"名城"

日本100名城

家康に煮え湯を飲ませた 真田の城 上田城

信濃の戦国大名、真田昌幸の本拠。 昌幸は大坂の陣で活躍した雪村の父。 千曲川の分流である尼ヶ淵に面していたので、築城当初は「尼ヶ淵城」と呼ばれることもあった。 真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦が行われたことで有名。 折か...
日本100名城

川中島合戦の前線基地 松代城

松代城は元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。 また茅津城(かやつじょう)とも言われ茅の生い茂った地であったと伝える説もある。 形式は輪郭式平城。 国の史跡に指定されている。 本日の朝のプラスワンの旅は中止です。 ...
日本100名城

木曽川の畔にたたずむ後堅固の城 犬山城

木曽川を背に建つ、国宝犬山城は兵法に言う「後堅固(うしろけんご)の城」です。 標高80mの平山城だが、旧城下町からの眺めは もっと高く、崇高に見えます。 その後方は断崖と川。 兵法に言う、「後堅固の城」なのです。 そして日本100名城の一つ...
名城の旅

信長天下統一への夢の始まり 小牧山城

永禄3年(1560)、桶狭間で今川義元を討った信長は、三河の松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃の斉藤道三を次の攻略対象としました。 そして永禄6年(1563)、信長は頂上から美濃方面を一望でる小牧山に城を築き、清州から居城を映しまし...
四国

河野水軍伊予統治の拠点 湯築城

湯築城は湯の街道後のど真ん中にあるがあまり知られていないのでは、しかも100名城の一つなんです。 しかし、踊念仏で有名な一遍上人が河野一族の出とは迂闊にも知らなかった。 湯築城は、建武年間頃に伊予の守護・河野通盛が築いたといわれている。 元...
四国

肱川の清流に姿を映す景勝の城跡 大洲城

日本100名城の一つ。 別名としては地蔵ヶ嶽城、比志城、大津城(大洲の旧称)などがある。 江戸時代初期、藤堂高虎らによって大規模に修築がなされ、近世城郭としての体裁を整えた。 大洲の地は、伊予を南北につなぐ大洲街道・宇和島街道の結節点にあり...
四国

築城名人藤堂高虎を代表する海城 今治城

日本100名城の一つ。 構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。 日本三大水城の一つに数えられている。 城内に通じる土橋。 鉄御...
四国

現存天守がそびえる巨大な山城 松山城

日本100名城の一つ。 別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。 関ヶ原の戦いで徳川家康側についた加藤嘉明が戦功によって10万石を加増され、海抜132m、周囲4kmの勝山(味酒山・みさけやま)を切り開き松山城を築城した。 松山...
名城の旅

猪伏山 千亀利城と呼ばれた岸和田城

岸和田城は猪伏山(いぶせやま)と呼ばれた小高い丘の上にあり、本丸と二の丸を合せた形が、機の縦糸を巻く器具「縢」(ちきり)に似ていることから蟄亀利城(後に千亀利城)と呼ばれるようになった。 城内にある岸城神社は千亀利と「契り」とをかけて、縁結...
名城の旅

三成の夢の跡 佐和山城址

三成時代はここに5層の天守があったという。 「三成に過ぎたるもの」と称されるほどの威容を誇る堅城へと改修した。 佐和山城は、鎌倉時代近江守護職佐々木氏により築城され、その後戦国時代には「難攻不落」の城と呼ばれていた。 最後の城主となった石田...
京都府

和泉式部の恋の道をたどり貴船へ

恋多き女和泉式部 恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。 また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。 真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌にもっともよく表され...
名城の旅

郡上八幡 清流と名水とおどりの城下町

郡上八幡城の天守閣は築60年をこえる日本最古の木造再建城であり、戦後の築城ブームで再建された多くのコンクリート製の城とは一線を画した美しさは、作家・司馬遼太郎をして日本で最も美しい山城と言わしめた。 白亜の天守閣、郡上八幡城!見晴台からの眺...