ヤマボウシとかわいい子供の石像たち


新緑のきれいなな季節、河内長野の興禅寺を訪れた。

境内には大きな蓮池があり、千年以上前から咲き続けているという斑蓮が有名。
現在では全国に数箇所しかない珍しい種類のもの。

行基が開いたとされる曹洞宗の寺院。
蓮池の周りをぐるりと囲んで並ぶ多数の羅漢像も圧巻、静かにお顔を拝見していると、なにやら話し声が聴こえてきそうな気配。

門を入ると慈母観世音菩薩とかわいい子供の石像たちのお出迎え。


優しい光の中、かわいい子供の石像たち。

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春雪にびっくり 白山平泉寺訪問記


見地の人もびっくりの突然の雪です。
雪と桜が同時に見れるというハプニングに見舞われた。

福井からえちぜん鉄道に乗車、途中からちらちらと積雪が見られた、ところが勝山に着いてみるとなんと白銀の世界ではないか。

参道にはほとんど人影もなく静かな雪の世界。
この坂を精進坂という、これより上は魚類の持ち込みが禁止だった。

境内は1935年(昭和10年)「白山平泉寺城跡」として国の史跡に指定された。
その後、1997年(平成9年)に史跡の指定地域が追加され、指定名称が「白山平泉寺旧境内」に変更された 。

旧玄成院(別当・平泉宮司邸)庭園は、1930年(昭和5年)に国の名勝に指定された。

二の鳥居が霞んで見える、幻想の世界です。

額の上に屋根があるのは神仏習合の名残、1777年のもの。
境内の道路の大半は石畳道で、石組みの側溝など、技術的にも当時の日本の最先端だったと考えられています。

振り返ると一の鳥居がカスミの彼方に。

拝殿が見鵜てきた。

現在の建物は江戸時代の終わりに建てられたもの。

かつては三十三間拝殿という大きな建物が建っていた。

今は、その柱を支えていた礎石が残っています。

拝殿の周辺は、樹齢数百年の杉林の下に、青々とした苔がじゅうたんを敷きつめたように広がっています。

しかし、今日は苔は雪の下です、一面の銀世界です。

以前の訪問記、苔がきれいです。
日本一の苔を見に 平泉寺白山神社にやってきました
白山の登拝口に建てられた平泉寺は、古代から中世後期にかけて白山信仰の拠点寺院とし … 続きを読む →


天正2年(1574年)当時、織田信長方に仕えていた白山平泉寺は、大阪の本願寺方の一向一揆に攻められ、全山が焼失。

10年後に一部再興されたが、境内はもとの10分の1程度にすぎず、多くの坊院跡は山林や田畑の下に埋もれました。

本社は、寛政7年(1795)、福井藩主の寄進で建てられた。

本社の向かって右手には別山社、左手には越南知社があり、白山三山の神をおまつりしています。

彼方に三宮が見える。

白山神社境内の一番奥に位置する社で、この後から白山への登拝道である越前禅定道がはじまります。

三宮の手前には楠正成の墓があり、室町時代の石塔が建っています。

鎌倉時代の初めには、源頼朝に追われた義経主従が、山伏姿に姿を変えて奥州に落ちる途中で平泉寺に立ち寄ったといわれ、義経や弁慶に関する伝説も残っている。

御手洗池(みたらしいけ)は、養老元(717)年、泰澄が白山への道中に発見した泉。

現れた女神に、白山へと登ってくるようにお告げを受けたとか。
平泉寺の名前の由来にもなっています。

国史跡白山平泉寺旧境内は、古くから信仰の対象であった霊峰白山(標高2,702メートル)の越前側の拠点として、養老元年(717年)に泰澄によって開かれたと言われています。

