やきもの散歩道の素敵なオブジェたち


常滑を知るためのコースは、2通り設定されています。

Aコースは、やきもの散歩道の名所をぐるっとまわる1.6キロメートルの道のり。
Bコースは4キロメートルで、車やバスを使って常滑市全体の観光スポットをまわるのにおすすめ。

そして散歩道には素敵なオブジェたちが沢山。

立ち寄りグルメもハズせない、ギャラリーカフェでゆったり過ごしたい・・・



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やきもの散歩道で出会える猫たち

やきもの散歩道には、猫をモチーフにしたオブジェや置物がたくさん。
古風でシブめな招き猫からスタイリッシュな猫まで、今回の旅で出会った猫たちをご紹介します!






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常滑 やきもの散歩道 旧窯を使用した展示


他の店でも見られる旧窯を使用した展示スペース。
入り口にはいきなり般若。

いやがおうでも目があってしまう奥の翁面から目をそらすのが大変。

中に入ってみる。手前には売り物が多く展示されているが、往々にして高価。

高温で焼かれた壁面の色、得もいえぬ風情。

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常滑 やきもの散歩道 煙突のある風景


昭和初期の常滑の町には何十本もの煙突が林立し黒い煙がもくもくと立ち上がり活気に満ちていた。

その頃の主力製品は土管で、常滑港から出荷された。
それが今では窯はガス釜となり、陶器製の土管は使われなくなり、無用の煙突の数はどんどん減り続けた。

また、市名の由来はその土壌にあると言われており、「常」は「床」、「滑」は「滑らか」という意味で、床とはつまり地盤のこと。

古くからこの地は粘土層の露出が多く、その性質が滑らかなため「とこなめ」と呼び、そうした習俗が地名として定着していったと考えられている。

市の中心部には、レンガ煙突が点在するなど、窯業で栄えた古くからの町並みがそのまま残っている。

この地域はやきもの散歩道として整備されており、登り窯や黒板塀、「土管坂」などの情緒ある風景が見られ、前衛作家などのギャラリーも多く存在する。

常滑 やきもの散歩道 登り窯


散策コースの折り返し点にある「登窯」は長さ22m、最大幅9.6m、高さ3.1m。一周しましょう。

裏側に10本煙突があり中央部が低く外側が高い構造です。
裏の雑木林には風が吹き抜け、歩いてきて汗ばんだところに涼風が気持ちよい場所です。

「登窯」は8つの部屋があり、20度の傾斜で登ります。

窯は覗けるのでその奥行を実感できます。「登窯(陶栄窯)」は1887年に30人の窯仲間により作られたもの。

明治末期に60基も常滑にあった「登窯」、昭和49年に最後に残ったこの「陶栄窯」が操業を停止し、その使命を終えました。

「登窯(陶栄窯)」のスケールを実感!

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常滑 やきもの散歩道 土管坂


有名な「土管坂」。
右側が「焼酎瓶」、左側が「土管」、道にも土管が埋められて、空以外、常滑焼に囲まれた空間です。

地面には、「ケサワ」という土管の焼成時に使用した廃材が敷き詰められ再利用されており、滑らず歩きやすいように工夫されています。

ランダムに敷き詰められたケサワが個性的な模様になっていてとてもオシャレ!

土管坂は土管と焼酎瓶で埋め尽くされた坂道で、坂が崩れるのを防いでいる。
常滑の「やきもの散歩道」は土管坂の連続である。

江戸時代後期に復興した常滑焼は、幕末に中国から導入された技術で連房式登り窯が作られ、大量生産が開始された。

明治時代以降、陶管(陶製土管)やタイルの生産が開始され、陶管は全国の上下水道管のシェアの大部分を占め、産業資材や衛生陶器の分野において全国屈指の生産地に成長する。

また、茶器、花器、鉢、干支の置物や招き猫などの民具、江戸時代に生産が開始された朱泥の日本茶用の道具(急須、湯飲みなど)は常滑焼を代表するものである。

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アートな空間 ルーセントアベニュー


名古屋駅の地下街からルーセントタワーに向かって北に延びる290mの地下道、幻想的な光の演出がされています。

これは「海」かな。真っ青です。

地下通路ではよく見かける風景でがアイデアが奇抜。

まるで海の中を歩くみたい。

こちらは空のイメージ。


森のような暗い緑色の空間に草原の木々や動物が描かれています。
床には木漏れ日のような照明もありますね。

このようにルーセントアベニューは森や草原、海や都市などのいくつかのテーマごとに照明や壁画が変わり、無機質になりがちな地下道を彩っています。

ここは大きな靴。

モチーフとなっている猫が旅をするというストーリーで演出された空間にはさまざまな動物とともに・・・・たくさんの猫が描かれています。

床のタイルにはカエルが!取れないのは凄い!

