歴史を訪ねる旅

京都府

大田垣蓮月が眠る西方寺

西方寺は来迎山と称する浄土宗の寺院です。 正式名を大船院西方寺といい、五山送り火の一つ、舟形と縁を持っています。 8月16日の夜に舟形の火が落ちた後、この寺で鉦や太鼓を使って念仏を唱えるという六斎念仏(重要無形文化財に指定)が行われる。 ま...
京都府

太田垣蓮月隠棲の地神光院

才色兼備な陶芸歌人太田垣蓮月尼が晩年隠棲したといわれる西賀茂の神光院(じんこういん)を訪れた。 正面門前の参道は、新緑・紅葉・桜と楽しめます。 またこちらは「厄除け大師」として知られています。 5月中旬~6月中旬 花菖蒲(はなしょうぶ) 8...
京都府

悲運の歌人 屋越の蓮月こと 大田垣蓮月

時代祭の江戸女人行列で有名な大田垣蓮月だが、その悲劇的な人生は意外と知られていないのではないだろうか。 蓮月が非常な美人であつたといふことはあまりによく知れ渡つている事実である。 しかし、初めて髪をおろした頃のその美しさはどんなであつたらう...
東海

信長急成長の転機となった桶狭間

桶狭間の戦いは、2万5千といわれる大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の戦国大名である今川義元・今川氏真親子に対し、尾張の大名・織田信長が少数の軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた、日本の歴史上有名な戦いである。 国指定史跡...
北海道

夕張炭鉱跡と幸せの黄色いハンカチ思い出広場

今回の北海道旅行も最終日です、今朝釧路を立ち、夕張を経由して千歳空港へ向かいます。 帰路も恋問海岸へ立ち寄ったが一昨日の往路の快晴とは打って変わって曇りがちの天候で、画像もモノクロに近い。 ホテルマウントレースイで昼食を戴く。 もともと夕張...
北海道

100名城最難関のチャシを攻略

100名城最難関のチャシを攻略 以前にも書いたが誰がチャシを100名城に入れたのか不思議でならない。 遠く、所在地もわかりにくく100名城を目指す人の最難関になっている。 ここだけを残して涙を呑む人もいるだろう。 学説的にも城跡と認めがたい...
北海道

北方領土を望む納沙布岬

1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は北方領土に上陸し占領した。 北方領土は現在に至るまでソ連およびそれを継承したロシアが実効支配を継続している。 ...
北海道

鰊漁の盛衰に伴って、天国も地獄も経験した江差

町名の由来はアイヌ語で岬を意味する地名エサシ (esasi) であり、宗谷総合振興局の枝幸町と同じ語源である。 放送局の天気予報などでは当町を「道南の江差」、枝幸町を「北見枝幸」と呼んで区別することが多い。 江差追分発祥地。 函館市、松前町...
北海道

日本式で築かれた最後の近世城郭 松前城

松前城は、外国船の出没に備えて江戸幕府が嘉永三年(1850)に松前藩に命じて築城させた。 軍学に基づいた最後の日本式城郭である。 7基の砲台と25門の大砲を備えていたが、海への防備に主体を置いたため背後は手薄になっていた。 そのため戊辰戦争...
北海道

土方歳三最期の地 函館の街を彷徨う

古来、この地はウスケシ(宇須岸)と呼ばれていた。 1454年(享徳3年)、南部氏との戦いに破れた津軽の豪族・安東政季を擁し、武田信広らと共に蝦夷地に渡った河野政通が、函館山の麓(現在の弥生町付近)に築いた館(「宇須岸館」とも「河野館」とも呼...
北海道

ルイ14世式の要塞 五稜郭

建造中の名称は亀田御役所土塁(かめだおんやくしょどるい)、完成後の名称は箱館御役所(はこだておんやくしょ)。 柳野城(やなぎのじょう)とも呼ばれる。 国の特別史跡に指定され、「五稜郭と箱館戦争の遺構」として北海道遺産に選定されている。 今回...
東北

藤原三代栄華の跡 中尊寺

中尊寺は天台宗の東北大本山。 創建は嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁によって開山されたとされる。 その後奥州藤原氏初代の清衡が長治2年(1105)から中尊寺の再建に着手し、天治元年(1124)に金色堂が竣工、基本的な伽藍が完成したのは21年...