日の出の瀬戸内航路


早朝5時小豆島沖を航行中、闇には灯台の灯りが時折り灯る。

低い雲間からの日の出。

太陽は中空に達しているが雲が多くまだ薄暗い。

デッキを照らす陽光。

親子が記念撮影。

右手前方に明石海峡大橋が見えてきた。

雲の切れ間からの陽光がきれいです。

明石海峡大橋を過ぎたあたりは好漁場なのかおびただしい数の漁船が出漁中。
遠景に湾岸道路、京阪神の街並み。

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遠の朝廷と防人を訪ねて①

古代史と万葉集の史跡を訪ねる旅、今回は九州遠征。
大宰府万葉歌碑めぐりにそって数回に分けてお届けします。

冬型の強い季節風の吹き荒れる日南港を船出、おまけに数日前から風邪をひいており絶不調。

664年、唐と新羅の攻撃に備えて全長1.2kmにわたり、築かれた大宰府の防衛施設。
博多側から南下してくると、太宰府市に入ってすぐに道路や線路を横切る木立におおわれた丘がある。

これが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた大宰府の防衛施設「水城」。

その規模は全長1.2kmにわたり、基底部で幅80m、高さ13mを越える人工の土塁(堤防)を築き、その博多湾側に幅60m、深さ4mの堀をつくり、水を貯えたという。近隣の春日市や大野城市にも、これに連鎖する小規模な水城が残存している。

663年、白村江の戦いで唐や新羅の連合軍に負けたことをきっかけに、敵の侵攻に備えるため、水城や大野城、基肄城を築いた。

敵に攻められやすい博多湾の沿岸にあった那津官家も、現在の太宰府市の地に移され、「大宰府」が誕生したと考えられている。
このように「水城」は大宰府を守るのに最も重要な所であった。

当時は通用門が東門と西門の2ヶ所しかない大変厳重な施設であったが、現在は鉄道や高速道路などによって分断されている。

大和朝廷が七世紀に造った国防城塞 大野城
斉明天皇6年(西暦660)、朝鮮半島では日本の友好国百済(くだら)が唐(とう)・ … 続きを読む →


現在大規模な改良工事が進んでいる。

衣掛天神、菅原道真がここで旅の衣を脱いで傍らの石に掛け新しい衣に着替えたとされている。

姿見井、菅原道真が衣服を着替えた時に、姿を映した井戸がここにあったという。

奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、筑前国国分寺の後継寺院にあたる。

画像は講堂跡。

塔復元模型、塔は七重で、その10分の1の復元模型が太宰府市文化ふれあい館の屋外に展示されている。

復原した高さは5.4m、実際はその10倍ということになり、遠くからでも見ることができたでしょう。

棟の右側に米粒大に見えるのが人物。

国分寺とは無関係だが箱式石棺、箱式石棺は弥生時代から古墳時代に用いられたお墓のひとつで、石を並べて小さな部屋を作り、その中に遺体を埋葬し、何枚かの石で蓋をしたもの。

大野山霧立ち渡るわが嘆く息嘯(おきそ)の風に霧立ちわたる  巻五(七九九)