先ほどから雪が激しく降っています。

幹が3つに分かれた御神木の杉を見ながら上を目指す。

中世、平泉寺は悪僧の巣窟でもあった。
貴族たちから寄進された所領が多く、寺は富裕で・・・・・・
街道をゆく18 越前の諸道

帰りの道をたどっている。

降りがいよいよ激しくなり振り返っても二の鳥居が見え隠れする。

雪の中、女性の二人連れが参道を上っていく。

あまりの激しい雪に二人は大丈夫だろうかと他人事ながら心配になる。

白山平泉寺歴史探遊館 「まほろば」でバス待ち。

「まほろば」は史跡平泉寺や白山の歴史・自然・文化に関することを展示紹介しています。
また、文化財を活かした学習・交流・地域づくりの拠点施設ともなっています。

降りしきる雪の中に満開の桜、めったに拝めない世界です。

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福井に継体天皇を訪ねる


越前市花筐公園に立つ岡太神社。

迹王の餅神事

毎年九月十三日(現 十月十三日) 未明に行われる神事で、数十の大半桶に盛った餅を積んで献る。 
これは、男大迹皇子が潜龍時代に、郷民を愛育撫恤し給うたというその厚徳に酬い奉らんとして餅をついて皇子に奉ったところ皇子もまた、餅をついて郷民を賑わい給うたという故事によるものという。

さて、村内に男児が出生すれば、迹王の子と称して迹王宮の名簿に記載する。 
成人になると、筆頭のものから三十二人(迹王方十六人・宮方十六人に分かれる)が選ばれ、迹王若者と称して、当年の迹王の餅を献る当役となる。 

当日捧げられた餅は迹王の子たる者に頒たれる。

境内に建つ
「継体天皇潜龍之聖迹」碑

岡太神社 拝殿。

社伝によると、当社の勧請は、男大迹皇子(継体天皇)が御潜龍の折、当地の水害を煩慮なされて水路をお穿ちになり、九頭竜・足羽・日野の三川を開かれた。

このとき、建角身命・国挟槌尊・大己貴命の三柱をこの地に奉祀されて、岡太神社と号して祈誓し賜うたという。

即ち、延喜式神名帳に記載の今立郡十四社の一にして所謂式内の社である。

「継体天皇は、応神天皇の五世の孫にあたる人の、その子である」という意味の記述になっているが、婿の系譜がたとえ事実であったとしても、これほど遠い血縁の人を天皇として迎えざるを得なかったというのは、よほど異常の事態がが委員として存在していたのに違いない・・・・

街道をゆく4 北國街道とその脇街道

日本書紀に、継体天皇という不思議な存在が出てくる・・・・・

街道をゆく18 越前の諸道


皇子が池

大迹の王と(継体天皇)目子姫の子、勾大兄の王子(27代安閑天皇)・日隈の高田王子(28代宣化天皇)ご誕生の折、この池の水を産湯に使ったと伝わっている。

現在、池は正6角形で大きさは27㎡、池は大きな石でふさがれているため水の有無は確認できていない。

この六角形の部分の土地だけ国が所有している。

謡曲 花筐

室町時代の世阿弥が作った謡曲「花筐」 には二人の美しいロマンスが語られている。

越前の国 味真野におられた男大迹皇子はにわかに皇位につくことになり寵愛する照日の前に花筐と玉章を贈って上京し継体天皇となられた。

残された彼女は皇子恋しさのあまり花かごと御手紙を持って大和の玉穂の都へと上り紅葉狩りの行幸に遇う。

そこで花筐が縁で再び天皇の愛を回復したという。

世阿弥には巷間に取材した曲があるがこの「花筐」も当時味真野に伝えられていた継体天皇伝説をもとに創作されたものであろう。

JR武生駅にある継体、照日の像。

継体天皇石像  福井市足羽山公園

「 継体天皇は御名を男大迹皇子と称し、御即位に至るまで数十年間当国越前に潜龍ましましたが、その間越前平野の治水を講じ、笏谷山の石材採掘を勧めるなど、民治に深く意を用いられたので、国人長くその御事績を景仰している。

