若狭の古刹・名刹 若狭姫神社

若狭姫神社は、本殿は享和2年(1802)造営の正面3間、側面3間、向拝1間の流造桧皮葺の建物。

本殿を囲む瑞垣(透塀)の内部には千年杉で有名な神樹が聳(そび)え、千古の神域を一層森厳にしています。

神門(中門)は、享和3年(1803)の造営、随神門は寛保3年(1743)の造営で、ほぼ上社と同じつくりとなっています。

入口には木造の鳥居、真っ直ぐに続く参道の先には入母屋屋根の門が建っている。

小浜市を代表する神社・若狭姫神社の千年杉。幹周/6.0m、樹高/30m、樹齢/約500年。
  
本殿、随神門は流造桧皮葺でいずれも県の重文に指定。

若狭姫神社(下社)は安産・育児に霊験があるとされており、境内には子種石と呼ばれる陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏などが存在。

現在ほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐。

本殿の周囲には玉垣が巡らされ、正面に神門が置かれている。

正面の間口三間の流造で、向拝部分には前室が設けられている。

若狭彦神社の本殿には千木と鰹木が置かれているが、こちらの本殿の屋根には千木も鰹木も無い。

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若狭の古刹・名刹 若狭彦神社

若狭彦神社は、福井県小浜市にある神社。式内社(名神大社)、若狭国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

上社・下社の2社からなり、上社(小浜市龍前)を「若狭彦神社」、下社(小浜市遠敷)を「若狭姫神社(わかさひめじんじゃ)」という。
別称として郡名から「遠敷明神」とも呼ばれる。

一の鳥居。

社伝では、二神は遠敷郡下根来村白石の里に示現したといい、その姿は唐人のようであったという。
和銅7年(714年)9月10日に両神が示現した白石の里に上社・若狭彦神社が創建された。

翌霊亀元年(715年)9月10日に現在地に遷座した。
白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社がある。

下社・若狭姫神社は、養老5年(721年)2月10日に上社より分祀して創建された。

二の鳥居。

若狭彦神社(上社)の祭神である山幸彦「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」は兄、海幸彦の道具で釣りをしている時、誤って針を無くしました。

針の行方を聞くため海神のいる竜宮城へ行った山幸彦は若狭姫神社(下社)の祭神である豊玉姫と出会い、そのまま結婚してしまいました。

楼門(随神門)。

何年か経ち、やはり海幸彦の針が気になってしようがない山幸彦が海神に相談したところ。
のどにその針が刺さった鯛が見つかり、無事針が見つかりました。

竜宮城から戻り、海幸彦に針を返した山幸彦は豊玉姫と幸せに暮らしたそうです。

神門。

神紋は「宝珠に波」。
これは彦火火出見尊(山幸彦)が龍宮で手に入れた潮を自在に操る潮盈珠・潮乾珠に因む。

若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も集める。

現在はほとんどの祭事は下社・若狭姫神社で行われており、神職も下社にのみ常駐している。

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若狭の古刹・名刹 鵜瀬


その昔、白黒の2羽の鵜が岩から飛び出し、留まった樹の跡から甘水が湧き出し、香水が満ち溢れたのが湧水のはじまりという記録が残っている。

毎年3月2日の夜「お水送り」の神事が行われ、春を呼ぶ行事として有名。

若狭神宮寺に渡ってきたインド僧実忠は、その後東大寺に二月堂を建立し、大仏開眼の2ヶ月前から祈りの行法(修二会)を行った。

初日に「新名帳」を読み上げて日本国中の神々を勧進したが若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅れ、あと2日で終わるという日に現れた。

そのお詫びとして、二月堂のご本尊にお供えする「閼伽水」(清浄聖水)を献じる約束をして地面を割ると白と黒の2羽の鵜が飛び出して穴から清水が湧き出した。

若狭の「鵜の瀬」より地下を潜って水を導かせたのである。

この湧き水を「若狭井」と名づけ、1250年の長きに渡って守り続けられているその井戸より「閼伽水」を汲み上げ本尊にお供えする儀式が、大和路に春を告げる神事「東大寺二月堂のお水取り」である。若狭小浜の神宮寺では、奈良に先立つこと10日、3月2日にお水送りの神事が執り行われる。

お水送り神事、鵜瀬資料館の資料より。

3月2日、奈良東大寺二月堂へ水を送る神事「お水送り」が行われる。
神宮寺境内の大護摩から松明にもらい受けた火を手に鵜の瀬まで約2キロ、三千人を超える松明行列が続く。

過去の取材記録、「お水送り神事」
春先取り 火と水が織りなす荘厳の世界 お水送り
天平勝宝 4年(752)インドの渡来僧・実忠が二月堂の建立の時、修二会を催して全 … 続きを読む →


遠敷川(おにゅうがわ)は福井県の小浜市を流れ北川に注ぐ一級河川。
和銅5年712年までは「小丹生」と書かれていたという遠敷を流れる。

ここも京へ鯖を運ぶ道のひとつであった。

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若狭の古刹・名刹 神宮寺

毎年3月2日、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事を行っています。
若狭では、お水送りが終わると春が訪れるといわれています。

