船旅

フェリーの旅

厳島神社 清盛が造営した威風堂々たる神々の社

久安2年(1146)、29歳で安芸神に任ぜられ、厳島神社を深く信仰。 仁安3年(1168)ごろ、清盛により社殿が造営された。 夢枕で「厳島の宮を造営すれば、必ずや位階を極めるであろう」(平家物語)とのお告げを聞いたためだと伝えられる。 その...
フェリーの旅

鹿児島散策と桜島

朝から降り続く雨は止みません、夜の散策はあきらめ明日の早朝散策に切り替えることとした。 今日の泊りはホテルタイセイアネックスです。 鹿児島市の玄関口・鹿児島中央駅へ降り立つと、江戸時代の末期に国禁を犯して海外留学を果たし、新生日本を建設する...
フェリーの旅

島原の乱を招いた長崎の巨城 島原城

江戸時代は島原藩の政庁であり藩主の居所であった。 成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。 火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった...
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青森港に夕日朝日を追いかけて

陸奥湾の最奥部に位置する、波浪の少ない天然の良港。 江戸時代初期に弘前藩により港が開かれ、その後江戸時代を通じて藩の商港として栄えた。 明治後期以降は1908年(明治41年)の青函連絡船の就航により本州と北海道を結ぶ港として位置付けられ、1...
フェリーの旅

瀬戸内航路フェリーの旅

瀬戸内航路はよく利用するが今回は平戸への旅です。 今回は平戸まで走らねばならないので、南港16:50発の1便に乗船、新門司着は翌日05:30で一日をフルに使える。 そして帰りは2便を使うことにより滞在時間を有効に使える。 一時の酷暑状態は脱...
フェリーの旅

瀬戸内海夕日日の出撮影クルーズ

フェリーの旅は夕日、日の出の撮影チャンスに恵まれることが多く楽しみの一つだ。 今回は南港、新門司間の航路に搭乗した。 南港にはフェリーターミナルが三か所もあり不慣れな人を悩ませる。 写真は「南港フェリーターミナル」 南港、新門司間の航路はこ...
フェリーの旅

日本海に突き出た岬にそびえる平山城 萩城

関ヶ原の戦いで敗れて周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた城。 完工は慶長13年(1608年)だが、築城者である毛利輝元は、慶長9年12月に未完成のまま入城していた。 萩城二...
フェリーの旅

太鼓谷稲成神社 | 日本五大稲荷 | 津和野

年間の参拝者は100万人を超えるといわれ、県内神社では出雲大社に次いで第2位です。 とくに2月の初午祭、春秋の例大祭には遠近の参詣者で町はふくれあがるほど賑わいます。 全国の稲荷神社の中でも、「稲が成る」と表記するのは珍しく、大願成就の祈り...
アジサイ

東洋のナイアガラ 原尻の滝

緒方川にかかる瀑布で幅120m、高さ20m様子から「東洋のナイアガラ」の別名がある。 滝ができたのは今から約9万年前。 熊本県阿蘇山の大噴火で発生した溶岩が滝周辺で堆積したことから始まる。 堆積した溶岩は、多角形の柱がいくつも縦につなぎ合わ...
フェリーの旅

弥生時代の大規模環濠集落跡 吉野ヶ里遺跡

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵に、およそ50ヘクタールにわたって遺構が残る、弥生時代の大規模な環濠集落跡。 報道がなされた当初は邪馬台国に関係する遺跡ではないかとも見方もあり、一部で九州王朝説も取り上げられた。 今回の...
九州

秋の九州爽やかウォーキング 高千穂峡から通潤橋へ

高千穂峡(たかちほきょう)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井にある五ヶ瀬川にかかる峡谷。 国の名勝、天然記念物に指定されている(五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷))。 今朝の目覚めは熊本市大津町、残念ながら雲が多く日の出は観られず。 R325を高千穂...
フェリーの旅

秋の九州爽やかウォーキング 耶馬溪から九重夢大吊橋まで

「秋の九州爽やかウォーキング」と題するクラブツーリズムのツアーに参加。 耶馬溪、深耶馬渓、九重夢大吊橋、瀬の本高原、菊池渓谷、熊本城、高千穂峡、通潤橋を巡る非常に良い企画であった。 数回に分けて紹介します。 今回は耶馬溪から九重夢大吊橋まで...