絶景の旅

歴史を訪ねる旅

石道寺界隈

石道寺(しゃくどうじ)は、滋賀県長浜市にある真言宗豊山派の寺院。 山号は己高山。 作家井上靖が、小説「星と祭」の中で当寺の観音像の姿を村の若い娘に例えたことで知られる。 主人公である会社社長、架山が、前妻との間にできた17歳の娘を琵琶湖で亡...
歴史を訪ねる旅

眼の地蔵菩薩 木之本地蔵院

伝承によれば、天武天皇の時代(7世紀後半)、難波浦(大阪府)に金光を放つ地蔵菩薩像が漂着し、これを祀った金光寺を難波の地に建てたのが始まりという。 その後、現在の木之本に移転する経緯については2つの異なる伝承がある。 一つの伝承は奈良・薬師...
大阪府

観心寺 雨中の散策

伝承では、大宝元年(701年)、役小角(役行者)が開創し、当初、雲心寺と称したとされる。 その後、大同3年(808年)、空海がこの地を訪れ、北斗七星を勧請したという。 これにちなむ7つの「星塚」が現在も境内に残る(なお、北斗七星を祭る寺は日...
大阪府

南北朝の哀史をとどめる金剛寺

山号は天野山(あまのさん)。 高野山が女人禁制だったのに対して女性も参詣ができたため、「女人高野」とも呼ばれる。 鎌倉時代末期には100近い塔頭があり、後醍醐天皇と近しい関係を築き、南北朝時代には観心寺と共に南朝方の一大拠点となった。 延元...
四季の花

ボタン咲くころ

長谷寺は朱鳥元(686)年、僧道明上人が天武天皇のために銅板法華説相図(国宝)を西の岡に安置したことが始まりという。 仁王門を抜け、本堂へと続く登廊(重要文化財)は399段に渡る石段になっており、天井には楕円形の灯籠が吊られている。 登廊は...
大阪府

我が国 最小の塔 慈眼院の多宝塔

南北朝の正平8年(1353年)、戦火を受けて焼失。その後、後村上天皇と後亀山天皇の勅命により再興された。 慈眼院の位置する日根荘(ひねのしよう、日根野荘)は、五摂家の1つである九条家の荘園であった。 文亀元年(1501年)から4年間、前関白...
大阪府

孝恩寺(観音寺)釘無道

国宝に指定されている観音堂は、もとは「観音寺」と称し、孝恩寺とは別個の寺院であった。 旧・観音寺は「和泉名所図会」のような近世の文献には「木積観音」(こつみかんのん)とあり、奈良時代の神亀3年(726年)、行基による開基と伝える古寺。 現存...
歴史を訪ねる旅

花に包まれて

桜の時期に石山寺を訪れた、伝承では、寛弘元年(1004年)、紫式部が当寺に参篭した際、八月十五夜の名月の晩に、「須磨」「明石」の巻の発想を得たとされる。 袿(うちき)姿で物語の構想を練る紫式部。 後ろにちょこんと顔を出しているのは、娘の賢子...
日本の町並み

琵琶湖の自然の美しさを表現する創作ひな人形「清湖雛(せいこびな)」を五個荘近江商人屋敷中江準五郎邸(東近江市五個荘金堂町)で見た。 ひなまつりは各地で行われているが、どうもありきたりの感が否めない、しかしここで見たひなは目を奪われるものがあ...
大阪府

三十三石仏 延命寺

延命寺は大阪府河内長野市の真言宗御室派の寺院。 山号は薬樹山。 弘仁年間(810年~824年)、空海が地蔵の石仏を刻んで本尊としたのが当寺の始まりとされる。 寛永16年(1639年)に、この地に生まれた浄厳が伽羅山延命寺に寺号を改め中興する...
京都府

金運/良縁/厄除け/学業/芸能のパワースポット

社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀ると答えがあったので、還御の後に「...
京都府

隠れ紅葉の鹿王院で青もみじを独り占め

このモミジの参道を独り占め、誰もいません、もったいない。 庭園は客殿の南に広がり、舎利殿を中心とした平庭枯山水。 建造物と一体となり、かつ嵐山を借景として、樹木・石の配置を含めて見応えのある庭園です。 面積は1,895平方メートル。 鹿王院...