夫婦和合の奇祭「おんだ祭」で知られる飛鳥坐神社


飛鳥坐神社は、奈良県高市郡明日香村にある神社。
式内社(名神大社)で、旧社格は村社。

2月第1日曜日(元は旧暦1月11日)のお田植神事「お田植祭(おんだまつり)」には、天狗や翁が竹棒で人々を追い回して叩いたり、夫婦和合の所作(種まき前の胤付けの意で、天狗とオカメが性行為、特に正常位を踊る)があり、奇祭として知られている。

境内には、男性器を模した石が多く安置されている.

画像はあまりにもリアルではばかりがあるので省略、実際に現物を見ることをお勧めする。。

創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。

創建の由緒は不詳であるが、『出雲國造神賀詞』に「賀夜奈流美命ノ御魂ヲ飛鳥ノ神奈備ニ坐テ皇孫命ノ近守神ト貢置」とあり、大国主神が皇室の近き守護神として、賀夜奈流美命の神霊を飛鳥の神奈備に奉斎したとある。

また『日本書紀』朱鳥元年(686年)7月の条に「奉幣 於居紀伊国国懸神 飛鳥四社 住吉大社」とあり、天武天皇の病気平癒祈願のため幣帛が奉られた。
『日本紀略』によれば、天長6年(829年)、神託により、現在の鳥形山へ遷座した。(遷座する前の場所については諸説ある)

寛永17年(1640年)に高取城に入った高取藩初代藩主・植村家政は、高取城の鬼門に当たる当社を深く信仰した。

享保10年(1725年)に里からの火災により社殿の大半を焼失したため、天明元年(1781年)に高取藩8代藩主・植村家利により再建された。

平成13年(2001年)、大滝ダム建設に伴って移築することとなった吉野の丹生川上神社上社から旧社殿を譲り受け、天明以来200年を経て老朽化していた社殿を再建した。

折口信夫 – 折口信夫の祖父・酒造ノ介は、岡寺前の岡本善右衛門の8男であったが、当社81代宮司飛鳥助信の養子となった上で折口家に入った。

父・秀太郎の代には交流は途絶えていたが、明治33年(1900年)夏に初めて当社に参詣し、同37年には祖母・つた、叔母・えいと共に参詣し旧交を復した。

折口は、祖父が大和飛鳥の由緒ある神社の出自であったことを終生誇りにしており、慶應義塾の教授時代にもよく学生を連れて飛鳥を旅している。

今日のお昼は手打ち十割そば 山帰来(さんきらい)

十割蕎麦とは思えないほどのなめらかな喉越しは感動を覚えるほど。

サクサクに揚がった桜エビの天ぷら、珍しい紫色の辛味大根、少し甘めのツユを一緒に味わえば、口いっぱいに爽快感が広がります。
おすすめです。

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日本で最初の仏教寺院 飛鳥寺


飛鳥寺は、奈良県高市郡明日香村にある寺院。
蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身。

本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子。
山号を鳥形山(とりがたやま)と称する。

手水は「狂心渠(たぶれこころのみぞ)」と言われた酒船石遺跡を彷彿とさせる。

日本書紀 斉明朝の奇妙な記述
蘇我氏暗殺の現場に居合わせた女帝については余り芳しくない記述が多く、例えば正史の … 続きを読む →


飛鳥寺(安居院)の本尊で、飛鳥大仏の通称で知られる。
1940年に重要文化財に指定されており、指定名称は「銅造釈迦如来坐像(本堂安置)1躯」である。
像高は275.2センチメートル。

鎌倉時代の建久7年(1196年)の落雷のための火災で甚大な損害を受けている。

1933年に石田茂作が調査した際の所見では、頭の上半分、左耳、右手の第2?第4指は鋳造後に銅の表面に研磨仕上げがされており、当初のものとみられるが、体部の大部分は鋳放し(表面の仕上げがされていない)で後世のものと思われ、脚部は銅の上に粘土で衣文をつくっており、左手は木製のものを差し込んでいるという。

