歴史を訪ねる旅

奈良県

飛鳥時代の行基瓦の残る元興寺

最古の寺といわれる飛鳥寺がルーツ。 平城遷都にともない、この地に移転、南都七大寺のひとつに数えられる大寺であった。 現存するのは極楽坊と呼ばれた僧房遺構。 すぐ南に五重塔跡が伝わる。金堂や講堂などは「ならまち」の民家や道の下に埋もれている。...
奈良県

不審ヶ辻の鬼

この冬2度目の寒波到来とのことで奈良に撮影に出かけたが今回も空振りに終わった。 土塀の残る高畑町、正式には「たかばたけちょう」と詠む。 村内は東部の上高畠、西部の下高畠に大別され、上高畠は春日神社の禰宜町で神官や禰宜が多く住み、下高畠は奈良...
奈良県

庚申信仰のまち

ならまちの家の軒先に赤いぬいぐるみがぶら下がっている。 これは、「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るしている。 「庚申信仰」に関しては諸説があるが、中国の道教の守庚申...
奈良県

飛鳥資料館

1970年閣議において飛鳥地域の出土品などを保管するための施設の建設が決定され、数寄屋風のコンクリート建築による資料館が建てられ、1975年3月16日に開館。 飛鳥時代における倭国の中心であった飛鳥地域で発掘された多くの出土品を展示するとと...
奈良県

万葉の旅 大和三山を訪ねる 畝傍山

かつては「畝火山」、「雲根火山」、「宇禰縻夜摩」とも記され、「慈明寺山」、「御峯山」などと呼ばれることもあった。 万葉集の中では「瑞山」(みずやま)とも詠まれた。 江戸時代より以前は、山上に70以上もの寺院があったと指摘されている。 現代で...
奈良県

万葉の旅 大和三山を訪ねる 天香久山

天香久山は標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる。 天香山神社の祭神は、櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)。 山というよりは小高い丘の印象であるが、古代から...
奈良県

万葉の旅 大和三山を訪ねる 藤原宮跡

我が国で初めて首都として計画的に造られた都市が藤原京。 日本書紀では「新益都(しんやくのみやこ)」という表現で登場する。 耳成山から藤原宮跡にむかう、ここは鎌倉時代から室町時代にかけて築かれた醍醐町環濠跡。 自衛の手段を講じるために築かれた...
奈良県

万葉の旅 大和三山を訪ねる 耳成山

耳成山は死火山。万葉集では、「耳梨山」と書かれていた。 風変わりな名前ですが、山の形からすると「耳無し」で、山裾のない、真ん丸い山ということになる。 まず、大山祇神と高皇産霊神の二柱を祭神として祀る耳成山口神社が登山口となる。。 低い山なの...
フェリーの旅

遠の朝廷と防人を訪ねて⑤

大都市の目の前にありながら僅か10分の船旅で都会の喧噪を忘れられるとあって、福岡市民の身近な行楽地として親しまれる。 福岡でも屈指の菜の花・桜・コスモス・水仙の名所で、満開のころは一年で最も混雑する。 能古島が初めて登場する文献は『平安遺文...
九州

遠の朝廷と防人を訪ねて④

太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮を合わせて「三天神」と呼ぶ。 三天神には諸説あり、太宰府と北野天満宮までは共通するものの、あとの一つを大阪天満宮等とする説も存在する。 延喜3年(903)2月25日、菅公は謫居(たっきょ)の地、南館(榎寺...
九州

遠の朝廷と防人を訪ねて③

『源氏物語』にも登場する観世音寺は、天智天皇が、母君斉明天皇の冥福を祈るために発願されたもので、80年後の聖武天皇の天平18年(746年)に完成した。 古くは九州の寺院の中心的存在で、たくさんのお堂が立ちならんでいたが、現在は江戸時代初めに...
九州

遠の朝廷と防人を訪ねて②

御笠団印出土地 701年の大宝令(たいほうりょう)に定められた軍団(軍隊)の印判が発掘された所。 軍団は全国に置かれ、普通一軍団は兵士千人で構成され、その兵士は成人男子から三人に一人の割で徴発された。 平安時代初め筑前国には4軍団があり、こ...