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木村康雄 大阪在住 写真家

グランフロント大阪


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参考になった本シルバーエイジの健康読本

一日に約250万人が利用する大阪駅・梅田駅北側の再開発エリアで、”大阪最後の一等地”といわれる「うめきた」の総面積約24ヘクタールのうち約7ヘクタールのエリアに立地している。

大阪駅のある南側から順に南館(タワーA)、北館(タワーB・タワーC)で分かれており、ショッピングモールやレストラン・カフェ、オフィス、ホテル、コンベンション・センター、劇場、超高層マンションから構成されている。

梅北の工事現場に建物が立ち始めた、いよいよだな。

南館

地上38階地下3階(高さ179.5 m)、オフィス・商業エリア。

タワーA(旧A棟)

開発事業者:三菱地所、NTT都市開発、大阪駅北地区開発特定目的会社、積水ハウス、ノースアセット特定目的会社、阪急電鉄、メックデベロップメント

ショップ&レストラン
低層部のショッピングエリア「グランフロント大阪 ショップ&レストラン」は店舗面積約44,000m2、店舗数266の専門店街であり、人気ファッションブランド、インテリアショップ、雑貨店、大型書店、レストランやカフェといった多数のテナントが入居している。

このうち73店舗が近畿地方初出店であり、97店舗が西日本や近畿での旗艦店である。

飲食店については77店舗が入居しており、イートインスペースを設けた地下1階の食物販ゾーン『うめきたセラー』と日本国外の有名店や日本全国から選りすぐりのレストラン36店舗を集積した『うめきたダイニング』、「大人のたまり場」をコンセプトに深夜4時まで営業する『UMEKITA FLOOR』の3つのゾーンに大きく分かれていて、その他にも世界中のビール・ワインを集めた『世界のビール博物館&世界のワイン博物館』や路面沿い・屋上庭園などに面したカフェやバーなども展開している。

南館の入り口には、地下 1階から地上7階、高さ約43mにおよぶ、白色のシンボル的な柱は、ウィッシュ ボーン=Wish Bone。

【くぐれば願いがかなう】そうで、5階に通路があるが、今は外に出られない。。

北館

オフィス・ホテル・商業エリア。

タワーB(旧南棟)-地上38階地下3階(高さ175.3 m)、オフィス・商業・ナレッジ・キャピタル。

タワーC(旧北棟)-地上33階地下3階(高さ154 m)、オフィス・ホテル(インターコンチネンタルホテル大阪)・商業・ナレッジ・キャピタル。

開発事業者:オリックス不動産、NTT都市開発、積水ハウス、阪急電鉄、三菱地所、住友商事、ナレッジ・キャピタル開発特定目的会社、日本土地建物、新日鉄都市開発。

ナレッジ・キャピタル

北館(旧Bブロック)低層階には、『世界の「感性」「技術」を持ち寄り、交わり、コラボレーションすることで新たな価値を生み出す』ことをコンセプトに掲げ、国内外の産官学の「知」の交流を目指す知的創造拠点「ナレッジ・キャピタル」があり、延べ床面積は8万8000 m2と大阪市役所庁舎と同規模の広さで、企業や研究者・クリエーターが集まる拠点としてオフィスを7フロア設けている。

このうち半分は大阪市が借り、短期間・小規模で賃貸が可能な「コラボオフィス」や会議室を併設することで、医療・介護、ロボットなどの分野で産学連携を促している。

また、同じくナレッジ・キャピタルの中核施設「ナレッジプラザ」では、ナレッジ・キャピタルと連携したイベントやプレゼンテーションなどが行われたり、来館者がさまざまな最新製品のプロトタイプ(試作品)を直接触れることができる「The Lab(ザ・ラボ)」や380席ある多目的劇場「ナレッジシアター」、国際会議や大型展示会を開催できる3000人収容のコンベンションセンターも設けている。

テナントには、パナソニックやNTTスマートコネクト、サントリー、東京大学大学院など多数の企業や研究機関が入居している。

超高層ビルのコンクリートジャングルの中で、怪しい路地へ誘われいつしかタイムスリップしたかのような心境。

その名も「浪漫倶楽部」

まさにロマンチック!

