台風21号の爪痕は残酷です

台風21号の襲来からすでに2か月になる。
長居植物園の被害は甚大でメタセコイヤ林のあたりの復旧は来年3月という。

大池のほとりのセンダンの木、大きな枝ぶりで威容を誇っていたが見るも無残。

メタセコイヤ林の中は被害甚大、今もたくさんの倒木が手つかずのまま。

うずたかく積まれた倒木の残材。

日開の様子を知らせるパネル。

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秋の花満開 長居植物園


竹の小径のそばのダリア園今満開です。

「ダリア」 (dahlia) の名は、スウェーデンの植物学者でリンネの弟子であったアンデシュ・ダール (Anders Dahl) にちなむ。

和名は、花の形がボタンに似ているため、テンジクボタン(天竺牡丹)と呼ばれた。

メキシカンセージ、メキシコから中央アメリカが原産。

高さは1~1.2メートルになり、線形の葉は軟毛に被われます。

夏の終わりから秋にかけて、長い花穂を伸ばして、赤紫色のビロードのような花(萼片)を咲かせます。
花を摘んでドライフラワーやポプリにすることもできます。

コスモスはアキザクラ(秋桜)とも言い秋の草花の代表。

熱帯アメリカ原産。
メキシコからスペインに渡りマドリード王立植物園に送られ、コスモスと名づけられた。

日本には1879年(明治12年)に渡来。

これは美術学校の教師ラグザーがイタリアから持ち込んだものである。
秋の季語としても用いられる。

少女とコスモス、かわいい。

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紅葉の始まった長居植物園


定点観測の場所にしている大池のほとり、紅葉が始まっています。

一文字橋へ続く小径も紅葉が始まっている。

ハナミズキ、今年は台風21号の影響で葉を落としてしまっていて紅葉が楽しめません。

赤くつやつやしたハナミズキの実は、だんだん冬に向かって色味がなくなっていく街並みの中で鮮やかな色をそえます。

あまりにもつやつやしているのでとても美味しそうですが、私たちが食べることはできません。

毒こそありませんが渋みが強く、おいしくありません。

鳥たちには人気で、ヒヨドリ、ムクドリ、オナガなどが食べに来るようです。

陽に透かしたモミジの葉、こちらはまだ色づきません。

大池の中の小島、キバナコスモスかきれいです。

花をつけたツワブキも秋に彩を添えます。

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聖武天皇勅願 海住山寺


当寺の創建事情については必ずしも明らかではないが、寺伝では天平7年(735年)、 聖武天皇の勅願により良弁(奈良東大寺の初代別当)を開山として藤尾山観音寺という寺号で開創したという。

伝承によれば、聖武天皇は、平城京の鬼門にあたる現・海住山寺の地に伽藍を建立すれば、東大寺大仏の造立が無事成就するであろうとの夢告を受け、良弁に命じて一寺を建立させた。

良弁が感得した十一面観音像を本尊として開創したのが、海住山寺の前身の観音寺であるという。

なお、史実としては聖武が大仏建立の詔を発したのは天平15年(743年)であり、平城京の地で大仏造立を開始したのは天平17年(745年)である。

海住山寺という寺号の由来については、『明本抄』「良算聞書」に以下のようにある。

まず、「海」とは、観音の衆生を救済しようという誓願が海のように広大であることを意味し、海のような観音の誓願に安住するという意味があるとする。

また、インドの仏教では観音の住処は南方海中の補陀洛山(ポータラカ山)にあるとされ、当寺を海に住する山である補陀洛山になぞらえる意味もあるという。

海住山寺秋の文化財特別公開、国宝五重塔開扉の告知ポスターが境内に貼られてました。

通常は奈良博にいらっしゃる、五重塔を守護する「四天王立像(重文)」。

五重塔(国宝)。
塔高17.7m、初層方三間、本瓦葺、裳階付。建保二年(1214年)建立。
室生寺五重塔に次いで日本で二番めに小さい塔。

パッと見ると六層に見えますが、一番下の屋根は「裳階(もこし)」と言われる、耐久力を増すための飾り屋根になっています。

裳腰つきの五重塔は、現存するのは法隆寺とここだけ。

木造十一面観音立像 重要文化財

像全体の特徴は、バランスがよく伸びやかな体躯をもち、肉身は張りがあって、衣はその質感がよく表わされている。

十一面観音の象徴である頭上面は、頂上に仏面、髻の中ほどに三面(正面は菩薩面、左は瞋怒面、右は牙上出面)、地髪の上に七面を配する。右手を施無畏印とし、左手は肘を曲げて水瓶を執り、後述するように体躯に動きを表して蓮肉上に立つ。