この石像は天皇の遺徳を追慕し、明治十六年福井地方の石匠島田宮崎谷屋藤間林内等相謀り之を建立したもので、石材は天皇に所縁のある笏谷石を用い、石像の向は之亦天皇が治水に際して水門を開かれしと伝えられる北北西の三国港を遙かに望んでいる。

爾来この山頂に存立して常に市民に親しみ敬われて来たが、昭和二十三年の大震災によって倒壊したの修復再建したのである。
     昭和二十七年十一月  福井市  」

足羽山から福井市街を望む。

本来であれば足羽川堤は桜が満開であったであろう、今年は異常気象のせいですでに散ってしまっている。

以前訪問した観桜の記録

桜満開 足羽川堤防の散策
今日の東海北陸20名城巡りの宿はホテルフジタ 福井 夕食を済ませ桜満開の足羽川堤 … 続きを読む →


前府中城は、越前国南仲条郡(後の南条郡、現在の福井県越前市)にあった城。別名は越府城(えつふじょう)。

関ヶ原の戦い後に越前国が結城秀康に与えられると、その重臣である本多富正が越前府中城に入って改築した。

2層の天守閣があったものの、家臣の居館であったことから、「御館」「御茶屋」と称せられた。
また、藤垣がめぐらされていたことから、藤垣城(ふじがきじょう)という愛称でも呼ばれた。

明治維新以降に堀は埋められて城跡は小学校の敷地となり、更にその跡地に武生市役所(平成の大合併によって越前市役所に転用)が建設された際に城跡は完全に破壊されて、現在は市庁舎と武生駅から越前市役所へと伸びる大通りとして完全に整地されている。

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継体は、ようやく即位19年後の526年、大倭(後の大和国)に都を定めることができたが、その直後に百済から請われて救援の軍を九州北部に送った。
しかし新羅と結んだ磐井によって九州北部で磐井の乱が勃発して、その平定に苦心している(磐井の乱については諸説ある)。

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羅漢像に会える興禅寺


興禅寺は、行基が開いたとされる曹洞宗の寺院。
南海高野線美加の台駅を下車して、徒歩10分ほどの静かな場所にある。

伝承によれば行基により創建され、神護景雲元年(767年)に古稱陀洛山 神宮寺または大乗院と称し、上宮神(現在の赤坂上之山神社)を鎮守として完成した。

元禄12年(1699年)に曹洞宗に改め、伽藍を禅宗様式に増改築した。

興禅寺は白い蓮「斑蓮」が咲くお寺として知られる。
境内の蓮池では、毎年7月から8月にかけて白蓮華である「斑蓮」が白い大きな花を咲かせる。

また、池の周りには多数の羅漢像がある。

多数の羅漢像も圧巻です、静かにお顔を拝見していると、なにやら話し声が聴こえてきそうな気配。

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ウサギの神社 三尾神社


ウサギの神社としてウサギ好きの間ではちょっと知られた神社がある。
滋賀県大津市の三井寺の入り口に建つ三尾神社(みおじんじゃ)だ。

三尾神社の祭神はイザナギともいい、三尾明神ともいう。

途中で三井寺に取り込まれてしまった関係で、イザナギと三尾明神は同一視されたということなのか。
 
三尾の名前の由来は、イザナギが腰に赤、白、黒の3本の腰帯をつけていて、それが3つの尾のように見えたことから来ているという。

三尾神社の御神紋は「真向きのうさぎ」

ある時、その三つの腰帯が赤尾神・白尾神・黒尾神となり、その中で赤尾神が本神とされ、その出現は太古卯の年・卯の月・卯の日・卯の刻・卯の方角よりとされる。

そのため、ウサギが神使とされ、うさぎ・兎・卯にまつわる話が多く伝わっており、境内にも多くの置物があって、兎を象った御守なども多く、「兎の神社」として、卯年生まれの守護神となっている。

