雪の東福寺通天橋


鳥羽街道から東福寺へ向かう。

平安京造営にあたり、平安京の玄関口である羅城門(羅生門)から真っ直ぐ南下していた計画道路である鳥羽作り道(とばつくりみち)に端を発する。

なお、この鳥羽作り道の久我森ノ宮から山崎へ南西方向に直線的に進んでいた道が久我畷(こがなわて)である。

鳥羽作り道は桂川河畔の草津湊を経て、巨椋池岸の納所(のうそ)へとつながっており、水上交通との接点となっていた。ここが納所と呼ばれるのは、平安京へ運ぶ物資の倉庫であったことに由来すると言われる。

また、鴨川と桂川に隣接している。

これらの河道が大きく変化したことによって、最初は直線であった道も時代が経つにつれて次第に蛇行するようになった。

南大門(京都府指定有形文化財)

三門(国宝) – 応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものである。

上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門である。

三門は、空門、無想門、無作門(むさもん)の三解脱門の略で、涅槃に達するために通らなければならない門とされています。

大屋根の4隅には角柱がありますが、これは天正13年(1585年)に豊臣秀吉が三門の傷みを大修理した際に補足した柱で、通称「太閤柱」と呼ばれています。

三門の南側には、思遠池(しおんち)という池があり、夏になるとハスがたくさんの花を咲かせます。

昨夜来のうす雪が積もりまたとない景観を醸している。

東司(とうす、重要文化財) – 室町時代唯一、日本最大最古の禅宗式の東司(便所)の遺構で、多くの修行僧が一斉に用を足すことから百雪隠(ひゃくせっちん)とも呼ばれる。

内部は中央通路をはさんで左右両側に円筒の壺を埋める。

禅堂(重要文化財) – 貞和3年(1347年)再建。

豪壮な姿に往時の隆盛がしのばれる単層・裳階(もこし)付切妻造の建物で、中世期より現存する最大最古の禅堂。

経蔵 – 寛政6年(1794年)再建。

通天橋 – 仏殿から常楽庵に至る渓谷・洗玉澗に架けられた橋廊で、天授6年(1380年)に春屋妙葩が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。

1959年(昭和34年)台風で崩壊したが2年後に再建、その際橋脚部分は鉄筋コンクリート造となった。

一面の紅葉も見事だろうが、雪景色もなかなかのもの、枯山水を見ているようだ。 

前方に見えるのは臥雲橋、橋脚から屋根まで木造りの臥雲橋は生活道路でもあるが、この橋から通天橋を眺める景色はCMなどでもお馴染み。

東福寺の通天橋は、東山から流れ出る三ノ橋川に架かる橋。

普段はちょろちょろしか水は流れていませんが、通天橋や臥雲橋から下をのぞき込むとわかる通り、川が流れています。

この三ノ橋川は、伏見稲荷大社のある稲荷山(233m)の北麓に源を発し、東福寺境内を横断し、琵琶湖疏水(鴨川運河)の下をくぐり抜けて鴨川へと流れ込んでいます。

小さな川ながら、東福寺境内では高低差10mほどの深い渓谷を刻みながら西へと流れています。

青空と木々の緑の中で愛らしくも感じる朱色の杮葺き八角円堂「愛染堂」が佇んでいる。

愛染明王を祭る愛染堂は縁結びにも御利益があるといわれている。

大きな門までたどり着くと、上部に楼閣が張り出しているのが特徴的な開山堂(別名 常楽庵)が正面に見える。

聖一国師が祀られるのが、通天橋の先にある「常楽庵(じょうらくあん)」。

門を入ると、眼前に開山堂があり、その左右には、「枯山水」と池を配した「鑑賞式」、二つの庭が広がります。

角度によって別の顔がのぞめる、不思議なお庭です。

右は、普門院 – 文政9年(1826年)再建。
現在工事中。

客殿(重要文化財)と庫裏(重要文化財)からなる。

かつて京都十刹の一つに数えられていた名刹普門寺の名残を残している。

青空に月が覗き、屋根の雪とともに見事。

墓地への小径、一部壁が崩落して風格を見せる。

三ノ橋川には、上流から「東福寺三名橋」ともいわれる偃月橋(えんげつきょう)、通天橋、臥雲橋の3つの橋がかかっており、通天橋は真ん中の橋。

1380年(天授6年)に春屋妙葩(しゅんおくみょうは:普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられる。