また、像の各所に亀裂があり、亀裂の上から紙を貼って墨を塗ったところも見受けられた。

聖徳太子孝養像

向かって左側には、室町時代に造られた聖徳太子孝養像が置かれています。

聖徳太子が16歳の時、父である用明天皇の病気回復を願う姿と言われています。

阿弥陀如来坐像

飛鳥大仏の向かって右側には、平安時代に造られた木造の阿弥陀如来がおまつりされています。

飛鳥寺には複数の呼称がある。
法号は「法興寺」または「元興寺」(がんごうじ)であり、平城遷都とともに今の奈良市に移った寺は「元興寺」と称する。

都が平城京へ移るとともに飛鳥寺も現在の奈良市に移転し元興寺となった。

一方、蘇我馬子が建立した法興寺中金堂跡に今も残る小寺院の公称は「安居院」(あんごいん)である。

『日本書紀』では「法興寺」「元興寺」「飛鳥寺」などの表記が用いられている。

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最古の寺といわれる飛鳥寺がルーツ。 平城遷都にともない、この地に移転、南都七大寺 … 続きを読む →

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飛鳥寺(安居院)の本堂の左手前に、「思惟殿」があります。↓
堂内には、聖観世音菩薩が安置されています。

大化の改新による蘇我氏宗家滅亡以後も飛鳥寺は尊崇され、天武天皇の時代には官が作った寺院(官寺)と同等に扱うようにとする勅が出され、文武天皇の時代には大官大寺・川原寺・薬師寺と並ぶ「四大寺」の一とされて官寺並みに朝廷の保護を受けるようになった。

蘇我入鹿首塚と伝える五輪塔

乙巳の変で、中大兄(天智)と中臣鎌足(→藤原鎌足)らによって蘇我入鹿が暗殺されたのは、飛鳥寺の少し南の飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)であったであろうとされているようですが、その時入鹿の首がこの地まで飛んできたので、ここに埋めたとも、入鹿の首が空中に舞い上がり襲ってきたので、供養のために五輪塔を立てたとも伝えるが、確かなことではない。

万葉集と古代史の謎を訪ねて
古代史も新しい事実や解釈が出てきて面白くなってきた。 日本書紀などは改竄もあり得 … 続きを読む →


飛鳥寺の南の一帯は真神原(まがみはら)と呼ばれ飛鳥寺境内からの明日香の眺めを「真神原(まがみはら)の眺め」といい案内板には「真神原の眺め。新羅の慶州、百済の扶余と酷似している」と記載されている。

万葉歌碑

佐々木信綱博士の筆による山辺赤人の長歌と近衛文麿氏の筆による篆額(てんがく)が刻まれています。

鐘楼

1745年に建立。梵鐘は、太平洋戦争の際に供出されましたが、1958年に新しく鋳造さた。

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並河靖之七宝記念館


並河靖之七宝記念館は、京都市東山区の北端近く、三条通の一筋北に位置する、並河靖之の七宝の作品と工房跡を公開している。

虫籠窓、駒寄せ、一文字瓦を伝えるミセとオモヤの二つの棟を玄関でつないだ京町家のオモテヤ造りで、主屋・工房・窯場が国の登録有形文化財に登録されている。

並河靖之七宝記念館は、明治期から大正期に活動した日本の七宝焼き作家・並河靖之の作品を保管・研究・公開するとともに、作者ゆかりの建造物や庭園を保存し、もって工芸文化の向上に資することを目的としている。

日本国外では「七宝といえば”Namikawa”」として、東京の濤川惣助とともに、その名が認められてきた七宝作家・並河靖之の邸宅兼工房として建築された建物を改装し、靖之の作品130点余りを所蔵。

