奈義町現代美術館 展示室「太陽」の部屋


「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫ 「太陽」の軸は南北軸。

斜めの不気味な黒い円筒は、後ろに回り込めば入り口があって、これは上階に繋る螺旋階段であった。

人ひとりがやっと通れるほどの狭さ。
螺旋階段の柱の主軸は傾いているし、手探りでまるで「胎内潜リ」のように、黄色い段々を登ってゆく。

階段室の出口に辿り着こうとすると階段のいくつかがない。

足で探ると階段が黒く塗ってあって見えないだけなのだった。
注意を全身で払えということなのかととりあえす納得する。

上方には凸面鏡があり、自己と空間の像の変形によって遠近と上昇下降のイメージが狂わされる。そして問題の〈部屋〉に出る/入る。

前方から光が襲って来る。
この部屋は真南を向いている。

そしてシルエットになった一対の渦巻、中国伝来の「陰陽」の模様(太極図)。

よく見て、空間関係を調整して了解しようとすると、左右にやや小さいが京都の龍安寺そっくりの石庭が、実は真南を向いた円筒の部屋の中心軸を対称にして対に置かれている。

しかしなぜ龍安寺なのだろう? アラカワ/ギンズは、人工によって〈懐かしさ〉を「建築する」ことを目指している。

この部屋に「心」と名付けているのもそれによる。

前方正面の黒い円筒の向こうが螺旋階段になっており、先ほど登ってきたところだ。

天井とは対照になっている、そして、ベンチもシーソーも軸線に対してすこし偏芯している、平衡感覚がおかしくなってくる。

最初の計画案では、垂直の円筒型の建築物の中に倒立した法隆寺があって、「胎内潜り」のように、その法隆寺を潜って行くと何時しか建物の外部に出ているというものであったという。

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奈義町現代美術館 展示室「大地」


ワイヤを使った流れるような曲線を表現した「うつろい」の世界。

入り口を入ると喫茶室、目の前に「うつろい」の世界が広がる。

奈義の地と水との関りをテーマとした宮脇愛子氏のアート空間「うつろひ」

夫は建築家の磯崎新。

磯崎は2番目の夫であり、最初の夫は中央公論社の編集者で、後に鉄道紀行作家として活躍した宮脇俊三であった。

宮脇姓の頃に彫刻家として成功したため、俊三との離婚・再婚後も宮脇姓で活動している(宮脇との結婚前の姓は荒木。)

「大地」の中心軸は、秀峰那岐山の山頂に向かっています。

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青春18切符旅行記 奈義町現代美術館

今回の青春18切符旅行記は岡山県の奈義町にある奈義町現代美術館。
美術館という枠が拡張して、美術品と建物が一体化している、いわば第三世代美術館だ。

コスト比較、通常の交通費、15280円  青春18切符2370円
所要時間 4時間

大阪~姫路、ノンストップの新快速は大阪発7時51分が一番早い、それなりに乗客も多いので早めにホームへ。

このコースの難点は姫路岡山間、快速がなく、時間帯によっては1時間以上列車がないこと。
小刻みに乗り継ぎを検討するか、それでもダメな場合は、諦めて途中下車するなりで時間を有効に使う。

6番線ホームでは駅弁を売っている、旅の楽しみの一つだ。
また、津山線はローカル線には珍しく快速が走る

右手奥に見えるのが目指す、奈義町現代美術館、手前にあるのが「PIZZERIA La gita 奈義」

ナポリ最古の石窯メーカーGIANNI ACUNT社の石窯で一瞬のうちに焼き上げ、ナポリピッツァの表面はパリッ中はもちもちとした食感、薪の香ばしい香りが楽しめます。

本日はマルゲリータ   1,300円をいただいた。

奈義町現代美術館は美術館という枠が拡張して、美術品と建物が一体化している、いわば第三世代美術館だ。

町立図書館、観光案内所は前面のシンボルロードにパラレルに置かれるが、現代美術館は道路計画からの制約を飛び越え、この土地の自然条件にもとづいた固有の軸線を持つ。

すなわち「太陽」の軸は正確に南北軸と重なり、「月」の平坦な壁は中秋の名月の午後10時の方向を指し、「大地」の長軸は秀峰那岐山の山頂に向かっている。

この布置の「見立て」を更に拡張していくと、那岐という聖なる山を中央に据えて、手前に〔大地〕がひろがり、左右に〔月〕と〔日〕が配されるという構図となり、容易に、六曲一双の日月山水図屏風を想起することも可能であろう。

