十輪院


立春は過ぎたがまだまだ寒い日が続く、そんな寒い日、十輪院を訪問。

境内は静かです。

池ではつがいの河童がお愛嬌。

寺伝によると、元正天皇(715-724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれ、右大臣吉備真備の長男・朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基とも伝えられている。

「十輪院」の名称の文献上の初見は、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(弘安6年・1283年成立)とされている。

現存する本堂、石仏龕(せきぶつがん)、東京へ移築された宝蔵などはいずれも正確な年代は不明ながら鎌倉時代のものとされており、鎌倉時代には地蔵信仰の寺院として栄えていたと思われる。

こちらには河島英五のお墓があるので有名。

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隠棲の地 三千院の冬


冬枯れの木立に青空が似合う。

坪庭の笹にかすかに陽が射す、そして残り雪。

聚碧園の池も凍てつく、木漏れ日がきれいです。

手水鉢も凍って寒そう。

本堂から見た庭園、背景に見えるのは往生極楽院。
苔に残雪、斜めからの日差しがいいね。

この日も寒さにかかわらず多くの参拝客でにぎわっている、客足のわずかに途絶えたところをパチリ。

池への映り込みがきれいです。
恋に疲れた一人旅の女性は、池の水面にどんな想いを映し出していたのでしょう。

有清園(ゆうせいえん) 豊臣秀吉の建立といわれる宸殿(しんでん)を囲む回遊庭園は、杉苔が地面を覆い、天に向かって真っ直ぐに伸びた北山杉が立ち並ぶ。

三千院を訪れる楽しみは愛らしい童地蔵。

光が射し込むまで待ちます。


作家の井上靖が「東洋の宝石箱」と称賛する二つの苔庭(聚碧園・有清園)はまさに見事であります。

陽が傾いてきました、そろそろ帰宅の時間です。

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冬の貴船

雪の合間を縫ってきぶねをほうもん、寒さのわりに参拝者も多く、凛とした空気の中散策。

鞍馬寺西門。
爽やかな冷気の中、日差しが温かく感じられる。

鞍馬山 義経修行の道を歩
京都盆地の北に位置し、豊かな自然環境を残す鞍馬山の南斜面に位置する。 鞍馬は牛若 … 続きを読む →


貴船神社山門、ご神木の桂、まるで御神氣が龍の如く大地から勢いよく立ち昇っている姿に似て、貴船神社の御神徳を象徴。

貴船神社は今や神社では必須アイテムの“絵馬”発祥の地でもあり、本宮では白と黒の2頭の馬の像が私たちを出迎えてくれます。

「水を司る神」を祀る「貴船神社」や「丹生川上神社」には、日照りや長雨が続くと、朝廷より勅使が派遣されて、降雨を祈願するときには「黒馬」が、止雨を祈願するときには「白馬」が、その都度、奉納される習わしになっていた。

和泉式部もたどったといわれる恋の道を奥宮へ向かう。

緑の風の中 貴船川沿いを華やかに染める 貴船祭
貴船神社の氏子は、わずか20世帯。 市街地のお祭りのように、決して賑やかとは言え … 続きを読む →


ちょうどお昼時、店の前では熱心に呼び込みが。

相生の大杉

樹齢1,000年の名木。
同じ根から生えた2本の杉の大木がぴったりと寄り添っている。
「相生」は「相老」に通じ、その寄り添う姿が仲睦まじい老夫婦の姿にたとえられ、夫婦円満の象徴として親しまれている。

奥宮の入り口にさしかかる、ここは「思ひ川」

奥宮参道の入り口に架かる橋を「思ひ川橋」といい、その下の流れを「思ひ川」という。
和泉式部の恋の道をたどり貴船へ
恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。 また同僚女房であった紫式部には … 続きを読む →