山門からは長い参道が続きます。

山号霊応山。天台宗。
 
若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建したといわれています。

鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、七堂伽藍二十五坊を誇りましたが、豊臣時代に寺領を没収され、さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微しました

本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建。

大きさは間口14.34m、奥行き16.60m。

建築様式は、和様を主体にしたなかに、木鼻に天竺様繰形、唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表しています。

日本に仏教が伝来した飛鳥時代には、神道と仏教は未統合であったが、平安時代になり、仏教が一般にも浸透し始めると、日本古来の宗教である神道との軋轢が生じ、そこから日本の神々を護法善神とする神仏習合思想が生まれ、寺院の中で仏(本地)の仮の姿である神(権現あるいは垂迹)を祀る神社が営まれるようになった。

鎌倉時代、室町時代、江戸時代では、武家の守護神である八幡神自体が「八幡大菩薩」と称されるように神仏習合によるものであったため、幕府や地方領主に保護され、祈祷寺として栄えた。

しかし、そのために檀家を持たなかったため、明治時代の廃仏毀釈でほとんどの寺院が神社に転向、あるいは消滅するなどし、急速に数を減らした。

また、福岡県の梅岳寺のように、領主によって明治以前に改名された寺院もある。

現在は、残存した寺院の住職の努力で再興されている。

神宮寺(じんぐうじ)とは、日本で神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。

別当寺、神護寺、神願寺、神供寺、神宮院、宮寺ともいう。

別当寺は、神社の管理権を掌握する場合の呼称と考えられる。
宮寺は、神宮寺を意味するほかに、石清水八幡宮寺や鶴岡八幡宮寺のように、神祇の祭祀を目的とし、境内には神社のほか仏教施設や山内寺院が立ち並び、運営は仏教僧・寺院主体が行った、神仏習合の社寺複合施設または組織をいうこともある

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若狭の古刹・名刹 萬徳寺

萬徳寺は福井県小浜市にある高野山真言宗の寺院。
山号は延宝山、本尊は阿弥陀如来。天然記念物の大山モミジを借景とする名勝枯山水庭園で知られる。

名勝(国指定) 庭園(1952年3月25日指定)

延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により築造された面積約1500平方メートルの蓬莱式枯山水庭園。

山麓の斜面地を利用して斜面中段中央に高さ3mの真言密教における本尊石を配し、天然記念物である大山モミジを借景としている。

書院と庭園の間は白砂の広場で仕切られている。

中央は3mの本尊石

当山の前身は極楽寺といい、文永2年(1265年)の若狭惣田数帳に存在が記されている古刹。

室町時代は応安年間(1368年-1374年)に、安芸国円明寺の覚応法印が、極楽寺を天台宗から真言宗に改宗し、寺号も正照院と改めた。

戦国時代には若狭国を領した武田氏が当山を祈願所と定め、さらに天文13年(1544年)に領主武田信豊により若狭国唯一の駆込寺として公許されるなど隆盛したが、元亀年間に兵火を受けて衰退した。

その後、安土桃山時代は慶長7年(1602年)に寺号は萬徳寺と改められ、江戸時代は延宝5年(1677年)に小浜藩主酒井氏の命により音無川の岸から現在の山麓に寺地を移された。

門前にノーゼンカズラがあでやかに咲きほこていた。
少し赤みのかかった花。

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若狭の古刹・名刹 多田寺

多田寺(ただじ)は、福井県小浜市多田にある高野山真言宗の寺院。山号は石照山。本尊は薬師如来。

山門。

山門には古色を帯びた二体の彩色金剛力士像がある。

天平勝宝元年(749年)に孝謙天皇の勅願によって勝行上人が創建したと伝えられ、最盛期には子院12を数えた。

本尊を納める厨子は寛永11年(1634年)に小浜藩主となった酒井忠勝により寄進されたものである。

現在は文化4年(1807年)に再建された本堂が残る。

木造薬師如来立像

多田寺の本尊で、平安時代初期の作。
像高192.5cm。本体から台座蓮肉まで通してカヤの一木造、薬壺を持たない薬師如来。

下半身部分のY字状の衣文の処理は唐招提寺旧講堂薬師如来像、神護寺薬師如来像などの平安初期彫像に共通する様式である。
旧日本三大薬師の一つとして主に眼病祈願の参拝客が多い

この像の特色は、童顔というに近い相好と、衣文の神護寺薬師如来立像(国宝 平安初頭の代表作の一つ)に似た意匠で、面相を拝するとややさがり目の素朴な両眼の表情と、微笑みをうかべるようにみえる小さめの唇に特異の表情がある。