将来、奈義町の文化的中心軸となるように計画されているシンボルロードに沿って、奈義町現代美術館、奈義町立図書館、奈義町観光案内所の建築群が配置されている。

現代美術館、町立図書館は共通のエントランスを持ち、芝生広場の南端、竹藪の中に観光案内所が設けられた。

この円筒形の建物、左側の高い建物、それぞれが美術品だ。
もうすでにトンボが飛び交っています、加増をクリックして拡大してお楽しみを。

奈義町現代美術館のポスター、展示室「大地」、「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫、「月」の部屋≪HISASHI-補遺するもの≫からなる。

「太陽」の部屋 ≪遍在の場・奈義の龍安寺・建築する身体≫展示室「大地」「うつろい」の画像。

最初の計画案では、垂直の円筒型の建築物の中に倒立した法隆寺があって、「胎内潜り」のように、その法隆寺を潜って行くと何時しか建物の外部に出ているというものであったという。

正面が、「月」の部屋≪HISASHI-補遺するもの≫

それぞれについては個別に掲載します。

奈義町の全体模型、美術館から車で7.8分山道を登ると「那岐山麓 山の駅」がある。

中央に江戸時代から伝わる伝統伝統芸能の「横仙歌舞伎」、周囲に町の木イチョウ、町の花ウメをデザイン。 「なぎ」「おすい」の文字。
汚水管マンホールの蓋

説明文はホームページを参照しています。

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龍馬の育ったまちを訪ねる


龍馬の生まれたまち記念館が路面電車 上町一丁目下車(はりまや橋乗り換え)すぐのところにある。

坂本龍馬が生まれた高知市上町にある記念館では、昔の上町の町並みを半立体模型で再現し、龍馬の精神的なバックボーンを育てた上町という町を紹介しています。

入り口で龍馬像がお出迎え、おなじみの懐手のポーズ。

龍馬を中心に乙女、近藤長次郎の像。

乙女は、天保3(1832)年1月1日、父・八平と母・幸の間に生まれた。
本名は「留(とめ)」であり、「おとめ(乙女)」は当て字である。

きょうだいは兄・権平と長姉・千鶴、次姉の栄であり、龍馬はその3年後となる天保6(1835)年11月15日に生まれている。

母・幸が弘化3(1846)年に死去した後、龍馬の母代わりとなって教育したと言われる。(実際は、龍馬の少年時代に与えた影響力は、継母の伊与のほうが大きいのではないかと思われる)

人物は、「男勝りの豪快な女」のイメージがあるが、三味線、一絃琴、謡曲、浄瑠璃、琵琶、舞踊などの芸術的な技能も多彩であった。

また、剣術や長刀(薙刀)、馬術、水泳などにも通じており、文武において高い能力を持っていたらしい。

身長は5尺8寸(約176cm)、体重は30貫(約112kg)もあったそうで、成人男子の平均身長が155cmほどであった当時の人々には、途方もない大きさに感じられたことだろう。

近藤長次郎

坂本龍馬と仲が良く、龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立した人物。

龍馬の命令で長州藩に赴き、小銃を売り渡したのも近藤。

ユニオン号引渡しで長州藩から得た謝礼金をイギリス商人に渡した上、イギリス船に乗り込みイギリスに留学しようとした事と、密かに亀山社中の資金を横流ししていた罪により、社中の隊士たちより切腹を言い渡される。享年29歳。