また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。

女人往生の念仏道場 誓願寺
女人往生のさきがけとして、都の才女・清少納言が誓願寺において発心し、髪を落して尼 … 続きを読む →

恋多き情熱の歌人・和泉式部が女人往生を遂げた誠心院
恋多き女も娘に先立たれ、この世のはかなさを思い、仏門に入ります。 その娘というの … 続きを読む →


かつては御物忌川(おものいみがわ)と呼ばれ、参詣する際にこの川で禊して心身を清めたと思われる。

和泉式部も参詣して恋を祈ったとことから、「おものいみがわ」が変じ、「おもひがわ」になったのではないかといわれている。

大木の中、和泉式部の恋の道を奥宮へ向かう。

奥宮の境内。

伝説では、第18代の反正天皇の御代(1600年程前)の創建といわれています。

今は奥宮ですが、元々ここが本宮だった。

この奥宮が鎮座している場所は、貴船の谷の一番低い所にあるためしばしば水の害に遭い、天喜3年(1055年)に貴船神社の本宮を現在の場所に遷したという。

左が神門、正面がご神木「連理の杉」
 
連理とは、別々の木が融合している状態のことで男女・夫婦仲の良いことに例えられることも。
この木は、杉と楓が和合した珍しい木。

拝殿、その奥が本殿、右奥が権地。

「権地」とは、社殿の新築・改築・遷座などで社殿の工事を行う際に、仮の社殿を建てる場所のことをいう。

文久年間(1861~63年)、本殿工事の際に大工が誤ってノミを本殿下の竜穴に落としたところ、にわかに天候が変わって突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたなどという話も伝わっています。
 
またその時、怒った竜が現れ、その大工は落命したという話もあります。
 
そんな伝説も遺されているほど、「決して侵したり、穢したりしてはいけない神聖な場所」だと考えられていたのでしょう。

船形石

鎮座地としての伝説では、浪花の津(大阪湾)に、黄色い船に乗った女の神様が現れ、「われは玉依姫(たまよりひめ)なり、この船の留まるところに社殿を建てて、そこの神様を大事にお祀りすれば国土を潤し、庶民に福運を与えん」とのお告げがあり、その船は淀川、鴨川をさかのぼって水源の地・奥宮辺りの川のそばから水の湧き出るところに船を留め、そこに、御社殿を建てたと言われています。

この黄船を隠すため小石を積み上げたとされるのが船形石。

小石は、旅行や航海安全のご利益として持ち帰る人もいるそうですが皆がそうすると大変なことになるので、やめたほうがいいでしょう。

白鳳6年(1300年程前)には、本殿を造り替えたとの社伝が残っておりキフネの地名は、玉依姫の乗ってこられた黄船から起こったともいわれています。

また、この地は丑の刻参りの伝説でも知られる。

宇治の橋姫伝説
さむしろに 衣かたしき 今宵もや 我を待つらむ 宇治の橋姫 「古今和歌集」 「む … 続きを読む →

能楽「鉄輪」とは夫に見捨てられた女が、貴船神社に丑の刻参りをして恨みを晴らそうとするも、安倍晴明に祈り伏せられるという物語である。

丑の刻参りと鉄輪の井
堺町筋を北に上がり、万寿寺通りを超え、松原通に出る手前の左側に不思議な路地ある。 … 続きを読む →

その形相はさながら夜叉の如く、詣でる時の服装はといえば、顔には朱をさし、体には丹を塗り、頭には鉄輪をかぶって、そこに三本のローソクを灯し、口に松明(たいまつ)をくわえて、洛中から遥か貴船までの道をひた走った。

