日本庭園 茶室「汎庵・万里庵」特別公開


万博記念公園の茶室が特別公開されているというので訪問してみる。

汎庵、万里庵は、公開はされていませんが、茶会や茶室にふさわしい集会などで貸し出しが行われています。

春と秋に特別公開されます。



人間国宝・中村外二が手がけた茶室「汎庵・万里庵」。


草庵造りの万里庵

汎庵は武家住宅様式の書院造りを、万里庵は藁ぶきの小さな建物の草庵をイメージして造られており、互いに添景となるように建てられています。






千里庵は禅院の方丈を象った枯山水をイメージしているそうです。

敷地面積は小さいですが茶室があり、枯山水を眺めながらお茶がいただけるようになっていました。

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紅葉がきれいです 万博公園 日本庭園


江戸時代初期に範を取った近世風の庭園。

お祭り広場と近接し休憩所を備えた中央門を設け、12,000m2の池(心字池)や背景に標高60mの芝山を築いた。

見上げると、この辺りは葉が落ちている。

竹林の小径、ツワブキとのコラボがきれいです。

渓流沿いのツワブキ、この時期の主役のようだ。

真っ赤に紅葉したもみじ。

差し込む光と赤と黄の紅葉のコントラスト。

木漏れ日の滝、まさに木漏れが当たっているよう。


苔の上の落ち葉。


紅葉のトンネル、きれいです。

ここでも赤と黄のコントラストが。

渓流沿いの真っ赤なモミジ。

松の州浜

鎌倉時代・室町時代期の日本庭園を再現した築山を背景とした池泉庭園。

標高50mのクロマツの疎林を主とする緩やかな山にツツジ類を密植し関西独特の景観を造成し、山の北側に渓流を設けモミジや竹を多植し滝も設け渓流と合わせて石庭を思わせる景観としている。

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遅かりし万博公園の紅葉

コロナの感染拡大を心配しながら3連休の最終日万博公園を訪問、お祭り広場ではガレージセールも行われていてここはやや密状態。

密を避けて中津道をすすむ、水車茶屋のすすきがきれいです。

ケヤキの丘、すでに紅葉は終わったかの感。

2017年11月6日訪問時の紅葉

万博公園の秋
万博公園では早くも紅葉の見ごろを迎えている。 一方、先日の台風の被害は大きく、コ … 続きを読む →

万博公園の紅葉時期の認識を改めなければならない。

紅葉渓へと歩を進める。

うっそうとした森だがところどころ空を見上げる場所がある。

ソラードも人波は絶えない。

もみじの滝のあたりはまだ紅葉が残っている。

この水は日本庭園の心字池まで流れている。

川面への映り込みもきれい。

対岸に渡り池を見る。

女性ハイカーがこわごわ飛び石を伝う。

再び中津道へ進む、落ち葉がきれいです。

もみじ川にかかかる橋、やはり紅葉は終わっている。

もみじ川を下る。

展望タワーからは若い人たちの歓声が響く。

対岸へ渡れそうだが石が濡れているので注意が必要。

紅葉渓の方を振り返る。

もみじ川芝生広場、この辺りは広く、密の状態にはない。

西大路の彷徨を見る、東西に約360m続く石畳の両側にプラタナスの並木道が続きます、望遠で圧縮されているので錯覚を起こしそう。

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秋深し 長居植物園


和名ツワブキの由来は、艶葉蕗(つやはぶき)、つまり「艶のある葉を持ったフキ」から転じたとする説のほか、厚葉蕗(あつはぶき)、つまり「厚い葉を持ったフキ」から転じたとする説もある。

スプレーマムは、菊と同じ「高潔」という花言葉を持っています。

これは、気高く気品ある花姿に由来します。
また、「清らかな愛」という純粋さを感じさせる花言葉から、ウェディングブーケによく用いられます。

ラクショウ

綺麗に紅葉している期間は短く、すぐチリチリになる。

ラクウショウの下には「気根」が見られる。

ラクウショウという名前は、秋になると羽状の葉が枝ごと落下することにちなむ。
漢字では「落羽松」だが、マツの仲間ではなくスギの仲間。

秋深し・・・・・いい感じで散策。

イロハモミジ

日本では最もよく見られるカエデ属の種で、紅葉の代表種。

花の後につく実は翼果(翼のある実)である。

子持山(こもちやま)、若(わか)かへるでの、もみつまで、寝もと我(わ)は思(も)ふ、汝(な)はあどか思ふ   巻14-3494 作者未詳

サキシマフヨウの実

和名は先島諸島に由来し、主に鹿児島県西部の島から琉球にかけて分布するとされてきた。
2014年の研究では台湾にも分布することが報告されている。

不思議な行列 ?!!