龍馬が土佐藩を脱藩するまでの少年,青年時代のエピソードを映像や音声で紹介しています。

龍馬が育った上町の様子。

龍馬が育った上町の様子。

坂本家の離れをイメージした空間。
龍馬へ宛てたメッセージノートなど、思いを馳せながらゆっくりくつろぐことができます。

また龍馬・乙女姉さんとの写真撮影も楽しめます。

龍馬の育った才谷屋この先にある。

高知駅前にーぶんした「龍馬伝」幕末志士社中、NHK大河ドラマ「龍馬伝」で使われた龍馬の生家セット。

「龍馬伝」で使われた龍馬の部屋。

しかし、龍馬が偉大な人物だったことは認めるが、高知って龍馬しかいないの?
展示内容が少し薄っぺらすぎませんかねえ、物足りなさを感じる。

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高知で日の出を撮る

旅に出たら必ずご当地の日の出日の入りを撮ることにしているが、今回は3度もチャンスがありながら酒につられて一度だけの撮影になってしまった。

慣れない土地だけに火が昇るベストスポットの特定にはいつも苦労する。
少し方角が違うようだ。

駅前に移動、ピッタシ!!

坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の諸君が揃って日本の日の出を見つめる。。

高知駅の上にも照り返しの赤い雲。

最初のスポットへ再度移動、ビルが邪魔になり完全には捉えきれない。

ホテルの窓から東の空を、今日もいい天気だ。

以前訪れた高知城、山内神社の側を流れる鏡川、夕闇が迫っている。
南海の名城、高知城

高知城は大高坂山(標高44.4m)上に築かれた、梯郭式平山城。 山の南を流れる鏡 … 続きを読む →

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夕闇迫る高知城

早めに夕食を終え夕闇迫る高知城に向かう。

やはり、高知城探訪の入口は、城の正門である追手門からであろう。

この門は、慶長年間に創建され、1663年(寛文3)に崩壊したのを翌年に再建したものとのこと。

高知城では珍しいのだが、切石を積んだ石垣の桝形上に、南面して建てられた両脇戸付櫓門で、屋根は入母屋造の本瓦葺となっている。

天守閣と大手門(追手門)がそろって現存している城は珍しく、この城と弘前城、丸亀城の3城しかないが、追手門前から天守閣を望めるのはここしかなく、有名な撮影スポットにもなっている。

山内一豊像

この銅像は桂浜にある坂本龍馬の銅像などを手がけた銅像作家、本山白雲の手によるもので、一豊の祥月命日(しょうつきめいにち)にあたる1996年(平成8年)9月20日に再建除幕された。

銅像の本体はブロンズ鍛造青銅色仕上げ、高さ4.32m、重さ3.6トン、台座5.08m、総高9.4mで、騎馬像としては、皇居前の楠木正成像を上回る、国内最大クラスです。

追手門から登城するための階段は、登りにくい。わざとそういう足幅に作られ、攻めるにのぼりにくく、上方から下りるには都合の良い足幅になっているとか。

少し酒の入った体にはこの登りはきつい。

1881年(明治14)自由党総裁となり、全国的に活動し、憲法発布、国会開設へと向かわせたことは有名。

1882年(明治15)4月6日、岐阜での遊説途上、刺客に襲われ、「板垣死すとも自由は死せじ」の名言を残した。

それを書いた石碑も銅像の右後方に立っている。

この銅像は、桂浜の坂本龍馬の銅像製作者と同じ本山白雲で、1924年(大正13)に建立されたのだが、戦時中に供出され、戦後、再建されたものとのこと。

像の題字は、再建当時の内閣総理大臣吉田茂の揮毫だ。
自由民権運動の発祥の地と言われる高知県を象徴している銅像だ。

杉の段から見た天守閣東面。

杉の段にある山内一豊の妻像。

二の丸手前の階段付近から見た天守閣北面。

道路には高知城をあしらったプレートが見られる。

マンホールのふたは、市章に「S(Sewerage下水道の意味)」の入ったマークの周りに県の鳥ヤイロチョウ、県の花ヤマモモ、「高知城」のデザインに「T-14」「合流」の文字。