大野山に霧が立ち渡るよ、わたしの嘆く息の風によって霧が立ち渡るよ

大伴旅人が大宰府の帥(そち)として着任したがすぐに妻の大伴朗女(いらつめ)は病死した。
    
この時、山上憶良が大伴旅人の気持ちになりきって詠んだ歌。
大野山に棚引く霧を、深い嘆きの息が霧になったと詠んでいます。

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霧の船出

今回の旅は常に雨を心配しながらの旅だった、船に乗り込むときも時折り雨がぱらつく。

朝6時、目覚めると船は霧に包まれている。

雲が多く、甲板は濡れている。

淡路の沖を通過中、時折青空がのぞく、甲板には水たまりも。

後方は明石海峡大橋が霞む。

右手は泉南沖、行き交う船も多くなった。

前方微かに南港が見えてくる。

ここまで来ればもう南港も目の前、大阪府庁咲洲庁舎、関電火力発電所も確認できる。

常に雨を心配しながらの旅だったが幸い観光中はほとんど傘を必要とせず結果オーライ。

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壱岐 芦辺港へ

壱岐・対馬の旅の出発、フェリーで壱岐 芦辺港へ向かう。

今回はジェットフォイルではなくフェリーの旅だ、芦辺港まで約2時間。

玄界灘は波風が強く波頭も砕けて後ろへ飛ぶ。

志賀島・西戸崎の大岳ゴルフ場の沖に浮かぶ端島に建てられている博多港端島灯台。

志賀島(しかのしま)は、福岡県福岡市東区に所属する島。

博多湾の北部に位置し、海の中道と陸続き。

砂州により本土と陸続きになった陸繋島。
全国的にも非常に珍しい。

規模は小さいが半島の定義を満たしている。

北西部の60mほど沖合いには沖津島という小島があり陸繋島となっている。

玄海島、面積1.14km2。周囲4.4km。形状は北西から南東に向かう短楕円形。最高地点は遠見山(218m)。

水深20mの海底から立ち上がる陸島。

糸島半島に続き、リアス式海岸である岩石海岸が発達している。
糸島半島との間の海峡は幅2.6kmであり、音無瀬戸と呼ばれる。

瀬戸中央部には大机島、小机島が位置する。
島の北方約300mに黒瀬と呼ばれる幅200m程度の岩礁が発達している。

黒瀬は、新生代第四紀に活動した福岡県唯一の火山島に分類され、玄武岩で構成されている。

柱島(はしらじま)、玄界島の北西約700mに浮かぶ無人島。

玄武岩の柱状節理が発達しているので、見た目から名前が付いたようだ。

高さが60mある巨大な岩といった感じで、ドクロが頭を海面に出しているかのような形をしていて不気味な感じ。

柱島やその東にある黒瀬あたりは磯釣りポイントで、糸島半島の東側にある唐泊港から瀬渡しが出ている。

福岡港へ向かうジェットフォイル、フェリーの約半分の航行時間だ。
帰りは対馬からジェットフォイルに乗る。

ボーイング929 (Boeing 929) 、米国ボーイング社によって開発された水中翼船。
旅客用はジェットフォイル (Jetfoil) という愛称を持つ。

芦辺港に少弐 資時(しょうに すけとき)の騎馬像が建つ。

鎌倉時代中期の少弐一族の武将。少弐経資の長男。

文永11年(1274年)の文永の役で、叔父の少弐景資に従って12歳で初陣。

弘安4年(1281年)の弘安の役では、祖父の少弐資能や父の少弐経資らとともに日本軍を率いて壱岐島を占領する東路軍に対する攻撃で戦死する。享年19。

ところで何故、対馬は長崎県とされたのだろう、経緯を追ってみる。

対馬藩が唐津付近に領地をもっていたので廃藩置県後に佐賀県に編入されたが、そのあと佐賀県も長崎県に編入され、更に後に佐賀県だけが再独立した為現在の県境ができあがった。

明治政府は廃藩置県当初、肥前国+壱岐対馬=長崎県という構想で動いていたが、明治維新で功績の大きかった肥前佐賀藩は自主独立を主張し、政府もこれを無視できず佐賀藩を核とした県の設置に試行錯誤した。

結果的に佐賀藩とその支藩+唐津をもって佐賀県とし、残りの肥前国+壱岐対馬が長崎県となった。

1871年 廃藩置県により各藩がそのまま県となる
1871年 県の統廃合により現在の佐賀県+対馬で伊万里県となる(対馬藩が唐津付近に領地を持っていた為)
1872年 旧佐賀藩南西部と対馬が長崎県へ編入、伊万里県の名称を佐賀県へ変更
1876年 佐賀県が三潴県(福岡県筑後地方)に吸収される
1876年 三潴県が解体され、筑後地方は福岡県へ佐賀地方は長崎県へ編入
1883年 現在の佐賀県の地域が長崎県から分離独立して佐賀県となる。