遠くからパンパスグラスの横を通り過ぎるパラソルの女性を撮った積り。

帰ってパソコンで見ると何やら不思議な人たちが映っている、これ何なの。

何か衣装を着たような一団、そして最後尾にはマスク姿の怪しい男???

クリックして拡大して見てください。

イワガラミ  アジサイ科イワガラミ属

名前のとおり、幹や枝から気根を出して高木や岩崖に付着し、絡みながら這い登り、高さ10~15mくらいになる。

ススキ

婦負(めひ)の野の すすき押しなべ 降る雪(ゆき)に 宿(やど)借る今日(けふ)し 悲しく思ほゆ  高市黒人  第17巻 4016番

ノジギク

兵庫県県花であり2006年に兵庫県で開催された国民体育大会「のじぎく兵庫国体」の名称の由来はこの花にある。

シナマンサクの紅葉

マンサクよりも綺麗に黄葉する、確かにきれいだ。

イエローガーデン

やさしい黄色で、中心部分がやや白い。

ピンク系の色しかなかった、おなじみのコスモスから初めて作られた黄花種。

コスモスフェア開催中
色とりどりの10品種約10万本のコスモスが秋風に揺れ、咲き乱れる光景は、まさに絶景!

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秋 大阪城


大阪城公園も紅葉真っ盛りだ。

森の宮から散策を始める、まず外周約1kmを誇る「イチョウ並木」。

玉造口を目指す、この辺りもイチョウの紅葉がきれいだ。

長い階段、人通りは少ない。

林に差し込む光線がきれいだ。

桜がきれいに紅葉している。

雁木坂

大阪城の本丸を取り囲む二の丸は北が低く、内堀の東にあたるこの通路は南から北にかけて急な下り坂となっている。

空堀を西日が照らす。

内堀の石垣の紅葉。

重森三玲作の秀石庭、見学には事前予約が必要だが塀が低いので撮影は可能だ。

昔、男の背中という歌が流行ったこともあったっけ。

日本庭園、大阪城が一番きれいな場所だ。

本丸 隠し曲輪 にある リュウキュウハゼ 、きれいです。

ところがこのおばさん、いろいろとポーズをとりながら中々どけない、こちらもしまいに根負け。

空堀でおじさんが呼んでいるので行ってみると、なんとヌートリア、こんなところにもいるのか。

近くにはススキが群生していてきれい。

見上げれば空には秋の雲。

こちらも見事なスジ雲。

南外堀ではカモが見事な編隊飛行。

堀の上は見事な紅葉のトンネル。

一歩林へ踏み込むと色づいた落ち葉の絨毯。

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吸湖山青岸寺


青岸寺は、滋賀県米原市の太尾山西麓にある曹洞宗の仏教寺院。

山号は吸湖山、近江湖北二十七名刹第27番札所、近江七福神(福禄寿)。

境内にある築山林泉式枯山水庭園「青岸寺庭園」で知られる。

創建は室町時代初期で、開基はバサラ大名で有名な佐々木道誉。

本尊は佐々木六角氏頼が造立した「お腹籠観音」の名で知られる聖観音立像を胎内仏とする秘仏聖観音坐像。

本堂裏の 築山林泉式枯山水庭園日本庭園は国の名勝に指定されている。

山門を入るとシダ植物の一つである“岩苔”とも呼ばれるイワヒバ(岩檜葉)が、苔状になって参道の左右に繁茂しています。

大きな枝振りの百日紅の後方にあるのが「青岸寺」の本堂です。

江戸時代前期の枯山水庭園。

三世住持の興欣により書かれた『築園記』によると、延宝6年(1678年)、興欣の依頼で、玄宮園・楽々園築造に関わった井伊家家臣の香取氏が作庭したとされる。

座視式を基本とする庭園であるが、面積2,717平方メートルと広大であるため回遊式も兼ねる。

平成30年(2018年)から庭園を眺められるカフェを住職自らが経営している。

通常、海を表現するのに白砂が使われるが、青岸寺では杉苔が用いられている。

庭園北西部には、桃山時代風の切石による反り橋が架けられている。

