滋賀県

歴史を訪ねる旅

姉川の戦い

「姉川の戦い」という呼称は元々は徳川氏の呼び方であり、布陣した土地名から織田・浅井両氏の間では「野村合戦」、朝倉氏では「三田村合戦」と呼んだ。 朝倉氏の家臣・真柄十郎左衛門が大刀をふるって奮戦した血原の決戦場です。 現在は『ちはら公園』とな...
日本の町並み

琵琶の名手蝉丸

四の宮をすぎると、間もなく逢坂山へかかり、大谷の集落から、滋賀県に入る「関の清水」は、蝉丸神社(下社)の中にあるが、これは後に作られたもので、本物は清水町の人家の中にあったという。 『近江山河抄』より 清少納言や紀貫之が見た逢坂山(おうさか...
夜景

アートな空間 大津サービスエリア

名神高速道路 大津(おおつ)サービスエリア下り線に2013年4月にオープンした[パヴァリエ びわ湖大津]展望台はアートな空間。 2階へ上ることができます。 2階に上ると、遠くに日本最大の湖、「びわ湖」や、雄大な「比叡山」を見渡せる。 湖面に...
日本の町並み

長浜ぶらぶら散策

中心市街は羽柴秀吉が長浜城の城下町として整備して以来の湖北地方の中心地で、長浜城廃城後は大通寺(長浜御坊)の門前町、北国街道や琵琶湖水運の要衝として発展した。 関連記事:琵琶湖にたたずむ湖城 長浜城 私費で建設した明治天皇行在所 慶雲館 秀...
滋賀県

秀吉が初めて築いた長浜城

長浜城も昨年の6月以来の再訪だ。 関連記事:琵琶湖にたたずむ湖城 長浜城 私費で建設した明治天皇行在所 慶雲館 長浜は、羽柴(豊臣)秀吉が江北12万石の領主として、天正2年(1574)から翌年にかけて、はじめて自らの城を築き城下町を形成した...
滋賀県

初秋に佐和山城を訪れる

初秋のこの日、昨年6月に引き続き佐和山城を再訪した。 前回の記事:三成の夢の跡 佐和山城址 佐和山城跡は、西側山麓にある龍潭寺(彦根市古沢町1104)が所有しているが、好意により無料での入山が許可されており、境内に登山口がある。 山道の突き...
夏の花

醒ヶ井地蔵川のバイカモ(梅花藻)

中山道を流れる地蔵川のバイカモはキンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません。 7~8月ごろに、梅の花に似た白い小花を咲かせることから『梅花藻(バイカモ)』の名が付きました。 中仙道の宿場町として栄えてきた醒井その町の中を流れる地蔵川。...
滋賀県

3代将軍家光上洛の際の宿館 水口城(水口御茶屋)

関ヶ原の戦い後、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定された。 その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に築かせた。 これが水口城(水口御茶屋)である。 作事奉行は小堀政一(遠...
滋賀県

悲運の関白 秀次の居城 近江八幡山城跡

豊臣秀次は18歳で入城したが、1590年(天正18年)に尾張国清洲城へ移封。 代わって京極高次が2万8千石で入城したが、1595年(文禄4年)秀次事件で羽柴秀次は切腹、聚楽第と同時期に八幡山城が廃城となると京極高次は大津城へ移った。 築城か...
滋賀県

延命長寿・縁結び・厄除け お多賀さん

延命長寿・縁結びの神として古くから全国的な信仰を集め、豊臣秀吉の厚い信仰もありました。 祭神として天照大神(あまてらすのおおみかみ)の両親の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っている旧官弊大社です。 「お多賀...
朝日・夕日

ウッディパル余呉 | ~大自然に囲まれたコテージ•キャンプ場 …

この記事は誤って消去してしまった記事の再掲です。 画像は2011年10月11日訪問時のものです。 大自然は心の日曜日-森のコテージで過ごす幸せのひととき おいしい空気と四季折々に魅せる自然のキャンパスは人の五感を優しく包みこんでくれる。小鳥...
日本の町並み

近江八幡にヴォーリズをたずねる

ヴォーリズは建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。 よく「宣教師」と紹介されるが、彼はプロの牧師ではなくキリスト教徒伝道者である。 ...