上野城


藤堂高虎が大規模に改修した時は、大坂城の備えとして西側の防備を固めた。
これは、徳川家康が不利となった場合、この城で籠城する時に備えて、相当数の兵員を収容できるよう、細部の完備や美観を整えるより実戦本意に配慮した。

藤堂高虎は伊賀忍者に命じ、58カ国、148城を密かに忍ばせ要害図を盗写させ、伊賀上野城を改修の参考にしたという伝承が残っている。

慶長16年(1611年)に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張したが、大坂の陣によって、当時高虎が従属する家康に対立していた豊臣氏が滅んだため築城が中止され、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて未完成のまま江戸時代を過ごした。

大坂城の高石垣とともに日本で一、二を競う石垣は1611年(慶長16年)に「打込はぎ」の技法で築かれ、根石より天端まで29.7mの高さを誇り、三方に折廻して、延長368mに及ぶ。

加藤清正公の熊本城の石垣と比べ、石垣が直線的に積み上げられているのが藤堂高虎流。

天正13年(1585)に筒井定次が平楽寺・薬師寺のあった台地に近世城郭としての伊賀上野城を築きました。

菊岡如幻の『伊水温故(いすいうんご)』によれば、城は高丘の頂上を本丸とし、東寄りに三層の天守閣を建て、城下町は古くから開けた北側(現在の小田町)を中心としました。

慶長13年(1608)6月、筒井定次は改易となりましたが天守閣は、寛永10年(1633)頃に倒壊したと推定されます。

石垣の上に登ると、柴小屋や米蔵などの跡地を指す看板が建っていた。

本丸東側に一段高く石垣が組まれた曲輪がある。 
これが筒井時代の本丸で、藤堂時代には城代屋敷があった所だ。  

実際この曲輪に立つと、この城の一番高所で「ここが本当の本丸」といった思いがする。 
筒井時代にはここに三層の天守があり、現在天守台上に石碑が建てられている。

筒井定次の伊賀での石高は5万石とも10万石ともされ、それが事実だとすると事実上の左遷となっています。

筒井順慶の死後、筒井家の力が弱まっていたのと、筒井定次の失政もあったようで、重臣だった島清興(島左近)も1588年2月に、筒井家を離れています。

松倉重政、森好高、布施慶春といった家臣も筒井定次の元を去っています。

しかし、筒井定次は伊賀12万石、伊勢の内で5万石、山城の内に3万石の合計20万石だったとする江戸時代の史料もあり、伊賀での石高に関しては議論が分かれるところです。

昭和34年(1959)神部滿之助氏の篤志寄付により俳聖芭蕉翁を顕彰する事業のひとつとして建てられた。

館内の芭蕉文庫には翁の真蹟をはじめ近世から現代に至る連歌俳諧に関する資料等が数多く保存されています。

芭蕉記念館入り口に立つ杖を持った松尾芭蕉の旅姿。

天井に届くほどの巨大さです。

竹の茂みの中にひっそりと立つ灯篭。

立て札には、「この灯篭は松尾芭蕉の旧主藤堂新七郎家の築山にあったのが当館落成のさい同家十一代の当主藤堂志津氏より寄贈されたものである」とあります。

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伊賀流忍者博物館


1964年 – 上野市(現伊賀市)高山にあった民家を移築し、忍術研究家である奥瀬平七郎が忍者屋敷として開設。

領主に仕えずに戦毎に雇われる傭兵のような存在。伊賀衆・甲賀衆のような土豪集団もあれば、乱波・透破のようなただのごろつき集団もある。

戦には足軽として参加し、夜討ち朝駆けといった奇襲撹乱を得意とした。

伊賀・甲賀においては荘園時代から悪党がはびこり、それが後世に忍者と呼ばれる伊賀衆甲賀衆になる。

戦前は「忍術使い」といった呼称が一般的だったが、戦後は村山知義、白土三平、司馬遼太郎らの作品を通して、「忍者」「忍びの者」「忍び」という呼称が一般化した。

江戸時代までは統一名称は無く地方により呼び方が異なり、「乱破(らっぱ)」「素破(すっぱ、“スッパ抜き”という報道における俗語の語源)」「水破(すっぱ)」「出抜(すっぱ)」)「透破(すっぱ、とっぱ)」「突破(とっぱ)」「伺見(うかがみ)」「奪口(だっこう)」「竊盗(しのび)」「草(くさ)」「軒猿」「郷導(きょうどう)」「郷談(きょうだん)」「物見」「間士(かんし)」「聞者役(ききものやく)」「歩き巫女」「屈(かまり)」「早道の者」「細作(さいさく)」などがある。

