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木村康雄 大阪在住 写真家

上七軒


五花街とよばれ、上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町とともに現在京都に5つある花街のうちもっとも歴史ある花街である上七軒。

室町時代に北野天満宮の再建の際に残った資材を使って7軒の茶店を建てた。

これが「上七軒」の由来で、桃山時代に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極める。

上七軒は戦前まではお茶屋50軒、芸妓、舞妓あわせて60名で娼妓も3名いたが第二次世界大戦でお茶屋の大半が転廃業し、1945年ごろに再開。

そのころはお茶屋35軒、芸妓50名ぐらい(舞妓は襟替え等で含まれていない)いたが西陣織産業の衰退により減少し、芸妓数も20名以下に落ち込んで、歌舞会所属の舞踊学校で習っている優秀な生徒に対し組合が北野をどりへの出演を要請していた時期もあった。

2013年2月、上七軒通電線地中化工事が完成、常夜灯を設置した石畳風舗装の道路に生まれ変わった。

京都は路地の多い街だが上七軒も例にたがわず路地が多い。

黒塀をバックに梅が・・・

鍾馗さんは祇園、上七軒、宮川町といった花街にたくさんいます。

京都市内の民家(京町家)など近畿 – 中部地方では、現在でも大屋根や小屋根の軒先に10 – 20cm大の瓦製の鍾馗の人形が置いてあるのを見かけることができる。

これは、昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。

鍾馗の縁起については諸説あるが、もともとは中国の唐代に実在した人物だとする以下の説話が流布している。

ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。
玄宗は高熱のなかで夢を見る。

宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。
玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。

武徳年間(618年-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。

だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。
夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。

感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。

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西陣散策


高級絹織物の西陣織発祥の地であり、織物産業が集中する地域である。

おおむねの範囲は、西限が七本松通、南限が一条通、東限が小川通、北限が上京区・北区の区境。

「西陣」の名は、応仁の乱(1467年-1477年)の際に西軍総大将である山名宗全らが堀川よりも西のこの土地に陣を構えたことに由来する。

応仁の乱後には各地に離散していた織物職人が京都に戻り、西陣と呼ばれるようになったこの地で織物作りを再開した。

このようなゲストハウスもある。

公園の片隅に転がっている染釜。

京都で染色といえば、糸から染める先染めとよばれる工程と友禅などのように白生地に織ったものを染める後染めの二種にわかれる。

西陣織の特色は先染めで糸染屋は、織屋から渡された撚り糸を精練し、色見本にあわせながら染めあげてゆく。

熱湯に染料をとかし、かせ糸を竹棒にかけて、手釣を使いながら除々に染めあげてゆく手染と、大きな蒸気釜で一度にたくさん染める機械染色があり、いづれも西陣織の生命といわれる色をつくりだす重要な部分である。

1989年(平成元年)にオープンした「織成館」は、「西陣織屋建」を活かしたミュージアムとして開設された。

この建物は1936年(昭和11年)に西陣の帯地製造業「渡文」の初代当主・渡邉文七氏の「店兼住まい」として建てられたもの。

水屋(炊事場/おくどさん=竈(かまど)など)を取り除き、1階と2階の一部も改装したが、梁や柱、狭い間口に奥行きの長い棟、明かり取りの天窓など、西陣の伝統的な家屋「織屋建(おりやだち)の特長をそのまま残しています。

鍾馗さんは祇園、上七軒、宮川町といった花街にたくさんいます。

長艸繍巧房 貴了庵

京都の伝統工芸「京繍(きょうぬい)」の作家である長艸敏明、純恵の作品を展示。

「紫織庵」は元々「京のじゅばん&町家の美術館」として平成11年4月から20年まで、公開されている大正初期の京都市指定有形文化財の町家でした。

しかし「紫織庵」は8月27日を持って閉館して、平成30年10月1日から「ギャラリー 紫織庵」として西陣の織工場跡を再利用した新ギャラリーをオープンした。

ととや

女将さん手作りのちりめん山椒のお店。

雨宝院の南門越しに眺める瓦土塀と、真っ赤な提灯のコントラストが美しく、京都らしい和の雰囲気が感じられる、知る人ぞ知る、ひそかに人気の撮影スポット。

本隆寺の境内の周りは、瓦土塀が続く細い路地となっており、情緒たっぷり。

土塀(どべい)は、粘土質の土や泥に、石灰とフノリに加え、菜種油、水、藁などの天然素材で作られた伝統的な塀ですが、ここ大徳寺を始め、いくつかの寺に「瓦土塀」と呼ばれる、廃材を利用し、瓦を何層にも積み重ねた土塀があります。

