日本三大墓地 宗家菩提寺 万松院

九州
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万松院は対馬藩2代藩主・宗 義成(よしなり)が、父・義智の冥福を祈って1615年建立し、菩提寺として特別の崇敬を受けてきた。

桃山様式の山門、百雁木、徳川歴代将軍の位牌、朝鮮国王から送られた三具足等を見ることができます。

宗家墓地への入り口、こちらは通常閉じられていて、お寺の本堂脇から入ります。
御魂屋へ続く百雁木(ひゃくがんぎ)といわれる、132段の石段の一部が見えています。

1615年(元和元年)、対馬府中藩第2代藩主の宗義成が、初代藩主である宗義智の追善供養のため、宗氏の居館である金石屋形(金石城)の西側に建立した。

創建当初は臨済宗寺院で松音寺と号したが、1622年(元和8年)、宗義智の法号に因んで万松院と改めた。

1635年(寛永12年)、慈性大僧正の勧めにより、臨済宗から天台宗に改宗する。
正保4年(1647年)、山麓を切り拓いて現在の寺地に移った。

1691年(元禄4年)と1726年(享保11年)に火災に遭い、当初の建物は山門を残すのみである。

中国の伝説上の聖天子堯、舜、禹が、その施政について諌言しようとする人民に打ち鳴らさせるために、朝廷の門外に太鼓を設けた。

これを諌鼓(かんこ)と呼びます。
しかし、善政を行ったので太鼓は鳴ることもなく永年の間に苔むし、鶏の格好の遊び場となっていたといいます。

つまり諌鼓に鶏が止まっているのは善政が行われて世の中がうまく治まっているということで、まさに「天下泰平の象徴」であると言われています。

閑古鳥が鳴くというのはこれが由来。

本堂の脇から墓地へ入ります、かなり荒れています。

荒れ果てた墓地の中を登っていきます。

対馬藩は十万石の格式であったが、壮大な墓地は数十万石の大藩なみといわれ、また、金沢市の前田藩墓地、萩市の毛利藩墓地とともに日本三大墓地の一つとも言われている。

ここは山下の部分でかなり荒れ果てています。

百雁木といわれる石段があります、ここからが本式の墓地。

中腹には十代貞国公の御墓がある外は山下と同じく夫人、側室、童子の方々であって、藩時代はお霊屋番や組のものがつけられていたという。

御魂屋の上項へ向かう。

境内の大スギは樹齢1200年といわれ、長崎県指定天然記念物となっている。

この上項には藩主と正夫人の方々が葬られている。

参拝を終えて百雁木といわれる石段を見上げる、132段の石段はさすがに長大だ。

万松院へのアクセス、行き方歩き方

長崎県対馬市厳原町今屋敷670-1
0920-52-1566 (対馬観光物産協会)

厳原港から徒歩約16分