十三駅 界隈


地名の由来は、摂津国西成郡の南端を一条とし、北へ順次数えると十三条の場所に当たるという条里制に基づく説[や、かつて当地に存在した中津川の渡しが淀川の上流から数えて13番目の渡しであったとする説など、諸説存在する。



阪急神戸線・京都線・宝塚線が交わる、京阪神の要である十三駅の周辺は活気が溢れた大阪の下町だ。

十三は実は商店街マニアな人達にはたまらない聖地なのかもしれません。

もとは八幡神社と称し、中津川・神崎川の氾濫で旧記録流失し創記年代は不詳。

旧地名小島から小島八幡といわれていた。昭和4年(1929年)の社殿改築時に見つかった宝永7年(1710年)銘の棟札には天正年中(1573〜1592年)勧請とある。



トミータウンは、飲食店が主であること から公衆トイレも 1 箇所設置されている が、昔は⽴⼩便が跡を絶たなかったことか らしょんべん横丁といわれていたそうだ。

そこで、⼩便⼩僧をモチーフとして、⽴ ⼩便をしようとしたところ「おいコラッ、 ⼩便をするな!」と 注 意 され振り返る様子 をモニュメント化したのが「⾒返りトミー 君」なのだそうだ。

平成26年に大きな火災が発生した「しょんべん横丁」は、このトミータウン商店街に含まれる。


風俗店が駅近傍にあり、ネオン等で目立つ存在であるため、歓楽街として位置づけられることが多い。
特に十三駅西南側の栄町エリアには飲食店、パチンコ店、キャバレー、ピンクサロン、ラブホテルなどが密集している。

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淀川河川敷


河川敷をつなぐ錆びた陸橋、川面を渡ってくる風が心地よく体をつつんでくれます。土手の下の車道は、車の通行量が多いので注意が必要です。

空が広く快適です。

ランニング、散策にと市民の憩いの場。

対岸には十三の歓楽街が広がる。

十三という地名は、旧成小路村(現在の淀川区新北野付近で)の字名の一つで、十三の名の起こりは条里制の十三条に由来するという説もあるが、淀川の渡しのうち、上から数えて13番目であったこととする説が有力で、江戸時代以前から”十三渡”があったとされる。


阪急電車の橋梁を挟んで、梅田スカイビルがそびえ立っています。

阪急の新淀川橋梁は、阪急電車の中津⇔十三間は阪急神戸本線、阪急宝塚本線、阪急京都本線の3­路線、上下線合わせると6本の線路が並走しているので、とにかくひっきりなしに電車が通ります。

新十三大橋

本橋は、在来の十三大橋の下流280mの地点にあり、4車線13.5mの車道に歩道と自転車道を加えた18.2mの有効幅員をもち、3径間連続鋼床版桁の3連編成で新淀川と中津運河を越える。
延長約792.8m、最大支間長90mで、大阪でも有数の長大橋である。

十三大橋

橋の中央部に路面電車を敷設することが可能な設計になっている。
親柱のたもとに歯車をモチーフとした欄干など時代を色濃く反映した意匠などが残っている。

現在、北行き片側1車線(新十三大橋がこれを補完している)、南行き片側3車線、および歩行者道が設定されている。

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阪急中津駅


梅田から北へ0.5Kmほどという地理条件から、梅田に連なるオフィス街となっている。

また近年では住民の都心回帰傾向がみられることに伴い、地下鉄中津駅周辺を中心に超高層マンションが増加している。

町名としては、大阪市北区中津一丁目から中津七丁目まである。
東西約1.5km、南北約1kmの地域で、淀川の南側に沿うような形で位置している。
2005年の国勢調査によると、人口は9,486人。

JR東海道線支線地下化事業は、うめきた2期区域のまちづくりの基盤となるもので、うめきた地区の西端地上を南北に走行している現在線を地区の中央部に移設・地下化することにより、踏切の除却や、現在、高さ制限のある鉄道と道路との交差部分の解消を図り、踏切事故や渋滞が解消され、道路を安全に通行できるようになるとともに、鉄道で分断されたまちが一体的に利用できるようになります。

また、西日本旅客鉄道株式会社が実施する新駅設置事業により、関西国際空港や和歌山方面からのアクセスの向上を図り、国際競争力を有する地域の形成をめざします。

平成34年度末の地下化切換・新駅開業をめざして取り組んでまいります。

淀川を挟んだ北側には十三東、新北野、木川西、木川東、東は豊崎、西は大淀北、大淀中、南は大深町、芝田に囲まれた地域である。

この地にはかつて、旧淀川の支流のひとつ、中津川が流れていた。

中津川は細い川の上に蛇行して流れていたため、しばしば洪水を起こしていた。

記録によると、平均して10年に一度の割合で洪水に見舞われていた。
正保 – 慶安年間に西成郡小島村(のちの十三東之町)で中津川改修工事が行われ、のちに中津村の一部となる小島新田・小島古堤新田が旧河道に誕生した。

