荘厳浄土寺


荘厳浄土寺は住吉神宮寺、津守寺と共に住吉三大寺として有名であったが、今は現存する唯一の寺となっている。

山門は明治時代になって廃寺となった住吉大社の神宮寺である新羅寺から移築したものである。

創建は天慶年間(930年~946年)頃と考えられている。

応徳年間に、白河天皇の勅願寺となり、荘厳浄土寺の寺号を賜る。

1084年(応徳元年)住吉大社第39代神主津守国基は白河天皇の勅命により、八町四方の寺域を以って再建したと伝わる。

山門前に後村上天皇歌碑がありました。

ー新葉和歌集ー
正平18年8月16日
「秋をへて 月やはさみの 曇べき 泪かきくるる いざよひの空」

正平21年2月17日
「思ひやる さが野の春の 雪にもや 消ける罪の 程は見ゆらん」
「をしむなよ 法の席の 春の雪 消らん罪の ためしなりせば」御返(妙光寺内大臣)

山門とその脇に「後村上天皇聖跡碑」と「後村上天皇御製碑」が建っている。

後村上天皇は、後醍醐天皇追善のため当寺にて、「法華八講」の法要を1375年(正平18年)と78年(同21年)と2回修し、五色仏舎利と和歌を奉納している。

参考記事:住吉大社で森女と邂逅 溺る一休

後村上天皇の正平年間に、住吉に畢中、父後醍醐天皇の、御霊を信修した聖蹟であると、山門に向かって右側の石碑の裏には書いてある。

正平20年/貞治4年(1365年)ごろ、後醍醐・後村上の護持僧を務めた文観房弘真の高弟の宝蓮が仏教書『瑜伽伝灯鈔』を著し、本寺で指南の書として用いている。

後村上天皇は、後醍醐天皇追善のため、「法華八講」の法要を1375年(正平18年)と78年(同21年)と2回修し、五色仏舎利と和歌を奉納している。

吉野朝(南朝)の後村上天皇は、足利方の攻撃を避け、正平七年、住吉に滞在され、さらに同十五年より八年間、住吉に坐しまして、京都回復を図られたが、先帝以来のご悲願もついに果たすこともできず、正平二十三年(1368年)三月十一日、宝算四十一をもって、住吉大社から約300メートル南の行宮(正印殿)で崩御された。

参考記事:南朝の里 賀名生梅林散策

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

春 長居植物園


前回、桜ウィークの様子を伝えたが今はもう春たけなわの感じ。

長居植物園 春爛
新型コロナウイルス感染症拡大防止に向けた大阪市の対応に伴い、2020年2月29日 … 続きを読む →


ミドリも日増しに鮮やかになってみる目を楽しませてくれる。


桜が咲き誇っています、あちこちでスケッチを楽しむ人たちを見かけます。

今はもうソメイヨシノが主流です。

ツツジ山も桜が満開。

春の訪れを教えてくれるアーモンドの花はとても美しいのですが、桜に似ているためか見間違われることが多くあります。

ライラックの花が咲き始めています。

フランス語からリラ(Lilas)とも呼ばれる。
和名はムラサキハシドイ(紫丁香花)。

カツラがかわいい葉っぱを付けています。
ハート形をしていてとても愛らしい。

クリスマスローズが盛りです。

メタセコイヤの新芽。

ハナズオウ。

クヌギの新芽。

ナシの花。

外出自粛もどこへやら、やっと来た春に皆うかれて外へ飛び出しています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

万代池公園 桜


万代池公園のサクラは、近隣では花見の名所として知られている。

池の周囲は約700メートル。
歴史ははっきりしないが、上町台地の浸食した谷をせき止めて作られたといわれている。

「聖徳太子が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めた」という言い伝えから、「まんだら池」が転じて万代池という名称になったと伝えられている。

明治時代までは灌漑池として利用されていた。

万代池の成り立ちをみてみると、池の西端に熊野街道が接して通っていることから、上町台地の浸食台をせき止めてつくらせた池とされており、明治の中頃までは灌漑池として利用されていた。

熊野御幸記を歩く①八軒屋浜~住吉大社
実は熊野古道大阪編は5月5日に第一回が始まったのですが、どうも歩き通す自信がなく … 続きを読む →

歩行距離:15.2km   歩行時間:約5時間
八軒家船着場跡スタート → 第一社・窪津王子(坐摩(いかすり)神社行宮) → 坂口王子(南大江公園・朝日神明社跡) → 榎木大明神 → 上町筋 → 郡戸(こうず)王子
(高津宮) → 上野王子(上宮学園前) → 四天王寺 → 近鉄あべの橋駅前→ 安倍晴明神社 → 阿倍王子(阿倍王子神社) → 万代池公園 →  住吉神社(住吉大社)ゴール

