帆船EXPO 帆船「みらいへ」入港

本日のしんがりは帆船「みらいへ」、もと大阪市が所有していた「あこがれ」です。

大関門通過は11時41分。

帆船「みらいへ」(もと「あこがれ」)
・総トン数:230トン
・全長:52.16メートル
・全幅:8.60メートル
・定員:旅客40名(1日コースの場合60名)船員13名 合計53名
・所属:一般社団法人グローバル人材育成推進機構

海王丸にくっつくように入港。

1993年に「あこがれ」として就航、大阪市が保有して大阪南港の「ATCオズ岸壁」を定係地として「セイル・トレーニング事業」に使用していた。
一般市民が航海を体験できた日本で唯一の帆船(スクーナー)であった。船名は一般公募で選ばれた。

売却された「あこがれ」は2014年7月5日から、船名を「みらいへ」に変え、神戸港を母港に体験航海事業を再開している。

3本マストのトップスルスクーナーで、船型は全通平甲板型。
帆装は横帆3枚(約215m2)、縦帆10枚(約568m2)、総帆13枚(約783m2)で、メインマスト高さは上甲板上約30m。

本日も体験航海の人たちを乗せ、セイルドリル(展帆訓練)をじっし、真っ白な帆を広げての入港。

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帆船EXPO 「海の貴婦人」海王丸

3隻目の入港は「海の貴婦人」海王丸。

海王丸が大関門に姿を現したのは日本丸通貨から大幅に遅れ、待っている人たちもイライラ。

・総トン数:2556トン
・全長:110.09メートル
・全幅:13.8メートル
・最大搭載人員:199名
・所属:公益社団法人海技教育財団

初代海王丸は、初代日本丸と共に1930年(昭和5年)に進水。二代目の就航に伴い、用途廃止され、現在は富山県射水市の海王丸パークに係留展示されている。

二代目は1989年(平成元年)に就航。

2004年(平成16年)10月20日、防波堤に座礁する事故が発生。
2006年(平成18年)1月5日、修繕を終え再就役した。

海王丸においては財団法人海技教育財団から一般人も体験航海として乗船することができる。
海王丸は「海の貴婦人」と呼ばれる。

海王丸II世は国有ではなく、民間の寄付により建造された。

現在は独立行政法人航海訓練所に用船契約される形で運航されている。

一般社会人向けの体験航海・遠洋航海コースも実施しているが、海事教育機関の練習船であるため、実習生の参加人数により一般募集枠が少なくなる場合もある。

日本丸II世との外見の違いは「船首像」「船体のライン数」「救命艇の形状」「後部フード(舵輪の屋根)の形状」。

日本丸II世で培われた建造技術をさらに進歩させ、帆走時には抵抗となるプロペラの迎え角を水流に平行とすることにより抵抗を減少させる、フェザリング機能を有する可変ピッチプロペラの採用などにより日本丸II世をしのぐ帆走性能を得た。

その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1990年、1991年、1994年、1995年と4回受賞(日本丸II世は3回受賞)している。

なかでも1995年には124時間で1394マイルを帆走する記録を打ち立てている。

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帆船EXPO 「太平洋の白鳥」日本丸

帆船EXPO、反戦の入港パレードを大臣しています、2隻目は「太平洋の白鳥」日本丸。

日本丸の大関門通過は10時44分。

日本丸 (2代) – 二代目は1984年(昭和59年)に就航。
帆を広げたときの姿から、「太平洋の白鳥」と呼ばれる。

「太平洋の白鳥」日本丸
・総トン数:2570トン
・全長:110.09メートル
・全福:13.8メートル
・最大搭載人員:190名
・所属:独立行政法人海技教育機構

1984年、日本丸は50余年にわたって海の若人を育ててきた初代日本丸の代替船として建造された。

初代日本丸は鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」の遭難を契機として、1930年に建造され、当時の田中隆三文部大臣の「日本の海の王者にふさわしい船にしたい」という我が国の海運に寄せる期待を込めて「日本丸」と命名された。

初代日本丸は 引退までの54年余りにわたって、実習訓練を行って来た。

正確な記録の残る昭和27年(1952年)4月1日以降でも162次の航海を行い、6,509名の実習生を育て、約127万kmの航海を完遂。

米国建国二百年祭(1976年)に参加するなど、華々しい航海を続けてきた初代日本丸ですが老朽化には勝てず、1974年以降は遠洋航海の規模を縮小するなどの応急的な航海を続けていました。