「梅田3丁目計画(仮称)」は、JR大阪駅の西側に位置する敷地面積1万2920平方メートルに、梅田スカイビル(高さ173メートル)を超える高さ188メートル、40階建てのビルを建てるもので、すでに工事が進んでいる。

今年明らかになったのが、大阪マルビル」、解体後の敷地は、2025年に大阪で開催される日本国際博覧会で臨時のバスターミナルとしての活用も予定するらしい。

ここ2,3年でごろっと変わるだろう。

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中之島 夜景散策


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うだるような暑さが続いています。
こういう日は夜景散策に限る。

今日もNikon Nikkor Z 24-200mm f/4-6.3 VRがお供。

腰痛もほとんど不自由を感じない程度に回復しています。

参考になった本シルバーエイジの健康読本

淀屋橋から見た中之島西部方面の夜景。

中之島には塔屋がライトアップされたビルが多く、華やかな夜景を演出しています。
遠景は錦橋。

梅田の高層ビル群と工事風景が見られる。

堂島川に掛かる水晶橋、レンガ調の橋脚が白色にライトアップ。

堂島川に掛かる橋の中でも、重厚感ある橋。

レンガ調で、もともとは河川浄化を目的とたゲート(可動堰)です。

夜になると、白色にライトアップされます。

他の橋の色鮮やかなライティングと比較すると、夜間には目立たない橋ではありますが、歴史を感じる赴きある光景を楽しめます。

水晶橋は、正確に言えば橋ではなかった。

この橋は本来は昭和4年に完成した堂島川可動堰という、河川浄化を目的として建設されたゲートである。

橋面の改装が行われたとき、さらに多くの人に利用してもらうことを願って、法律上も橋と認定する手続きがとられたので、現在は名実ともに橋になっている。

水晶橋という名の由来は今一つはっきりしないが、橋上にある照明灯が水面に映る様子が水晶のかがやきに似ているということから出た愛称であるとする説もあり、水都大阪が繁昌するようにという意味で水昌橋であるという説もあって決め難い。

水晶橋は、その姿形のゆえに大阪の人々に愛されている。

プロ、アマを問わず、画題として選ぶ人が多いのはその証拠である。

水晶橋の美しさの要因を考えてみると、第一には本体のアーチとその上の九つの小アーチの組合わせの妙が挙げられる。。

重厚さの中にどこか軽やかさを感じさせる。

昭和57年の改装工事でベンチ代わりの植枡も置かれている。また、ライトアップがなされ、中之島の夜景に彩りを添えている。

西天満若松浜公園、川沿いのテラス。
夜ともなるとライトアップされ、華やかだ。

鉾流橋(ほこながしばし)

天神祭の「鉾流神事(川に神鉾を流し、その年の神霊渡御地・お旅所を決定する行事)」がこの橋のたもとで行われることにちなんでその名が付いたといわれる「鉾流橋」。
 
初めて橋が架けられたのは1918年(大正7)ですが、現在見られる鉾流橋は1929年(昭和4)に完成したものです。
 
天神祭の鉾流神事が行われることを考慮して、高欄、照明灯、親柱など日本調にクラシックなデザインが採用されたそうです。
 
これらの高欄、照明灯は戦争中の金属供出などによって失われましたが、1980年(昭和55)に中之島地区にマッチしたクラシックなデザインの高欄や照明灯、レンガ敷きの歩道が整備されました。