邸内には、「植治」こと七代目・小川治兵衛の作になる庭園が残されている。

一文字手水鉢 明治期の作成。

鞍馬石のカワスの自然石を一文字に彫り込んだ贅沢なもの。



植治の作庭園の特徴は、1890年(明治23年)に完成する琵琶湖疎水から得られた豊富な水を用いた躍動的なデザインだが、その萌芽をこの庭園に見ることが出来る。


並河邸の庭園は、七宝の研磨用に疏水から水を引き、その余水が池に注いでいる。

この池を中心とする庭園は、地主の靖之の意向を汲み、景石や燈籠、手水鉢など石をふんだんに用いた作りになっている。

池の中には、靖之が好きだった鯉が放たれている。


京都の町家は、「ウナギの寝床」と表現されるように、敷地の幅が狭く奥行きが長いため、そのまま縦長に建物を造ってしまうと、それぞれの部屋に満遍なく光や風を取り込むことができないのです。

そのため、どの部屋にも光や風が奥まで入り込めるようにするために、「中庭」や「通り庭」が造られたのです。

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朝の停車場


早朝の安立商店街、まだ人通りのない通りに朝日が射し込む。

商店街を抜けたところが我孫子道停留場、大阪市内区間と堺市内区間の境界駅でもある。

浜寺駅前 – 天王寺駅前系統の電車は、一部の除き本停留場で乗務員の交代を行っている。

入庫列車以外の当駅止まり列車は、一度浜寺駅前方面へ引き上げてから出庫待機線に入って恵美須町方面ホームに入る。

ただし、大きな遅れが出た場合は直接車庫に入って折り返す(これなら2分弱もあれば折り返せる)。

なお、日中の当駅始発恵美須町行きは天王寺駅前行きが出発するまで出発待機線を出ないが、ダイヤ上少しでも天王寺駅前行きが遅れると一本後の恵美須町行き列車が出発待機線まで来る事がある(なお、出発待機線は2両分あるので浜寺駅前方面本線を塞ぐ事は無い)。