二代目の就航に伴い、用途廃止され、現在は神奈川県横浜市西区の日本丸メモリアルパークに係留展示されている。

日本丸の帆走性能は初代日本丸のそれをはるかにしのぎ、世界でも有数の高速帆船として世界の帆船の仲間入りをした。
その年で最も帆走速力の出した帆船に贈られるボストン・ティーポットを受賞。

天保山へと向かう日本丸、右は先に入港の大成丸。

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帆船EXPO 大成丸入港

大阪港開港150年を記念し、海や船に親しめるさまざまな企画が盛りだくさんの「帆船EXPO」が開催される。

26日10時30分からの入港パレードでは、「日本丸」「海王丸」「大成丸」「みらいへ」の4隻の帆船や汽船が、大関門を通過して順次入港し、消防艇による歓迎放水が実施されました。

9時54分、大関門に現れたのは中国の客船「蘇州号」、上海と大阪南港を週一回往復。

九州の旅ではよく見かける船だ。
雨の船出
今年の最終記事は九州からの船旅です。 新門司出航は雨の中、気分を入れ替えようとレ … 続きを読む →


歓迎放水をおこなう消防艇「ゆうなぎ」

放水砲を自在に操り、あらゆる角度へ色水放水を行う「孔雀放水」を実施します。

救助艇「ゆめしま1号」も参加です。

10時30分きっかりに「大成丸」が大関門に現れました。

「大関門(だいかんもん) :明治38年大阪港建設時に天保山の西南西約3kmの沖合に築かれた防波堤の切れ目で、大阪港への入港航路となっており、通称「大関門」として市民に知られる。

北側に白灯台、南側に赤灯台が設置されている。

大成丸
・総トン数:3990トン
・全長:91.28メートル
・全幅:15.5メートル
・最大搭載人員:176名
・所属:独立行政法人海技教育機構

消防艇「ゆうなぎ」による歓迎の放水。

空からヘリも歓迎。

大成丸は世界的にも数少ない蒸気タービン推進の練習船。
ディーゼル船に比べ速くて振動が少ないタービン船は、かつては客船向きとされていました。

しかし燃費が悪く、航空機や新方式の高速船が普及した現在は軍艦やLNG船に残るのみ。

大成丸という名前の練習船は過去に2隻ありました。
 
初代大成丸は1904年就航の帆船でした。
長さ84.14m、幅13.33m、総トン数2423.68tの4檣バーク型で、現在横浜で保存されている初代日本丸に近い規模の船だったようです。

終戦直後の1945年10月に神戸港で触雷して沈没。
 
2代目大成丸は、日本郵船の貨客船小樽丸(1948年就航)を改造した船でした。
船体を10m延長する大改造が行われ、1954年に練習船大成丸として就航。1981年に引退。
 
この船の丸窓が2つ、現在の大成丸の船内に保存されています。

3代目大成丸は1981年就航。
航海訓練所の練習船では最年長。

フォクスルデッキ(船首部分のデッキ)が一段高く、ドッキングブリッジ(後部デッキ上の左右に長い構造物)があり、後部マストも煙突から独立しているなど、他の練習船と比較するとやや古い様式の外観。
 
排気音はゴーッ‥‥と言う感じの連続音で、ディーゼル船と異なる。

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日の出の瀬戸内航路


早朝5時小豆島沖を航行中、闇には灯台の灯りが時折り灯る。

低い雲間からの日の出。

太陽は中空に達しているが雲が多くまだ薄暗い。

デッキを照らす陽光。

親子が記念撮影。

右手前方に明石海峡大橋が見えてきた。

雲の切れ間からの陽光がきれいです。

明石海峡大橋を過ぎたあたりは好漁場なのかおびただしい数の漁船が出漁中。
遠景に湾岸道路、京阪神の街並み。

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遠の朝廷と防人を訪ねて①

古代史と万葉集の史跡を訪ねる旅、今回は九州遠征。
大宰府万葉歌碑めぐりにそって数回に分けてお届けします。

冬型の強い季節風の吹き荒れる日南港を船出、おまけに数日前から風邪をひいており絶不調。

664年、唐と新羅の攻撃に備えて全長1.2kmにわたり、築かれた大宰府の防衛施設。
博多側から南下してくると、太宰府市に入ってすぐに道路や線路を横切る木立におおわれた丘がある。