「難波橋」は「中之島公園」内を貫き境筋を渡す橋で、モダンな形状は昼間でも美しいことで知られています。

日没後は橋の下側がカラフルにライトアップされ、水都に花を咲かせます。「

難波橋」を渡っている時はこのライトアップに気がつきませんが、「中之島公園」へ入って分かるライトアップ、粋な計らいですね。

土佐堀川・中之島公園・堂島川をまたがる堺筋に架けられている、全長約190mの橋。

橋詰の4ヶ所に、阿(あ)と吽(うん)それぞれ2体の石造のライオン像が配置されていることから、「ライオン橋」の愛称でも親しまれている。

江戸時代、この橋は堺筋の西隣にある難波橋筋に架かっていた木橋で、北詰は樋之上町、南詰は北浜一丁目、橋長約207m、橋幅約5.7mの、幕府直轄の公儀橋だった。

反り橋だったため、周辺の16橋や遠くの山々を眺めることができ、橋の上は花火見物や夕涼みの一等桟敷となるなど、絶好の行楽地としてにぎわっていたそうだ。

明治45年(1912)、市電堺筋線を北浜から北の天神橋六丁目へと延伸する際に、現在の位置に移された。

華麗な照明灯、中央の中之島公園へ降りる広い石造りの階段など、都市景観の創造が図られた設計が見事。近くに、大阪証券取引所をはじめとする、近代のレトロビルも群集している。

ライトアップされた大阪市中央公会堂。

大阪市中央公会堂
大阪市中央公会堂(通称:中之島公会堂)は、1911年(明治44年)、株式仲買人で … 続きを読む →

公会堂スタッフによるガイドツアーが行われている。

ツアーでは、「展示室」にて公会堂が歩んできた歴史をご紹介、部屋そのものが芸術品といわれる「特別室」がご案内される。

大阪府立中之島図書館。

「緑の賛歌」は、大阪市中之島公園にある。

緑豊かな文化の香り高い街づくりの推進にと、浅井鉞次郎氏が大阪市に寄贈した作品で1973年4月16日に除幕式が行われた。

約8メートルの台座に立つ4.3メートルの裸婦像は、本郷の野外彫刻の中でも最も大きなものです。

淀屋橋の夜景。

江戸時代の豪商、淀屋の名前が付いた淀屋橋は、パリのセーヌ川に架かるコンコルド橋をモチーフとしており、重要文化財にも指定されています。

御堂筋を挟んで大阪市役所の向かい側にある日本銀行大阪支店のライトアップ。

1903年建設(辰野金吾設計)、中之島を代表する近代建築です。

午後8時をすぎてしまいました、2時間以上歩き回った様です。

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梅雨明け


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今日はハルカスダイニングで昼食をとっている。

4月中旬から続いていた腰痛治療から解放された、臀部に激痛が走り、訳のわかぬまま、マッサージから始まり、挙句の果ては羽曳野の名医を訪ねての治療がやっと終わりを告げた日だ。

腰髄椎間板症と診断されたが、加齢と長時間の座りすぎからくる病のようだ。

今からすれば誰にでも起こりうる病だ、日々の注意が肝心だ。
ネットでたどれば数限りなく諸説入り混じった治療法が拡散している。

同年代諸氏はくれぐれも気を付けてほしいと思っている。

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今年は関東甲信では梅雨入りが平年よりやや早く、東海や九州南部では平年より遅い梅雨入りでした。

各地とも梅雨明けが平年よりも大幅に早かったため、梅雨の期間は平年よりかなり短くなりました。

6月27日、気象庁は沖縄・奄美に続き、九州南部・東海・関東甲信の梅雨明けを発表。

梅雨の期間は、九州南部では、平年より18日早く、昨年(2021年)より14日早い16日間。東海地方では、平年より22日早く、昨年(2021年)より20日早い13日間。