翌朝、ホテルの部屋から天守を望む。

以前訪れた高知城の記事。
南海の名城、高知城

高知城は大高坂山(標高44.4m)上に築かれた、梯郭式平山城。 山の南を流れる鏡 … 続きを読む →

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高知散策

モネの庭訪問のつなぎとして高知のビジネスホテルに2泊、朝と夜は例によって散策です。

高知駅は外観はきれいになったが、IC化は遅れているしJR民営化のとばっちりを受けて周辺の鉄道網が悪化した。

飲食街も少なく、はりまや橋周辺まで出かける必要がある。

軌道事業(路面電車)として高知市内で伊野線・後免線・桟橋線の3つの路線を、高知県内を中心としたエリアで路線バス・高速バス・貸切バスをそれぞれ運営していた。

路面電車の3路線は、はりまや橋停留場で交差しており、総延長は25.3kmで、広島電鉄に次ぐ(宮島線を除けば日本最大)規模の路線を有する。

後免線・伊野線と桟橋線を乗り換える場合は、はりまや橋(デンテツターミナルビル前:後免線から)で運賃を支払った上で、乗務員から乗換券の発行を受けると直通運賃と同額で済む。

はりまや橋、日本3大がっかり名所。

有名観光スポットだけど、行ってみたらがっかりした場所、いわゆる日本三大がっかり名所とは、札幌の時計台・高知のはりまや橋は共通の意見ですが、3つ目には沖縄の守礼門・長崎のオランダ坂など、幾つかの説があるようです。

高知城下の東郊に、名刹五台山竹林寺がある。

その山下の五台山村の鋳掛屋の娘お馬(1839~98)は、娘時代、小倉六右衛門という藩士の上女中になったが、やがて五台山の脇坊の若い僧純信(1829~?)と深い仲になった。

幕藩時代、僧の破戒は、法で罰せられた。
くりかえすようだが、僧の恋は戒律の上でも破戒で、法の上でも犯罪だったのである。

たれかが、お馬・純信の恋を知って、

  土佐の高知の播磨屋橋で、
    坊さんかんざし買うを見た

と、まことに名作としか言いようのない歌詞をつくってうたうと、作品の力で大いに流行し、ひとびとがうたった。

お馬も純信も、唄が流行してから自分たちの秘めた恋が露顕していることを知り、おどろいて国拉げ(脱藩)してしまった。

すでに幕末のさわぎがはじまっている安政2(1855)年のことである。
 
かれらは、檮原の番所からは脱けなかった。
当時はまだ檮原の番所は名だたる堅固さであったのであろう。

讃岐(香川県)ざかいの山をこえて琴平に逃げ、潜伏していたが、やがて関所破りの罪で両人とも逮捕され、高知城下で生晒しの刑をうけた。
 
国抜けは、武士ならば死罪だが、女と僧でもあり、それに原因が恋で、藩を見限ったという藩主への侮辱ではないから、軽かったのである。

晒の後、追放になった。
純信は遠く九州へ行き、お馬は藩によって仁淀川以西に住め、という追放刑を受けた。

彼女はのち須崎の大工と結婚し、明治後は東京に出て天寿を全うしたらしい。

司馬遼太郎「檮原街道」より

元来は堀川に架かる小橋であったが、1928年の土佐電鉄桟橋線延伸開業に伴う高知市の街路整備により、同市の目抜き通りに一変した。

1960年代に入ると、製紙工場からの排水に起因する市街地河川の水質汚濁が顕著となり、堀川はほぼ全長に渡って埋め立てられた。

路面電車、はりまや橋停留所を入ったあたりは商店街が密集、一大繁華街だ。

本格土佐料理 とさ市場
高知の観光名所「はりまや橋」すぐ近く!カツオの塩タタキなど高知の料理が勢ぞろい!