これが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた大宰府の防衛施設「水城」。

その規模は全長1.2kmにわたり、基底部で幅80m、高さ13mを越える人工の土塁(堤防)を築き、その博多湾側に幅60m、深さ4mの堀をつくり、水を貯えたという。近隣の春日市や大野城市にも、これに連鎖する小規模な水城が残存している。

663年、白村江の戦いで唐や新羅の連合軍に負けたことをきっかけに、敵の侵攻に備えるため、水城や大野城、基肄城を築いた。

敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、「大宰府」が誕生したと考えられている。
このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要な所であった。

当時は通用門が東門と西門の2ヶ所しかない大変厳重な施設であったが、現在は鉄道や高速道路などによって分断されている。

大和朝廷が七世紀に造った国防城塞 大野城
斉明天皇6年(西暦660)、朝鮮半島では日本の友好国百済(くだら)が唐(とう)・ … 続きを読む →


現在大規模な改良工事が進んでいる。

衣掛天神、菅原道真がここで旅の衣を脱いで傍らの石に掛け新しい衣に着替えたとされている。

姿見井、菅原道真が衣服を着替えた時に、姿を映した井戸がここにあったという。

奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、筑前国国分寺の後継寺院にあたる。

画像は講堂跡。

塔復元模型、塔は七重で、その10分の1の復元模型が太宰府市文化ふれあい館の屋外に展示されている。

復原した高さは5.4m、実際はその10倍ということになり、遠くからでも見ることができたでしょう。

棟の右側に米粒大に見えるのが人物。

国分寺とは無関係だが箱式石棺、箱式石棺は弥生時代から古墳時代に用いられたお墓のひとつで、石を並べて小さな部屋を作り、その中に遺体を埋葬し、何枚かの石で蓋をしたもの。

大野山霧立ち渡るわが嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ちわたる  巻五(七九九)