関東甲信では、平年より22日早く、昨年(2021年)より19日早い21日間となり、各地で梅雨の最短期間を更新した。

気になっていた住之江公園のねむの木もついに見頃を過ぎてしまった。

今まで辛い闘病期間、苦痛と、治療に時間を割かれ行動の不自由をかこっていてたが、やっと自由になれた。

過去の不摂生を反省しながら失われた時間を取り戻そう。

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大阪市内最古の橋 本町橋


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本町橋は現役の橋としては、大阪市内最古の橋である。

大坂の陣(特に冬の陣)の時は、戦略上の重要地点であったとされ、橋周辺で蜂須賀隊と塙直之が激突している。

江戸時代になると、公儀橋として幕府による直接管理・維持がなされた。

東詰に油問屋が集まり、西詰に木綿問屋・呉服・古着屋が軒を連ね、大坂で最も賑わう地域とされた。

享保9年(1724年)の「妙知焼け」と呼ばれる大火で本町橋をはじめ、いくつもの橋が焼失している。

大火後、橋の北東側に西町奉行所が移転してきた。

江戸時代のころの東横堀川の幅は現在よりも広く、本町橋も橋長が47.8mあったという。

幅員は最初7.8mで、江戸時代後期には5.9mと幾分狭くなった。

明治維新後、年代は特定されていないが、明治14年(1881年)までに鉄柱を持つ木橋に架け替えられた。

当時は鉄橋はおろか、鉄柱木橋も貴重な存在であった。

20世紀以降の大阪市電の敷設、都市計画事業による道路拡張にあわせて本町橋も大正2年(1913年)に鉄橋に架け替えられた。

三径間の2ヒンジアーチ橋で、下部は広くし、橋脚には石柱を模した飾りが付き、その上部はバルコニーとなっている。

この橋は昭和57年(1982年)に大がかりな補修がされたが現役である。

橋長:46.5m
幅員:21.6m
形式:鋼アーチ(三径間2ヒンジアーチ)
完成:1913年(大正2年)
2009年に「大阪市内で最古の橋」として土木学会選奨土木遺産に選ばれる。

壁面を七福神がカヌーを漕いで登っていくのが印象的なビル。

大阪の中小・ベンチャー企業支援拠点として、経営相談やセミナー、交流会など多様なサービスをおこなっています。

また地下には、大阪で活躍した企業家たちを中心に、大阪経済の発展の歴史をわかりやすく展示する大阪企業家ミュージアムがあって誰でも見学できます。

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梅雨の晴れ間 マーブルビーチ


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太鼓橋の上部にある管理棟、中はかなり荒れていましたが、公園を一望できます。

太鼓橋から見て『四季の泉』は真西の方向にあって、春分、秋分の日にはここに太陽が沈みます。

りんくう公園の夕日
りんくうタウンのまちなみは、多くの集客で賑わう近未来的な集客都市空間であるとして … 続きを読む →


また、夏至の日(19時15分頃)には、太鼓橋より『夏至の階段』に沈む夕日をご覧いただけます。
冬至の日には、『冬至の岩屋』に夕日が沈みます。

海沿いの道、ウッドデッキの道の向こうにマーブルビーチが見えます。

ジェットスキーやバナナボートを楽しむ人たち。

関空を離着陸する航空機を眺めながら進む。

バナナボートで楽しそうにビーチの間際をはしる若者たち。

ビーチには白い大理石が敷き詰められ、背後には青い松林が続きます。

関西空港を望みながらの夕景が最高のスポットです。

梅雨のわずかな晴れ間にうみを楽しむ家族ずれ。

マーブルビーチの白い石は、中国や台湾からの輸入のようです。

恋人の聖地りんくうマーブルビーチから夕陽を
夕日を追っかけていたら止まらなくなってしまった。 今回は恋人の聖地りんくうマーブ … 続きを読む →


1997年(平成9年)以降、工場やりんくうプレミアムアウトレット、ヤマダ電機、ニトリ、スポーツデポ、スーパートライアルなどの大型店が出店するなど企業の進出ラッシュが起こっており、賑わいを見せている。

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「あじさい寺」丹州観音寺


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今日はNikon Nikkor Z 24-200mm f/4-6.3 VRの筆おろしの日。
便利ズームという概念が破壊されていておじさんびっくりしちゃったよ!

