歴史を訪ねる旅

兵庫県

住吉神社 清盛塚

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は清盛の供養塔、清盛塚。 平清盛塚 兵庫運河に架かる清盛橋の袂にある高さ約8.5mの十三重の塔。 平清盛が京都で荼毘にふされたとき、能福寺の住職円実法眼...
兵庫県

願成寺「平通盛と小宰相」供養の寺

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は「平通盛と小宰相」供養の寺 願成寺。 行基により開山。 天平年間(729~748)に創建。 この寺は、もと烏原村住蓮坂の北手(現在の鳥原水源池の東)烏...
京都府

「菅公御産湯の井」の残る菅原院天満宮神社

菅原院天満宮神社は、地下鉄「丸太町駅」を出て烏丸通(西側)を北へ徒歩3分ほど。 京都御苑の下立売御門の向かい側にある。 この地は、菅原道真の曽祖父・菅原古人(ふるひと)の邸宅「菅原院」であったところ。 道真没後は、菩提を弔うために広大な寺院...
兵庫県

悲劇の幼帝安徳帝内裏跡伝説地

それは山陽電鉄のガードをくぐり歩きづらい急な坂道を登りきったところにある。 東西を深い谷に刻まれ、鉄拐山の急斜面に守られた要害の地だ。 安徳天皇は平清盛の娘、建礼門院徳子を母として生まれ、壇の浦の戦いで平家滅亡とともに祖母二位尼に抱かれて海...
兵庫県

現光寺 光源氏がわび住まいの地

源氏物語ゆかりの地、光源氏がわび住まいをしていたとされた地を訪ねてみる。 『源氏物語』で「海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」(海岸から少し入り込んでいて、身にしみるほど寂しい山中である)と描写されたこの地に寺院が建てられたのは...
京都府

静御前と源義経の出会いの場 神泉苑

延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。 当初の敷地は二条通りから三条通りまで、南北約500メートル、東西約240メートルに及び、池を中心とした大庭園であった。 また、静御前と源...
兵庫県

七宮神社 清盛が経ケ島築造工事進捗を願い建立

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は清盛が経ケ島築造工事進捗を願い建立したという七宮神社。 平清盛が経ケ島築造の工事がなかなか進まないのを不審に思い、調べたところ、築造に必要な土砂を取っ...
京都府

冬の洛北 大原の散策 寂光院

寂光院は山号を清香山と称する。 寺号は玉泉寺。 本尊は地蔵菩薩、開基(創立者)は聖徳太子と伝える。 平清盛の娘・建礼門院が、平家滅亡後隠棲した所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られる。 草生を見渡すことのできる寂光院の東の背後の高台に...
東海

信康山 清瀧寺

徳川家康が、織田信長に処断を迫られ自ら切腹を命じた嫡男松平信康のために建立した寺。 信康は信長の娘徳姫と結婚したが、謀反の嫌疑をかけられ22歳の若さで政略の犠牲となった。 境内奥に信康廟があります。 清瀧寺山門。 清瀧寺(浄土宗)は、京都の...
四国

耕して天に至る 日本のマチュピチュ 遊子水荷浦

土佐久礼で朝日の撮影を終え、四万十川を一路西へ。 最後の訪問地、遊子水荷浦へは4時間強の遠距離です。 旅行社もあまりの長距離に企画を却下したという、この撮影行は写真家竹下氏の熱意で実現した。 トイレ休憩の地、「道の駅 四万十 とおわ」川霧の...
兵庫県

村上帝社 謡曲「絃上」(げんじょう)(玄象)伝説の地

明帝として仰がれるとともに、和歌や楽曲などの文化振興にも努められた村上天皇を祀る。 后妃は陽気な嫉妬で有名な藤原安子 気づかずに通り過ぎてしまいそうな小さなお社です。 平安時代末期、琵琶の名人であった藤原師長は唐に渡って琵琶の奥義を極めたい...
兵庫県

鎮守稲荷神社 平経俊の五輪塔

わずか半年ながら、神戸の福原に遷都した平清盛。 清盛が描いた夢の跡をたどってみた。 今回は平経俊の五輪塔のある鎮守稲荷神社。 JR神戸駅から国道2号線沿いに西へ5分ほど歩いたところに、地元の人々から「ちぢみさん」の愛称で親しまれている鎮守稲...