瓦土塀は「瓦積み式土塀 」 の略で、文字通り、瓦が何層にも積み重なっている土塀で、瓦を挟み込む理由は耐久性もさることながら、意匠性(デザイン性)を得る為と思われます。

こちら大徳寺の瓦土塀、斬新なデザインで洒落ています。

大徳寺塔頭 興臨院 特別公開
臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭、通常非公開ですが、春と秋に特別公開されています … 続きを読む →


今日のお昼は鳥岩楼(とりいわろう)、超人気で行列のできる店、昼は親子丼のみ。

鳥を専門に扱っていた初代が祇園で創業。
鳥のあらを有効に使いたいと始めた鳥料理の店は、やがて水だきのおいしさで知られるように。

昭和20年に西陣に移転、庭を囲む町家の座敷は鍋料理にふさわしいしっとりした風情を漂わせる。
井戸水を使って新鮮なあらを6~7時間煮込んで作ったスープと、ゆっくりと下ゆでした鳥。

それを包金製の鍋でゆっくりと炊けば、生姜のきいたスープの香りが立ち上り食欲をくすぐる。

野菜に加えて、湯葉や粟麩など京の食材も鍋の具に。

鍋が一番の自慢だが、新鮮な鳥を気軽に味わい人には、昼のみの名代親子丼もある。

遊墨漫画家、南久美子さんの「遊墨画工房」。

江戸期の職人長屋を今に残す「三上家」の路地。

図子の中央あたりから北に15メートルほど伸びる三上家路地で、突きあたりが三上家。
 
三上家は紋屋町に現存するただ1軒の紋屋だそうです。

かつて天皇の衣装をつくった御寮織物司。

三上家17代当主が大家さん。

昔はこの長屋に職人達を住まわせていましたが、今は職人に代わって、写真家、陶芸家など芸術家達の工房やはちみつ専門店が店子(たなこ)として入っています。

以前、テレビドラマ「赤かぶ検事奮戦記(中村梅雀)」で路地と、一軒のお宅が登場していました!

長屋の一角に蜂蜜専門店があります。

店内には、オーソドックスなものから希少なものまで約40種類のはちみつがズラリ。
試食をしながら商品を選べます。

三上家路地のように「路地」と呼ばれる細い道路は、京都の市内に約1万3000本もあるといわれています。

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小雨の石塀小路


ねねの道とその1本西の下河原通を東西につなぐ、石畳と石塀が美しい小路。

京都らしい風情漂う石塀小路。
路に敷き詰められた石畳の一部は京都市電の敷石を移設したそうです。

雨の日の石塀小路はことに風情がある。

昼間の「石塀小路」も非常に風情はありますが、「石塀小路」の良さがさらに出る時間帯としては、夕刻以降!日没も深まると各料亭や旅館の表玄関に明かりが灯り、薄暗い木塀の辻子がさらに情緒あふれる空間と化します。

春の夜に輝く花と灯りの路を歩く 京都・東山花灯路2013
いつもと違う京都を見つけに東山へ、東京・大阪・神戸のイルミネーションの豪華さの対極にある京文化なのかな。 … 続きを読む →


石塀小路の土地は、当初は圓徳院のの所有地でしたが、明治時代になって税金を納める必要が出てきたため、圓徳院庭園の一部を取り崩して、通り抜けの道を造りました。

路は曲がりくねって、袋小路のように思えますが、高台寺通り(ねねの道)へと通り抜けることが出来ます。(逆方向の散策もOK)

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初春の高台寺


高台寺は高台にあり境内からは大雲院 祇園閣が間近に見渡せる。

エントランス、通路は雨に濡れ風情を醸す。
この時期多くのアセビが見られます。

ねねの命日には太夫道中が行われる。
高台寺 ねねの命日に太夫道中
佐伯、臼杵への旅の掲載中ですが季節の話題、北政所茶会の様子を。 今日はねねの命日 … 続きを読む →


紅梅と白梅が乱れて咲く「思いのまま」が咲いています。

ときには京舞の鑑賞会に出くわすことも・・・・・
高台寺鷲峰山 ねねの寺
高台寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。 山号は鷲峰 … 続きを読む →


時雨亭(重要文化財) – 傘亭の南隣の脇にもアセビ。

伏見城からの移築とされ、これも千利休好みと伝える。
伏見城「御学問所」に擬する説もある。

八坂の塔の姿が美しい、遠景は京都タワー。

ここから見る夕刻の風景は趣があり美しい。
春の夜に輝く花と灯りの路を歩く 京都・東山花灯路2013
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終わりに近づく菜の花 司馬遼太郎記念館