とか、至高の万能レンズ の必要性が分かる動画~とか、なかなかの評判だ。

寺伝によれば、養老4年(720年)、法道仙人による開山とされ、法道が本尊十一面千手観音菩薩を刻み草堂に安置したのが始まりだという。

画像は、仁王門 明治29年の台風に倒壊し、昭和6年に鎌倉様式で再建されたという。

その後応和元年(961年)、空也により中興され七堂伽藍が建立されたと伝える。

法道は兵庫県播磨地方を中心に寺院開基伝承が残る伝説上の人物である。

鎌倉時代、北条時頼・貞時らの厚い庇護を受け、25余坊の寺坊が軒を並べる中本山の寺院として栄えた。

しかし、天正4年(1576年)、明智光秀による焼き討ちにより焼失した。

現在では、丹波のあじさい寺として知られている。

20世紀半ば頃、秘仏本尊開帳時に万灯万華を供養しようと発願され、その万華の花としてアジサイが選ばれ、多種栽植されたのが始まりである。

丹州観音寺は、奈良養老四年(720年)にこの地を訪れた法道仙人によって開かれたお寺です。

平安時代(961年)になって、空也上人が七堂伽藍を建立し、丹波地方の観音信仰の中心となって栄えてきました。

その後鎌倉時代に最盛期を迎え、北条時頼・貞時等の比護を受け、25余坊の寺院をもつ中本寺の寺として栄える。

約3600通余りの古文書、聖教類(京都府指定文化財)が現存します。

観音寺には、かわいいお地蔵さんがあちこちにおられます。

“今がわるくても 悲観することはない 曇り空のむこうに 青空があるように かならず 幸せは やってくる”

また、丹州観音寺の本堂を参拝するには石段を上らないといけません。

その高さにやや怯んでしまう人もいるであろう石段なのですが、意を決してその石段を上り始めると、手すりの部分に励ましの言葉が。

石段の一段一段に奇麗なアジサイが・・・・・・
今の辛い歩みも無駄ではない、とポジティブ思考をしてしまうような細かい”仕掛け”があるのです。

本堂

あじさいと並ぶ境内のフォトスポットが、本堂の格子のスペースに所狭しと並べられた「だるまみくじ」。

おみくじを格子のスペースに埋めるきっかけとなったのも、お寺を訪れた参拝客なのだとか。

もちろん持ち帰りも可能ですが、多くの方がだるまの背中に願い事を書いて格子に並べるのだそうです。


千羽鶴がきれいです。


ほおずえ地蔵

慈母観音 沙羅双樹も咲いています。

2019年からは手水舎にあじさいを浮かべる「花手水」が新名物となっています。

ピンクや白もありますが、あじさいはやっぱり青が綺麗。

「小国鶏」(しょうこくけい)とあじさいが織り成す景色は、まるで伊藤若冲の世界のよう。

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アジサイが最盛期 長居植物園


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気象庁は14日、中国(山口県を除く)、近畿、東海、北陸地方が梅雨入りしたと見られると発表した。