南宋径山(きんざん)の橋を模したもので「通天」と名付けられた。

現在の通天橋は、1959年(昭和34年)に台風で倒壊した後、1961年(昭和36年)に再建されたもの。

黄金色に染まる三ツ葉楓は開山の聖一国師が宋から伝えた唐楓といわれている。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

大仙公園


北東に大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、南西に上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)があり、両古墳に挟まれる位置に広がっており、園内にも小古墳が点在している。


堺市博物館、自転車博物館、堺市立中央図書館、堺市茶室「伸庵」「黄梅庵」、堺市都市緑化センター、平和塔、日本庭園などが設けられている。

1989年(平成元年)に「日本の都市公園100選」、「大阪みどりの百選」、2014年(平成26年)には「日本の歴史公園100選」にそれぞれ選ばれた。


大仙公園の南半は、1629年(寛永6年)に江戸幕府の代官・高西夕雲と堺の豪商・木地屋庄右衛門によって開発された新田で、当初は万代(もず)新田と呼ばれたが、のちに夕雲開(せきうんひらき)と呼ばれるようになった。


伸庵(しんあん)

明治から昭和にかけて多くの茶室を残した数寄屋普請の名匠・仰木魯堂(おおぎろどう)が手がけて1929年(昭和4年)に建てられた茶室。

以前は東京・芝公園にあったが、福助が寄贈し、1980年(昭和55年)に現在の地に移築された。

国の登録有形文化財に登録されている。

玄関横に設けられた立礼席は、移築の際に加えられたもので、一般の人もお茶を楽しむことができる。

2007年(平成19年)の将棋竜王戦第一局の会場となった。

黄梅庵(おうばいあん)

元は、堺の商人で茶人だった今井宗久所領(現在の奈良県橿原市今井町)の豊田家にあった茶室。

明治から昭和にかけて日本の電力開発に尽力した「電力の鬼」にして近代の数寄者・松永安左ヱ門(耳庵)が、戦後に小田原の別邸内に再興した。

黄梅庵の名は、梅が熟し黄色く色づくころに完成したことから耳庵が名づけたもの。

現在の地には、耳庵の遺族から寄贈を受け、1980年(昭和55年)に移築された。

国の登録有形文化財に登録されている。
普段は内部は公開されていない。

平和塔

堺大空襲などの死者、堺市の戦没者らの鎮魂を祈念して1971年(昭和46年)に建設された、高さ60mの大仙公園のシンボルタワー。

内部は非公開だが、階段が設けられており頂上に上ることは可能になっている。

園内には医師のモニュメントか点在しているが古墳と関係あるのかな。




この蔦の絡まった古い民家、周りの景観と不釣り合いで異彩を放っている。
関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

太陽公園 石のエリア


パリのシャンゼリゼ通りにある「エトワール凱旋門」、奥には巨石群が並ぶ。

公園は社会福祉法人愛光社会福祉事業協会(太陽福祉グループ)によって運営され、また同施設は障害者の雇用の場にもなっており、入場料等の収入は障害者への給与等に充てられている。

園内には三光園、愛光園などの福祉施設が併設されている。

有名なイースター島のモアイ像、なにか違和感を感じますが、目を見開いているからだと気付くまでに少し時間がかかります

アステカのチャクモール。

ベルギーの首都ブリュッセル市街中心部、グランブスのブリュッセル市庁舎にある、放尿する少年のブロンズ像。

世界各地に小便小僧はあるが、これが本家と言われる。

本場中国の兵馬俑博物館において作成した兵馬俑のレプリカを、なんと1,000体展示!

発掘当初の情景、上土を2メートルほど取り除くと、ゴザを敷き詰めた痕跡と丸太が現れ、丸太を取り除くと胸から腰まで土に埋まって壊れた兵馬俑が出現。

当初、兵馬俑は全て美しい極彩色で仕上げられていましたが、発掘され空気に触れると数分または数時間で色が薄れてしまいました。

鶏足寺、木の葉が色づき始めています。

おびただしい数の五百羅漢。

今日は紫禁城の庭で弁当にしました、涼しい風が吹き渡り心地よい。

双頭寺、境内から見上げると青空に突き出た二つの塔が見えます。

万里の長城の入り口。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

神戸中心部にある唯一の日本庭園 相楽園


相楽園は兵庫県神戸市中央区にある広さ20,000m²の都市公園・日本庭園。

日本の文化財保護法に基づく登録記念物の最初の登録物件である。
ツツジの名所として知られる。

旧小寺家厩舎

この建物は相楽園を築いた実業家小寺泰次郎の息子である元神戸市長・小寺謙吉が園内の一角に建てたもの。

相楽園に残っている戦前の数少ない遺構の一つ。

建物平面はL字型、 1階は左側が馬車庫で右側が馬房、2階は厩務員宿舎という用途で、1階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造という構造。

