九州 大友宗麟の大分府内城 府内城という名称は、大分市中心部が中世に府内と呼ばれていたことにちなむ。 府内には、古代には豊後国の国衙が置かれ、鎌倉時代から戦国時代にかけては豊後国の守護職・守護大名であった大友氏の拠点であった。 大分川と住吉川に挟まれ、かつて海辺に面し... 2013.06.22 九州日本100名城
四国 蜂須賀氏の居城 徳島城 吉野川河口付近の中洲に位置する標高61メートルの城山に築かれた山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城。 北を助任川、南を寺島川(現在のJR線路)に囲まれ、東には堀を設けた、自然の地形を巧く利用した城だった。 天正十三年(1585)阿... 2013.06.15 四国日本100名城
名城の旅 筒井家の本拠 高石垣の城 郡山城 平山城または平城として明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や羽柴秀長らの主導によって改修された。 主な城主は筒井氏、豊臣氏、水野氏、柳沢氏 鉄御門跡 本来ならばこの斜め向かいにもうひとつ石垣があり、その上に櫓が建っていた。 奈良盆地... 2013.06.14 名城の旅奈良県近畿
日本100名城 天下人家康の究極の城 名古屋城 その絢爛豪華な造りから、徳川幕府の権力を誇示する、シンボル的な城郭としてとらえがちな名古屋城。 ところがその実態は、大阪の豊臣方に対して旺盛な戦闘意欲を随所に秘めていた、まさしく「戦闘指令所」といえる巨大城郭であった。 能楽堂の裏手に、加藤... 2013.06.14 日本100名城東海
京都府 大阪と京を結んだ水陸の要所 淀城 淀は「与渡津」(淀の港の意)と呼ばれ、古代には諸国からの貢納物や西日本から都に運ばれる海産物や塩の陸揚げを集積する商業地であった。 また、河内国・摂津国方面や大和国方面から山城国・京洛に入る要衝であった。 寛永10年(1633年)松平定綱が... 2013.06.13 京都府名城の旅近畿
名城の旅 キリシタン大名高山右近の高槻城 室町時代は入江氏の居城であったが織田信長に滅ぼされ、その後和田惟政、次いで高山右近が城主となった。 天正元年(1573年)からは本格的な城塞が築かれた。 豊臣氏滅亡後は内藤信正が城主となり、以降高槻藩の藩庁として用いられた。 内藤氏の後は土... 2013.06.13 名城の旅大阪府近畿
京都府 ガラシャゆかりの勝竜寺城 勝竜寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として有名。 天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。 南側から見た堀と塀、向こうに見えるのは北東... 2013.06.13 京都府名城の旅近畿
朝日・夕日 琵琶湖にたたずむ湖城 長浜城 1573年(天正元年)に羽柴秀吉(豊臣秀吉)が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に当時今浜(いまはま)と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し長浜に改名した。 小谷城で使われていた資材や、あらかじめ、竹生島に密かに隠... 2013.06.13 朝日・夕日滋賀県近畿近畿の20名城
日本100名城 北条五代の栄華を秘める 小田原城 名城の名をほしいままにしていた小田原城も天正十八年(1590)には天下統一を目前にした豊臣秀吉21万の軍勢に包囲され、約4ヶ月の籠城虚しく落城、100年に亘る北条五代の関東支配は終焉を迎えた。 銅門は、江戸時代の小田原城二の丸の表門で、明治... 2013.06.12 日本100名城関東
日本100名城 小田原の西の防衛を担う最重要拠点 山中城 日本100名城の一つ。 北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。 箱根十城のひとつ。 永禄年間(1558年 – 1570年)に北条氏康により築城。 北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り... 2013.06.12 日本100名城東海
日本100名城 家康公大御所時代の居城 駿府城 今川氏全盛期9代義元の時代に、徳川家康(幼名 松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、駿府で生活しています。 後に戦国大名、そして天下人へと成長していく過程で臨済寺の住職太原雪斎などから種々の教えを受けており、家康の人間形成の上で非常... 2013.06.12 日本100名城東海
九州 悲劇はここから 朝鮮出兵の前線基地 名護屋城 名護屋城は波戸岬の丘陵(標高約90メートルほど)を中心に170,000平方メートルにわたり築かれた平山城の陣城。 ルイス・フロイスが「あらゆる人手を欠いた荒れ地」と評した名護屋には、全国より大名衆が集結し、「野も山も空いたところがない」と水... 2013.06.11 九州日本100名城