浜寺公園行が出ていく、登りきったところが大和川の土手。
向こうは堺市だ。

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いつまで続くこの暑さ


所用で近くまで来たのでなんばパークスに寄ってみる。

暑くて水が恋しい、窓に流れる水を恨めしそうに・・・・・

シコノボタンの紫が鮮やかです。

雲は夏の入道雲。

9階には南海ホークスメモリアルギャラリーが。

ちなみに画像にあるユニフォームが南海ホークスのもの。

背番号71は南海ホークス最後の監督となった杉浦忠氏のユニフォームです。

杉浦氏は現役時代の1959年、読売巨人軍を相手に日本シリーズで4連投4連勝!南海ホークスに史上初の日本一をもたらした伝説の投手でもあります。

そしてこちらは鶴岡親分のスタジャン。

愛称は鶴岡親分・ツルさん。初代「ミスターホークス」「ドン鶴岡」とも呼ばれた。
南海ホークスの黄金時代を築いた名監督で、日本プロ野球史を代表する指導者の一人。

一軍監督として通算1773勝を挙げた実績から、プロ野球史上最多勝監督としても知られる。
また、勝率.609は歴代監督の中でも唯一の6割超えである。

ホークスファンにはぜひ訪れてほしい場所。

それにしてもこの暑さ、秋の来るのを指折り数えて待つ。

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早朝の散歩道


秋雨前線の影響で中々天候に恵まれません、久しぶりのつかの間の晴れ間、お気に入りの散策路をたどる。

高速道路の高架下の歩道、差し込む斜光が好きです。

小さな木橋を渡るとせせらぎのある散歩道です。

国道わきの車屋さんの駐車場もまだ時間外です。

国道を渡ると古い家並みが続く。

懐かしい看板です。
この字読めますか、錺工店。

「ほうこう」と読みます。
錺は、訓読みでは「かざる」とも読み、金属へ加工・細工することを意味しています。

単に板金やというより何か技術を感じさせますね。

最近は新しいマンションも建ち始めています。

そんなレトロな散策路が大きです。

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水遊び


夏休みも残りわずか、楽しかった夏の思い出もそろそろ終わり。

各地で見かけた水遊びのシーン、ほほえましく拝見させていただいた。

無邪気に遊んだ子供の頃が思い出される。

楽しい思い出をありがとう。

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初秋の生駒聖天


宝山寺は、奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院。
生駒聖天とも呼ばれる。

本尊は不動明王。鎮守神として歓喜天(聖天)を聖天堂(天堂)に祀っている。

振り返ると生駒の街並みが。

境内に足を踏み入れると頭上に般若窟がそびえる。

般若窟は、由緒書によれば「中生代、古瀬内火山に属する一火山の噴火口類」とされる自然の岩屋である。

この窟は、役行者が修行して大般若経を納めたと伝えられる聖跡で、また、若かりし頃の弘法大師が修行したという伝承も付帯していたことから、それを聞いた湛海律師が「ここで弘法大師と共に弥勒菩薩下生の時を待つ」と語り、寺を開いたと伝えられる。

聖天堂の前にあったお賽銭箱は、歓喜天さまに付きものの「巾着袋」型。

歓喜天像が手にする巾着袋は砂金を入れるものとされ、ご利益の象徴的なアイテムです。

また、描かれているクロスした大根もシンボルの一つ。

歓喜天の供物で、白い色に力があり、体内の毒や煩悩を消し去る効果があるとされています。

生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655年)に役行者が開いたとされる修験道場で、空海(弘法大師)も修行したと伝わる。

その当時は都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)という名であったという。

江戸時代の延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。
この時が事実上の開山と思われる。

熱心な信者が黙々と奥の院目指す。

江戸時代には、宝山寺は商売の神として大阪商人の信仰を集めた。

京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として名高い。

1918年には日本最初のケーブルカー、生駒鋼索鉄道(現、近鉄生駒鋼索線)が敷設されるほどだった。
現在でも年間300万人の参拝客を集めるとされる。

麓から続く参道の階段は奥の院までを含めると1000段余りあり西日本有数の規模を誇る。

この先には歴代山主の墓所があります。

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真夏の咲くやこの花館


ヘリコニア・ロストラタ(学名:Heliconia Rostrata)は、ペルー~アルゼンチンなどの熱帯アメリカ原産で、オウムバナ科オウムバナ属の熱帯性常緑多年性植物。

花序が下垂性をしたヘリコニアということで、ハンギング・ヘリコニア(Hanging Heliconia)や、ロブスター(海ザリガニ)の鋏(はさみ)のような形をした苞(ほう)が特徴的なので、「ロブスタークロー(Lobster claws)」とも呼ばれます。

苞は鮮やかな朱色で先端は黄色い。
苞から花径が5~6 cmの黄花が咲きますが、苞ほど魅力はありません。

ボリビアの国花とされます。

ピンポンの木の青い実

ピンポンの木という名前から、卓球のピンポンをイメージしたのですが、卓球のピンポンとは関係ないそうです。

中国語で頻姿(ピンポー)と呼ばれ、発音から英名でピンポンツリー(Pingpongtree)と呼ばれるようになったので、このような名前になったようです。

エンセテ・ラシオカルプム

金色の蓮(エンセテ・ラシオカルプム 地湧金蓮) 蓮の仲間なんですね。

「タマゴノキ」と呼ばれる熱帯果実で、同名で呼ばれるウルシ科のタヒチモンビンとは、花、樹皮、葉が異なる。どちらも卵大の実を付け、秋には熟して黄色くなるが、タヒチモンビンが縦長であるのに対して、タマゴノキは球形である。