鐘楼は歴史を感じるすばらしいものであるが、細かな注意書きが2枚の立て札に書かれている。

鐘を撞く綱の周囲にもさらにひもが付いていて保護されている。

霊場札所、百寿観音。

多田密寺のもじがみえる、御詠歌が刻まれている。

あたりにはかわいらしいお地蔵さんがたくさん祭ってある。

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若狭の古刹・名刹 明通寺

明通寺は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。
山号は棡山(ゆずりさん)。

本尊は薬師如来。大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。本堂と三重塔は国宝に指定されている。

まずこの朱色の橋を渡ります。

橋の下を流れる川は澄んでいて、木漏れ日がさしていい感じ。

急な階段の上は山門(市指定文化財) – 江戸時代の明和9年(1772年)再建、瓦葺、三間、二重門。

三重塔(国宝)

文永7(1270)年上棟。総高22.12m。

和様を基調としているが、初層に拳鼻(こぶしばな、部材の末端部に拳状の装飾彫刻を施したもの)を用いる点に大仏様(だいぶつよう)の要素が現れており、塔に拳鼻を用いた最古例とされている。

明通寺創建当時、棡木(ゆずりぎ)の大木によって、本尊薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置した。

明通寺の山号、棡山(ゆずりざん)のいわれでもあります。

その三体の仏像は、その後火災などによって焼失し、現在の三体の仏像(いずれも国指定重要文化財)は檜材によつて九〇〇年前に彫られたものです

若葉が出てくると古い葉が落ち、次々と代謝していく。

ゆずり葉、譲り葉とも言われる。
含蓄のある名前だ。

お帰り道 勝手門へ。

門の横には樹齢500年のカヤの大木。

そばの畑には半夏生が涼し気に咲いていました。

かくかくに 人は言ふとも 若狭道の
        後瀬の山の 後も逢はむ君

大伴家持の妻・恋人
 
かつて若狭の国府が置かれた小浜は、まるでこの町を優しくつつむような後瀬山に護られている。
 
後瀬とは,「後に逢瀬」を連想させ、国府小浜が比較的都に近いこともあって、その名は通っていたようだ。

表題歌は,恋愛関係にありながら,別れたものの10年ほどの後に夫婦になったと言われる家持の妻の歌。

これには,家持の返歌(万葉集巻4-739)がある。       
  
後瀬山 後も逢はむと 思へこそ 死ぬべきものを 今日まで生けれ

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若狭の古刹・名刹 圓照寺


圓照寺(えんしょうじ、円照寺)は、福井県小浜市尾崎にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は地久山。本尊は大日如来。

大和国春日大社の神託で彫られた大日如来像を三笠山にて祀ったのち、南川対岸の谷田部地区の若狭堂谷に真言宗遠松寺を建立し祀ったという。

南川の洪水により、文安元年(1444年)に現在地に移して圓照寺と名を改め、より臨済宗南禅寺派に改宗。

若狭観音霊場第20番礼所。

庭園は、自然地形を利用した回遊式庭園。

モリアオガエルの生息地としても知られる。

池の畔にはホタルブクロも咲いていた。

石を配した参道の周りには銀杯草が植えられている。

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若狭の古刹・名刹 妙楽寺


妙楽寺(みようらくじ)は、福井県小浜市野代にある高野山真言宗の寺院。
山号は岩屋山。本尊は千手観音菩薩。

本堂

鎌倉時代初期の建立、厨子には永仁4年(1296年)と銘があり、若狭における最古の建造物。

桁行5間・梁行5間のほぼ正方形の寄棟造檜皮葺。

養老3年(719年)行基が本尊を彫り、延暦16年797年空海が再興したと伝えられているが、羽賀寺の縁起により名田を寄進されてもいるので、建立の起源は定かでない。

木造千手観音立像

平安時代中期の作、檜の一木造。長く秘仏であったため、現在も金箔に覆われている。

本面(正面の顔)の左右に両脇面を表し、頭上の21の小面と合わせて計24面を有する。

千手観音像は42本の手で「千手」を代表させるのが一般的だが、本像は42本の大手の間に多数の小手を表した「真数千手」像の一例。

地蔵堂

地蔵堂には金色に輝く、木造地蔵菩薩半跏像(県文化財)がある。

平安時代・恵心僧正の作とされ、桧寄木造、漆箔彩色、135.8cmのつくりとなる。

地蔵像としては大きく、法衣の線はなだらかで流れるようである。

安産祈願に特にご利益があるとされ、子供の無事成長の願いともに広く信仰されている。

鐘楼

池の畔にはカラーが咲いていた。

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若狭の古刹・名刹 高成寺


高成寺(こうじょうじ)は、福井県小浜市青井にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は青井山。

本尊は千手観音菩薩。 小浜公園の敷地に隣接する。

山門をくぐれば二層の見事な楼門がある。

荘厳な禅寺の伽藍の様相を呈している。

元は暦応2年(1339年)に足利尊氏の命を受け諸国に建立した若狭国安国寺。

康永3年(1344年)に炎上したため、若狭守護であった大高重成が高成寺として再興した。

寺号は大高重成の名に由来する。
若狭観音霊場第21番礼所でもある。

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