ラグビーの聖地 第一蹴の地 雑太社


糺の森は賀茂川と高野川の合流地点に発達した原生林で、およそ12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積がある。

1994年(平成6年)には下鴨神社全域が世界遺産に登録されている。

明治43年(1910)9月10日、「さわた社」前の糺の森馬場にて、関西で初めてラグビーが行われました。

旧制第三高等学校(現・京都大学)の学生が慶応義塾(現・慶応義塾大学)の学生にラグビーを習い、初めてラグビーボールが蹴られたのです。

京都大学ラグビー部のOBたちによって「第一蹴の地」の石碑が、昭和44年(1969)に建立されました。

そして平成29年5月10日、日本で開催されるラグビーワールドカップ2019の組み合わせ抽選会が京都で行われ、世界各国の代表が「第一蹴の地」を視察されました。

その後、ラグビーワールドカップの王者の証「ウェブ・エリス・カップ」も到来しています。

「さわた社」は雑太社、澤田社とも書き、かつては糺の森の中、現在の「第一蹴の地」石碑横に所在していました。

下鴨神社では毎年正月の4日には「蹴鞠初め」が行われていて、球技の上達を目指す人にって大切な神社。

ラグビー神社の絵馬は、ラグビーボール形をしています。

日本のラグビーチームの勝利を願っているものから、部活のラグビー部の勝利祈願など、いろいろな願いが書かれています。

こちらのラグビーボール型の絵馬は、河合神社においてあります。

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「鏡絵馬」で美人祈願!河合神社


河合神社は下鴨神社の摂社として古くより祀られ、女性守護としての信仰を集めるお社である。

ご祭神には神武天皇の母、玉依姫命をお祀りし、玉依姫命は玉の様に美しい事から美麗の神としての信仰も深い。

この神社にお参りするのは圧倒的に女性が多く、しかも若い女性がほとんど! その理由は河合神社・中門の看板に記されている「女性守護 日本第一美麗神」の文字!

手鏡の形をした絵馬(顔を表す模様が入った)にご自身の普段使用されている化粧品でメイク、裏に願意をご記入。

絵馬にご自身の綺麗な表情を描いて、絵馬に願いを託すことにより外見だけでなく内面も磨いて美しくなっていくと言う絵馬である。

創建年代は不詳ながら、神武天皇の御代にまで遡るという伝承がある。

三大随筆の一人、鴨長明に関係の深いお社で鴨長明は河合神社の禰宜の息子として幼少時代を過ごした。

現在では、この河合神社には長明が晩年過ごしたと言われる建物を再現した方丈の庵が展示されている。

ラクビーボールの形の絵馬は、「河合神社」で販売(500円)、数多くのラグビー部員、ファンの絵馬が奉納されている。

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下鴨神社で水占い「みずみくじ」


賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。

今日も結婚式が行われていました。

早々と咲いた桜。

ここは宇宙を創ったと言われる神様・産霊神(むすびのかみ)」が祀られているところで、縁結びのご利益をいただけるパワースポット!

下鴨神社のオススメおみくじは『水みくじ』。

このおみくじを御手洗川に浸すと、メッセージが浮かび上がってきます。

「良縁祈願」と「美人祈願」をすることができます。

十二単の着付けと王朝舞
下鴨神社で葵祭の事前特別講義と「十二単衣」の着付け、着付け後、十二単衣姿による王 … 続きを読む →


冷たい小雨が断続的に降り注ぐ、煙るような雨です。

糺の森には春の雰囲気が漂います。

春の優しい陽が射し込みます。

ぬれた路面が輝ききれいです。

今日の天気は春の嵐、降ったりやんだり忙しい。
風の肌寒い一日でした。

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遅かりし長徳寺のおかめ桜


3/16所用で京都を訪れ長徳寺に寄ってみる。

すでに見頃を終わっていた。

昨年は3/13に訪れ、そのときは見頃だった。

見頃を迎えた長徳寺のオカメ桜
3/10に訪問したのですが、3/13京都を訪れた際、気になり長徳寺に寄って見る。 … 続きを読む →

春先の冷たい雨が降っています、早々に切り上げ。

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スイてます嵐山


コロナウイルスの蔓延であちこちの観光地ががらすきです。

こんな嵐山を見るのは何年ぶりだろう。

おかげで気持ちよく観光できます。

混雑する竹林から亀山公園に向かいます。

亀山公園の由来は小倉山から伸びる屋根で山の形が亀に似ていることから、この名前がつけられたといわれています。

山頂からの桂川(大堰川)の眺めもなかなかいいものです。

ミツバツツジがきれいでした。

嵯峨天皇火葬塚

桓武天皇の第2皇子で、母は皇后藤原乙牟漏。同母兄に平城天皇。
異母弟に淳和天皇他。皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。