雨に咲く花、アジサイを撮ろうと勇んで出かけたが到着した頃は陽が射し始める始末、

こうなったら予定を変更せざるを得ない。

105mmのマクロで目立った花をピックアップしていく。

緩やかな起伏のある山奥の谷をイメージしたアジサイ園。

約1万株の青、紫、赤色などのアジサイが見ごろを迎えている。

お昼に西宮から来たという二人連れのご婦人と一緒になった、広いですねーと感心しきり。

毎日新聞やテレビでニュースが流れるので誘い合わせてきたという。

マスコミも罪なものだ。

ダンスパーティーの仲間であるアジサイは、アジア、北アメリカに約73種が分布するアジサイ科アジサイ属の落葉性低木です。

ダンスパーティーは、日本に分布するガクアジサイとアメリカの園芸種を掛け合わせて作られた園芸品種です。

1994年頃に静岡県にある加茂花菖蒲園で作出され、近年鉢物のギフトが数多く流通するようになって一気にブレイクし、以来不動の人気を誇るアジサイです。

ダンスパーティーの花期は6月~7月。

花期になると分枝した枝の頂部に、径10~20㎝程度の花序を形成し、多数の花を咲かせます。

花のように見える部分は、ガクが大きく発達した「装飾花」と呼ばれる部分で、雄しべと雌しべが退化しています。

ダンスパーティーは、装飾花が非常に美しいアジサイです。

装飾花はシャープな萼片が八重に重なり、華麗な花姿を見せてくれます。

ガクアジサイに比べると装飾花の数が多く、華やかで優雅なアジサイです。

ジャカランダが最盛期を迎えている。

隣ではスモークツリーが華やかに咲いています。

初夏にふわふわとした花茎を伸ばして、木が煙っているようにも見えるスモークツリー。

花姿のユニークさもさることながら、黄系、青系、ブロンズ系の葉色が揃い、カラーリーフプランツとしても人気の高い落葉樹です。

ケムリノキ、カスミノキという別名も持っています。

ジャカランダは、ホウオウボクやカエンボクと並んで、世界三大花木に数えられる木です。

南米原産で、現高さ15m以上に成長し、現地では葉に先立って紫色の花を咲かせるので、紫の雲のようだとたとえられます。

暖かいところで育つ木ですが、大阪市内でもジャカランダが元気に育っています。

長居植物園の中だけでなく、長居公園にもジャカランダの木があります。

ジャカランダがあるエリアの中では、真っ赤な花が咲くアメリカデイゴやヒシバデイゴも見ることができます。

同時期に花が咲き、どちらも花が散った地面も美しく、紫と赤のコントラストは見事です。

ジャカランダとは南米に多く分布している樹木で、品種は約50種類。高さは15メートルぐらいで、中には30メートルに達する大きいものもあります。

春から初夏にかけて紫色の花を咲かせ、木を覆うほどたくさんの花が咲くので、世界三大花木の一つとされているとても美しい樹木です。

その美しさから街路樹などにも使われることも多く、一面が紫色で覆われた景色は絶景そのものです。

世界3大花木ジャカランダを見る
今回の宮崎訪問の目的の一つに「ジャカランダ」を見たいということがありました。 「 … 続きを読む →

今宮崎ではジャカランダ祭りの最中です。

薔薇も雨に濡れきれいです。

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山田池公園のハナショウブ


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1200年前に造られたとされる山田池を中心とした山田池公園では、例年5月下旬になると花しょうぶ園のハナショウブが見頃を迎えます。

約150種類1万株の紫や白、ピンクのハナショウブが咲き誇る様子は圧巻です。

園内は一方通行になっていて後戻りできません。

梅雨の時期に花を咲かせ、夏の訪れを知らせてくれるハナショウブ。

ハナショウブは自生する「ノハナショウブ」をもとに品種改良された園芸植物です。

水辺に咲くイメージが強いですが、庭や花壇、鉢植えでも育てられます。

画像は「江戸型 宿の桜」

「江戸型 鳳凰(ほうおう)冠」


「江戸古花 葵の上」

「長井古種 長井古麗人」

「江戸古花 大鳥毛」

「伊勢型 津の花」

「江戸型 花車」

「江戸型 八咫鏡」

同時期には、あじさい園のアジサイ約2000株や、水生花園のスイレンも見頃を迎えます。

豊かな自然に恵まれた山田池公園では野鳥も多く、水鳥やアオサギ、カワセミなどのバードウォッチングを楽しむこともできます。

半夏生はまだ見頃前。

ハナショウブで影が薄い感があるがあじさい園のアジサイ約2000株が゜存在感を示している。

今日はマクロ持参で正解でした。

伝統品種群の系統

江戸系
江戸ではハナショウブの栽培が盛んで、江戸中期頃に初のハナショウブ園が葛飾堀切に開かれ、浮世絵にも描かれた名所となった。
ここで特筆されるのは、旗本松平定朝(菖翁)である。
60年間にわたり300近い品種を作出し『花菖培養録』を著した。
ハナショウブ栽培の歴史は菖翁以前と以後で区切られる。
こうして江戸で完成された品種群が日本の栽培品種の基礎となった。
1910年(明治43年)からは宮沢文吾により神奈川県農事試験場(現日比谷花壇大船フラワーセンター)で当系の品種をもとに品種改良がおこなわれ、1915年(大正4年)から1920年(大正9年)頃までに約300品種が発表された。
玉川大学教授 田淵俊人は、これを独特の花容から大船系と分けて分類するのが適切だと主張している。