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無国籍シティ・中崎町


伝統文化から韓流情報まで 料理に踊りに音楽などのカルチャースクールもあり韓国の文化にふれられる「大阪韓国文化院」。

それぞれ徒歩10分ほどで移動できるのに、「動(梅田)と静(中崎町)」 「近未来(梅田)と昭和(中崎町)」と一般的には対照的なまちだと思われているかもしれません。

こちら自転車屋さん、いつも見かける自転車屋さんとはちょっとちがう。

戦災をのがれ、長屋や迷路のような路地が残る中崎町では ベトナム料理やスリランカ料理、フランス雑貨屋、大阪韓国文化院など 文字通り「無国籍シティ」を回ります。

白龍大神もパワースポットとして人気だとか。



チェ・ゲバラ こんなのもある。
たのしくなってくるなぁ。



ちょうどお嬢さんが出店の用意をしていました。


目白の奥に素敵なお店を見つけたり。

中崎町の裏町巡は意外との遭遇の連続。

迷路のように入り組んだ路地裏の道を、行き止まりかどうか心配になりながら突き進むと意外なところに可愛らしい喫茶店や雑貨やなどがあります。

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ハロウィン


昨夜も渋谷ではひと騒動あったそうだ。

ここ茶屋町界隈でもハロウィンの飾り付けが目立つ。

日本人はよくもまあこれだけ異文化を受け入れられるものだと感心してしまう。

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天王寺7坂めぐり ⑦真言坂


生國神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。

うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼陀羅院の六坊があった。

すべて真言宗であったので、この坂は真言坂と呼ばれた。

天王寺七坂の一番北にあるのが真言坂。

真言坂はかつて真言宗の寺が六坊並んでいた為、その名が付いた。
生國魂神社の周りは、江戸時代から大阪で最も人が集まる場所の一つで、往来客を見込んだ店が次々にオープン。

更に遊女がいる泊茶屋も次々にオープン。
この近隣にラブホテルが多いのは、泊茶屋の伝統がラブホテル街に受け継がれている為。

初代 米沢 彦八(よねざわ ひこはち、生没年不詳)は、江戸時代(元禄から正徳)中期の上方の落語家。
一部書籍では1714年7月14日(正徳4年6月3日)に興行先の名古屋で死去したとされている。

本名は不明。豊笑堂と号す。

大道に床几を据えるだけの文字通りの辻咄から生玉神社(いくたまじんじゃ、現在の生國魂神社)境内の小屋に、大道芸人が技を競いあい大いに賑っていた。

そのなかで彦八は人の足を止めて注目させるため、「当世仕方物真似(しかたものまね)」の看板を出して興行している

松尾芭蕉句碑。

1694年(元禄7年)9月9日(重陽の節句の祭礼日)に奈良から難波に入り、ここ生玉で『菊に出でて奈良と難波は 宵月夜』の句を詠んだとされる。

ここの句碑は石に直接文字が刻まれておらず、タイルが組め込まれている。
2000年(平成12年)建立。

地下鉄谷町9丁目駅のすぐ南西側にある生國魂神社は幼い頃のオダサクにとって大切な遊び場だった。

この神社は『木の都』『放浪』『雨』などオダサクの作品にもしばしば登場する。
バイオリニスト辻久子をモデルにした『道なき道』や6年前に見つかった未発表の『続夫婦善哉』にも。

『木の都』には「幼時の記憶は不思議にも木と結びついている。
それは、生國魂神社の境内の、巳さんが棲んでいるといわれて怖くて近寄れなかった樟の老木であったり……」と書いた。

行き暮れてここが思案の善哉かな
大黒橋から道頓堀川を眺める。 太左衛門橋 橋の名は橋の東南角で歌舞伎の小屋を開い … 続きを読む →


生玉神社といえば井原西鶴。

浮世草紙(小説、好色一代男とか)を書く前は俳諧師(俳句読み)だったらしく、なかでも夜を徹して数多くの俳句を創作する「矢数俳諧」の先駆者として有名で、この生玉神社でも1680年に一晩で四千句を読み上げたとのこと。

