歴史を訪ねる旅

京都府

二つの悲恋を語り継ぐ寺 滝口寺

滝口寺は、滝口入道と横笛そして新田義貞と勾当内侍の二つの悲恋を語り継ぐ寺である。 滝口寺はもと往生院三宝寺といいました。 祇王寺に隣接し祇王寺と同じくこの辺一帯は平安時代、往生院という広大な寺があったところと伝えられています。 明治期に廃寺...
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花園天皇十楽院上陵

この御陵は「清蓮院」と「知恩院」の間を山へ少し登った所にあります。 訪れる人は少なく散策を楽しむにはいいところです。 十楽院は現在廃絶しているが、平滋子が父である平時信の供養のために創建した寺院で、青蓮院三院のひとつに数えられ青蓮院門主の住...
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木屋町通を四条から七条まで歩く

今回は木屋町を四条から南へ歩いてみる。 三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっているが、南へ行くとガイドブックに載っているような木屋町通じゃない少し趣の違った姿を見せてくれる 木屋町通(きやまちどおり)は、京都市の...
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祇園白川に 明智首塚

1582年(天正10年)、天正天王山の戦いで羽柴秀吉に敗れた明智光秀は、坂本城を目指して落ちていく途中、小栗栖の藪の中で土民に襲われて命を落とします。 光秀の首は秀吉の手に渡り、本能寺に晒されたとも、粟田口の刑場に晒されたとも伝わります。 ...
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悲運の武将 明智光秀終焉の地

地下鉄東西線醍醐駅から、徒歩で15分程でしょうか。 枯れ寂びた藪の中、明智薮”が残されています。 本経寺敷地内にある光秀公供養塔 近江、坂本城主、 明智光秀は天正十年 6月2日 (1582年) “本能寺の変” に依り 天下を征服したが、その...
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沖田総司の恋人の墓? 光縁寺 新選組隊士の墓

紋所が引き合わせた縁と沖田総司の女性関係が取りざたされる興味尽きない寺です。 門前には新選組の墓と書かれている。 墓への参拝は、左手のくぐり戸から入りそっとお参りする。 光縁寺は、1613年(慶長18年)頃に創建された浄土宗の寺で、知恩院の...
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坂本龍馬 葬送の道を訪ねる

本日の目的は竜馬葬送の道を訪ねることにある。 現在では高山寺参道脇の道を上がり、京都霊山護国神社より訪ねるのが普通だが、当時、実際に葬送の行列が進んだ道はそうではないのだ。 実際の葬送の列は二年坂から霊鷲山正法寺の参道を霊明神社に向かったに...
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お龍さんゆかりの地を訪ねる

今まで紹介してきたものと今回訪れた地をまとめて京都のお龍さんのゆかりの地として紹介します。 明治5年頃撮影の写真(ウィキ) 本名は楢崎龍(ならさき りょう/1841年~1906年)で、京都柳馬場三条南で医業を営む楢崎将作を父に、母重野貞の長...
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武信稲荷神社 龍馬とおりょうの榎

龍馬とおりょうの出会いを導いたエノキ。 今も縁結びを願う人が絶えない(京都市中京区・武信稲荷神社) 武信稲荷神社は創祀者の藤原良相公が長として一族の名付けをされていたことから、名付け・命名に所縁の神社として知られています。 後世には藤原武信...
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龍馬 お龍「結婚式場」跡(青蓮院塔頭金蔵寺跡)

竜馬の足跡を訪ねているが今日はその葬送の地を訪れようとしている。 その前に御両人が祝言をあげたといわれる地を訪ねてみる。 それは三条通りを東に進み白川を超えたあたりにある。 「パーク・ウォーク京都東山」という賃貸マンションの前がそうだ。 建...
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時代祭でおなじみの玉蘭 絵かき夫婦のホンワカ人生

八坂神社の境内で大雅が三味線を弾いて唄うと、玉瀾は琴を弾じて合奏し、ともに仲良く楽しんでいた。 時代祭での玉蘭 1728-1784 江戸中期の女流画家。 京都に生まれる。 旧姓は徳山、名は町、歌集『梶の葉』で知られる歌人梶を祖母に、母も同じ...
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出雲の阿国 ゆかりの地をゆく

出雲 阿国(いずもの おくに、元亀3年?(1572年) – 没年不詳)は、歌舞伎の創始者といわれる安土桃山時代の女性芸能者。 伝承によれば、出雲国松江の鍛冶中村三右衛門の娘といい、出雲大社の巫女となり、文禄年間に出雲大社勧進のため諸国を巡回...