フェリーの旅

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大宰府訪問を終え大阪へ帰ります。 今日の乗船は2015年9月16日(水)デビューの新造船「フェリーおおさかII」。 名門大洋フェリーのシンボルマークのカモメさん。 廊下の絵画も斬新なものに変えられている。 落ち着いて雰囲気のデラックス船室の...
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気分は海賊!! 能島 潮流体験

能島(のしま)は、瀬戸内海のほぼ中央、伯方島と大島との間の宮窪瀬戸、鵜島の南西に位置する無人島。 能島村上氏の拠点として知られ、干満時には激しい潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなった。 港を出港すると伯方・大島大橋、能島が見えてくる。...
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三階櫓がそびえた名城 延岡城

延岡城は江戸時代に高橋元種によって築かれた平山城。 築城当初は縣城と呼ばれたが、後に延岡城へ改称されている。 もともと、縣は古代以降土持氏の支配する所であり、この城も高橋元種の築城以前に存在した土持氏の城館を改修増築した可能性も考えられてい...
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瀬戸内昼間のクルージング

通常瀬戸内海の航行は夜間に行われるが、船内で暴れた客がおり、海上保安庁も出動するという騒ぎが発生したため偶然、昼間の瀬戸内クルージングが実現した。 9/26早朝、トイレに起きると船内が妙に静かだ、これは停船してるなと直感。 現在am5時前、...
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フェリーおおさかⅡ 新造船 乗船記

大阪・南港と福岡・新門司港を結ぶ名門大洋フェリーは、2015年9月16日(水)から新造船である「フェリーおおさかII」をデビューさせたが就航10日目に乗船の機会があったので乗船記を記す。 大阪南港でのフェリーバースは大型化に合わせて、昔関西...
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海上の城 富岡城

富岡城は天草下島の北西、砂州で繋がった陸繋島の富岡半島の南東部の丘陵上にある梯郭式の平山城である。 長い腕を海に突き出して、掌をかためて拳固を作ったような地形である。 拳固に当たる鳥山は、111mの標高を持ち、しかも島そのものから今一つ小さ...
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口之津から鬼池へ

空模様は相変わらずはっきりしないまま、ただ無性に蒸し暑い。 今日は島原の口之津から天草の鬼池へフェリーで渡る。 どちらの港も何もない殺風景なたたずまいを見せるが歴史的には多くの事件、出来事があった。 口之津町(くちのつちょう)は、島原半島の...
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今回も帰りは霧の中の航海だ

前回同様、今回も帰りは霧の航海です、前回とはまた違った絵をお届けできたらと思っています。 久留米から新門司へ向かうバスの車窓からの風景、盛んに上昇気流が発生している。 トイレ休憩に立ち寄ったSAでツバメの巣を発見、かわいい雛たちが餌をねだっ...
アジサイ

細川忠興が築城の小倉城

小倉城は13世紀中ごろ、紫川河口西岸にあった丘に築かれたといわれ、近世の江戸時代前後に毛利勝信が現在見られるような縄張で総石垣造の城郭を築き、細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。 一路西へ新門司港目指すフェリー、今、周防灘を航行中、とっくに...
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石垣の街厳原の早朝散策

昼食までの時間厳原の街を数度にわたって散策した。 とにかく石垣の多い街だ。 『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記されている。 『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場す...
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対馬西岸と東岸を結ぶ運河 万関瀬戸(まんぜきせと)

1900年に旧大日本帝国海軍によって、浅茅湾内の竹敷港にあった竹敷要港部から対馬東海上までの所要時間を短縮するための航路として開削された。 当時は幅約25メートル、深さ約3メートルであった。 対馬島の上島と下島の境であり、ここより北部を上島...
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飛鳥時代に築かれた朝鮮式山城 金田城を訪ねる

金田城(かねだじょう、かねたのき)、663年の白村江の戦いに敗れた倭国は唐・新羅に対する防衛のため、西日本各地に防衛施設を築いた。 その一環として、667年に対朝鮮半島防衛の最前線として対馬国に築かれた古代山城(朝鮮式山城)。 後ろに鎌足の...