

目的は住吉の豪族津守一族をはじめ、大和、河内の兵隊を集めるためである。承久の乱の始まり。

承久の乱:

鎌倉時代の承久3年(1221年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。

武家政権という新興勢力を倒し、古代より続く朝廷の復権を目的とした争いである。

北条義時は朝廷を武力で倒した唯一の武将として後世に名を残すこととなった。

社名のトドロキとは当時の境内にあった橋の名前から由来していると考えられる。

また、稲田姫を『止止呂支比売』(トドロキヒメ)と呼んだことから由来する説や境内に流れていた小川がせせらぐ音、『轟く』(トドロキ)から転訛したことが由来とする説もある。

本殿側面。

本殿正面。


願いの御神水

境内から湧き出る水を溜め神札へ願いを書いて神様に届けていただける場所が設けられています。


明治40年(1907)、霰松原の「霰松原荒神神社」(天水分豊浦命社)、明治42年(1909) に遠里小野の「農神社」が遷座、合祀されています。

霰松原
古代、住吉のあたりは海岸に沿って美しい松林が連なり、あられ(霰)が吹きつけるよう … 続きを読む →


「天水分豊浦命社」社号標石

黒長社:黒長大神を祀る

古来より存在している、当社の「神木」と「神木に棲む蛇」への信仰に基づく神社とされる。

願望成就の霊験が得られるとされている。

遥拝所。

境内社:稲荷社。

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花咲き鳥歌えど


イングリッシュガーデン風の「サンクンガーデン」(沈床花壇…周囲から眺められるように、真ん中を一段低く設計された花壇)、 スクエアの周りには20数種のバラが生育し、毎年顔を見せてくれる宿根草や多年草が何十種類も植わっていて四季おりおり楽しませてくれています。

春と秋には一年草を植え替えて、新しい表情を見せてくれます。

花が咲き誇り、鳥たちのさえずりがうるさいくらいの公園だが外出自粛のせいか訪れる人はまばら。

ベンチに腰を下ろしゆっくりと景色を楽しむ。

しかし、外出がままならない現実は何ともならない。

アヤメもちらほら

ボタンも咲いた、シャクヤクはあともう少し。

せめてきれいな花を眺めてしばしの英気を養う。



シャガもあちこちに目立つ。

じどう遊技場横のテラスでは富士真っ盛り、色とりどりできれいです。

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散歩


息苦しい外出自粛が続く、せめて近所の住之江公園の散歩が体力維持のための日課になりつつある。

公園は人もまばらで静かな雰囲気。

ホオジロを発見、フェンスの隙間からとらえる。

チチッまたはチチチッと短く続けて鳴く。

公園の片隅、鳩に餌をやる人。

珍しい散策者が現れた、ミミズクかフクロウの仲間と思われる鳥を連れて散歩。
よくなれていると見えて犬が近くに現れても悠然としている。

公園内は静かです、せいぜい鳩が散歩している程度。

この風景を見ている限りコロナの存在など忘れてしまう。

早く自由に動ける日が訪れることを・・・・・・

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霰松原


古代、住吉のあたりは海岸に沿って美しい松林が連なり、あられ(霰)が吹きつけるように風が吹いていたので「霰松原」と呼ばれていた。

松が粗くまばら(疎)に生える松原として「あらら松原」の語があり、それが転じたとの説もあるようです。

碑の前の道は紀州街道で、高麗橋東詰の里程元標を起点に、堺筋を南下和歌山に至っている。
 
この付近は街道の面影をよく残しており、新しく街道名の入った道しるべが建てられるなど、歴史の顕彰が行われている。

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霰打つあられ松原すみのえの弟日娘(おとひおとめ)と見れど飽かぬかも  長王子(万葉集)

あられ松原は、住吉の弟日娘と一緒にいくら見ても見飽きることがない

『万葉集』65のこの歌は、都が平城京に遷都される少し前、慶雲3年(706年)に、第42代・文武(もんむ)天皇が「藤原京」から「難波宮」へ行幸した際に、随行者が詠った宴遊の歌のひとつです。

作者は、第40代・天武天皇の子で第4子とみられる、「長皇子(ながのみこ)」。

ここ住吉津(住吉の港)には遊女がいた。

弟日娘」は港町の遊女であって、都から来た長王子と結ばれたようだ。

この地は、奈良・平安時代は海に沿った境まで続く松原で、白い砂と松の緑は四季を通じて素晴らしい景観をみせ、多くの人々が訪れ、大阪と河内南部のや紀州方面を結ぶ街道としても重要で「岸辺の道」、室町後期からは「紀州街道」とも呼ばれていました。

天水分豊浦命神社は、延喜式代の古社で、創建は詳らかではありませんが、「住吉大社すみよしたいしゃ神代記」にも記録されていることより千二百年以上経ており、明治四十年に沢之町の止止呂支比賣命神社〔若松宮〕に合祀されています。

安立町の由来は江戸時代初期の良医であった半井安立が、この地に住み多くの人々を助けた徳により、その名を残して町名となったと伝えます。

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叫び


大阪市にある住吉地区のシンボル「解放へのオガリ」は1977年2月に完成し、住吉解放会館(現在:市民交流センターすみよし北)の大壁面に設置された。

沖縄県出身の彫刻家・金城実さんが制作したもので、高さ12.3メートル、幅7メートルの母と子のレリーフです。

それから40年、大阪市は2016年3月末をもって市民交流センターすみよし北を閉鎖。

制作者で沖縄県読谷村儀間に住む金城実さん(79)の下に渡った。

なぜか建物の裏には巨大なレリーフが残る。

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西住之江の町家


洋風長屋群、もともとこの地は、島村といわ れる農地でしたが、地主によっ て区割整地をして、住宅を誘致した

その完成碑が昭和11 年(1936)に建立されています。
戦災にも遭わなかったので、現 在でもモダンでハイセンスな洋 風長屋、和風長屋の町家が立ち 並んでいます。

こちらは建物自体は和風ですが、1軒ずつ小さな庭がついたテラスハウス。
柵に囲まれた前庭は明るくて開放的。

ずっと続いた建物に見えますが、4~5軒ずつ別棟になっています。

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