タマゴノキの実も食用に出来るが、酸味が多くて美味しくないそうである。

アワプヒは英名でジンジャーと呼ぶ通り、ショウガ科の植物です。
根っこを見ると確かに食用の生姜のような形をしており、同じ種類であることが頷けます。

アワプヒの花言葉には「豊かな心」「慕われる愛」などがあるようです。

「豊かな心」という花言葉は、夕方になるにつれて花の香りが強く広がっていく様子から。
「慕われる愛」という花言葉は、ジンジャーのもつその魅力的な甘い香りからつけられたようです。

ファレノプシス・ヘリーナ

東南アジアのマレー半島からボルネオ島に分布しています。
雨林に生え、樹木や岩上に着生します。

茎は短く、倒卵形の葉を2~5個つけます。
春から夏にかけて、花茎をのばして淡黄緑色と赤紫色の花を咲かせます。

ビオラケア種と非常に似ていますが、形態的にはビオラケア種の花披片が楕円形なのに対して、本種では卵形です。

また本種には「レモン」のような芳香があります。

オオイタビ(Ficus pumila)はクワ科イチジク属の常緑つる性木本。

東アジア南部に分布し、日本では関東南部以西、特に海岸近くの暖地に自生し、栽培もされる。

茎から出る気根で固着しながら木や岩に這い登る。
オオイタビの名は、イタビカズラに似て大型であることによる。

台湾に生育する変種のアイギョクシ(Ficus pumila var. awkeotsang)は果実を食用に用いる。

ヒョウタン

最古の栽培植物の一つで、原産地のアフリカから食用や加工材料として全世界に広まったと考えられている。
乾燥した種子は耐久性が強く、海水にさらされた場合なども高い発芽率を示す。

狭義には上下が丸く真ん中がくびれた形の品種を呼ぶが、球状から楕円形、棒状や下端の膨らんだ形など品種によってさまざまな実の形がある。

ヒョウタンは、苦み成分であり嘔吐・下痢等の食中毒症状を起こすククルビタシンを含有し、果肉の摂取は食中毒の原因となる。

どこで苗木を手に入れたのか田舎で父親が庭に植えていた、子供の頃よく採って食べたものだ。

ポポーはバンレイシ科の植物で、原産地は北米。

英語ではpawpaw(ポーポー)といい、かねてよりネイティブアメリカン(俗にいうインディアンのこと)に親しまれてきたフルーツ。

またの名としてpoor man’s banana(貧乏人のバナナ)など、なんとも面白いネーミングがついています。

日本には明治時代に入ってきました。

ブンタン(ザボン)

原生地は東南アジア・中国南部・台湾などであり、日本には江戸時代初期に渡来した。

漢字をそのままに音読みしているが、本品の貿易船主である謝文旦という人名の潮州語読み(ジアブンタン、zia bhungdang)に因む。

果肉が淡い黄色の品種(白欒)を文旦(ブンタン)、果肉が赤い品種(朱欒)を謝文(ジアブン)と呼び分けたとも言われる。

ザボンは第二次世界大戦前にはジャボンと呼ばれるのが一般的で、ジアブン、ジャボン、ザボンと変化したと考えられる。

日本において、クリは縄文時代初期から食用に利用されていた。

長野県上松町のお宮の裏森遺跡の竪穴式住居跡からは1万2900年前~1万2700年前のクリが出土し、乾燥用の可能性がある穴が開けられた実もあった。

縄文時代のクリは静岡県沼津市の遺跡でも見つかっているほか、青森県の三内丸山遺跡から出土したクリの実のDNA分析により、縄文時代には既にクリが栽培されていたことがわかっている。

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高山植物 咲くやこの花館


ペトロルコスメア・フォレスティ

ペトロコスメア・ミノールは雲南の標高900~2100mの石灰岩地にみられます。
花はこの仲間では立派なもので径約2cm。

ペトロコスメア属は雲南、四川を中心に38種類があると、DNA塩基配列のデータで調べられています。

コマクサ

美しい花と、常に砂礫が動き、他の植物が生育できないような厳しい環境に生育することから「高山植物の女王」と呼ばれている。
和名はその花の形が馬(駒)の顔に似ていることに由来する。