譲位後、洛西の嵯峨院に住み、また嵯峨の山北に葬られたことから嵯峨天皇と追号された。

嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)大覚寺の近くにあり>


村岡局の像

彼女は元の名を津崎矩子といい、公卿の近衛忠煕に仕え、中臈を経て老女となり、村岡局を名乗った。

黒船来航以降、近衛忠熈が尊王攘夷派の公卿として頭角を現すと、彼女は清水寺の僧・月照や水戸の鵜飼吉左衛門らと親交を持ち、志士相互及び志士と公家との連絡に当たります。

その月照を通して知り合った西郷隆盛の活動も手助けします。

幕末に近衛家の老女津崎村岡局が浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。
紅葉と竹 嵯峨野の直指庵
1646年(正保3)に隠元禅師の高弟独照性円禅師が草庵を結んだのが始まり。 直指 … 続きを読む →

近衛忠熙篆額による村岡の顕彰碑があります。
小雨の大覚寺
投稿日時: 2016年7月28日
弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山。 正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と … 続きを読む →


角倉了以像

現在の像は2代目で、1代目の像は大正元年に建立され、戦時中の資材供出で撤去された。
現在の像は1988年に地元の有志が設置したもの。

三条京阪の高山彦九郎像、円山公園の坂本龍馬像と並んで「京都三大銅像」の一つとされている。

茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう:呉服商)、後藤庄三郎(後藤正三郎:金座の当主)と並び、京都の三長者と言われる。

保津川開削や高瀬川開削で力量を発揮して、安定した収入源を築き上げ、莫大な富を手にした。

角倉了以別邸跡 高瀬川源流庭苑
現在のみそそぎ川は京都府立医大病院の北側で鴨川から取水し、そのまま暗渠で荒神橋を … 続きを読む →

角倉了以の石碑があります。
桜咲く伏見を散策
この暖かさで桜も一気に開花する、ここ伏見では桜祭りが開催されていた。 弁天浜の1 … 続きを読む →


今、アセビが花盛りです。

保津川下りの船が下ってきました。

保津川という呼び方も亀岡流域の保津地区から保津峡の区間に限ってのことであり、嵐山に入ると渡月橋の下流までを大堰川と呼んでいます。

大堰川の名は秦氏が嵐山の下流に大きい堰を設け、農耕のために水利の便をはかったことからこのあたりを大堰川と呼ぶようになりました。

嵐山から下流は桂川と呼ばれる。

謡曲「小督」の旧跡

小督局は、桜町中納言藤原成範の女(むすめ)で、宮中で美人の誉れ高く、高倉天皇(第80代、在位1168~80)の寵愛を一身に集めていた。

しかし、平清盛の女、徳子(建礼門院)が中宮であったため、平家の圧迫をおそれて、この地、嵯峨野に身を隠した。
その時の仮住居が、この「小督塚」辺りであったといわれている。

謡曲「小督」は、天皇の命により、小督局を探しに当地を訪れた弾正大弼源仲国が秋霧の間に微かに聴える琴の調べを便りに遂に局の居所を探し得たという物語である。

今でも、渡月橋の北詰にある石橋は、琴聴橋とも、駒留橋とも呼ばれ、仲国が想夫恋の曲を聴いたところと伝えられている。
                     京都謡曲史跡保存会