まるで渓谷のような景観を作り出し、杉苔と合わさって大変美しい。

画面上部には座敷がみえる。

大雨により苔庭が雨水で埋まり池泉庭園になるとのこと。
年に数回だけの奇跡の景観であるが、この目でみたいものだ。

庭園内にある織部灯篭(キリシタン灯篭)。

武将で茶人の古田織部正重然がキリシタン全盛時に信者や茶人の好みに合うように創案したと言われ、和洋折衷の寄せ灯篭です。

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近江孤篷庵


どの駅からも遠く公共交通機関では辿り着けないことが判明……

行きにくいとなると行きたい気持ちがつのり、探すうちツアーがあることを見つけた、残2席に滑り込みセーフ、ラッキーだった。

孤篷庵の参道は長い、途中の素盞烏命神社のイチョウがきれいでした。

小室(こむろ)城主で、千利休、古田織部とともに日本三大茶人としても名高い小堀遠州(こぼりえんしゅう)(1579-1647)の菩提を弔うために、2代目城主宗慶(そうけい)(正之)が、江戸時代前期、京都大徳寺(だいとくじ)から僧円恵(そうえんけい)を招いて開山した臨済宗大徳寺派の寺。。

遠州が京都大徳寺に建立した孤篷庵にちなんで、近江孤篷庵としました

小堀家の菩提寺でしたが、江戸時代後期、伏見奉行を勤めていた6代目藩主政方(まさみち)の時に、小堀家改易とともに衰え、明治維新後無住のままに荒廃していました。

やっと山門が見えてきました。

昭和40年(1965)小堀定泰(こぼりじょうたい)が再建し、「遠州好み」の庭も同時に補修整備されました。

庭園は、本堂南にある簡素な石組の枯山水と、東に面した池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)庭園があり、県の名勝に指定されています。

近江孤篷庵は1700年代に一度移転しており、現在の庭園はその際に作られたと推定されているとのこと。

一面に苔の広がる枯山水庭園と、琵琶湖をイメージしたという池を中心とした池泉鑑賞式庭園。

自然の地形を活かした趣(おもむき)のある設計で、近江八景を模したといわれます。

池の後方の築山には、自然の土手をそのまま取り込んでいて、扇を広げたような逆二等辺三角形の壁になっていて、その要にある奥まったところに井戸があり、当時は山から集まってくるおいしい水を沸かして喫茶を楽しんでいたようです。

中央の老木常緑樹「バイタラヨウジュ」は、はがきの元木で、冬には赤い実を付けて庭を彩ります。

軒先に吊るされているのは鉄製の灯篭だろうか、涼やかな意匠が風流を誘う。

孤蓬とは遠州の号であり、遠州亡き後にその子である正之が遠州の菩提供養と小堀家家臣の修繕道場として建立した。



庭園の東側は直接外科医とつながったような形になっていたそうですが、今では木が茂る。

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紅葉の小谷城址


小谷城址は6年ぶりの訪問だ、画像は『江 姫たちの戦国』の放映を記念して建てられた記念碑。

中腹(番所跡)までの約4キロをシャトルバスで送迎してくれる。

紅葉真っ盛り。

前回の訪問時は小雨の中の登城だった。
小谷山上に築かれた近江の名城 小谷城
今回は小雨をついての登頂敢行だ。 右側の尾根筋を六防迄登り、清水谷を小谷城戦国歴 … 続きを読む →


当時より足の衰えを感じる。

天正元年(1572年)再び小谷城に侵攻した信長は虎御前山に築城し、小谷城が落城するまでの間、最前線の砦として利用された。

手前の北國脇往還は信長が、秀吉が長政が義景が駆け抜け、死闘を繰り返した道だ

御馬屋跡。

戦国大名浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られたが、元亀・天正の騒乱の中で4年間織田信長に攻められ落城した。