ミヤマオダマキ

北海道~中部地方以北、南千島から朝鮮北部、樺太に分布する高山植物。

シナノナデシコ

山地の河原や荒れ地、礫地などに生育する。高さは20-40cmになる。
茎の断面は四角状で、ふくれた節をもつ。

モミジカラマツ

山地の河原や荒れ地、礫地などに生育する。高さは20-40cmになる。茎の断面は四角状で、ふくれた節をもつ。

チングルマ

バラ科ダイコンソウ属の落葉小低木の高山植物。

東日本(北海道~中部地方以北)、樺太、アリューシャン列島、カムチャツカ半島に分布する。
高山の雪渓周辺の多湿地に生える。

クロユリ

多年草、地下にある鱗茎は多数の鱗片からなる。
茎は直立して高さ10-50cmになり、3-5輪生する葉が数段にわたってつく。

本州では、東北地方の月山、飯豊山、中部地方に分布し、分布の西限地は白山で、室堂周辺などに大量に群生しているのが見られる。
石川県の「郷土の花」。

武将の佐々成政にシェイクスピアの『オセロ』に似た、側室の早百合姫の「黒百合伝説」が富山にあり、明治になり金沢出身の作家泉鏡花が『黒百合』という小説を書いている。

チシマルリオダマキ

「ミヤマオダマキ(A. flavellata var. pumila)」の近縁種だと思いますが、学名は確定させていません。

また、原産地を千島列島と確定することも難しそうです。
詳細な情報は見あたりません。

エゾグンナイフウロ

外国産のものや園芸品種などはゲラニウム(ゼラニウム)の名称でも呼ばれる。
  
葉は手のひら状に5-7裂し深く切れ込み、裂片はさらに切れ込む。

コウライウスユキソウ

うっすらと淡雪をかぶったような姿からその名のつく、「コウライウスユキソウ」。

雪のように見えるのは、白い毛です。
歌にもなっている、あのエーデルワイスの仲間。

プルサチラ・ベルナリス

プルサチラ・ベルナリスは、ヨーロッパアルプス~シベリアの山地に生えるオキナグサの仲間で、西洋オキナグサに似ますが草丈は小さく15cmほどで、葉はモミジ葉になります。

春先に絹毛に覆われた白い花を咲かせます。
花弁の外側は桃や銀色に色づきます。

和名「春オキナグサ」

ゲラニウム・サンギネウム

ゲラニウム・サンギネウム(Geranium sanguineum)はヨーロッパ、ロシア、トルコ、アルメリア、アゼルバイジャン、グルジア原産の栽培品種。

プルサティラ・ブルガリス

オキナグサの園芸品種。全草が白い和毛に包まれて優しい草姿。

明るく上向きに咲く可愛らしい花は春の暖かさを絵にしたような風情を醸し出し、多くの人から愛されています。

エーデルワイス

キク科の多年草。ヨーロッパの高山や亜高山に生える有名な高山植物。
草丈は 10~20cm,全体が白色の軟毛に包まれている。

セイヨウウスユキソウともいう。

高さ10〜20cm。茎頂に7〜9個の頭花がつき,その基部に包葉が放射状について包葉群全体で花のように見える。

全体に白い軟毛が密生するが,特に包葉で目だつ。

ギンケンソウ

ハワイ諸島の限られた山上にのみ知られる。
銀色のとがった葉をロゼット状に出し、背の高い花穂を伸ばす。

一度咲くと枯れる。

フィテウマ・オルビクラレ

キキョウ科シデシャジン(フィテウマ)属の耐寒性多年草。

クロバナタマシャジンは、一般のタマシャジンよりも色が濃く、つぼみの頃は深みのある濃紺で花が開くと青紫色になります。

花の形状は「タマ」ではありますがまばらで先端のほうが曲がっています。

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