二日ともここで夕食。名物カツオのたたきに、銘酒、司牡丹、酔鯨と辛口の酒をいただく。

二日目は珍味盛り合わせに挑戦。

どろめ、酒盗、チャンバラ貝、まいご、のれそれと酒の肴に申し分ない。

ウツボのウス造り、最初の日に聞いたが、月に2~3回あればいいほうだ、あればラッキーといわれた。

二日目に訪れた時ダメもとで聞いてみた、あるよっとのこと、早速いただくことに。
歯ごたえがしっかりして、フグのうす造りよりもっと歯ごたえがあり、美味、酒も進む。

江ノ口川に架かるこうち橋からの夕景、おいしい魚に、うまい酒…酔いしれてホテルまでの道、夜風がほほに心地よい。

マンホールのふた、海から飛び跳ねているカツオ、雲、よさこい祭の鳴子が描かれています。

こちらは高知沖を流れる太平洋の黒潮の波と土佐湾近海を回遊するクジラがデザインされています。

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青春18切符旅行記 モネの庭

高知のモネの庭に行くにあたって青春18切符を使うこととした。

コスト比較、通常の交通費、約26000円、ツアー 45000円。
青春18切符2370円x2 4740円。時間はたっぷりある。

瀬戸大橋を渡るマリンライナーは特急ではないので指定席以外は自由。

確かに時間はかかる。
まず高知まで、往路は9時間58分、復路 8時間29分。
違いは列車待ちの時間。
琴平での待ち時間、45分、これは待ち時間といってもその間電車がないのだ。

45分待って阿波池田行に乗り込む。
阿波池田で待ち時間61分、次の列車がないためだ。

土讃線に入ってからが面白い。
乗った電車は画像の上方から引っ込み戦のようなところへ入って止まる。

もちろん前方は行き止まり。

待つことしばし、特急南風が通り抜けていく。
土讃線は狭い山中を走る、行内に複数の線路のある駅はそう沢山ないのだ、したがってスイッチバックのような時間待ちをすることになる。

こんなに待ち時間があるんなら、大歩危、小歩危の観光に充てたいところだが、時刻表とにらめっこしてもうまく大歩危、小歩危で観光できる時間がひねり出せない。

これは気が付かない落とし穴だ。
大都市圏の快速や新快速はたしかに速く、18切符を利用する旅行者には大変便利です。

しかし、それ以外の地域では、ほとんどが普通列車のみです。

しかもこんなローカル線になると昼間の列車本数は極めて少ない、うかつに途中下車しようものなら、当日のうちに目的地に着かない。

仕方がないので車窓から撮影としよう。
だが、ここでも思わぬ落とし穴、狭い山間を走る土讃線、林や藪の連続で、きれいな渓谷が時折チラッ、チラッと見えるのみ。

シャッターのタイミングなどとても取れない、精神衛生上よろしくない時間を過ごすことになる。
こうなったら考えを変えるよりない。

又もやスイッチバックの列車待ち。

と、いうわけで9時間58分かけてようやく高知へたどり着く。
高知では坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の諸君が出迎えてくれる。

高知で一夜あかし、翌朝、いよいよ北川村のモネの池に向かう。
ここでまたトラブル!?

後免までがJR、そこから先が土佐くろしお鉄道。
とりあえず後免まで行こうと改札へ、なんとIC切符をタッチするところがない、駅員に尋ねるとまだIC化されてないとのこと。

仕方なく券売機で切符を購入、目的地の奈半利までの切符も変えるのだが、とりあえず後免までの切符を購入。

待つことしばし、折り返し奈半利行となる列車が到着、早速乗り込むと、これは回送電車だという。
JRの電車が切り離されると、おやっ、土佐くろしお鉄道の電車が現れる。

どうやら朝の通勤通学時間帯、後免~高知間、土佐くろしお鉄道の電車にJRの電車を増結しているようだ。

やっと電車に乗り込む、後免駅まではJRの運転手、後免駅で土佐くろしお鉄道の運転手に交代。

そのまま走り出す、すると切符はどうなるのだ、途中で回ってきた車掌に尋ねる、往復するなら1日乗り放題切符が有利だという、確かに往復2140円のところ1640円とかなり割引になる。

と、いうことは高知駅の券売機で奈半利までの切符を買っていたら損するところだった。

阿佐線(あさせん)は、高知県南国市の後免駅から同県安芸郡奈半利町の奈半利駅に至る土佐くろしお鉄道の鉄道路線。

現地での案内や時刻表での表記などでは、すべて愛称の「ごめん・なはり線」が使用されている。

正式な起点は後免駅で、本来、後免駅から奈半利駅へ向かう列車が下りだが、JR土讃線と合わせるために列車番号は、奈半利駅から後免駅へ向かう列車が下りに付ける奇数、逆方向が上りに付ける偶数となっている。

