ジオラマで摂河泉の中世都市を見る


大坂の商業の中心船場は、人々の暮らしの場でもありました。

このジオラマは、安政年間(1854〜1860)の船場北端部、淀屋橋にほど近い梶木町と尼崎町1丁目の春の情景を復元してあります。

富裕な両替商が多い地域ですが、裏長屋に暮らす人々もいました。

屋根の吹き替えの様子、かたや馬が暴れて・・・・

復元範囲には、大店両替商「千草屋」、町人の学問所「懐徳堂」、中小の商家、裏長屋などがある。

街区は東西に走る「通(とおり)」と南北を結ぶ「筋(すじ)」によって整然と区画され、町境には配水施設である「背割下水」が通る。

懐徳堂の様子。

天川屋の御寮さん一行がモデル。



大坂本願寺は1533年に成立し、1580年まで存続した浄土真宗の本山寺院で、現在の大阪城付近にありました。

御影堂は宗祖親鸞の木造を安置する堂舎で、各地の門徒は御影堂の参詣のため本山へ集まりました。

教壇で最も重要な建物です。

この模型は永禄4年(1561)3月に御影堂で行われた親鸞300回忌法要の様子を一部再現したもの。


住友銅吹所

鎖国下の長崎貿易で最大の輸出品であった銅を、純度99%にまで精錬するのが銅吹所。

銅吹所は大阪に集中しており、大阪の産業を代表するもののひとつでした。
その中でも住友銅吹所は最大で、幕府高官やオランダ人も視察に訪れました。

大阪市中央区島之内の住友銅吹所跡は、平成2〜4年(1990〜92)にかけて発掘調査が行われた。

調査の結果、遺跡からは銅の精錬や住友家に関するさまざまな遺構や遺物が出土し、考古学・近世史・産業技術史の分野に貴重な情報をもたらした。

角の芝居

天保9年(1838)1月、大坂では顔見世よりも重視された二の替わり興行の情景を再現。

大坂で生まれた名作「仮名手本忠臣蔵」の通し狂言がかけられ、舞台では五段目を上映中である。