菜の花忌からはや1か月、沿道の皆さんを楽しませた菜の花も終わりが近づいています、

かわいい訪問者、ミツバチは菜の花が大好き。


記念館の菜の花も盛んに咲いて来館者を楽しませる。






菜の花ロードも今盛りです、今年は24日に撤収作業が行われるようだ。

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見頃を迎えた長徳寺のオカメ桜


3/10に訪問したのですが、3/13京都を訪れた際、気になり長徳寺に寄って見る。

例年より1週間程度ほど早く見頃を迎えたようです。

これから週末にかけ満開となり皆のの目を楽しませることでしょう。

寒緋桜も見頃を迎えています。

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競い合うように咲き誇る梅の花 北野天満宮


御土居は紅葉で有名だが梅園もまた見事。

すでに京都を制圧していた豊臣秀吉は天正15年(1587)聚楽第を京都に建てた。 

戦乱で荒れ京都果てた京都の都市改造を行った。 

1590年 北条氏を打ち破り天下統一を果たし、天正19年(1591年)1月 全長22.5 キロメートルの御土居の建設を始め、わずか3ヶ月で3月に完成した。

御土居とは南北 8.5キロメートル、東西 3.5キロメートル、全長 22.5キロメートルの土塁で外側を掘で囲んでいた。 

土塁の上には竹が植えられた。 

外部からの侵略に京都を守るため、また堤防の決壊、鴨川の氾濫による洪水から京都の町を守るため建てられたといわれている。

梅園では1本の樹に紅梅と白梅が乱れて咲く「思いのまま」など、1,500本、50品種の梅が植えられているので、楽しめる期間が長いのです。

2万坪の境内一円に、さまざまな種類の梅が植えられています。
その数は50種、約1,500本。

梅苑には白梅、紅梅、一重、八重と、とりどりに咲く梅の間を縫うように散策路が延びています。

紅梅殿や本殿などの周辺の梅も素晴らしいですが、こちらの梅苑の様子はさらに圧巻。

『東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな』
菅原道真公が太宰府に左遷されるとき、庭に咲く梅の木に別れを告げて詠った歌だそうです。

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長徳寺おかめ桜咲き始め


3月10日、知る人ぞ知る京都の早咲きスポットである長徳寺のオカメ桜の開花を確認。

河津桜に先んじることはまずないが、京都の春を告げるのは出町柳のおかめ桜だという人がいる。

「オカメ桜」は、カンヒザクラとマメザクラの交配種であり、イギリスの桜研究家イングラムにより1947年に作出された品種で、名前はお亀、阿亀(おかめ)に由来します。

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ちん電あびこ道商店街


阪堺線 あびこ道から府道30号線をつなぐ商店街。

「我孫子」から随分と離れたこの場所がなぜ・・・・

理由は簡単、ここが紀州街道から我孫子観音へ向かう参詣道だったから。

安立商店街を出た所から阪堺線を渡り、あびこ道商店街を抜け遠里小野から山之内を通って我孫子観音まで街道があった。

「我孫子の観音様」に続く道だから「我孫子道」と言う訳。

阪堺電車のお膝元である「あびこ道商店街」に大阪市の意向もあり愛称が付けられた。

その名も「ちん電あびこ道商店街」。

すぐ近くに、より規模の大きい商店街の「安立商店街」があるし・・・・

あびこ道商店街を抜けると清水丘商店街。

この商店街には「サンサンロード清水丘」という愛称が付いている。

商店街の一角に出世地蔵尊。

ちなみに「あびこ」という地名は、地下鉄御堂筋線あびこ駅、JR阪和線我孫子町駅、南海高野線我孫子前駅などの駅名になってもなっています。

また、大阪府道28号大阪高石線の一部 (阿倍野区・東住吉区・住吉区) には「あびこ筋」という名前が付けられています。

この町名 (地名) の由来は、依羅吾彦 (よさみあびこ) が居住していたからといわれています。

依羅氏は百済 (くだら) 系渡来人の氏族で、住吉区庭井あたりに移住しその地を大依羅 (おおよさみ) 郷としました。

庭井には大依羅神社があり、依羅吾彦はこの神社の祭人の子孫にあたります。
「吾=ア」は「我=朝鮮語のア」から出たもので、「孫子=孫の子」は「隔子=彦」となり、その結果「吾彦=我孫子」となっていったといいます。

また、「あびこ」とは「網曳子=網を曳く人=漁師」からできたという説もあります。

これは、太古の昔、住吉の付近は海に面していて漁を営んでいたからです。
「依羅我孫子 (よさみあびこ)」とは「よさみ=寄網」「あびこ=網曳」という説もあります。

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九条下町ぶらりウォーク


キララ九条商店街

明治25年(1892)頃から続く、約600メートル、約200店舗の商 店街。

元は九条新道と呼ばれる大通りでしたが、戦前は芝居小 屋、寄席小屋、映画館が10軒余りもあって、近くには松島遊郭など もあったので大いに賑わい、「西の心斎橋」とまで称された。

