歴史を訪ねる旅

大阪府

堺を制す者は、天下を制す 幻の堺幕府と三好一族

信長より20年早く天下の実権を握る戦国武将がいたことをご存じだろうか。 そして幻の堺幕府の実態とは。 現在の顕本寺。 応仁の乱後、幕府の実権を握っていたのは管領・細川氏。 その細川本家に家督相続問題が起こり、大永7年(1527年)に桂川原の...
大阪府

国際都市堺の残像

中世末期に自由都市として栄えた堺というのは、日本史における宝石のような、あるいは当時世界史の規模からみて大航海時代の潮流を独り浴び続けたという意味において異様としか言いようのない光彩を放っているが、いまはわずかな痕跡を凝視して、よほど大きい...
京都府

善光坊親孝行の蛸薬師堂

京都の繁華街 新京極通に面して蛸薬師堂はある。 豊臣秀吉の時代、都の東の端の城壁代わりに、大きなお寺ばかりが集められた時蛸薬師堂永福寺も、二条室町から移された。 昔から境内に一歩踏み入れただけでも、蛸薬師如来のご加護があるといわれ信仰を得て...
奈良県

豪族額田部氏の氏寺 額安寺

額安寺(かくあんじ)は奈良県大和郡山市額田部寺町(ぬかたべてらまち)にある真言律宗の寺院。 山号は熊凝山(くまごりさん)。本尊は十一面観音。 寺名は「がくあんじ」ではなく「かくあんじ」と呼ばれている。 大和川と佐保川の合流地点付近に位置する...
奈良県

石位寺 最古の石彫り三尊仏

大宇陀に向かう166号線は、外鎌(とがま)山と鳥見山に挟まれた峡谷に入って行く。 峡谷の入口から外鎌山の西麓を粟原川に沿って続いている集落がある。 桜井市大字忍阪である。この集落の中に、我が国の最古の石仏を安置していることで知られる石位寺が...
奈良県

つるべすし弥助 『義経千本桜・鮨屋の段』

今日のお昼は 『義経千本桜・鮨屋の段』でお馴染みの「つるべすし弥助」、前回訪問時も訪れたが今回は少し詳しく報告します。 つるべすし弥助は、歌舞伎「義経千本桜鮨屋の段」の舞台となった料理店。 現存する鮨店では、最古のお店です。 なんと、文治年...
奈良県

象(きさ)の小川と桜木神社

宮滝遺跡から吉野川を渡り、御船山(みふねやま)と象山(きさやま)の間の山道を小川 に添って歩く、涼しげな小川のせせらぎを耳にしながら、木製の木末橋(こぬれはし)を渡ると、拝殿と杉の大木が目に入ってくる。 天武天皇がまだ大海人皇子といわれてい...
奈良県

壬申の乱と女性たち 宮滝

青根ヶ峰の信仰 天鈴55年、紀元前663年(即位前3年)、神武天皇一行は、八咫烏命に導かれ井光を通って吉野の宮瀧へ到着し、仮宮を造営する。 この位置から青根ヶ峰がのぞめる。 み吉野(よしの)の、青根(あお)が岳(たけ)の、蘿(こけ)むしろ、...
奈良県

大海人皇子出家時の世尊寺

大海人皇子は吉野の宮に入る前に天智天皇に申し出た言葉通り寺に入って修行したという説がある。 当時、聖徳太子が建立したとされる比曽寺(ひそじ,現 世尊寺)が飛鳥からの道を吉野に入ったところにある。 乱勃発後大海人皇子が吉野から東国へ逃れる際に...
奈良県

崇峻天皇弑逆事件の謎

倉橋に来たついでに崇峻天皇弑逆事件の謎について考えてみよう。 諸説入り混じりますが、大方の一致するところは藤原氏による歴史改竄説。 そう、日本書紀は真実を隠しているというものです。 忍阪から倉橋の池へ向かう途中に多武峰から北西に延びる尾根の...
奈良県

日本書紀 斉明朝の奇妙な記述

蘇我氏暗殺の現場に居合わせた女帝については余り芳しくない記述が多く、例えば正史の書記が、重祚した年の夏五月条と七年五月条でそれぞれ、 庚午の朔に、空中にして龍に乗れる者あり。貌、唐人に似たり。 青き油の笠を着て、葛城嶺より馳せて生駒山に隠れ...
奈良県

万葉人のくらし

万葉人はどのように暮らし、どんな恋をし、どんなふうに四季の移ろいを眺めたのでしょうか。 奈良県立万葉文化館の展示からそのあたりを探ってみる。 先ず市の様子。 ここでは台所用品を売っているようです。 左側の茶色のが土師器、右側の灰色のが須恵器...