"名城"

東海

桜の季節に苗木城を訪問する

少し盛りを過ぎたが桜の時期に苗木城を訪問した。 苗木城の詳細は前回訪問記「巨岩と石垣との壮大な組み合わせ 赤壁城こと苗木城」に詳しく記しましたのでそちらを参照いただければ幸いです。 大手口道は長さ500m、高低差150mあり「四十八曲り道」...
東北

紅葉の名所鳴子峡

国道47号に平行して走るV字型峡谷は、大谷川の侵蝕により成立した峡谷で、高さ約100mの断崖絶壁が2.5kmに渡って続く。 奇岩と松の緑が点在する中に織りなす紅葉美は数ある名所の中でも第一級といわれるほど。 しかし、今はシーズンオフ、雪が深...
京都府

司馬遼太郎の墓は、どこにあるの

京都 東山五条 司馬遼太郎の墓 今日司馬遼太郎の墓参りに行ってきた。 国民的作家だが意外と墓所は知られていないのでは・・・・・、全国の司馬ファンのため場所の説明をしておく。 司馬遼太郎のお墓は 京都大谷本廟にあります。 浄土真宗本願寺派 本...
日本の町並み

暴風雨の御前崎

東海北陸の20名城訪問ツアー2日目、御前崎の近くで昼食をいただき灯台までやってきたが、御前崎は遠州の唐っ風と呼ばれる暴風で有名なところ、おまけに雨で散々です。 海抜53m、光達19海里。 多くの灯台を手がけた英国人リチャード・ヘンリー・ブラ...
東海

三重の三日月掘が見どころ 武田流城郭 小山城

今川氏の没落後、武田氏と徳川氏は大井川を境として、西を徳川氏、東を武田氏と、それぞれ駿河・遠江を領有することとなるが、武田軍は大井川を越えて山崎の砦に入り小山城を築いたという。 駐車場より模擬天守を見上げる。 過去に小山城に天守閣が存在した...
東海

同心円状に堀が巡る珍しい城 田中城

全国でも大変珍しい、同心円の形をした城郭ですが、市街化が著しくてその形状を楽しむことは困難。 史跡田中城下屋敷跡、田中城の南東隅にあり、一色氏やその子孫古沢氏の屋敷跡だとも伝えられています。 しかし、江戸時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置...
日本の町並み

浜松駅前 地下連絡通路 まるで巨大な灰皿

東海の名城を紹介している途中に季節の話題、修二会の記事を挟んでしまい失礼しました。 今日の泊りはホテルクラウンパレス浜松(HMIホテルグループ)、先月に引き続いての宿泊です。 あいにく今日は雨です。 ホテルのエレベーターから浜松駅前を見渡す...
東海

玉石垣が珍しい高天神城への押さえの城 横須賀城

横須賀城は徳川家康が武田氏の高天神城を締め付ける付城群の中核として、大須賀康高に命じて築いた城郭。 横須賀城の特徴は他に類を見ない天竜川より運ばれた玉石垣を用いた築城法。 天守閣は三層四階であった。 宝永年間に起こった大地震のため湊が隆起し...
東海

信玄公が攻略できなかった城 高天神城

小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた。 優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ。 高天神城は、山自体が急斜面かつ、効果的な曲輪の配置が施されたことで、堅固な中世城郭となっていた...
四国

天に向かって勾配を描く雄渾さ 丸亀城

丸亀城は、播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築いた生駒親正が1597年(慶長2)から高松城の支城として丸亀城の築城にかかり、1602年(慶長7)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。 石垣の窪んだ奥が廊下橋...
四国

耕して天に至る 日本のマチュピチュ 遊子水荷浦

土佐久礼で朝日の撮影を終え、四万十川を一路西へ。 最後の訪問地、遊子水荷浦へは4時間強の遠距離です。 旅行社もあまりの長距離に企画を却下したという、この撮影行は写真家竹下氏の熱意で実現した。 トイレ休憩の地、「道の駅 四万十 とおわ」川霧の...
四国

咸陽島に沈むだるま夕陽は見えなかった

だるま夕陽を撮ろうと高知へ来て二日目、やっと夕日と出会えることとなったが・・・・・ 宿毛湾の冬の風物詩である「だるま夕日」は、11月中旬から2月中旬にかけての期間中わずか20回程度しか観ることができません。 し かも綺麗な「だるま」になるの...