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天王寺7坂めぐり ⑥源聖寺坂


天王寺七坂と呼ばれる坂の一つで、名称は坂下にある寺院名に由来する。

画像は銀山寺、銀山寺には、近松門左衛門の「心中宵庚申」にでてくるお千代、半兵衛の比翼塚が建てられている。

「齢延寺」には、幕末に泊園書院を興して活躍した藤沢東畡、藤沢南岳父子の墓がある。

これは、司馬遼太郎「世に棲む日日」の1巻で吉田松陰が大阪に行ったときに、藤沢東畡を訪ねたというあの人物です。

松屋町筋に面する坂下の源聖寺と金台寺の間から東へ石畳を登り、上町台地の急崖に差し掛かると石段となり、少し東南東に向きを変える。

再び石畳を登り、坂上の齢延寺と銀山寺の間で水平となる。

道は坂上からも東へ伸び、中寺筋を横断して谷町筋・生玉南交差点の一つ南の辻へと至る。

下寺町(25ヶ寺)・生玉寺町(14ヶ寺)を横断し、坂上から東は生玉中寺町(12ヶ寺)を横断するため、周辺には寺院が多い。

松屋町筋から東に10mほどの石畳は、昭和44年に廃止された大阪市電の敷石が転用されているということです。

上り始めは石畳の緩やかな坂道ですが、途中から急勾配で大きくカーブした石の階段になります。
「天王寺七坂」の中でも、一番複雑な構造の坂だと思います。

かつて石段を上りきった場所に昭和末期まで「源九郎稲荷」があった。

コンニャク好きの狸が祀られ、天王寺区史に「こんにやくの八兵衛」という祠があったことが記されている。

現在どこへ還座されたかは不明で、生國魂神社に還座されたと記した資料がある一方、同名の末社とは無関係との記述もある。

名前の由来となった源聖寺。

源聖寺坂の南2軒となりには新選組の大阪旅宿跡である萬福寺が。

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天王寺7坂めぐり ⑤口縄坂


天王寺区下寺町2丁目から夕陽丘町にかけて東西にのびている坂で、東側(夕陽丘町)の標高が高くなっており、途中は石畳の階段になっている。

前後の道はそのまま西側は松屋町筋、東側は谷町筋(地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘駅付近)につながっている。

「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったとされている。

南側に織田作之助の文学碑があり、彼の著書である『木の都』の一節が刻まれている。

また、織田作之助が七坂の内、一番愛した坂でもある。

口縄坂は寒々と木が枯れて白い風が走っていた 私は石段を降りて行きながらもうこの坂を登り降りすることも当分あるまいと思った 
青春の回想の甘さは終わり 新しい現実が私に向き直って来たように思われた 
風は木の梢にはげしく突っ掛ていた

織田作之助「木の都」より

行き暮れてここが思案の善哉かな
大黒橋から道頓堀川を眺める。 太左衛門橋 橋の名は橋の東南角で歌舞伎の小屋を開い … 続きを読む →

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天王寺7坂めぐり ④愛染坂


その名の通り、坂の下り口にある愛染堂勝髷院から名付けられた。

愛染さんの夏祭り(6月30日)は大阪夏祭りの先駆けとして知られ、境内の多宝塔は市内最古(文禄三年)の建造物で、重要文化財と指定されている。

寺伝によれば、この寺は聖徳太子が開いた施薬院に始まると伝えられ、鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権・北条時頼から寺領を寄進されたという。

多宝塔 – 慶長2年(1597年)、豊臣秀吉により再建。
本尊は大日大勝金剛尊。
ただいま修理中。

ここは清水坂を下って大阪聖光学院の裏を通り松屋町筋に円成院から④愛染坂を登ると、すぐ大江神社。
四天王寺の鎮守である四天王寺七宮の一つです。

愛染坂には2つのルートがあります。

広く開けた愛染坂を通る道とすぐ隣にある大江神社境内にある「百歳の階段」を通る道。

「百歳の階段」は百一段あり、人生の区切り百歳よりあともう一歩、心も身体も健康でありますように、という願いが込められています。

大江神社には「夕陽岡」の碑があり、このあたりからの夕焼けは今も美しい。

大江神社には松尾芭蕉も訪れており、境内には俳句碑があります。

「あかあかと日はつれなくも秋の風」松尾芭蕉

この句は、大江神社がある上町台地は東が高く、西が大阪湾で低くなっているため、夕陽が大変美しいと昔から言われており、松尾芭蕉も美しい夕日を見たのでしょう。

句碑は文化14年(1817年)に大坂の俳人三津人によって建てられました。

境内に狛犬ならぬ狛虎が鎮座しています。
阪神タイガースのメガホンや優勝を祈願する札もある。

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天王寺7坂めぐり ③清水坂


ここから北には細い道が迷路のようです、右に高台に清水寺です。

京都の清水寺を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれる。

境内の西側の崖に「清水寺舞台」と称するテラスがあり、京都の清水寺を彷彿とさせるが、現在はテラスだけで堂はない。

高台にある新清水寺境内からの眺望は格別、ハルカスを望む。

通天閣も見えています。

京都清水の音羽の滝にならった「玉出の滝」があります。

大阪唯一の滝として知られている、また、この付近一帯は昔から名泉どころとして知られ、増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金竜、亀井の清水は七名泉と呼ばれている。

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