なんだか頭がこんがりそうだ。

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フェリーの旅

大宰府訪問を終え大阪へ帰ります。

今日の乗船は2015年9月16日(水)デビューの新造船「フェリーおおさかII」。

名門大洋フェリーのシンボルマークのカモメさん。

廊下の絵画も斬新なものに変えられている。

落ち着いて雰囲気のデラックス船室のフロア。

夜は間接照明で穏やかな雰囲気。

5時41分小豆島の東を航行中、日の出まであと少し。

淡路島上空が赤みを帯びてくる。

空が真っ赤に染まる。

6時12分日の出です。

7時明石海峡大橋通過。

朝日を受ける漁船の群れ。

この辺りは漁場になっていていつも多くの船が見られる。

先ほど通過した明石海峡大橋、ご覧の通りおびただしい漁船の群れ。

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福岡の古墳巡り 帰りは夕日街道

出発時は積雪情報が流され、時化状態の船出だったが、幸い好天に恵まれ、帰りは夕日を眺めながらのドライブとなった。

古賀SAでちょうど夕日の時刻を迎えた。

古賀SAは福岡都市圏の外円上に位置し、上り線では九州最後のSAとなる。

旧道路サービス機構(ジェイサパ)公式サイト上で「利用者数が九州自動車道No.1」と案内されていた。

2005年8月11日、下り線に九州初となるドッグラン施設犬の広場が開設された。

また、下り線には高速道路のSAには珍しくヘリコプターの着陸場もある。

空のグラデーションのきれいなこと。

刻々と色目を変えて見せてくれます。

しかし、バスの車窓からの撮影って難しいのです。

防音壁があり、木立がありで一瞬のシャッターチャンスを逃したらアウトです。

普段なら居眠りしながら帰るのですが、今日はずっと緊張感持続で退屈知らず。

こんな池のある景色なんか、ほんの一瞬のシャッターチャンスでした。

目覚めれば大阪です。

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雨の船出

今年の最終記事は九州からの船旅です。
新門司出航は雨の中、気分を入れ替えようとレストランで乾杯。

小豆島を過ぎて明石海峡も間近だが船は暗い海を進む。
デッキに立つと北風が冷たい。

明石海峡大橋が見えてきたが、上空には厚い雲が。

この時期日の出と橋のコラボが期待できるはずなのだが、あいにくの天候。

明石海峡大橋の辺りで上海からの蘇州号を追い抜く。
老朽船とのスピード差は大きく、ここから南港までに30分以上の差ができてしまう。

デッキは吹き付ける北風が冷たく皆、プロムナードを出ようとしない。

厚く立ち込めた雲間から泉州の山並みが見えてきた。

丁度この時間帯、神戸空港へ着陸する飛行機と遭遇する。
よく晴れた日だと神戸の街並みを走るように飛ぶ飛行機の姿がとらえられるのだが、今日は街の色に溶け込んで画像としてははっきりしない。