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やきもの散歩道の素敵なオブジェたち


常滑を知るためのコースは、2通り設定されています。

Aコースは、やきもの散歩道の名所をぐるっとまわる1.6キロメートルの道のり。
Bコースは4キロメートルで、車やバスを使って常滑市全体の観光スポットをまわるのにおすすめ。

そして散歩道には素敵なオブジェたちが沢山。

立ち寄りグルメもハズせない、ギャラリーカフェでゆったり過ごしたい・・・



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やきもの散歩道で出会える猫たち

やきもの散歩道には、猫をモチーフにしたオブジェや置物がたくさん。
古風でシブめな招き猫からスタイリッシュな猫まで、今回の旅で出会った猫たちをご紹介します!






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常滑 やきもの散歩道 旧窯を使用した展示


他の店でも見られる旧窯を使用した展示スペース。
入り口にはいきなり般若。

いやがおうでも目があってしまう奥の翁面から目をそらすのが大変。

中に入ってみる。手前には売り物が多く展示されているが、往々にして高価。

高温で焼かれた壁面の色、得もいえぬ風情。

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常滑 やきもの散歩道 煙突のある風景


昭和初期の常滑の町には何十本もの煙突が林立し黒い煙がもくもくと立ち上がり活気に満ちていた。

その頃の主力製品は土管で、常滑港から出荷された。
それが今では窯はガス釜となり、陶器製の土管は使われなくなり、無用の煙突の数はどんどん減り続けた。

また、市名の由来はその土壌にあると言われており、「常」は「床」、「滑」は「滑らか」という意味で、床とはつまり地盤のこと。

古くからこの地は粘土層の露出が多く、その性質が滑らかなため「とこなめ」と呼び、そうした習俗が地名として定着していったと考えられている。

市の中心部には、レンガ煙突が点在するなど、窯業で栄えた古くからの町並みがそのまま残っている。

この地域はやきもの散歩道として整備されており、登り窯や黒板塀、「土管坂」などの情緒ある風景が見られ、前衛作家などのギャラリーも多く存在する。

常滑 やきもの散歩道 登り窯


散策コースの折り返し点にある「登窯」は長さ22m、最大幅9.6m、高さ3.1m。一周しましょう。

裏側に10本煙突があり中央部が低く外側が高い構造です。
裏の雑木林には風が吹き抜け、歩いてきて汗ばんだところに涼風が気持ちよい場所です。

「登窯」は8つの部屋があり、20度の傾斜で登ります。

窯は覗けるのでその奥行を実感できます。「登窯(陶栄窯)」は1887年に30人の窯仲間により作られたもの。

明治末期に60基も常滑にあった「登窯」、昭和49年に最後に残ったこの「陶栄窯」が操業を停止し、その使命を終えました。

「登窯(陶栄窯)」のスケールを実感!

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常滑 やきもの散歩道 土管坂


有名な「土管坂」。
右側が「焼酎瓶」、左側が「土管」、道にも土管が埋められて、空以外、常滑焼に囲まれた空間です。

地面には、「ケサワ」という土管の焼成時に使用した廃材が敷き詰められ再利用されており、滑らず歩きやすいように工夫されています。

ランダムに敷き詰められたケサワが個性的な模様になっていてとてもオシャレ!

土管坂は土管と焼酎瓶で埋め尽くされた坂道で、坂が崩れるのを防いでいる。
常滑の「やきもの散歩道」は土管坂の連続である。

江戸時代後期に復興した常滑焼は、幕末に中国から導入された技術で連房式登り窯が作られ、大量生産が開始された。

明治時代以降、陶管(陶製土管)やタイルの生産が開始され、陶管は全国の上下水道管のシェアの大部分を占め、産業資材や衛生陶器の分野において全国屈指の生産地に成長する。

また、茶器、花器、鉢、干支の置物や招き猫などの民具、江戸時代に生産が開始された朱泥の日本茶用の道具(急須、湯飲みなど)は常滑焼を代表するものである。

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アートな空間 ルーセントアベニュー


名古屋駅の地下街からルーセントタワーに向かって北に延びる290mの地下道、幻想的な光の演出がされています。

これは「海」かな。真っ青です。

地下通路ではよく見かける風景でがアイデアが奇抜。

まるで海の中を歩くみたい。

こちらは空のイメージ。


森のような暗い緑色の空間に草原の木々や動物が描かれています。
床には木漏れ日のような照明もありますね。

このようにルーセントアベニューは森や草原、海や都市などのいくつかのテーマごとに照明や壁画が変わり、無機質になりがちな地下道を彩っています。

ここは大きな靴。

モチーフとなっている猫が旅をするというストーリーで演出された空間にはさまざまな動物とともに・・・・たくさんの猫が描かれています。

床のタイルにはカエルが!取れないのは凄い!