今もあちこちに芝居の看板が・・・

下町市場の看板のかかる路地、こちらも面白そう。

九條東小学校の石碑「暴風水害記念誌」

この学校(西成郡九条村)は明治8(1875)に設置され、戦後、学制改革により大阪市立九条東小学校と改称(昭和22年・1947)後、140年以上のときを経てきた。

昭和9(1934年)には室戸台風により、九条東小学校は校舎は被災し、校舎の壁には、兒童らを抱き抱えた先生の姿と台風の模様を記した銅板がはられている。

説明版によると、室戸岬(高知県)より風速60mの突風台風は、3mほどの高潮と伴い、午前8時に大阪市を襲い、これまでにない惨禍をもたらしたという。

市内の家屋、工場、店舗は倒壊・流失、公営物の損害等があり、死者990名、重軽症者16908名にのぼる。
なかでも小学校の被害は甚だしく、校舎の全壊28、半壊71、大波77、それに殉職教員7名、惨死児童269名に及んだ。

九條一帯は大きな難は免れるも、屋根瓦は木の葉のごとく飛び散り、濁流が押し寄せ、全戸床上浸水した。

交通・通信・電燈は途絶し、各学校に殺到し、避難者は100名に達し、前代未聞の大災に遭たが、西区はひとり死傷者も出ずに復興の途についた。

これは、区内の関係者各位の応急の措置によるもので、『禍を転じて福と為し』で、今や新興の気概をもち、第一、第二、第五各小学校の復興も目前にあると記されている。

九條教育会は、各種団体と協議し、事蹟を碑に刻みこれからの戒めの備えとするために記す、昭和13(1928)年3月の刻印がある。

ナインモール九条商店街

約300メートル、約100店舗の商店街。

大阪ドーム型 のシュークリームを売る店があるなど、近鉄バファローズ が大阪ドームを本拠地としてから商店街全体でバファロー ズを応援しており、別名「バファロード」という。

ここも元は九条新道でした。

近くには大阪のミニシアターとし て「第七藝術劇場」(淀川区)と双璧をなす「シネ・ヌーヴ ォ」があり、大阪の通好みな映画ファンの期待に応えています。

大阪市電創業の地碑

明治36年(1903)、九条新道の花園橋を起点に築港埠頭まで の約5キロメートルに大阪市電が開通。

公営による電気鉄道は 日本初の快挙でした。

翌年(1904)には、これまた日本初の試 みで「2階付電車」が走り、これは路面電車の上に長椅子が並ぶ テント屋根付きのデッキを備えたもので、夏は「納涼電車」、冬 は「魚釣り電車」と呼ばれて一躍、大阪名物となりました。

この 「2階付電車」は市電創業50周年記念のさいに模擬電車が作ら れ、現在、緑木検車場(住之江区)に保存されています。

その後 も大阪市電は拡張し続け、最盛期には総延長約110キロメート ルまで路線が拡大、市電としては東京都電に次ぐ規模に達しま した。

大阪市民に愛された市電でしたが、戦後は高速道路主体、 自動車偏重の都市計画が進む中、昭和44年(1969)にその栄 光の歴史を終えました。

ちなみに大阪市電2601形電車は現在 でも広島電鉄(900形電車)として現役で活躍中。

天満宮行宮が松島の地に移るまでは、戎島と呼ばれていた川口の現・本田小学校あたりにありました。

天神祭の舟渡御が木 津川まで来ていた頃の様子が錦絵に残されていますが、これ は戎島時代の天満宮行宮です。

京町堀川下流の地に天満宮の 御旅所が定められたのは1640年代後半頃とされ、それまで 鉾流神事にて御旅所を決めていたのがこれを機に御旅所は常設されることとなりました。(以後、鉾流神事は約300年中止さ れました。)

常設から約30年後に御旅所は戎島に移転されました。

それから約200年後、明治時代に入り、外国人居留地が川 口にできたことから御旅所は移転を余儀なくされ、明治4年 (1871)に松島の現在地へ移転。

戦前は松島からお 迎え船が盛大に出ていましたが、地下水汲み上げによる地盤 沈下で橋が下がり、舟の航行ができなくなって戦後は中止された。

京セラドーム大阪

平成9年(1997)に大阪ガス工場跡地に完成。
東京ドーム、福 岡ドームに次ぐ日本3番目のドーム球場です。

プロ野球のオリ ックス・バファローズの本拠地で、阪神タイガースも主催公式 戦の一部を開催している。

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