悪縁切り 菊野大明神
河原町二条交差点の少し北東にある法雲寺は、ガランとした境内の地味なお寺という印象… 続きを読む →

「菊野大明神」の覆屋
縁切り石となった由縁は、「宇治の橋姫」が宇治から貴船神社へと通う毎夜、この石に腰を掛けて休んだからだとか。

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雪の豊国神社


安土桃山時代、秀吉の没後に長浜の町民がその遺徳を偲んで建立。事代主大神、豊臣秀吉、加藤清正、木村重成を祭神としています。
 
大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、徳川幕府は神社を取り壊すよう命じました。

町民は、一時、祭神を町年寄の家へ移し、八幡宮の古堂を移築して、商売の神様である恵比須神を前立に、奥殿に秀吉像をひそかに祀り、長い江戸時代を過ごしました。

明治維新後には「豊国神社」の名が復活し、秀吉の三百回忌に当たる明治31年(1898年)に拝殿が再建された。

明治14年に村社、大正9年に郷社、大正11年に県社に列した。

雪中の清正公、寒そう。

この日の長浜地方は積雪45センチの大雪、膝までつかりながら参拝した。

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冬の実相院


厳冬期、実相院を訪れた。
寒気もやや緩んでいるせいで屋根の積雪がボタボタと音を立てて落ちる。

池は氷、残雪と木漏れ日が美しい。

この時期訪れる人はまれで、陽の当たる縁側でのんびりと庭を眺める。

凍てついた池、陽を受けた池のグラデーションを楽しむ。

折からの容器で屋根の積雪が滝のように流れる。

高速シャッターに、高速すぎて球粒になってしまった。

建物は老朽化が進みあちこちにつっかい棒が施されてようやく倒壊を免れているのが現状。

枯山水の庭、裏山の景色と溶け込んだ日々表情を変える素晴らしい庭。

内部から石庭を。

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恵方初詣 南南東 熊野本宮大社


最後の恵方参拝は熊野本宮大社。

画像は国道から見た大斎原大鳥居、かつて神倉の地に降臨した熊野三神のうち熊野家津御子大神(けつみこおおかみ)が川を遡りこの地に坐したのが始めとされています。

熊野本宮大社の旧社地である大斎原は熊野川・音無川・岩田川の3つの川が合流する川の中州にある。

ちなみに、江戸時代まで音無川には橋が架けられなかったそうです。
そのため参詣者は音無川を草鞋を濡らして徒渉したそうです。

熊野では「濡藁沓(ぬれわらうつ)の入堂」と言って水で濡れたわらじと泥で汚れた着衣での参拝が許されていました。

参詣者は音無川の流れに足を踏み入れ、冷たい水に身と心を清めてからでなければ、入ることができない神域として信仰されていたそうです。

現在の社地は山の上にあるが、1889年(明治22年)の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にあった。

明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した。

現在、旧社地の中州は「大斎原」(おおゆのはら)と呼ばれ、日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っている。

こちらが参道、木々がとても美しい。

現在の熊野本宮大社は、流失を免れた上四社3棟を明治24年(1891)に現在地に移築・再建したもの。

大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。
 
大斎原の大社は、およそ1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。

この大鳥居高さ約34m、幅約42m、ほんとに巨大です!!

入り口参道鳥居と立ち並ぶ表参道の白旗と階段。
立ち並ぶ「熊野大権現」の白旗が印象的。

参道入り口の鳥居は、神が宿る神域と人間が住む俗界との結界を表します。

参道の中央「正中」は神様のお通りになる道なので、右端を登り、左端を下るのが作法です。

杉木立に囲まれた158段の階段を上る広い境内には堂々とした本宮大社拝殿と神殿が建っている。

「八咫烏(やたがらす)」の神旗がお出迎え。

門をくぐって、向かって左手の社殿が牟須美(むすみ)・速玉(はやたま)の両神。
中央は主神の家津美御子神(けつみみこのかみ)。

そして右手は天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。

甘酒拝戴所で甘酒をいただきました。

「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。

熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明。

太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。

家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、菊理媛神とも関係する説もあるが、やはりその素性は不詳とされる。

古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲していた。

かつては湯立が行われており、「熊野権現垂迹縁起」では大斎原が「大湯原」と表記されていることや、熊野をユヤと読む際に湯屋や湯谷の字をあてられたことなどから、熊野信仰の中核に湯の観念があったことが指摘されている。

和泉式部が熊野詣をして、伏拝の付近まで来たとき、急に月の障りとなり参拝ができないと悲観してこれでは本宮参拝もできないと諦め、彼方に見える熊野本宮の森を伏し拝んで、歌を1首、詠んだ。
「晴れやらぬ身のうき雲のたなびきて月のさわりとなるぞかなしき」。

すると、その夜熊野権現が、夢に現われて
「もろともに塵にまじはる神なれば月のさわりもなにかくるしき」
とお告げがあり、参拝することができたという。

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恵方初詣 南南東 滝尻王子


2番目の恵方参拝は滝尻王子。

現在の宗教法人としての名称は滝尻王子宮十郷神社(たきじりおうじぐうとうごうじんじゃ)。

前身は九十九王子の滝尻王子で、五体王子の一つに数えられた(『熊野権現蔵王宝殿造功日記』)。
国の史跡「熊野参詣道」(2000年〈平成12年〉11月2日指定)の一部である。

現在は天照皇大神、日子火能迩々芸命、天忍穂耳命、日子穂々手見命、鵜茅葺不合命の5柱を祀るが、『熊野縁起』(正中元年〈1326年〉、仁和寺蔵)によれば九十九王子の一であった時代には不空羂索菩薩を本地としていた。

滝尻王子は熊野の神域への入り口として古くから重んじられ、『中右記』には「初めて御山の内に入る」との添書きがあるだけでなく、『源平盛衰記』にも同じ趣旨の記述を見出すことができる。

中世熊野詣の頃には宿所があったともいわれ、藤原定家の「熊野道之間愚記」(『明月記』所収)建仁元年(1201年)10月13日条や藤原経光の参詣記(『民経記』所収、寛喜元年〈1229年〉)にそれを示唆する記述があるが、詳細は定かではない。

