歴史的建造物

京都府

紅葉2015 嵐山の穴場 厭離庵

最初に選んだのは厭離庵(えんりあん)、一般的な紅葉の見頃を過ぎた頃、散りもみじが美しい場所。 数ある嵐山の名所の中でも、カメラマンが朝一番に一目散で目指す場所なのです。 しかし、初めての人には場所が分かりずらい、民家の間をすり抜けるように参...
京都府

御所の紅葉

九州20名城の掲載を始めたばかりですが季節の話題を。 御所の秋を撮りたいと思い立ち3か月前に参観を申し込んでおいた。 一般参観と違って少人数で参観できるので建物も人の頭を気にしないですっきりしたものが撮影できるのがメリット。 御所の訪問記は...
九州

特別史跡 西都原古墳群

西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は、標高70メートル程度の洪積層の丘陵上に形成されている日本最大級の古墳群。 3世紀前半~3世紀半ばから7世紀前半にかけてのものと推定されている。 現在、高塚墳311基が現存し、その内訳は前方後円墳31基...
大阪府

古民家を訪ねて 摂津能勢の民家(旧泉家住宅)

この家は大阪府の北端、能勢町吉野から昭和35年(1960)に移したものですが、移築に際して、後世改造されていた部分を原形に復元しなおしています。 移設元:旧豊能郡能勢町吉野 この民家の特色は入母屋造茅葺(いりもやづくりかやぶき)の屋根をあげ...
大阪府

古民家を訪ねて 飛騨白川の民家(旧大井家住宅)

合掌造りの名は屋根の木組みが、掌(たなごころ)(手の平)を合わせた形になっているところからきています。 移設元:旧岐阜県大野郡白川村大牧 昭和31年(1956)に飛騨白川村(ひだしらかわむら)より移築されたこの民家は「合掌造り(がっしょうづ...
大阪府

古民家を訪ねて 奄美大島の高倉(旧重光家高倉)

奄美大島や沖縄には高床式(たかゆかしき)の倉が残っています。 このような高床倉(高倉)は台湾やフィリピンなどの南方地域にその起源があると思われます。 古代には日本国中に存在していたと考えられますが、現在では南西諸島や八丈島にわずかに残るのみ...
四国

こんぴら船々

江戸時代末期には「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」との民謡が歌われ始める。 松山自動車道、吉野川ハイウェイオアシスで昼食をいただき金毘羅へ向かう...
四国

三角形という大胆な形状 坂の上の雲ミュージアム

三角形という大胆な形状 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をテーマにしたミュージアム。 コンクリートとガラス張りのモダンな建物で、安藤忠雄氏が設計 “安藤忠雄” の検索結果 | きままな旅人 (eotona.com) 司馬遼太郎の小説『坂の上の...
四国

純フランス風 萬翠荘

萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したもの。 陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集ま...
四国

マイントピア別子 端出場(はでば)ゾーン

愛媛県新居浜市の別子銅山は、住友財閥の基礎を作ったことで知られ日本三大銅山(あと2つは足尾銅山と日立銅山)と呼ばれるほどの規模を誇りましたが、昭和48年に閉山となりました。 最後の採鉱本部が置かれていた端出場(はでば)地区を開発した端出場ゾ...
四国

東洋のマチュピチュ 別子銅山 東平ゾーン

標高750mの山中にある東平(とうなる)は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれ、社宅・小学校・劇場・接待館が建てられるなど、昭和43年に休止するまで町として大変な賑わいをみせていました。 松山自動車道を走っています、煙...
地域

世界最古の庶民のための公立学校!閑谷学校(しずたにがっこう)

古民家を訪ねてシリーズを始めたばかりですが、季節の話題を挟ませていただきます。 今回は「東洋のマチュピチュ別子銅山と山陽しまなみ秋景色」というタイトルのツアーです。 秋晴れの難波からのスタートです。 秋らしい雲の広がる中、淀川を渡る。 最初...