神戸空港の運用は、着陸は東向き、離陸は西向きが基本であり、多少の追い風でもこの運用を行っている。

IFRの飛行経路は明石海峡側に離着陸するように設定されており、滑走路27から西向きに離陸する場合はそのまま明石海峡上空のMAIKOポイントへと向かう。

滑走路09から東向きに離陸する場合は、離陸後に約180度右旋回してMAIKOポイントへ向かう。

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荒れ模様の海を大阪へ

今回の旅は雨にひやひやしながらの旅だった、門司出港時は曇りで今にも降り出しそうな雰囲気。、

小豆島を過ぎたあたりで目覚めるとなんとわずかではあるが陽の光を感じる。
これはいけるぞと寒いデッキに立ち続ける。

明石海峡大橋の通過は7時5分の予定、波はかなり荒い。

昇る陽を受けて雲が燃える。

いつまでも太陽は姿を現わさず、不気味な空模様。

暗い空を飛行機や鳥が飛んでいく。

淡路島の上は大きな黒い雲が覆っている。

前方に泉州の街が幽かに見える。

最後まで太陽は顔をださず、不気味な雲行の中を大阪へ近づく、デッキに立っているととても寒い。
キャビンに出たり入ったりしながらの撮影だった。

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瀬戸内昼間のクルージング

通常瀬戸内海の航行は夜間に行われるが、船内で暴れた客がおり、海上保安庁も出動するという騒ぎが発生したため偶然、昼間の瀬戸内クルージングが実現した。

9/26早朝、トイレに起きると船内が妙に静かだ、これは停船してるなと直感。

現在am5時前、既に停船から3時間前後経過している。
海上保安官が出入りしているが船客への説明はなく騒ぐ客も、事件を目撃した人もおり、口伝えで様々なうわさが行き交う。

デッキで心配そうに海上を見つめる乗客、海上保安庁の巡視船が数隻フェリーを取り巻いている。

フェリーに接岸している巡視船を撮影したところパンツ1枚の裸の男が写っているではないか、これが噂の犯人だな。
しかし、肖像権の問題もあると考えるのでブログへの掲載は控える。

場所は来島海峡大橋の今治寄り、反対を向いて航路外に停船している。

海上保安庁の方々が到着したころには乗組員や乗船客が 四苦八苦して取り押さえた後のことらしい。

停船を解かれ再び動き出したのはさらに2時間半後の7時30分ごろ。

船客には何の説明もなく中には大声でわめく人も。
10時半ころから昼食用のカレーが提供されるが長蛇の列、結局全員には行きわたらなかったようだ、フェリー会社の不手際が目立つ。

結局5.5時間前後の遅れだ。
気をとり直しめったに見られない昼間の瀬戸内のクルージングを楽しむことにした。

来島海峡大橋は通常夜中に通過するので海上から見ることはない、通称しまなみ海道と呼ばれる。

伊予水軍が根拠地としたところで風景が美しい。

日本三大急流のひとつで、潮流が速く、最高時には各所に大渦がみられる。
この海峡をまたいで来島海峡大橋が架かっている。

天候は曇りがちで時折り雲間からの陽光が光芒を作りきれいだ。

燧灘(ひうちなだ)は、瀬戸内海中央部、香川県の荘内半島と愛媛県高縄半島の間を占める海域で、北は備後灘に接する。

東西約60 km、南北約40 kmの海域で、一帯はタイ、サワラなどの好漁場として知られる。

沿岸地域から火打石が産出したことからこの名がついた。

曇り空だが讃岐富士の姿が美しい。

前方に瀬戸大橋が見えてきた、この橋も夜中に通過するため海上から見ることはすくない。

瀬戸大橋は塩飽諸島の5つの島の間に架かる6つの橋梁と、それらを結ぶ高架橋により構成されており、橋梁部9,368 m、高架部を含めると13.1kmの延長を持つ。

これは鉄道道路併用橋としては世界最長で、人工衛星写真でも確認できる。
橋梁は吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類を併設。

ただ今列車通過中。

現在、橋梁のライトアップが事前に決められた日にしか行われないのは、ライトアップの光により「明るすぎて眠れない」「漁業に影響が出る」等の光害に対し住民に配慮したものである。

なお、このライトは元々、橋梁の保守・点検用である。

備讃瀬戸(びさんせと)は瀬戸内海のうち岡山県と香川県の間の海域の名称。

東は小豆島をはさんで播磨灘に、西は笠岡諸島、荘内半島をはさんで備後灘、燧灘に接する。交通の要衝であり、本四架橋(本州四国連絡橋)のうち児島・坂出ルートの瀬戸大橋が南北方向に架けられている。