歩道全体に「都市・草原・森・空・海」など、9つのゾーンが設定され、いままでの地下歩道にない空間を実現、無機質になりがちな地下道が楽しい地下道に。

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日本一破天荒な公園 養老天命反転地

1995年開園。荒川修作とマドリン・ギンズ (en) のプロジェクトを実現させたもので、作品は『極限で似るものの家』と『楕円形のフィールド』から成る。

『極限で似るものの家』と『楕円形のフィールド』を結ぶ溝状の道には、彼らのメインテーマであった〈死なないため〉と言う言葉を取り、『死なないための道』と名付けられている。

時折小雨のぱらつく天候、養老天命反転地にとっては最悪のコンディションだ。

青空と極彩色の建物との対比を期待していたのだ。

養老天命反転地記念館、養老天命反転地オフィスの建物、十二単の羽衣を着た天女が空から舞い降りたかのような色鮮やかな建物。

外壁の24色はすべて内部にも反映され、不規則に注ぐ自然光の効果とあいまって、不思議な空間を作り出している。

カラフルな内装で、高さのバラバラないくつもの塀が配されています。ポイントは床と天井が鏡写しのようになっていて、上下がひっくり返ったような写真が撮れること!

男性用トイレ、ここにも不思議な仕掛けがあった。

天国への井戸、「昆虫山脈」。

なぜか頂上に水引きと釜がある。

ただし実際に水を引く事は出来ない。
「昆虫山脈」は登る場所によって傾斜が急な所もある。

極限で似るものの家、岐阜県の形をした屋根が特徴の建物。

なかは迷路のようになっていて、どこからでも出入りができます。

建物のなかを巡るだけでなく、茶色に塗られた天井部分にも目を向けてみましょう。

そこには1階部分をそのまま反転した世界が広がっています。

「極限で似るものの家」は、建物内の机や壁・天井が上下左右を全く無視した場所に配置されており、一歩中に足を踏み入れた瞬間から、人間の感覚の不安定さ、不確実さを体感することができます。

しかも以下のように「使用法」なるものが提案されています。

極限で似るものの家
・何度か家を出たり入ったりし、その都度違った入り口を通ること。
・中に入ってバランスを失うような気がしたら、自分の名前を叫んでみること。他の人の名前でもよい。
(一部抜粋)

前方の建物は精緻の棟。

宿命の家
小さな子どもでも越えられるほど低い壁が巡らされています。廃墟のようなところです。

足もとを見るとキッチンなどの「生活の場」が閉じ込められています。
ここは日常と非日常が混じり合った、不思議な「家」なのです。

楕円形のフィールド」には、「極限で似るものの家」を分割した9つのパビリオンが点在し、さらに、対をなす丘とくぼみ、148もの曲がりくねった回遊路、大小さまざまな日本列島などがつくられています。

オープンした当日からすでにけが人がでていたそうで、ミュージアムショップに救急箱が準備してあるそうです。

「運動路」と模様のある外壁。

外壁の模様が何を意味するのか。
そもそも意味があるのかも判らない。

茶色い建物はおそらく「想像のへそ」。

楕円状に広がるところには「死なないための道」を通っていきましょう。

とっても細い道となっていて、前から人が来たらすれ違えるか不安になってしまいます。

「昆虫山脈」の横には「不死門」がある。養老天命反転地のゲートを意味するらしい。

「楕円形のフィールド」の尾根状の部分を歩いてみる。

ここは世界的に有名なアーティスト、荒川修作氏とそのパートナーで詩人のマドリン・ギンズ氏の30数年に及ぶ構想を実現した、身体で直接体験できるアート作品です。

隣接地にはパターゴルフ場などの施設がある。

荒川修作氏のもう一つの作品、奈義町現代美術館の訪問記。

青春18切符旅行記 奈義町現代美術館
今回の青春18切符旅行記は岡山県の奈義町にある奈義町現代美術館。 美術館という枠 … 続きを読む →

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