外観は円型塔屋や急勾配の屋根・屋根窓と切妻飾り等々、ドイツ民家風の重厚な意匠に飾られている。

旧ハッサム住宅

設計はシュエケ邸や門邸など数々の異人館を手がけたA.N.ハンセル(Alexander N. Hansell)といわれている。

竣工は1902年。
広大な日本庭園を望む南側ベランダは、1階がアーケード式、2階がコロネード式で、邸の外観上の特徴になっている。

明治時代の異人館の特徴を伝える名建築として評価され、1961年6月7日に国の重要文化財に指定されている。

1995年の阪神・淡路大震災では、煉瓦積の煙突が室内配膳室に落下するなどの被害があったが修復され、現在に至る。
落下した煙突は震災の記録として前庭の一角に展示されている。

前庭に建つ2本のガス灯は1874年頃に旧居留地の街灯として設置された、現存する日本最古級のガス灯。

三田藩士・小寺泰次郎が幕末から明治維新の混乱で困窮する三田藩の財政を立て直すべく、九鬼隆義、白洲退蔵(白洲次郎の祖父)らとともに神戸で事業を起こし実業家として成功を収め、小寺の私邸として建設されたもので、1885年頃から築造を始め1911年に完成させた広大な庭園と邸宅である。

当初「蘇鉄園」と呼ばれていたが1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国易経にある「和悦相楽」より取った「相楽園」と変えて一般公開されるようになった。

小寺邸内にあった茶室「浣心亭(かんしんてい)」は神戸大空襲で焼失、戦後に離れのあった、池の南側に新築された。

常時公開はしていませんが、ツツジが綺麗に咲く4月〜5月に、「つつじ遊山」という毎年恒例のお茶会イベントで一般公開されています。

船屋形(ふなやかた)は、兵庫県神戸市中央区の相楽園内にある歴史的建造物”川御座船”。

御座船とは江戸時代に大名が参勤交代や遊覧に使用した船を言い、今日まで残っているものは数件である。

なかでもこの船屋形は川御座船としては唯一現存するもので、その希少性と歴史的文化的価値の高さから1953年(昭和28年)に国の重要文化財に指定されている。

池越しにパーラーを望む。

石段を下り、沢飛石を越えると石で囲まれたトンネルがみえてくる。

沢飛石の右手には二段落としの滝石組が作られている。


石組み・石橋・飛び石・敷石

伊予青石、丹波石、御影石、鞍馬石などを贅沢に使用しており、いろいろな表情を楽しめます。




今日のお昼はこちらのパーラーで。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

突然猫が・・・・・


2月堂の夕日の撮影を終えて登楼を降りていると突然猫が横切ったのです。

一番最後に降りたのでもう誰もいないと思い移動を始めたらしい。

見るとかわいい子猫ではないか。

今度は鹿の群れです。
裏参道を降り大極殿の角を左に曲がったところ。

ちょうど2月堂への参道、鹿がねぐらへ帰る群れと出くわしたのです、40~50頭はいたでしようか。
唖然として見送った。

大極殿、誰もいない、きれいなブルーの中を急ぐ。

前方には南大門、二人連れがゆく。

振り返ると大極殿、ブルーの中に浮かぶ。

南大門、奥に大極殿が闇に浮かぶ。

東大寺境内の重要なランドマークとも言える「南大門」ですが、その歴史は大仏殿等と同じく「奈良時代」にまで遡ります。

但し奈良時代から建設されていた門は平安時代中期の応和2年(962年)8月に台風の被害を受け倒壊し、200年以上経過してから鎌倉時代の正治元年(1199年)に東大寺中興の祖として現在も広く知られる「重源」が指揮を取る中で復興されたものが現在の南大門となっています。

