名城の旅

北陸

大谷吉継の敦賀城跡

大谷吉継は裏切りが常の戦国の世に、盟友・石田三成との堅い友情に殉じた武将、また晩年はハンセン病を患い、白い布で頭を覆って戦った武将として知られている。現在、城跡には城塁を含め、その面影を偲ばせるものはない。敦賀城伝承地は、北は結城町の赤川、...
大阪府

乱世を生きた戦国武将最後の地を巡る 若江の戦い

八尾・若江の戦いは、豊臣家の江戸幕府に対する最後の抵抗を鎮圧するために行われた大坂の陣(大坂の役)のうち、1615年(慶長20年)に発生した大坂夏の陣における戦いの一つ。東大阪市岩田町3丁目 飯島三郎右衛門の墓 飯島三郎右衛門は、市内高井田...
北陸

若狭武田氏の拠点 後瀬山城

後瀬山城はJR小浜駅の南西に聳える標高168m程の山に築かれている。 現在主郭には愛宕神社が祀られており、北東麓から整備された参道が続いている。参道を登り始めると、最初はかなり急な石段が続いていく。大永2年(1522年)若狭国守護・武田元光...
北陸

京極高次の居城 小浜城

関ヶ原の戦いの戦功により、小浜に近江大津6万石を領し大津城主であった京極高次が若狭一国を与えられ若狭小浜8万5,000石で入る。先ず、天守閣跡に上る。天守台跡を望む。ご覧の通りすぐ近くまで民家が迫り石垣の撮影が極めて困難だ。状況は分かってい...
奈良県

大海人皇子出家時の世尊寺

大海人皇子は吉野の宮に入る前に天智天皇に申し出た言葉通り寺に入って修行したという説がある。当時、聖徳太子が建立したとされる比曽寺(ひそじ,現 世尊寺)が飛鳥からの道を吉野に入ったところにある。乱勃発後大海人皇子が吉野から東国へ逃れる際には、...
九州

金石城

金石城(かねいしじょう)は、市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょう)ともいう。享禄元年(1528年)に、宗将盛がこの地に築いた金石屋形(かねいしのやかた)を始めとする。城内の一角には1988年(昭和6...
奈良県

梟雄松永久秀の居城 多聞山城

松永久秀によって、眉間寺山と呼ばれていた標高115メートル、比高30メートルの山に築城された。城には多聞天が祀られていたため多聞山城と呼ばれ、現在でも城跡の山は多聞山と呼ばれている。多聞山城の主要部は若草中学校にあり、西部は仁正皇后陵、聖武...
四国

気分は海賊!! 能島 潮流体験

能島(のしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する無人島。能島村上氏の拠点として知られ、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。港を出港すると伯方・大島大橋、能島が見えてくる。海底...
四国

来島村上氏の拠点 来島城

来島城は来島瀬戸に浮かぶ周囲1km程の小島に築かれている。現在も人が住んでおり、定期船が運航され簡単に渡ることができる。波止浜から出た船は来島までわずか5分という短い船旅だ。出航するとすぐに来島に向かって真っ直ぐに船が進む。舟は全長7,8m...
地域

村上水軍 因島水軍城

昭和58年、水軍のふるさと因島に築城された、全国でもめずらしい城型資料館。村上水軍は南北朝から室町戦国時代にかけて、この辺りの海路を制覇し、水軍王国として活躍しました。この因島水軍城は、金蓮寺の住職が、因島村上水軍の資料館と因島を代表する観...
地域

小早川水軍の拠点 三原城

小早川水軍は三原湾の大島と小島を石垣でつないだ海城で、天守台は大島の中心にあった。また、小早川水軍の母港の役割も果たす海賊城でもあった。臨海一番櫓址前方は、当時は海であった。JR三原駅南側のペアシティ三原西館(三原国際ホテルなどが入居してい...
京都府

山崎城跡 秀吉の居城

山崎の戦い後、大坂城が築城するまで豊臣秀吉が山麓にある宝積寺も含めて本拠地としていた。別名「天王山宝寺城」や「天王山城」とも呼ばれている。青木葉谷展望台 (あおきばだにてんぼうだい) は、天王山頂への登り道の七合目付近にある。展望台は、その...