歴史を訪ねる旅

関東

ペリー提督の上陸の地 久里浜

東印度艦隊司令長官の浦賀来航と開国要求は、実は二度目 なんです。 1846(弘化3)年・・・。 ジェームズ ・ ビッドル提督が二隻の帆船を従えて来航し、幕府との交渉を試みましたが、全く相手にしてもらえない儘退去させられています。 ペリーが最...
関東

東郷平八郎と三笠記念艦

三笠(みかさ)は、大日本帝国海軍の戦艦で、敷島型戦艦の四番艦。 奈良県にある三笠山にちなんで命名された。 日清戦争後、ロシア帝国に対抗するために日本海軍は軍拡を進めた。 その中で『六六艦隊計画』の一環、その最終艦として三笠はイギリスのヴィッ...
関東

鎌倉七口 亀ヶ谷(かめがやつ)坂散策

鎌倉では山と山の谷間を、ヤツと呼び、六十六谷あるといわれています。 山の軍事的要害性は失わず、人々の往来や物資の運搬のため最小限の道が必要であった。 このため鎌倉幕府は山を最小限度だけ切り取って鎌倉と各地を結ぶ道を作った。 これが「切通し」...
中国

神々のふるさと 神魂神社・風土記の丘

朝霧の中先ず神魂(かもす)神社を訪れた。 駐車場から丘を見上げると朝霧に浮かび上がる木を見つけました。 もう少しクローズアップして見ます。 画像をクリックして拡大して見てください、草、木の枝に朝露が付いてキラキラ光っています。 とても神々し...
北陸

前田利長公隠居の地高岡を訪ねる 高岡山瑞龍寺

今回は北越の名城を訪ねる2泊3日の旅です。 最初の訪問地高岡まではサンダーバードです。 車窓からの琵琶湖、先日大津プリンスホテルからの眺めとはまた違ったアングルで眺めています。 前日までは雨の天気予報であったが今のところ大丈夫かな。 しかし...
滋賀県

義仲寺 行く春を おうみの人と おしみける

俳人松尾芭蕉はこの寺と湖南の人々を愛し、たびたび滞在した。 大坂で亡くなった芭蕉だが、遺志により義仲墓の横に葬られた。 そんな義仲寺って根強いファンが多いんです。 錦秋のこの時期義仲寺を訪れた。 この寺の創建については不詳であるが、源義仲(...
京都府

高台寺鷲峰山 ねねの寺

高台寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。 山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。 豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に...
京都府

二つの悲恋を語り継ぐ寺 滝口寺

滝口寺は、滝口入道と横笛そして新田義貞と勾当内侍の二つの悲恋を語り継ぐ寺である。 滝口寺はもと往生院三宝寺といいました。 祇王寺に隣接し祇王寺と同じくこの辺一帯は平安時代、往生院という広大な寺があったところと伝えられています。 明治期に廃寺...
京都府

花園天皇十楽院上陵

この御陵は「清蓮院」と「知恩院」の間を山へ少し登った所にあります。 訪れる人は少なく散策を楽しむにはいいところです。 十楽院は現在廃絶しているが、平滋子が父である平時信の供養のために創建した寺院で、青蓮院三院のひとつに数えられ青蓮院門主の住...
京都府

木屋町通を四条から七条まで歩く

今回は木屋町を四条から南へ歩いてみる。 三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっているが、南へ行くとガイドブックに載っているような木屋町通じゃない少し趣の違った姿を見せてくれる 木屋町通(きやまちどおり)は、京都市の...
京都府

祇園白川に 明智首塚

1582年(天正10年)、天正天王山の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智光秀は、坂本城を目指して落ちていく途中、小栗栖の藪の中で土民に襲われて命を落とします。 光秀の首は秀吉の手に渡り、本能寺に晒されたとも、粟田口の刑場に晒されたとも伝わります。 ...
京都府

悲運の武将 明智光秀終焉の地

地下鉄東西線醍醐駅から、徒歩で15分程でしょうか。 枯れ寂びた藪の中、明智薮”が残されています。 本経寺敷地内にある光秀公供養塔 近江、坂本城主、 明智光秀は天正十年 6月2日 (1582年) “本能寺の変” に依り 天下を征服したが、その...