歩道全体に「都市・草原・森・空・海」など、9つのゾーンが設定され、いままでの地下歩道にない空間を実現、無機質になりがちな地下道が楽しい地下道に。

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日本一破天荒な公園 養老天命反転地

1995年開園。荒川修作とマドリン・ギンズ (en) のプロジェクトを実現させたもので、作品は『極限で似るものの家』と『楕円形のフィールド』から成る。

『極限で似るものの家』と『楕円形のフィールド』を結ぶ溝状の道には、彼らのメインテーマであった〈死なないため〉と言う言葉を取り、『死なないための道』と名付けられている。

時折小雨のぱらつく天候、養老天命反転地にとっては最悪のコンディションだ。

青空と極彩色の建物との対比を期待していたのだ。

養老天命反転地記念館、養老天命反転地オフィスの建物、十二単の羽衣を着た天女が空から舞い降りたかのような色鮮やかな建物。

外壁の24色はすべて内部にも反映され、不規則に注ぐ自然光の効果とあいまって、不思議な空間を作り出している。

カラフルな内装で、高さのバラバラないくつもの塀が配されています。ポイントは床と天井が鏡写しのようになっていて、上下がひっくり返ったような写真が撮れること!

男性用トイレ、ここにも不思議な仕掛けがあった。

天国への井戸、「昆虫山脈」。

なぜか頂上に水引きと釜がある。

ただし実際に水を引く事は出来ない。
「昆虫山脈」は登る場所によって傾斜が急な所もある。

極限で似るものの家、岐阜県の形をした屋根が特徴の建物。

なかは迷路のようになっていて、どこからでも出入りができます。

建物のなかを巡るだけでなく、茶色に塗られた天井部分にも目を向けてみましょう。

そこには1階部分をそのまま反転した世界が広がっています。

「極限で似るものの家」は、建物内の机や壁・天井が上下左右を全く無視した場所に配置されており、一歩中に足を踏み入れた瞬間から、人間の感覚の不安定さ、不確実さを体感することができます。

しかも以下のように「使用法」なるものが提案されています。

極限で似るものの家
・何度か家を出たり入ったりし、その都度違った入り口を通ること。
・中に入ってバランスを失うような気がしたら、自分の名前を叫んでみること。他の人の名前でもよい。
(一部抜粋)

前方の建物は精緻の棟。

宿命の家
小さな子どもでも越えられるほど低い壁が巡らされています。廃墟のようなところです。

足もとを見るとキッチンなどの「生活の場」が閉じ込められています。
ここは日常と非日常が混じり合った、不思議な「家」なのです。

楕円形のフィールド」には、「極限で似るものの家」を分割した9つのパビリオンが点在し、さらに、対をなす丘とくぼみ、148もの曲がりくねった回遊路、大小さまざまな日本列島などがつくられています。

