歴史を訪ねる旅

歴史を訪ねる旅

御斎峠 司馬遼太郎文学碑を訪ねる

炭窯跡 昭和48年に週刊朝日に連載された司馬遼太郎さんの「街道をゆく」「甲賀と伊賀のみち」 の中で「路傍から白い煙が湧き出てきた。炭を焼いているのである。 私は「梟の城」を書いたころのこの坂の情景をおもいだした。 下柘植次郎左衛門という人物...
東海

伊賀流忍者博物館

1964年 - 上野市(現伊賀市)高山にあった民家を移築し、忍術研究家である奥瀬平七郎が忍者屋敷として開設。 領主に仕えずに戦毎に雇われる傭兵のような存在。伊賀衆・甲賀衆のような土豪集団もあれば、乱波・透破のようなただのごろつき集団もある。...
京都府

わら天神宮

敷地神社(しきちじんじゃ)は、旧社格は村社< わら天神の通称で知られる。 舞殿 元々当地には、北山の神として葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇が祀られていた。天長8年(831年)、この地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇...
京都府

石座神社

創建については明らかでないが、日本三代実録に 元慶四年十月十三日癸巳、山城国正六位上石坐神、授従五位下 とあり、元慶4年(880年)時点で既に岩倉の地に鎮座していたとされ、この地の名称の由来となった。 なお、当時の鎮座地は、現在の岩倉西河原...
京都府

磐座から神秘的な雰囲気が 山住神社

古代の人々は、山住神社の後ろにそびえたつ山を神南備山(かむなびさん)と仰ぐ巨石を神々の降臨する磐座(いわくら)と崇めていたという。 神社の説明書によれば、「三代実録」陽成天皇元慶4年(880年)の項に「山城国正六位石座神授従五位下」と記され...
京都府

千代の古道をたどり広沢の池へ

「千代の古道」というのは、平安時代に天皇や貴族が北嵯峨野(大覚寺)に通った道を呼ぶ。 遠景は大覚寺、桜はまだ咲ききっていない。 のどかな田園風景が広がる。 公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所では、『梅宮から広沢の池、嵯峨大覚寺に至る府道に「...
京都府

会津藩殉職者墓 思わず合掌 金戒光明寺

金戒光明寺、山号は紫雲山。 本尊は阿弥陀如来。 通称寺名をくろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶ。 知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つであり、また京都四箇本山(他に知恩院、知恩寺、清浄華院)の一つである。 まさに城構、高麗門。 徳川家...
京都府

聖護院門跡

聖護院(しょうごいん)は本山修験宗総本山(本庁)の寺院。 聖護院門跡( - もんぜき)とも称する。山号はなし。 開基(創立者)は増誉、本尊は不動明王である。 かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡の一つであった。 日本の修験道における本山...
京都府

信長の定宿は本能寺でなく妙覚寺

今回妙覚寺を訪問して初めて、信長の定宿が妙覚寺であったことを知った。 特に本能寺の変が歴史的に有名なため、本能寺が信長在京中の定宿だったと思われている節がありますが、実は信長が定宿としていたのは上京区の妙覚寺です。 織田信長が上洛時の宿所に...
京都府

千本釈迦堂

山号は瑞応山(ずいおうざん)。 千本釈迦堂と通称される。 おかめの物語や、12月の風物詩である大根焚きで知られる。 夫を助けた妻・おかめの内助の功の話が有名なお寺。 境内のおかめさん像の前に、阿亀桜という立派なしだれ桜が咲きます。 地面すれ...
兵庫県

日本三奇 石の宝殿 生石神社

生石(おうしこ)神社の石宝殿 兵庫県高砂市・宝殿山山腹の生石神社に神体として祭られている巨石。 鎮の石室(しずのいわや)、天の浮石(あめのうきいし)または単に浮石とも。 石の宝殿(いしのほうでん、石宝殿)は、人工的な巨石が残る遺跡などに付け...
大阪府

天下茶屋の聖天さん

天慶2年(939年)光道和尚により開基。当時は、現在地より東に500mのところにあった般若山阿部寺の一坊であったが、元禄時代(1688年-1703年)に義道見明和尚が寺を移転し、海照山正圓寺と改めた。 本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、これは...