闇に浮かぶ吽形像。
素晴らしいコントラスト。

正面から見て門の左側には阿形像、右側には吽形像が安置されていますが、これらは鎌倉時代の天才的仏師(仏像を造る職人)である運慶が指揮をとり、快慶らとともに彫り上げたもので、門が完成した後、建仁3年(1203年)にわずか69日間の製作期間で造り上げられたと言われています。

なお、夜間には阿吽も含め周辺がライトアップされ、運慶らの「才能」をひときわダイナミックに鑑賞できます。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

安藤忠雄の世界 大阪文化館・天保山


サントリー創業90周年を記念し、佐治敬三氏が大阪に芸術や文化と親しめる空間、そして街中では中々見られない「きれいな夕日」を眺められる美術館の設計を安藤忠雄氏に依頼。



コンセプトは「夕日の見える美術館」とのことで、夕暮れ時には海の眺めも美しい。

ガラス面を多く採用し、空の青や海の濃紺を取り込み、時間帯によって様々な表情を見せてくれる。



「サントリーミュージアム」は旧称であり、2011年以降サントリーは運営に関与していない。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

京都迎賓館 正面玄関


京都迎賓館は、1994年(平成6年)10月に「国立京都迎賓館」として、その建設が閣議決定され、2005年(平成17年)4月17日に開館した。

内閣府のサイトの公式説明によると、京都迎賓館というのは、日本の歴史や文化を象徴する都市である京都において、海外からの賓客を心をこめてお迎えし、日本への理解と友好を深めていただくことを目的に建設された、という。

場所としては、江戸時代に園家・柳原家・櫛笥家など、複数の公家の邸宅が建っていた京都御苑の敷地の北東部に建設された。

正面玄関の扉には、樹齢700年の福井県産の欅(けやき)の一枚板を使用しています。

引手は銅製で、京都の組紐をモチーフにして絆の意を込めたシンプルなデザインの「有線七宝(ゆうせんしっぽう)」が施されています。

福井産の木は、直径二メートルを超える巨木だったという。

伐採後、三十年ほど眠っていた。

ゆっくりじっくり乾燥した木。
京都迎賓館の設計を担当した日建設計理事佐藤義信さん(五七)は「二つとある木ではない。出会いがすべて」と振り返る。

木目を生かすため、板には何も細工をしていない。
取り付けた最初は、全体が黄色っぽく、むらもあった。

「バタバタした木」と表現する人もいたが「木を知っている者は何も心配しなかった」と佐藤さん。
 
一年半過ぎて、扉は変わった。
色が落ち着き、木目は際立ってきた。
これからまだ変わる、という。時の流れが楽しみになってくる。

天井には吉野杉が用いられ、舟底形の天井になっています。

前方に見えるのが正門。

見学者は西門からはいります。

床板には欅(けやき)材を使用し、特殊な加工を床板に施すことによって、傷がつきにくくなっています。

カーテンは一切使用せず、窓などの内側は障子としています。

池が見えています。

正面玄関で靴からスリッパに履き替えましたが、国公賓客はそのまま靴で歩けるようにと、廊下の板には特殊加工がされているそうです。

賓客はそのまま靴で歩きますが、見学者には厳しいのです、柱に少し触れたら注意されますし、撮影時に膝をついたらだめといわれた。

「折り紙」をイメージした行灯

行灯は本美濃紙を使用し、鉄や釘を一切使わない伝統的技法である京指物で組まれています。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

北浜にレトロビルを訪ねる


北浜駅の近くにあり、壁一面に蔦の絡まった独特の雰囲気のビル。

蔦は甲子園から株分けされたという。

国登録有形文化財で、隣の伏見ビルとともに大正時代のビル。

館内には建設当時のステンドグラスやガラス窓が現存しており、階段の手すりのねじり細工、食堂(現在は珈琲店)のマントルピースや、葡萄模様の施された梁など、建物の各所に施主のこだわりがうかがえる。

薬問屋街の道修町に残る旧小西家住宅は、近代大阪の町家を集大成した和風建築(国の重要文化財)。

小西家は、初代儀助(ぎすけ)が安政3年(1856)、京都から大阪道修町に出て薬種業・小西儀助商店(現・コニシ株式会社)を創業したことに始まる商家。

現在の建物は明治36年(1903)から3年かけてつくられたもの。
主屋裏には奥庭を挟んで衣装蔵および二階蔵がある。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