また、誤乗防止のため「上り」「下り」の呼称は用いていない。

1時間あたり1 – 2本程度運行されている。

各駅停車のほか、快速列車が運転されている。
朝ラッシュ時の一部を除いて、1両編成の気動車がワンマン運転される。

運転パターンは後免駅 – 奈半利駅間運転の列車のほか、途中駅の安芸駅発着の区間列車が多数設定されている。

また、夕方には後免駅 – あかおか駅間の区間列車が1往復設定されている。
また、全ての快速列車と各駅停車の一部は、JR土讃線に乗り入れ、高知駅まで相互直通運転を実施している。

夜須駅~西分駅では雄大な太平洋が見られる。

各駅には、高知県出身の漫画家やなせたかしのデザインによるイメージキャラクターが設定されている。

このキャラクターは各駅に設置されたオブジェ・車両のマーキング・キャラクターグッズなどの形で本路線のイメージアップに貢献しているほか、2004年には沿線の市民グループの手で各キャラクターの着ぐるみが製作され、「ゴトゴト着ぐるみ隊」の名称で各種のイベントに出演するなどの活動を行っている。

ちなみにここ、下山駅のキャラクター名は「しもやま ちどりちゃん」 ご覧のようなイメージキャラクターが設定されている。

各駅のキャラクター名は下記の通り。

駅名    キャラクター名

後免駅   ごめん えきお君
後免町駅  ごめん まちこさん
立田駅   たてだ そらこちゃん
のいち駅  のいちんどんまん
よしかわ駅 よしかわ うなお君
あかおか駅 あかおか えきんさん
香我美駅  かがみ みかんちゃん
夜須駅   やす にんぎょちゃん
西分駅   にしぶん つきこちゃん
和食駅   わじき カッパ君
赤野駅   あかの カモメちゃん
穴内駅   あなない ナスビさん
球場前駅  球場 ボール君
安芸駅   あき うたこちゃん
伊尾木駅  いおき トラオ君
下山駅   しもやま ちどりちゃん
唐浜駅   とうのはま へんろ君
安田駅   やすだ アユ君
田野駅   田野 いしん君
奈半利駅  なは りこちゃん

目的を果たし、いよいよ帰ります。

高知から琴平まで126.6㎞を217分かけて走る。

土佐山田駅から山中に、途中人家もなく次の駅まで長い。

新改駅ではスイッチバックでアンパンマン列車待ち。

大歩危では8分停車。

8分という中途半端な停車時間では観光はできない、さりとて次の列車を待つ余裕もない。
次回のため何か解決策を見つけよう。

阿波池田では21分停車、結局、列車待ちの停車時間が高知から琴平までの所要時間、217分の30㌫以上が列車待ちの停車時間だ。

こと、ローカル線では気に入った駅で途中下車しながら旅を楽しむという青春18切符のうたい文句は嘘だ。

もちろん、その日のうちにたどり着く駅を決めずに旅すれば別だが・・・・・

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モネの庭マルモッタンの庭で見かけた花々

モネの庭は花好きにはたまらないスペースです。
真夏にもかかわらず多くの花を見ることができます、名前のわからない花もありますが一部を紹介します。

「花の庭」に隣接するフラワーハウスの中ではモネの庭を彩る花々の苗を育てています。

花の植え替えや睡蓮の株分け、台風対策やゆずの木の幹巻きなど、日々の花のお手入れもフラワーハウスのスタッフが行なっています。

咲き終わった花を摘み取ったり、当たり前のような毎日の水やりも、いつも花いっぱいの庭でお客様をお迎えするための大切な作業です。

ダリア
メキシコ原産。

ヨーロッパでは、1789年にスペインのマドリード王立植物園に導入され、翌1790年に開花したのが始まり。
1842年(天保13年)にオランダから長崎に持ち込まれたのが、日本への最初の到来となった。