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石山寺の桜


約八百年前の中興の祖 朗澄律師ゆかりの庭園。
朗澄律師は自 分の死後鬼の姿になって、石山寺の一切経と聖教を守護し、 人々の降魔招福を誓い入寂された。
大きな石に刻まれて いるのは「石山寺縁起絵巻」に描かれた朗澄律師のお姿。

開基(創立者)は良弁。当寺は京都府の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。

季節は進みすでに青葉の美しい時期。

本堂に裏に回ってみる、ミツバツツジが美しい。

『和泉式部日記』(十五段)では、「つれづれもなぐさめむとて、石山に詣でて」とあり、 和泉式部が敦道親王との関係が上手くいかず、むなしい気持を慰めるために寺に籠った様子が描かれている。
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ミツバツツジが加わり白鮮やかな境内。

甘露の滝、ここも色鮮やかで美しい。

過去の訪問記もどうぞ。

梅開く侯 早春の石山寺
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雪の石山寺に二人の美女を訪ねる
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三井寺の桜


琵琶湖疏水に架かる鹿関橋(かぜきばし)から疏水トンネルを望む。

大門(重文)-仁王門とも呼ばれる。

入母屋造の楼門(2階建ての門で、下層と上層の境には屋根の出を造らないもの)。

もと近江の常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したもの。
墨書銘等から室町時代の宝徳3年(1451年)の建立と推定される。

ちょうどミツバツツジの盛りを迎えており、桜とともに彩が美しい。

「村雲橋」脇には紅しだれが美しく咲く。

園城寺(おんじょうじ)は、天台寺門宗の総本山。山号を「長等山(ながらさん)」と称する。

開基(創立者)は大友与多王、本尊は弥勒菩薩。

日本三不動の一である黄不動で著名な寺院で、観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所。
また、近江八景の1つである「三井の晩鐘」でも知られる。

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住吉大社界隈 桜は見頃


住吉大社幸寿門の前の枝垂れは美しさで定評。

住吉公園は大勢に花見客でにぎわっています。

菜の花、桜、待つのコラボレーションが見事。

社務所前の枝垂れもきれいです。

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京のパワースポット 日向大神宮


日向大神宮の社殿は神明造りで、内宮と外宮に分かれ内宮には“天照大神”が祀られているなど、三重県の“伊勢神宮”との共通点が多いことから「京のお伊勢さん」の名で親しまれてきた。

社伝によれば、第23代顕宗天皇の治世、勅願により筑紫日向の高千穂の峯の神蹟より神霊を移して創建された。

「宇治郡名勝誌」、「京都府山科町誌」には、延喜式神名帳小社に列する「山城国宇治郡 日向神社」とするが、「山城名勝誌」、「山城志」、伴信友の「神明帳考証」では別のものとしている。

応仁の乱で社殿等を焼失し、祭祀が一旦途絶えた。江戸時代初期に篤志家によって旧社地に再建され、交通祈願の神社として有名になった。

天の岩戸。

南禅寺に隣接するが訪れる人はほとんどいない。

紅葉の隠れた名所

不便でわかりにくい場所にあるため訪れる人は少なく観光地化されていない静かな雰囲気が宮の神聖さをいっそう高めている。

とくに紅葉スポットとして隠れた名所として知られる。

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醍醐の花見


真言宗醍醐派総本山で、山号を醍醐山(深雪山とも)と称する。
豊臣秀吉による「醍醐の花見」の行われた地としても知られている。

三宝院 太閤しだれ桜

霊宝館 醍醐深雪桜

醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に、多くの修験者の霊場として発展した。

後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を与え、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。

その後、室町時代の応仁の乱など戦乱で下醍醐は荒廃し、五重塔のみが残された。

しかし豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、紀州などから寺院建築が移築されたり三宝院が建設されたりなどし、今日の姿となった。

新緑も魅力の一つ。

伽藍から西大門を見ながら醍醐を後にした。

前回は新緑の季節に訪問したが、雨中の散策となる。
新緑の醍醐寺 雨中散策
醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音 … 続きを読む →

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