師走の万博公園

北日本では大雪との気象情報が連日流れる、この日も北風の寒い一日でした。

太陽の塔の西側の通路を民博へ向かう。
この通りは紅葉期にはとてもきれいな景色を見せてくれますがこの時期すっかり落葉して木枯らしの吹き抜ける通りになっている。

万博公園の秋
万博公園では早くも紅葉の見ごろを迎えている。 一方、先日の台風の被害は大きく、コ … 続きを読む →


民博の前庭のトーテムポール。

水の広場横の柳の木永く木陰を引いて寒々とした景観。

ヤナギの木越しに太陽の塔。

水の広場から東を望む。

国立民族学博物館、略称は民博(みんぱく)。
民族学・文化人類学を中心とした研究・展示を行っている、博物館を持った研究所。

現在、総合研究大学院大学の文化科学研究科も設置されている。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

大阪市中央公会堂


大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人である岩本栄之助が公会堂建設費として当時の100万円(現在の貨幣価値にしておよそ数十億円とも)を寄付したことにより、1911年8月に財団法人公会堂建設事務所が設立され、建設計画が始まった。

特別室に入るとまず目に飛び込んでくる壮大な天井画!!

日本神話から「天地開闢(てんちかいびゃく)」の様で高天原に生まれた三柱の神。

伊邪那岐に天沼矛を授けようとする天津神。

堀江を開削し 茨田堤(まむたのつつみ)を築き、高津宮を難波に造営した仁徳天皇。
画は 仁徳天皇が 淀川の治水工事の関して臣下から説明を受けているところだろうか。

北浜の風雲児と呼ばれた相場師・岩本栄之助は渋沢栄一が団長となった1909年(明治42年)の渡米実業団に参加し、アメリカ大都市の公共施設の立派さや富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い印象を受けた。

彼は父の遺産と私財をあわせた100万円を公共施設建設に寄付することを決め、蔵屋敷の廃止後衰退し再生を模索していた中之島に公会堂を建設することにした。

見事なステンドグラス!中央円部分の四隅のリボンのような紋様が大阪市の市章である「みおつくし」になっています。

このリボン、実は大阪の市章「みおつくし」をモチーフにしたデザインなのだそう。

「みおつくし」とは、船の航路を示す目印として海に立てられた杭のことで、川が多いため水の都と言われた大阪市が、明治時代に市章として採用したものです。

扉の模様も描かれているように見えて、実は色の異なる木を模様に切り出しはめ込むという木工象嵌(もっこうぞうがん)という技法が用いられています。

このような技術者はもういないという。

このカーテンは建設当時の物を復元したもので、図柄は「四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん)」と言い法隆寺に伝わる国宝から取っているそうです!

四騎獅子狩文錦は1400年以上むかしササン朝ペルシャで流行した文様である。
この錦はササン朝ペルシャで製作されシルクロードを通って隋朝の中国にもたらされたかまたは中国でペルシャ人織工によって織られたかまたはペルシャ織を学んだ中国人染工、織工によって中国で製作されたのだろう。

いずれにせよ遣隋使小野妹子が日本に持ち帰り厩戸の皇子( 聖徳太子 )に献上した。

太子は行啓(ぎょうけい)の際、この錦を御旗とした。

隋、唐の文明も 西域の影響を受けていた。

この大理石の床には所々に化石も見られます。

なによりも一枚一枚タイルが敷き詰められているように見えますが、実は大きな石一枚に筋を入れて9枚のタイルに見えるよう細工されているそうです。

この部屋はツァーの対象外、何か催しの準備中。

地上3階地下1階建ての建築内部は階段部分のみ吹き抜けになっていて、手すりのレリーフなども凝ったデザインが施されています。

また地下一階展示室北側の階段脇には、創建当時、地中に打ち込まれた松杭も保存展示されています。

通常時のガイドツアーは要予約で月に5日ほど設定日があります。

コースは、特別室と展示室や地下一階の見所を案内してもらえる30分ほどのベーシックコース(500円)と、地下1階のレストランでのランチ付きスペシャルコース(2000円)の2種類。
どちらも公会堂オリジナルグッズのお土産付き。

大会議室の緞帳が廊下の壁に保存されている。

この緞帳は五代目で1968年公会堂の建設50周年記念に造られた。
そごう百貨店、日本生命によって寄贈された。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!