歴史的建造物

日本の町並み

軽井沢のテニスコートのロマンス

ジョン・レノンが、ビートルズ解散後の1970年代中期から、亡くなる1980年まで、毎年のように夏に家族連れで長期間滞在していたことや、避暑地の中にある「軽井沢会テニスコート」が、1958年に皇太子明仁親王(当時)と正田美智子の出会いの場所に...
日本の町並み

石の教会-内村鑑三記念堂

軽井沢の星野エリアにある、ホテルブレストンコートの敷地内にあるのが、「石の教会」 明治・大正期のキリスト教指導者・内村鑑三の顕彰を目的として建てられた教会で、地上は礼拝堂、地下には内村鑑三記念堂となっている。 アプローチも独特の雰囲気を醸す...
日本の町並み

軽井沢の鹿鳴館 三笠ホテル

三笠ホテルという名称は、敷地前方の愛宕山が奈良県の三笠山に似ていることから、有島生馬、里見弴、山本直光によって付けられたという。 中央二階の吹き抜部には、洋風建築の特徴である三角屋根、そしてアーチ型の窓枠で設計されている。 明治37年、三笠...
日本の町並み

日本有数のクラシックホテル 万平ホテル

万平ホテルの創業は明治27年、外国人専用ホテルとしてオープン。 当時軽井沢を訪れる避暑客の半数以上が外国人で、別荘もほとんどが外国人所有という時代でした。 アクセスはかなりいい、軽井沢駅から、旧軽銀座に向かって走り、手前を右に折れて進む。 ...
日本の町並み

旧軽井沢・軽井沢銀座散策

軽井沢滞在中何度も訪れた、4日間の記録で、順不同に案内します。 有名施設については別項で紹介予定。 旧軽井沢ロータリーから旧碓氷峠方面へ向かう約500 mの区間(長野県道133号旧軽井沢軽井沢停車場線)が旧軽井沢のメインストリートになってい...
大阪府

法華寺 摂津国分尼寺の後身

聖武天皇の命により創建された国分尼寺が前身。 境内には、鎌倉期のものとみられる石造古五層塔がある。 また、弘法大師が爪で刻んだといわれる線彫りされた地蔵は見もの。 天平13年(741年)、聖武天皇は国家鎮護を目的とし、中央集権体制を推進する...
大阪府

瑞光寺・雪鯨橋(ずいこうじ・せつげいきょう)

寺伝によると聖徳太子の建立で、その後火災で衰退しましたが寛永二十年(1643)に復興されました。 雪鯨橋(せつげいきょう)は、大阪府大阪市東淀川区の瑞光寺境内の弘済池に架かる橋で、地元では「くじら橋」とも呼ばれる。 『摂津名所図会』には「初...
京都府

弥勒の微笑が迎える太子ゆかりの寺 広隆寺

弥勒菩薩で有名な広隆寺を訪れた。 この寺の名称は、古くは蜂岡寺と云い、また秦寺、秦公寺、葛野寺、太秦寺などと云われたが、今日では一般に広隆寺と呼ばれている。 広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦(うずまさ)にある寺。 宗派は真言宗系...
九州

早朝散策 オランダ坂

今日は出発が早いため慌てて外へ飛び出した、まだ5時です。外は暗い。 オランダ坂とは、大浦海岸通電停側から石橋電停側の誠孝院(じょうこういん)前の坂までの切り通し、活水坂、英国聖公会会堂跡前の坂一帯の総称。 江戸時代から明治時代にかけては、東...
九州

よみがえる出島

出島(でじま)は、1634年江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島。 扇型になっており面積は3969坪(約1.5ヘクタール)。 1641年から1859年まで対オランダ貿易が行われた。 出島全体は大正11年(1922)10月12...
古民家

下ツ道を行く 東の平田家訪問記

江戸時代中期以降「八木の札の辻」界隈は、伊勢参りや大峯への参詣巡礼などで、特に賑わっていたと推測されています。 おふさ観音に行くのに八木駅前の観光案内所で道を訊ねたらこの道を教えられた。 なんとこの道は誰でも知っている下ツ道ではないか。 札...
北陸

今庄宿散策と越前そばの店

今庄宿は、古くから幾重にも重なる南条山地は北国街道・北陸道の難所であり、山中峠、木の芽峠、栃ノ木峠、湯尾峠のいずれかの山越えの道を選んで今庄に至り、京または江戸へ行き来する人々が宿泊した宿場町です 北陸線の普通列車は2両編成の列車が1時間に...