オープンした当日からすでにけが人がでていたそうで、ミュージアムショップに救急箱が準備してあるそうです。

「運動路」と模様のある外壁。

外壁の模様が何を意味するのか。
そもそも意味があるのかも判らない。

茶色い建物はおそらく「想像のへそ」。

楕円状に広がるところには「死なないための道」を通っていきましょう。

とっても細い道となっていて、前から人が来たらすれ違えるか不安になってしまいます。

「昆虫山脈」の横には「不死門」がある。養老天命反転地のゲートを意味するらしい。

「楕円形のフィールド」の尾根状の部分を歩いてみる。

ここは世界的に有名なアーティスト、荒川修作氏とそのパートナーで詩人のマドリン・ギンズ氏の30数年に及ぶ構想を実現した、身体で直接体験できるアート作品です。

隣接地にはパターゴルフ場などの施設がある。

荒川修作氏のもう一つの作品、奈義町現代美術館の訪問記。

青春18切符旅行記 奈義町現代美術館
今回の青春18切符旅行記は岡山県の奈義町にある奈義町現代美術館。 美術館という枠 … 続きを読む →

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春驟雨の中の散策 明治村

明治村は非常に大規模であり、その敷地面積は日本のテーマパークでは、同じ名鉄インプレスが経営するリトルワールドに継ぐ、第3位を誇る。

前回の訪問時に半分回ったので今回は残りの半分を・・・しかし、あいにくの殴りつけるような驟雨の中の散策になってしまった。

前回の訪問記
レトロ感がとてもいい 博物館明治村
1965年(昭和40年)3月18日、名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助 … 続きを読む →


三重県庁舎
1879年(明治12年)の建築。設計は清水義八。
「旧三重県庁舎」として、1968年(昭和43年)4月25日に重要文化財指定。

ご覧の通り桜は散ってしまっている、みどりの中にミツバツツジが存在感を示す。

聖ヨハネ教会堂
宣教師でもあるアメリカ人建築家ガーディナーの建築。

日本聖公会京都五条教会として1907年(明治40年)に建てられた。
木造煉瓦造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に移築。細部はゴシック風。

「旧日本聖公会京都聖約翰教会堂」として、1965年(昭和40年)5月29日に重要文化財指定。

学習院長官舎

この学習院長官舎は、学習院が四谷から現在の目白に移された際、他の校舎とともにその構内に建設されたものであるが、当時の学習院長は陸軍大将乃木希典で、第十代目にあたる。

フランス人建築家レスカスによるものとされる、西郷従道の邸宅の接客用の洋館。

明治10年代に建設。 木造二階建て銅板葺。1964年(昭和39年)に西郷山から移築。
内部で展示されている調度品の多くは鹿鳴館や赤坂離宮で使用されたもの。

二階のベランダは雨水を流すため若干の傾斜をつけるなどの細やかな工夫が随所に見られる。

明治村移築前は国鉄スワローズの選手宿舎として使われ畳を敷いていたとされ、移築にあたっては名鉄が保存していた国鉄キハ6400形蒸気動車の所有権を国鉄に返却し等価交換してもらう形をとった。

「旧西郷従道住宅」として、1965年(昭和40年)5月29日に重要文化財指定。

森鴎外・夏目漱石住宅

明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものであるが、空家のままであったのを、明治23年森鴎外が借家、一年余りを過ごした。

又、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいた。

札幌電話交換局

防火の観点から札幌軟石を用いた石造で建てられた。
一階はアーチ窓、二階は楣窓を採用している。

二階窓下には花紋が連続している。1898年(明治31年)建設。1965年(昭和40年)移築。

「旧札幌電話交換局舎」として、1968年(昭和43年)4月25日に重要文化財指定。

宗教大学車寄

この建物は、現在明治村3丁目の岬の広場に「あずまや」の如く建てられているが、本来は明治41年(1908)東京郊外の巣鴨に新築された私立宗教大学本館の車寄であったもの。

台場鼻潮流信号機

関門海峡は、潮流が急で海峡幅が狭く、特に明治後半には交通量も増加し、衝突座礁する船舶が少なくなかった。
 
この潮流信号機は、明治42年(1909)8月、竹ノ子島の台場鼻通行潮流信号所の設置され、航行する船舶の安全を図るため潮流の方向、緩急を70年間も知らせ続けその役割を果たしてきた。

村内風景

左が宗教大学車寄、右が神戸山手西洋人住居、旧所在地 神戸市生田区山本通
建設年代 明治20年(1887)代

それぞれ木造総二階建の主屋と付属屋からなる住宅であるが、建物の沿革は余り明確にはなっていない。
明治20年代(1887~1896)に建てられたものと推定され、当初は外国人のものであったと思われるが、同29年(1896)には日本人増田周助の所有であったとの記録がある。

六郷川鉄橋

旧所在地 東京都蒲田・神奈川県川崎間の六郷川(多摩川下流)
建設年代 明治10年(1877)