その後、北近江の拠点は長浜城に移されたために廃城となった。

現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣なども遺構として残っている。

国の史跡に指定されている。

首据石(くびすえいし)
馬洗池から少し登ったところにある。

天文2年(1533)初代亮政は六角氏との合戦の際家臣今井左衛門尉秀信が敵方に内通していたことを知り、見せしめのため秀信の首をここにさらしたことで有名な石。

黒鉄門跡。

桜の馬場跡の紅葉もきれいです。

桜の馬場跡。

大広間址

この城跡で最も大きい平地、家臣達を集めての会議などを行ったところ。

このすぐ後ろの一段高くなったところに城主がいた本丸址がある。

本丸跡、兵どもの戦いはどこへやら、美しい紅葉が・・・・・

織田、浅井の死闘

天下取りへの転換点 金ヶ崎城
南北朝、戦国期を通じ常に天下取りへの転換点となった金ヶ崎城址への訪問記。 金ヶ崎 … 続きを読む →

朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとした時、近江浅井氏裏切りの報が…。

朽木に信長遁走の跡を訪ねる
興聖寺はもともと現在の位置とは安曇川を挟んで反対側の上柏村指月谷にあったが、江戸 … 続きを読む →

興聖寺脇の渓流沿いの小径、朽木氏の闘争のための経路という。
信長もこの経路で脱出したようだ。

姉川の戦い
「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅 … 続きを読む →

午前6時頃に戦闘が始まる。
浅井方も姉川に向かってきて「火花を散らし戦ひければ、敵味方の分野は、伊勢をの海士の潜きして息つぎあへぬ風情なり(信長公記)」という激戦になったが、織田・徳川側が1,100余りを討ち取って勝利した。

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丹波の国 国分寺跡


国分寺の付近は古代丹波国の中心地と云われ、丹波国府が置かれていました。

まだ、京の都が形成される前のはなし。

今は訪れる人も少なく、鄙びた風景の中に佇んでいます。

丹波国分寺跡 遠景手前に回廊跡、奥の樹叢に主要伽藍跡と現境内。

現在の本堂・鐘楼・山門は、安永3年(1774年)の建立。
いずれも亀岡市指定文化財に指定されている。

創建は不詳。出土瓦から実際の創建は奈良時代末期と見られている。
国分寺の付近は古代丹波国の中心地で、現在も丹波国一宮の出雲大神宮や千歳車塚古墳などが残る。

『延喜式』主税上では、丹波国の国分寺料として稲4万束があてられた旨が記載されている。

発掘調査からは平安時代末期頃の再建が認められるほか、平安時代後期の薬師如来坐像が本尊として伝わっているが、文献上ではその後の経緯は明らかでない。

寺伝では、戦国時代に明智光秀の兵火により焼失したため、安永3年(1774年)に護勇比丘によって現本堂が再建されたという。

ただし、国分寺には元禄14年(1701年)銘の鰐口が伝わることから、それ以前には復興されていたと考えられている。

「本堂」前には立派な「香炉」があります。

いつごろのものかは分かりませんが、この場に鎮座して、変わらぬ風景を見ながら、毎日時間の流れを感じているんでしょうね。

周囲は深い草に埋もれています。

暮れていく山肌を照らす光が幾重にも重なる山襞を映し出しきれいです。

国分寺跡遠景、深い森に静かに眠る。

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布袋さんのお寺 養仙寺


丹波七福神の第2番札所。

内外・大小・新旧さまざまな布袋さんが約600体ほどあり、「布袋寺」といわれ親しまれています。

清水焼布袋尊

和顔

家内隆昌
福寿円満
子孫長久
家内安全
学業成就

養仙寺の創建は天平13年(741)とも寛正年間(1460~1466年)とも云われる古寺です。

往時は寺運も隆盛したとされますが度重なる兵火により衰微し、戦国時代には明智光秀の侵攻により衰退しました。

境内に残された石仏、石碑、石塔等は光秀が築城した亀山城の石垣や石造物として利用され寺観も荒廃しました。

すすぎ揺れる丹波の田舎寺、のどかです。

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