この「琴きき橋」には、とても美しくも切ない恋の物語があります。

そのお話のヒロインは小督局(こごうのつぼね)
藤原成範の娘。

時は平家全盛の平安時代最末期、時の帝、高倉天皇が琴の名手で京都一の美貌とまでいわれた小督を寵愛したところからはじまります。

しかし、高倉天皇の中宮(后)は平清盛の娘徳子であり、小督のことを知った清盛は大変怒り、平家からの小督に対する圧力は凄まじいものでした。

自分の身が危ういことより、自分を愛してくれる高倉天皇にわざわいがふりかかることを恐れた小督は、ひそかに宮中を去り嵯峨野に隠れてしまいます。

高倉天皇は、小督がいなくなったことを深く悲しみ、源仲国に小督を捜すように命じます。

仲国は8月10日(陰暦の十五夜)、名月の夜なら琴を弾いているにちがいないと思い、千代古道をたどり嵯峨野辺りを訪ね馬を走らせます。

二人はひっそりと逢瀬を重ね、中宮徳子よりも早く高倉天皇の子供を産みますが、しかし、またも清盛の知るところとなり、小督の髪を剃り出家さされ、二人は引き裂かれます。

哀れかな、高倉天皇は、若干21歳で崩御され、東山にある清閑寺に葬られます。

尼となった小督は、清閑寺近くにに住み、高倉天皇の菩提を弔いながら44歳まで生きたとされます。

小督局悲恋の地 清閑寺
歌の中山清閑寺、和歌や古典文学に名高い清閑寺は由緒ある寺で延暦21年(802)に … 続きを読む →


渡月橋を渡る人々の流れは緩やかです。

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遣唐使船の守護神


唐に使いする朝廷官吏や留学生のほか遣唐使船を動かす主だった乗組員は、「難波ノ津」を出る前にかならずこの住吉大社に詣で、航海の神・海の軍神である「住吉三神」(底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと))に渡海の無事を祈ることになっていた。

その海上安全の祭祀を司る神職(津守氏)は遣唐神主として遣唐使船に乗船し、船の舳先に立てた「三神」の護符の前で航海中ずっと神事を行うのである。

「津守」とは「津を守る(神職)」の意。

「反橋」は住吉の象徴として名高く「太鼓橋」とも呼ばれています。

現在の石造橋脚は、慶長年間に淀君が豊臣秀頼公の成長祈願の為に奉納したと伝えられている。

かつての「反橋」は足掛け穴があいているだけで、とても危なかったそうです。

川端康成は作品『反橋』(昭和23年)において、「反橋は上るよりもおりる方がこはいものです、私は母に抱かれておりました」と記しています。

「反橋」を渡ったところにある鳥居は四角柱で角鳥居と呼ばれています。

このような四角柱の柱は古い様式で大変珍しく、各本殿と拝殿の間に建っている木造朱りの鳥居が原形となっているそうです。

なお、額は陶製で、有栖川宮熾仁の筆。

「反橋」のたもとの古木。

神宮寺跡は神仏混淆(こんこう)の名残りで、平安時代には有名神社のほとんどに設けられたという。

当寺は天平宝字(てんぴょうほうじ)2年(758)創建と伝えられ、津守寺(廃寺)・荘厳浄土寺とともに住吉の三大寺に数えられていた。

明治初年、神仏分離令により廃絶、多くの著名な秘仏も散逸したが、そのうち西塔は徳島県切幡(きりはた)寺に売却、移築され現存している。

なお今に伝わる住吉踊りは、ここの僧徒により広められたものという。

荘厳浄土寺について触れています。
住吉公園界隈の桜便り
この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。 画像は2013年3月30日訪問 … 続きを読む →