乗客たちもトラブルのことは忘れたように昼間の瀬戸内クルージングを楽しんでいる。

この辺りも潮流は速く、好漁場として知られる。

男木島女木島(通称鬼ヶ島)を通過。

1.那須与一が射落とした扇の一部が流れ着いたことから「メギ」という名がついた(このあたりでは「壊れる」ことを「めげる」と言う)。
2.北隣にある男木島と合わせて、2つの島を男女に見立ててオギの「オ」に対応するものとしてメギの「メ」がついた。

のどかに航跡を曳いて船は東へ進む。

この海を太陽の鉛筆で表現するとこうなるかな。

播磨灘(はりまなだ)は、瀬戸内海東部の海域。兵庫県南西部(旧播磨国)の南側に位置し、東は淡路島、西は小豆島、南は四国で区切られて西北部に家島諸島がある。

面積約2500 km2。深さ40 m前後であるが、海峡部では100 mを越えるところもある。
近畿地方から中国地方・四国地方・九州地方方面への重要な航路が横断する。

岩礁が多く、鯛などの好漁場。イカナゴもよく獲れ、イカナゴの釘煮(佃煮)は播州の特産品であったが、海砂の採取によってイカナゴの生息地が打撃を受けたことから減産している。

明石海峡大橋が見えてきた。
これで瀬戸内三大架橋を昼間通過したことになる。

下から見ていると煙突がつかえるのではと一瞬ひやりとする。

大阪が近づいてきました、甲山も見えています。

神戸空港へ着陸する飛行機を発見。

三宮、メリケンパークの辺りを滑空。

折り返し離陸の飛行機が。

遥か彼方に関空も見える。

南港の高層ビル群に交じってアベノハルカスも見えている。

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フェリーおおさかⅡ 新造船 乗船記

大阪・南港と福岡・新門司港を結ぶ名門大洋フェリーは、2015年9月16日(水)から新造船である「フェリーおおさかII」をデビューさせたが就航10日目に乗船の機会があったので乗船記を記す。

大阪南港でのフェリーバースは大型化に合わせて、昔関西汽船が使っていたF1バースに移っています。

全長183メートル、全幅27メートル、8階構造で総トン数1万4920トンという船体はかなりの迫力。

緩やかな上り坂の桟橋を上って6階部分のエントランスへと向かう。
広々としたエントランスに、印象的な吹抜け階段。

プロムナードデッキ、スペースいっぱいに伸びるロングソファーでゆったりとくつろぐのも良さそうです。
部屋の先からは、甲板に出ることもできます。

テレビラウンジ。

瀬戸内の景色を眺め、気楽に談笑しながら、船旅を楽しむならプロムナード。

広々としたレストランで、瀬戸内海の美しい風景を眺めながら季節ごとのフェアやバラエティ豊かな料理を。
明るい色調がいい。

相部屋でありながら、ブライベート空間も欲しいならば、ツーリスト。

男女兼用のツーリストは、グレーのじゅうたんに木目調の内装となっている。

船尾デッキも広々している。

7階部分は4種類の「ファースト」ルームがメインとなっており、一部が「ツーリスト」に設定されています。
「デラックス」を後にして、その向こうにある「スイート」へと進む。

6F左舷後部のカウンターは、レストランを利用しない人の食事場所になっている。
コンビニ等で調達した食材を持ち込みレストランを使用しない客が多い。

エントランス横には、マットが敷かれたキッズルームもあります。

無料のWi-Fiを利用することも可能となっています。

その他の特徴として、ドライバー専用の浴室が用意されたことによりツーリストはゆったりと入浴できるようになった。

「二口荷役(ふたくちにえき)」の仕組みが導入されています。

船首部分からはトラックが、そして6階部分の乗用車スペースには専用のスロープで自動車を乗り入れるようになっており、従来船のように1か所から全ての車両を出し入れする必要がなくなるため、素早い物流が可能になるというわけです。

また名門大洋フェリーは11月29日から、同型の別の新造船「フェリーきたきゅうしゅうⅡ」も就航させる予定、既に乗船の予約を済ませた。

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