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

神ノ木停留場界隈


国道26号に面した所に立つ高灯篭は、住吉大社の灯篭で、鎌倉時代創建の日本最古の灯台とされる。

熊野街道と住吉街道の四つ辻角にあって、創業は永禄年間、450年以上の歴史を持つ名店。
明治・大正・昭和天皇にも献上していたという、手造りの「住乃江味噌」が名物。

住吉東駅は住吉大社の裏門にあたる高野線の最寄り駅として、高野鉄道当時の明治33年(1900)9月に開業。

前方に見えるのが南海電鉄高野線との立体交差がある上町線「神ノ木」停留所。
ここはチンチン電車が南海高野線をオーバークロスする形になります。

駅名は、かつて住吉一帯が海岸に面していた頃、中でも大きな古松があり、神木として崇められていたことから来た地名(現在は消失)による。

また、このあたりに神様の宿った三本の木があったからと言う説もある。

熊野街道を南下してきた上町線の線路の東南側を通る道路が熊野街道。

近くは市営住吉住宅。

隠れた桜スポットとして有名。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

住吉大社界隈 桜咲き始め


住之江公園の様子、開花宣言から約1週間、やっと咲いた。

今年はコロナウイルスの影響で今一つ盛り上がりません。

造幣局の桜の通り抜けも中止になってしまったし。

住吉公園も桜の開花はぼちぼちといったところ。

むしろユキヤナギがまだ幅を利かせています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

落柿舎


落柿舎(らくししゃ)は、京都市右京区の嵯峨野にある草庵である。

松尾芭蕉の弟子・向井去来の別荘として使用されていた場所であり、その名の由来は、庵の周囲の柿が一夜にしてすべて落ちたことによる。

芭蕉も3度訪れ滞在をし、『嵯峨日記』を著した場所としても知られている。

去来がこの草庵について書いた『落柿舎ノ記』がある。

庵の庭には40本の柿の木があり、日頃去来は人にこの庵の管理を任せていた。

ある時(1689年(元禄2年)頃)、去来がちょうど在庵中に、都から柿を扱う老商人が訪ねてきて、庭の柿を一貫文を出して買い求めたので、去来は売る約束をして代金を受け取った。

しかしその夜、嵐が吹き、一晩にして柿がすべて落ちてしまった。

翌朝来た老商人がこの有様に呆然としつつ、代金を返してくれるよう頼み込み、去来はこれを不憫に思って柿の代金を全額返した。

この老商人が帰るにあたって去来は友人あての手紙を託し、その中で自ら「落柿舎の去来」と称したという。

去来は、貞享2-3年(1685年 – 1686年)ころに、嵯峨野にあったこの庵を入手した(なお、去来の当時の庵の正確な場所は不明である)。
もともと豪商が建築したものである。

芭蕉は、1689年(元禄2年)以来3度にわたってこの庵を訪れた。

とくに1691年(元禄4年)には4月18日から5月4日までと長く滞在し、『嵯峨日記』を著した。

このほか、野沢凡兆とその妻・羽紅(うこう)、去来が訪ねてきて一つの蚊帳で5人が一緒に寝たりしている。

現在の庵は、1770年(明和7年)に俳人・井上重厚(嵯峨出身で、去来の親族でもある)により再建されたものである。

この場所は弘源寺の跡であった。
また明治初年にも再興されている。

現在の庵の裏手には去来の墓がある。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

化野念仏寺


化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、京都市右京区の嵯峨野にある浄土宗の寺。

山号は華西山。
化野は東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地として知られる。

化野は古来より鳥辺野、蓮台野ともに葬地として知られ和歌では 「化野の露」として人生の無常をあらわす枕詞に使われています。

寺伝によれば当寺は空海が弘仁年間(810~824)に小倉山寄りを金剛界、曼茶羅山寄りを胎蔵界と見立てて千体の石仏を埋め中間を流れる川〔曼荼羅川〕の河原に五智如来を立て、一宇を建立し五智如来寺と称したのが始まりといわれています。

当初は真言宗でしたが鎌倉時代の初期に法然の常念仏道場となり浄土宗に改められ、名も念仏寺と呼ばれるようになりました。

1712年(正徳2)黒田如水の外孫の寂道が再建したといわれています。

本堂には本尊の阿弥陀如来像を安置し、境内には賽の河原を現出した多数の石塔、石仏が立ち並んでいます。

竹藪の小柴垣の中央に立て札が立っています 角倉了以の長男 【住倉素庵】の墓があります。

風神雷神図で有名な俵谷宗達と親交あり素庵56歳でハンセン病で61歳で亡くなるまで 此処に隔離 宗達は面倒を看ました。

死後その悲しみを雷神の身体を白色にして宗達は黒の風神図として供養したともいわれています。

寛永9年(1632年)、死去。享年62。
本墓は遺言により一族の墓所がある二尊院でなく、化野念仏寺に置かれた(二尊院にも墓所はある)。

本堂は江戸時代の正徳2年(1712年)に寂道により再建されたもの。

境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。

境内には水子地蔵もあり、地蔵菩薩の縁日には水子供養が行われている。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

