東二見漁港にて


東二見漁港はマダコや鯛をはじめ、季節によって様々な魚を水揚げしています。

冬は海苔養殖も盛んに行っています。

釣も盛んです、明石市にある、大きな人工島のほぼ全域で釣りができる「東二見人工島」。

小物釣りで賑わう二見漁港から、沖合に突き出た広大なテトラ帯まで幅広い箇所で釣りが可能!


突然渡り鳥の大群に遭遇。

東二見漁港へは、山陽電鉄東二見駅を降りて南へ徒歩10分ほど。

漁港かいわいには、板壁の家屋が並ぶ細い路地が幾筋も通り、昔ながらの漁師町風情が残っている。

江戸時代、近隣の村との漁業権争いに敗れた不服申し立てを、村の代表者3人が江戸で決死の覚悟で老中に直訴し、権利回復を図った「安永三義人」の逸話が残る漁師町だ。

いかなご漁も有名だ。

ことしも大阪湾と播磨灘では違う分裂解禁日となりました。

大阪湾は2月28日 播磨灘は3月2日 

播磨灘でも主力の西播磨は3月6日とややこしい解禁日

生売り一番 くぎ煮は二番 釜揚げ 干し あとはエサ。

いかなご販売の順位表です。

明石はタコ漁が有名、雑多に置かれたタコつぼ。

干しダコは、水揚げしたタコの内臓を取り除き、竹串で頭と足の部分を広げ、1~2日間天日干しする。

干すことでうまみが増し、天ぷらや同市名物の「たこめし」などで食卓に上る。

兵庫・明石の夏の風物詩・タコの天日干しは、照りつける日差しを十分に浴びさせるため、足が八方に広げられている。

人気者に次々と声がかかる「引っ張りだこ」の由来ともいわれるゆえんだ。







海洋性レクリエーションへの関心が高まる中で、無秩序に係留されている放置艇が全国的に問題となってきている。

この放置艇による影響は、増水時の河川流水の阻害、海域における航行安全上の問題や沈廃船化、景観の悪化など、多 くの問題を抱えている。

これらの問題を解決するため、兵庫県では平成9年度から本格的に放置小型艇収容緊急整備事 業として係留施設の整備を行ってきている。

初秋の無鄰菴


無鄰菴は何度目の訪問だろう、過去に何回か訪問している。

山縣が別邸無鄰菴をこの地に築いた背景には、東山山麓の南禅寺下河原一帯を別荘地として位置づけて発展させようとしていた当時の政財界の動きがあった。

「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関の草庵である。名前の由来はこの草菴に隣家がないことによる。 あるいは『論語』「徳不孤必有鄰」 “徳は孤ならず、必ず隣あり” にあるかもしれない。

第二の無鄰菴は、京都の木屋町二条に購入した別邸、そして第三の無鄰菴が京都・南禅寺参道前に造営した別邸で、「無鄰菴会議」の舞台ともなった場所である。

過去の訪問記

真冬の元勲の館 無鄰菴
元勲の館 元勲の部屋 和室 古い館に生きる 水鳥のいる風景 関連記事 ≪バスツア … 続きを読む →

山県有朋の別荘 無鄰菴
「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。 最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関 … 続きを読む →


山縣有朋の別邸、第三の無鄰菴は京都府京都市左京区、南禅寺のすぐ西側、琵琶湖疏水のほとりにある。

南禅寺界隈別荘の一つ。
敷地は三角形の形状で、広さ約3100m2。現在は1941年に寄贈されて京都市が管理している。

その庭園は1951年(昭和26年)6月9日、国の名勝に指定された。

この一帯にあって広大な境内に塔頭が立ち並んでいた南禅寺は明治初期の廃仏毀釈で、他の寺院と同じく寺領の上知を命ぜられ、境内の縮小や塔頭の統廃合を余儀なくされた。

このとき上知された寺の土地はやがて民間に払い下げられた。
琵琶湖からこの地に至る琵琶湖疏水が計画され、第一期工事が明治23年に竣工する。

京都市や京都府は、この東山地区を風致地区として、将来の別荘地とする方針を取っていた。
無鄰菴は、その別荘・別邸群の先駆けともいえる存在となったのである。

無鄰菴に続くようにできた付近の別荘の作庭も、七代目植治がその多くを引き受けることとなった。

無鄰菴の庭園は、東山を借景とし、疏水から引き入れた水の流れがゆったりとした曲線を描いている。

東端には醍醐寺三宝院の滝を模した三段の滝。

池、芝生を配した池泉廻遊式庭園。明治の代表的造園家・小川治兵衛(植治)の作。昭和26年に明治時代の名園として国の「名勝」に指定されている。


無鄰菴に疏水を引き込む際、「防火用水」の名目が使われている。

琵琶湖疏水の建設には多額の税金が掛けられているため、京都市としては「庭園のため」では許可出来なかったためである。

第二の無鄰菴 京都の木屋町二条に購入した別邸
角倉了以別邸跡 高瀬川源流庭苑
現在のみそそぎ川は京都府立医大病院の北側で鴨川から取水し、そのまま暗渠で荒神橋を … 続きを読む →


現在洋館の2階には山県家から寄贈されたといわれる家具が展示されているが、日露戦争開戦前の1903年(明治36年)4月21日にはここでいわゆる「無鄰菴会議」が行われた。

差の時の様子は山県有朋の別荘 無鄰菴
「無鄰菴」と名付けられた山縣邸は三つある。 最初の無鄰菴は山縣の郷里、長州・下関 … 続きを読む →
にあるような様子ではなかったかと。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!