滝尻王子からはいきなり急坂が始まります。胎内くぐり、乳岩、不寝王子を経て「剣ノ山経塚跡」までは激しい登りが続きます。

滝尻の上の山中にはいくつかの磐座があり、入り口近くにもこのような大岩を咥えこんだ気が見られた。

参詣者が初めて岩田川に出会う稲葉根王子から滝尻王子まで、参詣者は何度となく岩田川を徒渉しなければならず、一種の難所であった。

「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月13日条で、この間の道中について、幾度も川を渡り山を越さなければならないと述べると同時に、紅葉が川面に映るさまを見事であると讃えている。

滝尻王子に至った参詣者たちは、奉幣を行い、王子の目の前の流れに身を浸して垢離の儀礼を行った。

滝尻王子における垢離について、鎌倉時代初期以降成立の寺社縁起『諸山縁起』は、右の川は観音を念ずる水、左の川は病を除く薬の水 — 『諸山縁起』とし、さらに前出の『熊野縁起』は、滝尻両方河ニ橋ヨリ上ニハ千手浄土御坐。又丑寅ヨリ流タル河ニハ薬師浄土御坐ス。彼水ハ偏其浄刹ヨリ落智水ナリ。是以テ無始無終罪滅ス。
— 『熊野縁起』

と述べて、観音菩薩の補陀落浄土から流れてくる岩田川の水と、薬師如来の浄瑠璃浄土から落ちてくる石船川の水で沐浴することで罪が滅される、と滝尻での垢離の意義が説かれている。

帰路「道の駅 熊野古道中辺路」でトイレ休憩。

花山法皇の伝説を残す牛馬童子像(モニュメント)。

ただいま16時19分、日暮れも間もなくです、前方の山に次の王子を目指す一行があった。

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恵方初詣 南南東 闘鶏神社


今年の恵方は南南東。

まず訪れたのは闘鶏神社、允恭天皇8年9月、熊野権現(現在の熊野本宮大社)を勧請し、田辺宮と称したのに始まる。

白河法皇の時代に熊野三所権現を勧請した。

平安時代末期の熊野別当・湛快のときにさらに天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増が田辺別当となった。

二ノ鳥居、講師からは台輪のある鳥居は宇佐神宮と何らかの関連があると説明されたが、調べてみると少し違うようだ。

台輪のある明神鳥居を、特に台輪鳥居と呼ぶ。伏見稲荷などの稲荷神社に多いので、稲荷鳥居とも呼ばれる。

台輪鳥居の特徴

 (1)反り増がある
 (2)島木がある
 (3)貫が柱から出ている
 (4)額束がある
 (5)台輪がある

柱と島木の接続部分に、一枚の台輪と称する座をはめてあります。防腐効果を持たせるためと言われていますが、多分にデザイン的なものでしょう。

宇佐鳥居の特徴の一つにご覧の通り額束がない、しかし、闘鶏神社の鳥居にはちゃんと額束がある。

弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が当社に残る。

田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから、皇族や貴族の熊野参詣の際は当社に参蘢し、心願成就を祈願した。

熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいた。

拝殿。

『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。

このことから「闘鶏権現」と呼ばれるようになり、明治の神仏分離の際に鬪雞神社を正式な社名とした。

2016年10月23日、第40回世界遺産委員会継続会議において、世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録された。

神木の大楠

大楠は、落雷により中央部を失ったため高さはないが、幹回り、枝振りは見事なもので、樹齢1200年ほどと推測されていまる。
歯病平癒の御利益があるとされ、楠の下に立って楠の葉を患部に付け、祈願すると平癒するとか。

熊楠の妻は、闘鶏神社宮司であった田村宗造の四女・松枝(まつゑ)であり、そうした縁もあり、熊楠は、この闘鶏神社の森を「熊野植物研究の中心基礎点」とした。

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近江八景「堅田の落雁」 浮御堂


近江八景「堅田の落雁」で名高い浮御堂は、寺名を海門山満月寺という。

平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したという。

現在の建物は昭和12年の再建によるもので、昭和57年にも修理が行われ、昔の情緒をそのまま残している。
境内の観音堂には、重要文化財である聖観音座像が安置されている。

伝によれば、源信(恵心僧都)(942年 – 1017年)が比叡山横川から琵琶湖をながめると、毎夜、その光明の赫々(かくかく)たるを怪しみ、網でこれを掬(すく)いとらせると、1寸8分の黄金の阿弥陀仏像であった。

よって魚類殺生供養のために阿弥陀仏像1体を造り、その体内にこれをおさめ、1000体の阿弥陀仏像をも奉安し、浮御堂を創建したという。

荒廃したときもあったが、桜町天皇(1720年 – 1750年)(在位1735年 – 1747年)は禁中の能舞台をたまわり、これを再興した。
松尾芭蕉(1644年 – 1694年)も訪れた。

