"名城"

名城の旅

筒井家の本拠 高石垣の城 郡山城

平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された。 主な城主は筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏 鉄御門跡 本来ならばこの斜め向かいにもうひとつ石垣があり、その上に櫓が建っていた。 奈良盆地...
日本100名城

天下人家康の究極の城 名古屋城

その絢爛豪華な造りから、徳川幕府の権力を誇示する、シンボル的な城郭としてとらえがちな名古屋城。 ところがその実態は、大阪の豊臣方に対して旺盛な戦闘意欲を随所に秘めていた、まさしく「戦闘指令所」といえる巨大城郭であった。 能楽堂の裏手に、加藤...
京都府

大阪と京を結んだ水陸の要所 淀城

淀は「与渡津」(淀の港の意)と呼ばれ、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地であった。 また、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝であった。 寛永10年(1633年)松平定綱が...
名城の旅

キリシタン大名高山右近の高槻城

室町時代は入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。 天正元年(1573年)からは本格的な城塞が築かれた。 豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。 内藤氏の後は土...
京都府

ガラシャゆかりの勝竜寺城

勝竜寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として有名。 天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。 南側から見た堀と塀、向こうに見えるのは北東...
朝日・夕日

琵琶湖にたたずむ湖城 長浜城

1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。 小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠...
日本100名城

北条五代の栄華を秘める 小田原城

名城の名をほしいままにしていた小田原城も天正十八年(1590)には天下統一を目前にした豊臣秀吉21万の軍勢に包囲され、約4ヶ月の籠城虚しく落城、100年に亘る北条五代の関東支配は終焉を迎えた。 銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治...
日本100名城

小田原の西の防衛を担う最重要拠点 山中城

日本100名城の一つ。 北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。 箱根十城のひとつ。 永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城。 北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り...
日本100名城

家康公大御所時代の居城 駿府城

今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。 後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で非常...
九州

悲劇はここから 朝鮮出兵の前線基地 名護屋城

名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城。 ルイス・フロイスが「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した名護屋には、全国より大名衆が集結し、「野も山も空いたところがない」と水...
フェリーの旅

弥生時代の大規模環濠集落跡 吉野ヶ里遺跡

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡。 報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。 今回の...
和歌山県

錦秋の 和歌山城 西の丸庭園(紅葉渓庭園)

和歌山城西之丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれる藩主の隠居所であった。 城の北西麓という地形を活かし、鳶魚閣や二段の滝が設けられている。 勝海舟寓居跡 JR紀勢本線と南海電鉄和歌山市駅から、前...