大野山に霧が立ち渡るよ、わたしの嘆く息の風によって霧が立ち渡るよ

大伴旅人が大宰府の帥(そち)として着任したがすぐに妻の大伴朗女(いらつめ)は病死した。
    
この時、山上憶良が大伴旅人の気持ちになりきって詠んだ歌。
大野山に棚引く霧を、深い嘆きの息が霧になったと詠んでいます。

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霧の船出

今回の旅は常に雨を心配しながらの旅だった、船に乗り込むときも時折り雨がぱらつく。

朝6時、目覚めると船は霧に包まれている。

雲が多く、甲板は濡れている。

淡路の沖を通過中、時折青空がのぞく、甲板には水たまりも。

後方は明石海峡大橋が霞む。

右手は泉南沖、行き交う船も多くなった。

前方微かに南港が見えてくる。

ここまで来ればもう南港も目の前、大阪府庁咲洲庁舎、関電火力発電所も確認できる。

常に雨を心配しながらの旅だったが幸い観光中はほとんど傘を必要とせず結果オーライ。

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壱岐 芦辺港へ

壱岐・対馬の旅の出発、フェリーで壱岐 芦辺港へ向かう。

今回はジェットフォイルではなくフェリーの旅だ、芦辺港まで約2時間。

玄界灘は波風が強く波頭も砕けて後ろへ飛ぶ。

志賀島・西戸崎の大岳ゴルフ場の沖に浮かぶ端島に建てられている博多港端島灯台。

志賀島(しかのしま)は、福岡県福岡市東区に所属する島。

博多湾の北部に位置し、海の中道と陸続き。

砂州により本土と陸続きになった陸繋島。
全国的にも非常に珍しい。

規模は小さいが半島の定義を満たしている。

北西部の60mほど沖合いには沖津島という小島があり陸繋島となっている。

玄海島、面積1.14km2。周囲4.4km。形状は北西から南東に向かう短楕円形。最高地点は遠見山(218m)。

水深20mの海底から立ち上がる陸島。

糸島半島に続き、リアス式海岸である岩石海岸が発達している。
糸島半島との間の海峡は幅2.6kmであり、音無瀬戸と呼ばれる。

瀬戸中央部には大机島、小机島が位置する。
島の北方約300mに黒瀬と呼ばれる幅200m程度の岩礁が発達している。

黒瀬は、新生代第四紀に活動した福岡県唯一の火山島に分類され、玄武岩で構成されている。

柱島(はしらじま)、玄界島の北西約700mに浮かぶ無人島。

玄武岩の柱状節理が発達しているので、見た目から名前が付いたようだ。

高さが60mある巨大な岩といった感じで、ドクロが頭を海面に出しているかのような形をしていて不気味な感じ。

柱島やその東にある黒瀬あたりは磯釣りポイントで、糸島半島の東側にある唐泊港から瀬渡しが出ている。

福岡港へ向かうジェットフォイル、フェリーの約半分の航行時間だ。
帰りは対馬からジェットフォイルに乗る。

ボーイング929 (Boeing 929) 、米国ボーイング社によって開発された水中翼船。
旅客用はジェットフォイル (Jetfoil) という愛称を持つ。

芦辺港に少弐 資時(しょうに すけとき)の騎馬像が建つ。

鎌倉時代中期の少弐一族の武将。少弐経資の長男。

文永11年(1274年)の文永の役で、叔父の少弐景資に従って12歳で初陣。

弘安4年(1281年)の弘安の役では、祖父の少弐資能や父の少弐経資らとともに日本軍を率いて壱岐島を占領する東路軍に対する攻撃で戦死する。享年19。

ところで何故、対馬は長崎県とされたのだろう、経緯を追ってみる。

対馬藩が唐津付近に領地をもっていたので廃藩置県後に佐賀県に編入されたが、そのあと佐賀県も長崎県に編入され、更に後に佐賀県だけが再独立した為現在の県境ができあがった。

明治政府は廃藩置県当初、肥前国+壱岐対馬=長崎県という構想で動いていたが、明治維新で功績の大きかった肥前佐賀藩は自主独立を主張し、政府もこれを無視できず佐賀藩を核とした県の設置に試行錯誤した。

結果的に佐賀藩とその支藩+唐津をもって佐賀県とし、残りの肥前国+壱岐対馬が長崎県となった。

1871年 廃藩置県により各藩がそのまま県となる
1871年 県の統廃合により現在の佐賀県+対馬で伊万里県となる(対馬藩が唐津付近に領地を持っていた為)
1872年 旧佐賀藩南西部と対馬が長崎県へ編入、伊万里県の名称を佐賀県へ変更
1876年 佐賀県が三潴県(福岡県筑後地方)に吸収される
1876年 三潴県が解体され、筑後地方は福岡県へ佐賀地方は長崎県へ編入
1883年 現在の佐賀県の地域が長崎県から分離独立して佐賀県となる。

なんだか頭がこんがりそうだ。

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フェリーの旅

大宰府訪問を終え大阪へ帰ります。

今日の乗船は2015年9月16日(水)デビューの新造船「フェリーおおさかII」。

名門大洋フェリーのシンボルマークのカモメさん。

廊下の絵画も斬新なものに変えられている。

落ち着いて雰囲気のデラックス船室のフロア。

夜は間接照明で穏やかな雰囲気。

5時41分小豆島の東を航行中、日の出まであと少し。

淡路島上空が赤みを帯びてくる。

空が真っ赤に染まる。

6時12分日の出です。

7時明石海峡大橋通過。

朝日を受ける漁船の群れ。

この辺りは漁場になっていていつも多くの船が見られる。

先ほど通過した明石海峡大橋、ご覧の通りおびただしい漁船の群れ。

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福岡の古墳巡り 帰りは夕日街道

出発時は積雪情報が流され、時化状態の船出だったが、幸い好天に恵まれ、帰りは夕日を眺めながらのドライブとなった。

古賀SAでちょうど夕日の時刻を迎えた。

古賀SAは福岡都市圏の外円上に位置し、上り線では九州最後のSAとなる。

旧道路サービス機構(ジェイサパ)公式サイト上で「利用者数が九州自動車道No.1」と案内されていた。

2005年8月11日、下り線に九州初となるドッグラン施設犬の広場が開設された。

また、下り線には高速道路のSAには珍しくヘリコプターの着陸場もある。

空のグラデーションのきれいなこと。

刻々と色目を変えて見せてくれます。

しかし、バスの車窓からの撮影って難しいのです。

防音壁があり、木立がありで一瞬のシャッターチャンスを逃したらアウトです。

普段なら居眠りしながら帰るのですが、今日はずっと緊張感持続で退屈知らず。

こんな池のある景色なんか、ほんの一瞬のシャッターチャンスでした。

目覚めれば大阪です。

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