2017-02

奈良県

なぜ? ふたつの大極殿 平城京の謎

第二次大極殿跡から第一次大極殿跡を望む。藤原京から平城京への遷都は文武天皇在世中の707年(慶雲4年)に審議が始まり、708年(和銅元年)には元明天皇により遷都の詔が出された。これが第一次大極殿。藤原不比等主導の遷都であった。飛ぶ鳥 明日香...
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南都七大寺の面影を追って 西大寺

「西大寺」の寺名は言うまでもなく、大仏で有名な「東大寺」に対するもので、奈良時代には薬師金堂、弥勒金堂、四王堂、十一面堂、東西の五重塔などが立ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院であった。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称...
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ならまち八景を巡る

ならまち格子の家。奈良町の伝統的な町家を再現して、観光案内所にした建物。ならまち散策 格子の家 -陰影を楽しむ江戸時代末から明治時代にかけて、「ならまち」に点在した町家をモデルに建てられた施 … 続きを読む →元林院は奈良町の一角として当然...
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飛鳥時代の行基瓦の残る元興寺

最古の寺といわれる飛鳥寺がルーツ。平城遷都にともない、この地に移転、南都七大寺のひとつに数えられる大寺であった。現存するのは極楽坊と呼ばれた僧房遺構。すぐ南に五重塔跡が伝わる。金堂や講堂などは「ならまち」の民家や道の下に埋もれている。東大寺...
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上ツ道のまちなみが残るならまち

上ツ道(かみつみち)は、古代日本における官道のひとつで、近世日本において同官道を元にした街道。近世においては、上街道(かみかいどう)とも呼ばれた。猿沢池からスタート。猿沢池の横には采女神社があって、鳥居を背にしてお社が建っている珍しい神社。...
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陰影の美しい町屋空間 ならまち「にぎわいの家」

大正時代、古美術商の大隅家が所有していた「奈良町にぎわいの家」。約704平方メートルの敷地内には、大正6年に建てられた木造2階建ての「主屋」や「離れ」、江戸時代後期の建築と推定される「蔵」がある。玄関を入ると吹き抜けの青空。暖簾に優しくひか...
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レトロな町屋でお昼をいただく

茶房暖暖、なぜかだんだんでなくのんのん。元々は江戸末期に建てられた商家を改装したもの、今日のお昼はここでいただく。店から中庭が見渡せ、100年を超えるという梅の木。土間の上の梁。元は煮炊きするスペース、かなり燻されていい色になっています。江...
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興福寺門跡寺院庭園 大乗院庭園

興福寺の門跡寺院である大乗院の寛治元年(1087年)創建と同時に築造された庭園は、12世紀における平重衡による南都焼討で被災し、興福寺別院である定禅院跡地に移築されたが、ここも15世紀中期の徳政一揆で荒廃したため、復興を目的に尋尊が銀閣寺庭...
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元林院町界隈

猿沢池の南西に位置する元林院町は、かつて興福寺の別院元林院があったところといわれ、江戸時代には、仏画などを描いた竹坊という絵師が住んでいたことから絵屋町ともよばれた。町内を流れる率川(いさがわ)にかかる橋は今も絵屋橋といわれている。もちいど...
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しあわせ回廊をのぞく

なら取材のついでに開催中の「しあわせ回廊なら瑠璃絵」を少しだけ覗いてみる。興福寺では五重塔ライトアップ、東金堂夜間拝観高山竹灯り等が公開されている。回廊(廻廊)とは寺社仏閣の建物や中庭を囲む廊下のこと。文字のとおり境内を「廻る」ための道。そ...
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興福寺 五重塔夕景

鶴福院町から望む五重塔は「ならまち八景」のひとつ。既に陽は西へ傾いている、パンフレットには夕景は必見とある。五重塔と夕日の組み合わせ、ちょっと絶好のポジションは中々見つからない。そのうち見つけよう。南円堂も沈む夕日を背にとりあえず一枚。三重...
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不審ヶ辻の鬼

この冬2度目の寒波到来とのことで奈良に撮影に出かけたが今回も空振りに終わった。土塀の残る高畑町、正式には「たかばたけちょう」と詠む。村内は東部の上高畠、西部の下高畠に大別され、上高畠は春日神社の禰宜町で神官や禰宜が多く住み、下高畠は奈良町に...