五重塔内陣を厨子風に造り、8枚の扉に一体ずつ、華麗な彩色で梵天・帝釈天などの天部や比丘像が描かれる。

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聖武天皇謎の彷徨 恭仁京を訪ねる


740年、聖武天皇は平城宮を離れ、恭仁宮(京都府木津川市)に遷都。

しかし、恭仁京の完成を待たず744年には難波宮(大阪市)、翌745年には紫香楽宮(滋賀県甲賀市)に都を移します。

有名な大仏建立の詔は紫香楽宮で出され、建立が始まります。

なぜこのように頻繁な遷都が繰り返されたのでしょう? 理由はよくわかっていません。

宮跡は山城国分寺跡と重複し、合わせて国の史跡に指定されている(指定名称は「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」)。

現在は、大極殿(金堂)礎石と七重塔礎石が残り、恭仁宮跡周辺では晩夏から秋にかけて、蕎麦の花、彼岸花、コスモスが見頃となります。

大極殿(石碑)から北方面を見る。(田圃一帯を恭仁京跡地として保存されている)
13年度の調査で「内裏西地区、内裏東地区」が確認された。
築地塀、掘立柱塀などで囲まれていた。

今(いま)造(つく)る、久迩(くに)の都は、山川(やまかは)の、さやけき見れば、うべ知らすらし

大伴家持

山の中腹に 聖武天皇の勅願と伝わる海住山寺(かいじゅうせんじ)が見えている。

大極殿基壇の北西隅に残る礎石、他に、南西隅に九重の石塔の台座として使われている礎石など数点があった

塔の心礎(大きさは人の大きさで判断ください)

そろそろ残り柿が郷愁をそそる季節となりました。

なぜこのように頻繁な遷都が繰り返されたのでしょう? 諸説あり、理由はよくわかっていません。

なぜ? ふたつの大極殿 平城京の謎
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この時期の風物詩 野焼きも見られます。

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蟹満寺縁起


昔、山城国(現山城町綺田)に観音様を厚く信じる農家の父娘がいました。
ある日、娘は村人がとる蟹を哀れみ逃がしてやりました。

またある日、父は田で蛇にのまれんとしている蛙を助けるのに「娘を嫁にやるから蛙を助けて欲しい」とうっかり言ってしまいました。

その夜、立派な男性の姿をした蛇が娘を貰いに来ますが、「三日待ってくれ」と懇願しました。
男性は一度、引き帰りました。

蟹満寺三日目、板を打ち付けた部屋の中で父娘は懸命に観音経普門品を唱え祈っていました。
やってきた蛇は約束が違うと怒りだし、家の周囲で暴れました。

しかし突然、その音もやみました。夜が明けて見てみると、家の周囲には蟹の鋏で切り裂かれた蛇の死体が転がっていました。

その時に死んだ蟹と蛇の屍を葬り塚を作ってその上に観音堂を建てたのが、蟹満寺といわれています。
現在、毎年4月に蟹供養がおこなわれています。

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蟹満寺


蟹満寺(かにまんじ)は、京都府木津川市山城町綺田(かばた)にある真言宗智山派の寺院。
山号は普門山。

本尊はかつては観音菩薩であったが現在は飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造釈迦如来坐像(国宝)が本尊となっている。

寺の所在地の地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。

寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったもの。

この伝説が『今昔物語集』に収録されていることから、蟹満寺の寺号と蟹の報恩潭との結びつきは平安時代後期以前にさかのぼることがわかる。

本堂は、2010年4月に完成したとても新しいものです。

本堂の梁や瓦、境内の燈籠やお賽銭箱など至る所に蟹さんがいます。

この蟹の紋は、牡丹の花を蟹にアレンジしたの紋なのだとか。

言われると確かに!ボディーが牡丹の花で、目や手足が葉っぱになっています!!

この寺の創建年代や由緒についてはついては不詳であるが、周辺の発掘調査から飛鳥時代後期(7世紀末)の創建と推定されている。

その後、江戸時代の正徳元年(1711年)智積院の僧亮範が入寺し再興された。

今昔物語集等に記載がある蟹の恩返しの伝承で有名である。

銅造釈迦如来坐像(国宝)