先代の堂は昭和9年(1934年)に室戸台風によって倒壊、現在の堂は昭和12年(1937年)に再建されたものである。
室戸台風の直後に竜巻も近くで発生している。

対岸の山は標高432mの三上山、近江富士とも呼ばれている。

湖畔にたたずむおんなひとり・・・・・・

ここは「おとせの浜」。

おとせの石の伝説

源平争乱の時代、堅田の出身で京都の源氏の屋敷に奉公していた、おとせと言う女性がいた。

おとせは、平家滅亡の際に源氏の白旗を守って大津に逃れ、平家の追手をさけて湖に飛び込むが、平家の侍に白旗を握った手を切り落とされて死んだ。

片腕はこの地に流れ着き、浜の石を血で染めた。

そして、片腕はおとせの子が指を開かせるまで、忠義を貫いて白旗を離さなかったという。

以来、この浜は、おとせの浜と呼ばれるようになった。

その子は母の遺志を継いで白旗を守護し、のち木曽義仲の武将手塚太郎光盛になったという。

この話は、寛延二年(1749)浄瑠璃「源平布引滝」に役名を小万と替えて取り入られている。
(大津市史より)

近江八景は比良の暮雪、堅田の落雁、唐崎の夜雨、三井の晩鐘、粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山の秋月、矢橋の帰帆、室町時代末期に選定された。

陽に輝くヨシがきれいです。

おとせの浜はかくれ桜の名所。

近くには「勾当内侍」の伝説も残る、桜のころにもう一度ゆっくり訪れたいものだ。

南北朝時代の武将として有名な新田義貞は、太平記によると、足利尊氏と戦って破れ、越前へ落ちのびる途中に、妻の匂当内侍を堅田に残したまま越前の藤島で戦死し、この知らせを聞いた内侍は京都嵯峨に草庵を構えて義貞の菩提を弔いながら余生を送ったとされています。

しかし、ここ、堅田に残る伝承によれば、匂当内侍は悲しみのあまり近くの琵琶湖琴ケ浜で入水自殺し、のちに村人たちによって内侍の霊を慰めるため石積みの塚が築かれ、野辺送りをした人々が野神神事衆をつくって内侍の霊を慰めてきたそうです。

その後、室町時代になって同地に野神神社が建立され、野神神事衆によって野神祭りが続けられています。

現在も毎年10月には入水伝説にちなむ野神祭りが行われるなど、悲しい物語が現実感を伴って感じられるところです。

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大通寺 長浜御坊

大通寺は真宗大谷派の寺院。

同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。
本尊は阿弥陀如来。山号は「無礙智山」。
別名は「長浜御坊」。「長浜別院」、「大通寺」と略称される。

湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転する。

伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物(国の重要文化財)や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園(国の名勝)のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する寺院として知られる。

本願寺12世の教如上人が、湖北門徒に仏法を説き広めるための道場を、旧長浜城内に開いたのが始まりで、そのころは、長浜御堂と呼ばれていました。

安土桃山時代末期、京都に東本願寺が建立され、御堂を大通寺とし、その4年後に現在地に移築。

表参道から山門までの雰囲気が、「男はつらいよ」に出てくる柴又の帝釈天に似ていると感じる。

そうなんです!この大通寺の山門の下でも「男はつらいよ」のロケがされました。

急ぎ去れ  彼も親あり  花狐

「近江むかし話」によると、昔、大通寺(長浜御坊さん)に「お花はん」というきつねが住んでいたとか。

大通寺は、江戸時代には 琵琵湖岸の長浜城跡の中にあり 賑やかな街の中に移そうという賛成派と、反対派に意見がわかれ、本山(東本願寺)で決めてもらうことになったそうです。

お花はんは どうやら賑やかな街中に行きたかったらしく、お茶屋の娘に化けて 反対派の人たちの足止めをしたとか・・・で、今は この街中にあります。

お花ぎつねのオブジェ

明治のはじめ頃、大通寺に単身赴任してきたお坊さんがいた。

洗濯をしたある日、下帯だけ後で洗おうと思い縁の下に置いたままにしていたのだが、あくる朝、この下帯が本堂前に持ち出されていて、参詣に来た人々の目に入り大笑いされてしまった。

周囲の人に、赴任してきた時にお土産を「お花はん」に持ってこなかったからだと聞かされたお坊さんは、油揚げを買って大広間の天井へお供えした。

すると、それからピタリといたずらが止んだそうである。
大通寺では、今でも大広間に梯子がかけられていて、油揚げをお供えする人が後を絶えないという。

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