伊勢系
現在の三重県松阪市を中心に鉢植えの室内鑑賞向きに栽培されてきた品種群。
伊勢松阪の紀州藩士吉井定五郎により独自に品種改良されたという品種群で、菊、撫子と並ぶ「伊勢三品」の一つである。
江戸の商人には三井高利に代表される伊勢出身者が多く互いの行き来も盛んであり、紀州藩士も参勤交代が頻繁であった。
このことから、実際には江戸系の影響を受けたであろうことが有力視されている。
昭和27年(1952年)に「イセショウブ」の名称で三重県指定天然記念物となり、全国に知られるようになった。

肥後系
現在の熊本県を中心に鉢植えの室内鑑賞向きに栽培されてきた品種群。
肥後熊本藩主細川斉護が、藩士を菖翁のところに弟子入りさせ、門外不出を条件に譲り受けたもので、「肥後六花」の一つである。
満月会によって現在まで栽培・改良が続けられている。
菖翁との約束であった門外不出という会則を現在も厳守している点が、他系統には見られない習慣である。
しかし大正に会則を破り外部へ広めてしまった会員がおり、現在では熊本県外の庭園などで目にすることができる。

長井古種
山形県長井市で栽培されてきた品種群である。
同市のあやめ公園は1910年(明治43年)に開園し、市民の憩いの場であった。
1962年(昭和37年)、三系統いずれにも属さない品種群が確認され、長井古種と命名されたことから知られるようになった。
江戸後期からの品種改良の影響を受けていない、少なくとも江戸中期以前の原種に近いものと評価されている。
現在、34種の品種が確認されている。
長井古種に属する品種のうち13品種は長井市指定天然記念物である。
近年、長井古種と他系の品種を掛け合わせてつくられた新品種を長井系と称している。
21世紀現在、ノハナショウブの自生地ではハナショウブとの交雑個体が見られるようになっている。
交雑個体の中から選抜された優良個体を品種として発表しようとする個人や団体が表れることを予測して、新系統の乱立を防ぐため、ハナショウブ愛好家の唯一の全国組織・日本花菖蒲協会の2021年(令和3年)現在の会長清水弘は、 ノハナショウブ(各自生地ごとの標準個体、自然変異)と栽培品種(長井古種・長井系以外も)との交雑による(自然交配も人為交配も)品種についても、既存の長井系と合わせて長井タイプとする新たな分類を提唱している。
これは長井という品種群について長井市に起源をもつ一系統というより、ノハナショウブと栽培品種の移行型である点を優先したものであり、原種と栽培品種の交配の初期世代でも同様の形質が表れるためである。

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夜明けの街


梅雨入りが迫っています、きれいな日の出ともしばらくはお別れか。

ただ今5時少し前、日の出から少し時間が経過しています。


森の隙間からの斜光です。


人が散歩する時間帯より少し早いかな、人影もまばらです。


感心な老人の散歩は今日も続いています。

以前も何度か記事にしたことがある感心な老人の話。
朝の輝きの中で
今日も住之江公園、住吉川を朝の散策です、今日は「朝の輝き」をテーマに楽しみます。 … 続きを読む →