名前不詳、アザミの仲間かなぁ。

ナツズイセン

和名は、葉がスイセンに似ていて、花が夏に咲くことから。
また、花期に葉がないことから、俗に「裸百合」とも呼ばれる。

エゾミソハギ

太鼓橋の左側に薄紫色に見えるのはエゾミソハギ。
湿地に咲く穂状のお花。

ミソハギ  と良く似ているので、区別が難しいが、違いは、葉の付け根の部分が、茎を包むようになることと、茎の四隅が張り出し、四角形に見えること。

名前はエゾと付いているが、日本全国で見られる。

リコリス

リコリス属の仲間には、秋の彼岸のころになると、あぜ道などに群生して咲くヒガンバナ(マンジュシャゲ Lycoris radiata)がありますが、リコリス属は種類が多く、早い種類は7月から、遅い種類では10月から開花します。

多くは日本や中国に広く分布していて、日本には帰化した種も含めて、シロバナマンジュシャゲ(L. albiflora)、キツネノカミソリ(L. sanguinea)、ナツズイセン(L. squamigera)、ショウキラン(L. aurea)などが自生または栽培されています。

いずれも開花期間は1週間ほどと短い。

出葉時期は種によって異なり、早春に出葉するもの(キツネノカミソリ、ナツズイセン、インカルナータなど)と秋に出葉するもの(ヒガンバナ、シロバナマンジュシャゲ、ショウキランなど)がありますが、いずれも初夏になると葉はすべて枯れます。

シロバナマンジュシャゲ

シロバナヒガンバナとも呼びます。

秋咲きの球根植物でヒガンバナの雑種とされます。
定説ではヒガンバナ〔L radiata〕とショウキラン(ショウキズイセン)〔L. traubii (L. aurea)〕が自然にかけあわさってできた、とされています。

日本のヒガンバナは不稔性(タネができない)なので、稔性(タネのできる)のある中国原産のコヒガンバナ〔L. radiata var. pumila〕が親とも言われています。

ヒオウギ。

ジンジャー

ショウガ科の多年草。インド・マレー原産。観賞用に栽培。

全形はショウガに似るが、秋、心から高さ1.5メートルほどの花茎を出し、白または黄色で香りのよい花をつける。
花縮砂(はなしゆくしや)。

ルドベキア

北アメリカ原産ですが、一部では野生化しているほど丈夫な花。

初夏から秋までの長い間、明るい黄花を咲かせ続けます。花の大きさは品種により大小様々で大きいものは15cm以上になります。

咲き方も様々で一重のほか、八重咲きや蛇の目咲きなどがあります。花芯が濃い色のものが多く花弁とのコントラストが美しい。

タマアジサイ

山地の谷川沿いに野生し、よく分枝して高さ1.5mになる。
若枝は淡緑色で、微毛と剛毛とがとが密生する。

8~9月、枝先に散房状花序を出す。アジサイの仲間では花の時期が遅い。

ユリ

園内いたるところでたくさん見かける。

北半球のアジアを中心にヨーロッパ、北アメリカなどの亜熱帯から温帯、亜寒帯にかけて広く分布しており、原種は100種以上、品種は約130品種(アジア71種、北アメリカ37種、ヨーロッパ12種、ユーラシア大陸10種)を数える。

日本には15種があり7種は日本特産種。

山岳地帯を含む森林や草原に自生することが多いが、数種は湿地に自生する。

代表的な種に、ヤマユリ、オニユリ、カノコユリ、ササユリ、テッポウユリ、オトメユリなどがある。

ムクゲ

夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。

花期は7〜10月。花の大きさは径5〜10cm、花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。

白居易の詩の誤訳から一日花との誤解があるが、朝花が開き、夕方にはしぼんで、また翌朝開くものもあるが、たいていはそのまま翌日も開花し続け、一重のもので2〜3日、八重の長く咲くもので2週間くらい一輪の花を楽しめる。