像高240.0㎝。本来は鍍金がほどこされていたが、頬のあたりに鍍金の痕跡を残すのみで像表面は黒色を呈する。

右手は胸の辺に上げ第一指と第二指で輪をつくり、左手は掌を上にして膝上に置き、第三指を軽く曲げる(ただし、第三指の半ばから先は木製の後補)。

材質、像高、前述の両手の印相などの図像的特色を含め、奈良・薬師寺金堂薬師三尊の中尊薬師如来像との類似が指摘される(薬師寺像の像高は254.7cm)。

様式的には興福寺仏頭(もと山田寺講堂本尊、685年開眼)と薬師寺像の中間に蟹満寺像を位置付けるのが通例であるが、天平期(8世紀)に入っての作とみなす説もある。

この仏像の注目ポイントは、お釈迦様の手。

仏様を表す際の三十二相のルールのうちの一つ「手足指縵網相(しゅそくし・まんもう・そう)」がはっきりとわかります。

手足指縵網相(しゅそくし・まんもう・そう)とは、指のあいだにある水かきのような膜のこと。
たくさんの人を救えるようにとこのような水かきがあるのだとか。

この水かきは、悟りを開いた如来では第一関節からあり、悟りを開く前の菩薩では第二関節からあるそうです。

上記の蟹の報恩潭は観音霊験説話であり、当寺の山号の普門山も法華経の観世音菩薩普門品に因むものであることから、当寺の本来の本尊は観音菩薩であったとみられる。

現在も寺の入口付近に観音堂があるが、本尊は釈迦如来に変わっている。

本尊の銅造釈迦如来坐像(像高240㎝)は飛鳥時代後期(白鳳期)の作であるが、造像の由緒は不明で、当初から蟹満寺にあったものか、他の寺院から移されたものかについては諸説ある。

市章入りクボタシーアイ製のマンホール。
汚水管ハンドホール蓋

町の木モミジと町の花キク、特産品である筍とお茶をデザイン。
旧町名「やましろ」と入っていますが、中央のマークは新の木津川市のもの。
汚水管マンホール蓋

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藤原宮跡のコスモス

奈良県橿原市にある藤原宮跡は、日本初の本格的な都城「藤原京」の中枢部の跡。
藤原京は、7世紀末に飛鳥から遷され、平城京遷都までの16年間、日本の首都でした。

全体として柵などは設けられておらず、春ゾーン(ナノハナ)、朝堂院東ゾーン(コスモスなど)、蓮ゾーン(ハス)、夏ゾーン(キバナコスモス)、秋ゾーン(コスモス)と5つのゾーンで季節ごとの花が楽しめます。.

藤原宮跡に満開の菜の花を訪ねる
藤原宮跡では、季節ごとに美しい花が植えられ、菜の花やコスモス、キバナコスモス、ハ … 続きを読む →


大極殿跡の南側に3万平方メートルものコスモス畑が広がっています。

花びらの形や色の違う数種類のコスモスがあり、約300万本が一面に咲き誇ります。
大極殿跡の南東の朝堂院東ゾーンでも植栽しています。

画像後方は耳成山。

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煙のたなびく向こうは天香久山。

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ススキが陽光にきらめききれいです。

野焼きの煙も風情があります。

彼方には二上山を望む。

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こちらは畝傍山。
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そして遥か彼方には若草山も望めます。

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港住吉神社


当社は1842年(天保13年)に、大坂城代幕命を奉じ、摂津一宮である住吉大社より4座の御分霊を目印山(旧天保山)に勧請した。

以来、本社と本末の関係を以て祭祀を継続し、大阪三郷の関係住民及び海運業者の日夕の崇拝するところの守護神となった。

1864年(元治元年)天保山に台場が築かれたので、天保町に奉遷した。

1906年(明治39年)官幣大社住吉大社の境外末社となり、翌年西区靭中通二丁目永代濱住吉神社を合祀し、1917年(大正6年)天保町より築港遊園地だった現在地に奉遷した。

「名前の刻ま れたたくさんの石」「逆向きの鳥居」「笑っている 狛犬」等なぞの多い不思議な場所でもあります。

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築港高野山


創建年は明治末期の1910年。
真言宗の開祖である弘法大師(空海)が遣唐使で唐に渡ったのを顕彰する為、遣唐使一行が出航したとされる跡地に弘川寺の末寺の寺号である「釈迦院」の名前を継承して開基された。

開基当初の釈迦院は現在地より東の天保山運河の近くに位置し、7400坪程の広大な敷地を有していた。
大正時代から昭和初期にかけて同寺は大師信仰の中心地として栄え、東の四天王寺、西の築港高野山と呼ばれるほどであったが、大阪大空襲により寺は全焼。

浪曲塔

釈迦院の山門から入って右手に浪曲塔と呼ばれる石碑が建っている。

戦前、港湾労働者の間では浪曲が盛んで、浪曲師で浪曲の寄席「広沢席」の席主でもある広沢虎吉が釈迦院の住職の弟子であった関係で、同寺の境内に浪曲の祖とされる藤原澄憲を祀る碑が建てられた。

碑は大阪大空襲で寺が焼失した際に失われたが、寺の再建に伴い碑も再建された。

同寺では毎年8月30日に浪曲師たちの供養を兼ねた「浪曲まつり」が開かれている。

行者堂

真ん中に不動明王・隣に空海と役小角の石像が祀られている。

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