境内には今開催中の大相撲立浪部屋の土俵があります。
コロナの影響で無観客での開催となって寂しい限りです。

津守王子は、九十九王子の6番目の王子。

大阪市住吉区墨江2-3の墨江小学校にあったが現在は姿を留めていない。

現在は住吉大社境内の摂社・新宮社に合祀されたとも、住吉区沢之町1-10-4の止々呂岐比売神社(若松神社)に合祀されたともいわれている。

津守という名称は、住吉大社の古代よりの奉斎氏族であり宮司家でもあった津守氏にちなんだものである。

熊野御幸をした天皇、上皇たちは、この地の住吉大社に和歌を奉げた。

熊野御幸記を歩く②住吉大社~信太山
熊野御幸記を歩く第二回、今回は住吉大社~信太山まで20㎞だ。 津守王子跡 津守王 … 続きを読む →


五大力パワーもコロナにはかなわなかった。

神仏習合の影響で、神宮寺の五大力尊信仰と結びついた。
その「五大力さん」というのは、仏教の中の、五人の明王のことです。

住吉大社への観光は路面電車の阪堺電車。

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雨に咲く花


コロナウイルスの影響で植物園にも行けない。

雨の日、なんばパークスのパークスガーデンを訪れた。
パークスガーデンは1階のエントランスから9階まで、段丘状に広がる屋上庭園。

ガーデン内にはユキヤナギやアカシア、ベニバスモモ、ニワウメなど、さまざまな花が植えられている。

園内には花水木の広場、せせらぎの杜、はらっぱ広場、ステップガーデンなどがあり、都市の中のオアシス的空間として親しまれる。

・平成24年度 『都市のオアシス』に認定されました

・平成26年度 アメリカCNN局の『世界で最も美しい空中庭園トップ10』に選ばれました

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南海ホークス

若い人は「南海ホークス「」と聞いてもピンと来ないかもしれない。
今の「福岡ソフトバンクホークス」だ。

88年に南海の名物オーナーだった川勝傳が死去すると、同年9月にダイエーへの球団売却が発表された。

10月15日の南海の大阪球場ラストゲームは超満員となり、6-4で近鉄に勝利。

監督だった杉浦の「行ってまいります」というあいさつを最後に福岡へ旅立った。

2003年に大阪球場跡地は「なんばパークス」という大型商業施設になった。
最上階は植栽が植えられ、公園のようになった。

その一角に「南海ホークスメモリアルギャラリー」が開設された。

画像は杉浦の監督時代のユニフォーム。

エース杉浦忠が日本シリーズ4連投4連勝という伝説を残したシリーズ。

今では考えられない記録です。

鶴岡監督のスタジャン。

愛称は鶴岡親分・ツルさん。
初代「ミスターホークス」「ドン鶴岡」とも呼ばれた。

南海ホークスの黄金時代を築いた名監督で、日本プロ野球史を代表する指導者の一人。

一軍監督として通算1773勝を挙げた実績から、プロ野球史上最多勝監督としても知られる。
また、勝率.609は歴代監督の中でも唯一の6割超えである。

「なんばパークス」のキャニオンストリートにはピッチャーズプレートとホームベースの位置が残されている。

特徴的だったのは、37度の急傾斜だった内野スタンド。

酔っぱらいが転げ落ちた逸話もある。

ギャラリーには選手の写真、トロフィー、ユニフォーム等々記念の品が展示されている。

しかしこのギャラリーには、南海最大の功労者である野村克也に関する記録は一切残されていない。

また周辺の公園風のスペースには「なんば」にゆかりの人物の手形が展示されているが、ここにも野村のものはない。

バットやユニフォームなどの展示がないだけではない。
年表にさえも「野村克也」の文字は一切ない。

先日亡くなられた時も献花台すら用意されなかった。
いろいろと確執があったようだがそれにしても寂しすぎる。

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いつかソール・ライターのような写真を撮りたいと思いながらなかなかチャンスを見つけられないでいる。

今日はお手頃の雨、いそいそとパークスへ出かける。

ソール・ライターの写真は雨のシーンが比較的多い、上から俯瞰するような構図。

真似てみたがそう簡単ではない。

写真家ソール・ライター(1923-2013)

初めて自分のカメラ、デトローラを母親に買ってもらったのは12歳の頃。

家族の中で、唯一の理解者だった妹のデボラは、お気に入りのモデルだったようで、多くのポートレートが残されています。

1946年、23歳になった年、画家になることに大反対する父親の理解を得られぬまま、ついに神学と決別、夜行バスでニューヨークを目指しました。

こんな体の一部を写した写真も彼の作品に多い。
もう少し色っぱい写真がとりたいのだが・・・・

ソール・ライターにとって終の棲家となった1952年に移り住んだ東10丁目のアパートは、彼がこよなく愛した場所でした。

現在、ソール・ライター財団の事務所となっているライターの人生を見つめ続けたこの空間に、今でもその魂が息づいています。

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もうすぐ春


住之江公園の寒緋桜もそろそろ葉桜になろうとしています。

世間ではコロナウイルスで大騒ぎですが、二十四節気の啓蟄が先日済んだところです。

虫が冬眠から目覚め活動を始める頃と言われます、次の二十四節気は、『春分(しゅんぶん)』

暑さ寒さも彼岸までの例え通り一気に春がやってきます。

護国神社の梅もそろそろ終わりです。
すぐにでも春がやってきそうな雰囲気です。

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