ただ今5時24分、上空には高積雲(こうせきうん)は雲の一種。

小さな塊状の雲片が群れをなして、斑状や帯状の形をつくり、白色で一部灰色の陰影をもつ雲のこと。

まだら雲、ひつじ雲、叢雲(むら雲)とも言う。

この時間、場所により明るさが違います。

あちこちで強烈な斜光が見られます。



空一面の高積雲、この光景ともしばらくお別れだ。

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室町時代初期の観心寺領 鳥取ノ荘散策


西鳥取漁港は、かつては波有手(ぼうで)浜と呼ばれていた歴史ある港です。

さわら、しらす、いかなご、タコなど季節毎に様々な魚が捕れるだけでなく、海苔や牡蠣が養殖されていて、用途毎に違った種類の漁船が浮かんでいます。

阪南市一帯は、古来より和泉国日根郡鳥取郷と呼ばれてきました。

この地名は930年代に編纂された『倭名類聚抄』に初めて見られます。

「鳥取」の地名については、それより200年以上も前に書かれた『日本書紀』に以下のような説話が記されています。

垂仁天皇の第一皇子である誉津別王は30歳になっても稚児のように泣き、ことばを発しませんでしたが、白鳥が空を飛ぶ様子をみて「あれはなにか」と初めて声をあげました。

天皇は喜び、臣下に「誰かこの鳥をつかまえてきてほしい」とおっしゃり、天湯河板挙(あめのゆかわたな)が「必ず捕まえて献上しましょう」と白鳥を追って出雲国で捕えました。

その後、誉津別王はこの白鳥をもてあそび、物を言うことができました。

この功により、天皇は天湯河板挙に鳥取造の姓を賜り、鳥取部を定めました。

『日本書紀』は説話的な色彩が濃いですが、これらの記述は古(いにしえ)の当地域と大和朝廷とのつながりを物語るものではないかと思われます。

また、『倭名類聚抄』には「鳥取」の地名が和泉国のほかに河内国、越中国、丹後国、因幡国、備前国、肥後国にもみられます。

荘園とは、奈良時代から室町時代末期(戦国時代)まで存在した私有地のことです。

その所有者の多くは、京都やその近辺の貴族・寺社、有力寺社で、土地とともに多くの農民を抱え、現地には荘官を置いて、経営に当たらせました。

阪南市域には、筥作(はこつくり)(箱造(はこつくり))荘(しょう)と鳥取(とっとり)荘(しょう)の2荘が存在していたことが資料で確認されています。

筥作庄は、賀茂別雷神社(京都市・上賀茂神社)の寿永3(1184)年文書に、源頼朝が武士の狼藉を禁じた賀茂別雷神社領42荘のうちの1つとしてその記載が見られます。

このことから、少なくとも平安時代末期に箱作一帯は上賀茂神社の領地であったようです。

一方鳥取庄は、荘園名として室町時代初期の観心寺(河内長野市)文書等にその記載がみられ、観心寺領であったと推測されています。

その後、室町時代に足利義満によって伊勢神宮に寄進されたことが、『建内記』という資料に記されており、伊勢神社領になったと考えられます。

江戸時代になると、いくつかの文書に「鳥取庄」の文字がみられますが、このころには既に荘園自体は崩壊しており、この「鳥取庄」は現在の箱作以南を除く阪南市域を示す用語として使われていたようです。

このように両荘園に関する資料は若干存在するものの、その範囲や成立の経緯、荘園内の村名、内部構造などの詳細については残念ながら明らかではありません。

「鳥取荘」は、現在も南海本線の駅名に「鳥取ノ荘」として残されています。

「勇夫善六の碑」

秀吉の小田原攻めの時、この村の善六という村人が多大な功績を残し戦死しました

その恩賞として村人達は税金を減じられ、永くその恩恵を受けたことにより、村の人々によって墓碑が建てられました。

西鳥取村は、大阪府泉南郡に属していた村。

現在の阪南市中部、南海本線鳥取ノ荘駅周辺にあたる。

1889年(明治22年)4月1日 – 町村制の施行により、日根郡波有手村、新村が合併して西鳥取村が発足。大字波有手に村役場を設置。
1896年(明治29年)4月1日 – 郡の統廃合により、所属郡が泉南郡に変更。

1956年(昭和31年)9月30日 – 泉南郡尾崎町・下荘村と合併して南海町が発足。同日西鳥取村廃止。
南海町発足時に大字波有手を鳥取、大字新を新町に改称。