"名城"

京都府

夕霧太夫を偲んで清凉寺で夕霧祭

この記事は誤って消去した記事の再掲です。 夕霧太夫は生年不詳 – 延宝6年1月7日(1678年2月27日)。 本名は照。 出身地は一説によると、現在の京都市右京区嵯峨の近くであるといわれる。 いつ、どういう風に嶋原に入ったか不明であるが「扇...
大阪府

夕霧太夫の眠る上町台地散策

鳳林寺(上島鬼貫墓所)~吉祥寺(赤穂浪士の菩提寺)~青蓮寺(竹田出雲墓所)~増幅寺(薄田隼人墓所)~銀山寺(心中宵庚申・八百屋半兵衛と妻お千代)~源聖寺坂~応典院~真言坂~生国魂神社~浄国寺(夕霧太夫墓所)と夕霧太夫の眠る上町台地を散策しま...
土方歳三

夕霧太夫の面影をもとめて新町を歩く

四ツ橋駅~西六平和塔~新町橋~新町通(瓢箪町)~新町北公園~新町九軒桜堤跡の碑~千代女の句碑~初世中村鳫治郎生誕の地碑~大阪屋(新町演舞場)~砂場跡の碑(麺類店発祥の地碑)~長堀グリーンプラザの橋名板や記念碑群と夕霧太夫の面影をもとめて新町...
フェリーの旅

島原の乱を招いた長崎の巨城 島原城

江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。 成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。 火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった...
中国

名将毛利元就を苦しめた尼子氏の巨大山城 月山富田城

月山富田城は月山(標高197m)に営まれる。 戦国時代に山陰の覇者尼子氏が本拠を構え、170年間の尼子氏六代の盛衰の舞台となった。 月山富田城全景模型。 南東以外の三方は急峻な斜面であり、北側を正面とし、山麓部から山頂部へ郭を連ねる。 尼子...
中国

宍道湖畔にそびえる古風な天守 松江城

松江城は日本に12ヶ所残る現存天守の一つで、その様式は望楼型の古風な様式、初期天守がそのまま発達した形態である。 宍道湖北側湖畔の亀田山に築かれ、日本三大湖城の一つでもある。 別名・千鳥城。 天守が現存し、国の重要文化財に指定されている。 ...
中国

松江藩主菩提所 月照寺

今日から山陰の名城巡り、天気予報は雨 中国山地を越えたとたんに降り出した。 この地には洞雲寺(とううんじ)という禅寺があった。 永く荒廃していたが、松江藩初代藩主・松平直政は生母の月照院の霊牌安置所として、1664年(寛文4年)に、この寺を...
日本100名城

上杉謙信の牙城 春日山城

春日山城(かすがやまじょう)は、新潟県上越市にあった中世の山城。 主に長尾氏の居城で、戦国武将上杉謙信の城として知られる。 春日山城跡ものがたり館では、上杉謙信公や、当時の春日山城の様子などを大型画面のビデオで紹介しているほか、川中島合戦図...
北陸

ササラ峠越えのエピソードを残す 富山城

本能寺の変後、越中に居た佐々成政は徳川家康の決起を促すため富山から雪の立山を徒歩で超え浜松に行きます。 佐々成政の努力に係わらず徳川家康は動かず、佐々成政はまた立山越えをして富山に帰ります。 この立山越えが「雪のささら峠越え」と言い有名な話...
北陸

前田利長の隠居城 高岡城

1605年(慶長10年)6月28日、富山城に隠居した初代加賀藩主・前田利長は4年後の1609年(慶長14年)、富山城下の町人地から出火した火災の類焼により城内の建築物の大半を焼失したため、利長は魚津城に移り、大御所徳川家康と将軍徳川秀忠に火...
列車の旅

前田利長公隠居の地高岡を訪ねる 高岡山瑞龍寺

今回は北越の名城を訪ねる2泊3日の旅です。 最初の訪問地高岡まではサンダーバードです。 車窓からの琵琶湖、先日大津プリンスホテルからの眺めとはまた違ったアングルで眺めています。 前日までは雨の天気予報であったが今のところ大丈夫かな。 しかし...
歴史的建造物

穴太の石垣と紅葉の散策

日吉大社は滋賀県屈指の紅葉名所として知られており、境内に3000本ものモミジが燃えるように色づく景勝地です。 大宮橋から西本宮までの参道両側に並ぶモミジが特に美しい。 画像はクリックすると大きくなります。 日吉大社参道の両側、寺院・里坊の周...