長居植物園 春爛漫

新型コロナウイルス感染症拡大防止に向けた大阪市の対応に伴い、2020年2月29日(土)から臨時休館していたが3月20日より再開園。
早速出かけた。

同園では現在「桜ウィーク」開催中、咲きそろっているわけではないがかなりの種類の開花を確認できた。

画像はコウヨウ、現状では一番数が多い。

ニオイザクラ

エドヒガン

ヤマザクラ

ソメイヨシノ

オオシマザクラ

紅葉に小鳥が来ています、撮影中多くの小鳥を見かけた。

ヒヨドリ

ツグミ

ネモフィラ

リナリアグッピー

干潟では鳥の足跡を見つけた。

渓流の水たまり。
春の陽気が感じられます。

イロハカエデ、秋には見事な紅葉を見せてくれるがこの時期はまだ幼い葉っぱです。

ミツマタ

ニワウメ別名はねず。

マンサク

レンギョウ

サンシュユ

サンシュユ、クローズアップ。

シバザクラ

ムラサキハナナ

スモモ

ラベンダー

クリーピングタイム

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

愛宕念仏寺


愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)は京都府京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の仏教寺院。

本尊は厄除千手観音、別名千二百羅漢の寺。
愛宕山参道の山麓の入り口に位置する嵯峨野めぐりの始発点として知られる。

8世紀中頃、称徳天皇により京都・東山、今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺として創建。
平安時代初めには真言宗東寺派の末寺となっていたらしい。

すでに荒れ寺となっていた上に、近くを流れる鴨川の洪水で堂宇を流失。
廃寺同然を、醍醐天皇の命により天台宗の千観内供(伝燈大法師)が復興した。

千観が念仏を唱えていたところから名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した。

この際いったんは七堂伽藍を備え勅願寺としての体裁を整えたが、その後は興廃を繰り返し、最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。

1922年それらを移築して現在地での復興を目指すが失敗。
あまりの荒れように、1955年に天台宗本山から住職を命じられた西村公朝も、引き受けるのをためらったという。

それを清水寺貫主・大西良慶の「それだけ傷んでおれば、草一本むしりとっても、石一つ動かしても、おまえは復興者、復興者やといってもらえる。

わしも手伝ってやるから」の激励で復興に取りかかった。

以来、仏師として全国を飛び回る傍ら、本堂、地蔵堂、仁王門などを整備した。

素人の参拝者が自ら彫って奉納する『昭和の羅漢彫り』が始まったのは、1981年。当初は五百体が目標だったが、10年後には千二百体に達した。

五百羅漢の石像を奉納する希望者が、自身で1人1体ずつ彫りました。

寺に通いながら作業して、1人が7日から10日ほどかかっていましたね。

石は栃木県の大谷石というキメ細かく細工しやすい石を直方体に切り出して送ってもらいましたが、1200体の完成とともに原石がなくなり今ではもう産出してないそうです。

阿羅漢というのは、釈迦の弟子のこと。仏の教えを伝えた聖人です。“羅漢さん”と呼ばれることも。

日本では、戦災などで多くの人命が失われた時に、その霊を慰めるために五百羅漢が作られました。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

奥嵯峨野散策


嵯峨野の奥に行けば行くほど暗く寂しい感じになります。

なのでもし午後からの散策であればこの逆をたどって、鳥居本までバスで行ってしまい、嵐山駅のほうに戻ってくるコースのほうがよいかもしれません。

平野屋さんは、江戸時代は鮎問屋として営み、14代続く老舗です。
400年の歴史を感じさせる茅葺屋根は鮮やかな緑の苔に覆われています。

愛宕神社「一の鳥居」

昔の愛宕詣のための茶店、鮎料理つたや。

愛宕神社「一の鳥居」前の平野屋からゆるやかな坂道をくだります。

電線や電柱等の人工物が目に入らず、平安期さながらの風雅な景色が楽しめます。

奥嵯峨野は、嵐山のように一か所に集中しているのではなく、広範囲に大小様々なスポットが点在する地区です。

二尊院付近、桜が咲き始めています。

小倉池脇の静かな小径。

「アイトワ人形ギャラリー」。

コースから見える位置に可愛い人形(制作 森小夜子さん)が飾られることもありますので見つけてみて下さい。

カフェを併設していますので人形を眺めながら休憩するのもよし。

嵐山の風情にとけこむように佇むのがトロッコ嵐山駅です。

改札から咲き始めた桜を望む。

竹林の道は相変わらず人が多い。

「雨中嵐山」詩碑

保津川に面した公園の南の入り口に中華人民共和国の国務院総理を務めた周恩来が、京都留学中に嵐山で作ったと言われる「雨中嵐山」の詩を刻んだ石碑がある。

中国の要人が関西を訪問した際にこの碑を訪れることが多く、中国人観光客の訪問も多い。

雨の中、二度、嵐山に遊ぶ。 両岸の青い松が幾本かの桜を挟んでいる。
その尽きるところに、ひとつの山がそびえている。

流れる水は、こんなにも緑であり、石をめぐって人影を映している。
雨脚は強く、霧は濃く立ちこめていたが、 雲間から一筋の光が射し、眺めは一段と美しい。

人間社会のすべての真理は、求めれば求めるほどあいまいである。
だが、そのあいまいさの中に、 一点の光明を見つけた時には、さらに美しく思われる。

山の斜面に咲き始めた桜が美しい。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!