名前不詳。

名前不詳。

サルビア・ガラニティカ

南米のブラジルからアルゼンチン原産。
ブルー花を初夏から晩秋まで咲かせる。

寒くなると株元に越冬芽が出来る。株元保温で-8℃位まで耐える。

名前不詳。

モミジアオイ

北米原産。背丈は1.5~2mくらいで、ハイビスカスのような花を夏に咲かせる。
茎は、ほぼ直立する。

触ると白い粉が付き、木の様に硬い。
同じ科のフヨウに似るが、花弁が離れているところがフヨウと違うところ。

和名のモミジアオイは、葉がモミジのような形であることから。

コリウス

草丈30cmくらい。

葉は平滑なもの、深い切れ込みの入ったものや縮れのあるものなどがあり、葉の色はえんじ色・オレンジ・明るい黄色・サーモンピンクなど、レインボー系と呼ばれる、それらの色に緑の縁取りのついたものがポピュラーである。

観葉植物として鉢物にするが、花壇に植えることもできる。
通常は、春に種子を播いて殖やすが、さし芽もできる。

温帯では一年草として扱うが、原産地では宿根草である。
このため冬に暖かい室内などに入れておけば越冬できる。

アサガオ

日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。

アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた。

和漢三才図会には4品種が紹介されている。

なお、遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは、奈良時代末期ではなく、平安時代であるとする説もある。
この場合、古く万葉集などで「朝顔」と呼ばれているものは、本種でなく、キキョウあるいはムクゲを指しているとされる。

オミナエシにチョウが。

オミナエシ(女郎花 Patrinia scabiosifolia)は、合弁花類オミナエシ科オミナエシ属 の多年生植物。
秋の七草の一つ。チメグサ、敗醤(はいしょう)ともいう。

すすきの仲間であろう、秋の到来を思わせる。

ハナトラノオは夏から秋にかけて、全国いたるところでよく見かける花。

優しいピンクの花が群れ咲く様子は、残暑の中でも、つかの間の涼しさを感じさせてくれます。

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モネの庭マルモッタン ギャラリー・カフェ


エントランスブリッジ。

駐車場から続くエントランスブリッジでは、バラのアーチがお迎えします。

クロード・モネ。

ギャラリースペース

「睡蓮」をはじめとするモネの名画(複製)が並ぶギャラリースペース。
モネの庭の四季折々の姿を写した写真展も行なっています。

草原を散策するカミーユとジャンを下から眺めるようにして描いた作品。

1890年、モネは「このような家もこれほど美しい地方も二度と見つからないことを確信てjジヴェルニーの家と土地を購入し、終の棲家とした。

水連と室内の映り込みの虚実の世界。

天窓から自然光がそそぐ明るい雰囲気の中で庭の中心部にあるギャラリー・ショップは、ジヴェルニーのモネのアトリエと家をモチーフにデザインされています。

緑色の鎧戸、レンガ色の外観は、モネの家そのもの。
館内のギャラリースペースでは、モネの絵画(複製)やモネの暮らしを伝える展示品、画集やガーデニングに関する書物、映像を見ることができる。

フローラルホール

2011年にオープンした多目的ホール。
ギャラリーを兼ねた展示スペースになっています。

維新志士 中岡慎太郎&印象派志士 クロード・モネ 展が開催されている。

同時代を生きた日仏の志士たち。

モネは庭づくりに情熱を傾けたばかりでなく、料理にも深い造詣を示し、ジヴェルニーのアトリエで様々な創作料理を作りました。

キッチンやダイニングなどのインテリアも自らコーディネイトしたり、オリジナルの食器をデザインするなど、アートのある暮らしを実践しました。

2017年4月にリニューアルオープンしたカフェ「モネの家」は、彼が暮らした家をモチーフにしたカフェです。

地元食材を使ったメニューやドリンクなどが楽しめます。

本日の昼食は、白身魚の香草パン粉焼きランチセット

モネレシピのタルタルソース、北川村ゆずソースなど4色ソースとともにいただきました。

落ち着いた雰囲気の店内と高知の自然が一望できる景観の中でゆっくりと過ごす。

ショップスペースでは、モネを中心としたミュージアムグッズ・オリジナル商品をはじめ、ガーデニング雑貨、北川村特産の柚子を使った商品や地元のお酒など豊富に取り揃えています。

ショップではモネゆかりの品々が求められる。

あちらもこちらも睡蓮の池をモチーフにしたデザインであふれる。

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