歴史を訪ねる旅

京都府

緑滴る 酬恩庵一休寺

一休寺はあくまで通称で、正式には酬恩庵(しゅうおんあん)という。 創建は鎌倉時代で、その後荒廃していたお寺を一休宗純が復興した。 酬恩庵という名は、宗祖である南浦紹明の「恩に酬いる(報いる)」というところから来ている。 新田辺駅では一休さん...
九州

魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅 王塚古墳

王塚古墳(おうづかこふん)は、福岡県嘉穂郡桂川町寿命(じゅめい)に存在する古墳で、5つの色彩で彩られた壁画が石室内ほぼ全面に施されていることで知られている。 日本の特別史跡。 1934年(昭和9年)9月30日に採土工事中に前方部が削られ、横...
九州

魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅 福岡市博物館

福岡市博物館で卑弥呼の時代を確認します。 正面入口の両側に立っている4体のブロンズ像は、フランス近代彫刻の巨匠、エミール・アントワーヌ・ブールデル(1861~1929)の作品。 空間の美しい博物館です。 「漢委奴国王印」はオリジナルを保有、...
九州

盾持武人埴輪が出土した 仙道古墳

仙道古墳は古墳時代後期の6世紀頃に作られたもので、径45メートルの円墳。国指定の史跡。 朝倉郡筑前町の久光にある「仙道古墳」は、九州では珍しく盾持武人埴輪がほぼ完全な形で出土した装飾古墳として知られ、現在は国指定の史跡となり、周囲は緑豊かな...
九州

魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅 奴国

奴国は現在の春日市から福岡市博多区一帯にあたり、那珂川と御笠川に挟まれた領域に広がり、その中心は春日市須玖と考えられる。   弥生時代中期前半以降、三〇程の集落形成が認められ、中期後半には奴国王墓と見なされる須玖岡本遺跡を筆頭に比恵・那珂遺...
九州

魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅 伊都国

多くの学説が乱立する中にあって、魏の使者が伊都国までは確実に来ているという点は統一的な見解と言っても良い。 このことは、伊都国までの道程や自然環境の正確な描写からくるもので、『倭人伝』の記述にある[其餘旁国]の名称が先の北部九州六ヶ国の名称...
九州

宗像三女神を祀る  宗像大社

今日から魏志倭人伝(伊都国・奴国)を訪ねる旅。 まず宗像大社を訪問、『宗像大社』は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮の三社の総称であるが、現在では「辺津宮」のみを指す場合も多い。 筑前大島には沖津宮遥拝所(瀛津宮)もある。...
北陸

勧進帳創作の舞台となった如意の渡し

かつては六渡寺渡、籠の渡などと呼ばれていた。 『義経記』には、奥州に落ちのびる源義経が如意の渡しに乗船しようとしたとき、渡守の平権守に義経であることを見破られるが、弁慶の扇で義経を打ちすえるという機転で無事に乗船できたという話がある。 この...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 勝興寺

勝興寺境内は天平の昔、越中国庁の所在地でした。 大伴家持は、746年(天平18年)に越中守に任じられ5年間、越中国(現在の富山県・石川県能登地方を指す)に在任し、この越中国庁で政事を行った。 鼓堂 - 享保18年(1733年)建立。 総門を...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 高岡市万葉歴史館

万葉歴史館は、万葉集の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持にちなんで作られた博物館。 かつて大伴家持が政務をとった国庁跡にほど近い、眺望のきく場所に万葉歴史館があります。 「万葉集」の代表的歌人であり編者ともされる大伴家持は、今から約12...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 越中国一宮 気多神社

気多神社(けたじんじゃ)は、式内社(名神大社または小社)、越中国一宮。旧社格は県社。 階段上の境内には、「かたかごの丘」という苔と木々に覆われた場所があり、越中国総社跡の伝承地となっている。 *「かたかご」とはカタクリのこと、ユリ科カタクリ...
北陸

越中高岡に 大友家持を訪ねる 高岡市の最高峰 二上山

二上山(ふたがみやま、ふたがみさん)は、富山県の高岡市と氷見市に跨がる標高274mの山。高岡市の最高峰。 バスの車窓からの二上山。 「二上山」の名は、現在の二上山(東峰)と西隣の城山(西峰)を2柱の神に見立て、「二神山」と呼んだのが語源であ...