明治5年、日本に初めて鉄道が開業された時、新橋横浜間に造られた大小22の橋は全て木橋であった。

イギリスから鉄材を輸入して組み立てていたのでは、間に合わないという理由であった。
開通の後、複線化の計画と共に鉄橋への架け替えが進められ、明治10年11月、日本最初の複線用鉄橋として、この橋が完成した。

開通式は、時の工部卿伊藤博文も出席して、盛大に行われたと伝えられている。

停車している機関車は尾西鉄道蒸気機関車1号、尾西鉄道が開業するにあたり、アメリカのブルックス社から購入した機関車。

形式は2B1とよばれる前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸のタンク式。
尾西鉄道は明治29年に会社設立、明治31年には弥富―津島間が、同33年には弥富―新一宮間が開業した。

後ろの建物はハワイ移民集会所、ハワイ島の町ヒロのワイルック川のほとりに、日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会であった。

その後教会の役目を終えると、周辺の日本人の集会所となり、さらにヒロの英字新聞社の倉庫として使われるに至った。

その頃は屋根を取りはらわれ、二階が増築されて、姿がかなり変わっていた。  

移築当初、原形をとどめていた一階部分だけを復原したが、その後の調べで古写真が発見されたため、屋根を創建時の姿にもどし、建物周囲の柵や入口の橋などを補った。

京都市電「七条駅」付近。

明治時代、日本で初めての鉄道が開通しました。

明治村では、当時使われていた”本物”の蒸気機関車が運行されています。
さらに、日本で初めて開通した市内電車、「京都市電」も毎日運行。
いずれも、この時代の車両に乗車できることは国内のみならず、世界的にも極めて稀です。

この時期は何かと雨の多い季節です、図らずも今回は驟雨の中の散策となってしまった。

万葉集巻十七には、越の国に派遣されていた大伴池主が上司である越中守大伴家持とやりとりした長歌の中にこんなくだりがある。

「をとめらが春菜摘ますと くれなゐの赤裳の裾の 春雨ににほひひづちて……」。

遠く越の国にいて、遙か平城京に思いを馳せる。
春雨けぶる中を、恋しい人が摘草に出ているさまを思い遣る歌である。

「赤い裳裾が春雨に濡れて一層あでやかな色になっているではないか。ああもう、思い浮かべるだけで切なくなりますなあ」と、池主さんは完全にホームシックのようである。

このように万葉の昔から現代に到るまで、春雨には独特の情趣があるとされてきた。

驟雨は夕立のようなものであるが、春は春で夕立とはまた違ったイメージが、人々の心に映ったのではないだろうか。

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青葉の季節を迎えた犬山城

犬山城は江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつ。
また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。

黒門跡、現在礎石が一つ残る。

登城道の最後の坂を登りつめたところに岩坂門があった。

本丸門(鉄門)、桜は葉桜になり、みどりがとてもきれいです。

前身となる岩倉織田氏の砦を織田信長の叔父・織田信康が改修して築いた城であり、その後、池田恒興や織田勝長が入城、豊臣政権の時に石川貞清(光吉)が改修し現在のような形となった。

また、小牧・長久手の戦いや関ヶ原の戦いにおける西軍の重要拠点となった。

江戸時代には尾張藩の付家老の平岩親吉が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。

江戸時代には尾張藩付家老成瀬氏の城として維持され、白石城と同じく大名家の城ではなかった。

城は最近まで個人の所有であった。

現在は財団法人「犬山城白帝文庫」に譲渡されているが、成瀬家の姫(成瀬 淳子氏)が理事長に就任して管理している。

過去の犬山城訪問記

犬山城の紅葉 あいにくの雨でした
犬山城は、現在は天守のみが現存し、江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひ … 続きを読む →

桜咲く白帝城 犬山城
東海の山城、今日は二日目、まず訪問したのは山城でなく平山城の犬山城。 関連記事: … 続きを読む →

木曽川の畔にたたずむ後堅固の城 犬山城
木曽川を背に建つ、国宝犬山城は兵法に言う「後堅固(うしろけんご)の城」です。 標 … 続きを読む →

犬山早朝散策 美しい日の出を求めて・・・・
犬山での宿泊は久し振り、昨夜は雨だったが今日はどうやら晴れらしい。 今朝の目覚め … 続きを読む →

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