日本の町並み

フェリーの旅

石垣の街厳原の早朝散策

昼食までの時間厳原の街を数度にわたって散策した。 とにかく石垣の多い街だ。 『古事記』の建国神話には、最初に生まれた島々(「大八洲」)の1つとして「津島」と記されている。 『日本書紀』の国産み神話のなかには「対馬洲」「対馬島」の表記で登場す...
フェリーの旅

対馬西岸と東岸を結ぶ運河 万関瀬戸(まんぜきせと)

1900年に旧大日本帝国海軍によって、浅茅湾内の竹敷港にあった竹敷要港部から対馬東海上までの所要時間を短縮するための航路として開削された。 当時は幅約25メートル、深さ約3メートルであった。 対馬島の上島と下島の境であり、ここより北部を上島...
京都府

巨大伽藍 東寺を訪問

東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。 「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)とも呼ばれる。 山号は八幡山。 本尊は薬師如来。 寺紋は雲形紋(東寺雲)。 ...
アジサイ

梅雨のひと時 うめきたで憩う

梅雨のわずかな晴れ間に「うめきた」「新梅田シティ」界隈を散策した。 話には聞いていたが見るのは初めて、「人工の霧」の発生、グランフロント大阪 うめきた広場。 「光の階段」グランフロント大阪 うめきた広場。 新梅田シティ・希望の壁。 開花時期...
奈良県

司馬遼太郎もお気に入りという二月堂裏参道

奈良、東大寺大仏殿の裏参道、そう呼ばれる石畳と土塀の小道は「東大寺で一番美しい」と地元の方も絶賛。 二月堂から右手の坂を下ると東大寺の裏手に出ます。 この坂はお勧めの美しい坂です。 少し下ったあたりで、二月堂を振り返ってください。 写真家入...
奈良県

お気に入りの二月堂界隈

二月堂は、東大寺金堂(大仏殿)の東方、坂道を上り詰めた丘陵部に位置する、十一面観音を本尊とする仏堂である。 すぐ南には三月堂の通称で知られる法華堂がある。 これらの堂が所在する一画を「上院」(じょういん)と称し、大仏開眼以前から存在した、東...
奈良県

東大寺の鎮守社として創建の手向山八幡宮

東大寺を訪れても意外とここまで足を延ばす人は少ないのでは、手向山八幡宮は創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した。 手向山は紅葉の名所として知られ、古今和歌集では菅原道真が「このたびは幣もとりあ...
奈良県

華厳世界に建つ東大寺大仏殿

創建から2度にわたって焼失、鎌倉と江戸時代に再建された。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱とした。 そのため、創建時に11間(けん、86m)あったが7間(57m)となった。 現在でも世界最...
大阪府

司馬遼太郎が歩いた道を辿る 彌榮神社(いやさかじんじゃ)

彌榮神社(いやさかじんじゃ)通称名;弥栄(やえ)神社、創建年代は不明ですが、祭神は須佐之男命です。伝えによれば、天正の頃、石山合戦により村落とともに消失したと伝えられています。 その後、慶長5年(1600)に片桐且元より社地を拝領し社殿を再...
大阪府

司馬遼太郎が歩いた道を辿る 延命寺

縁起は1662年(寛文2年)京都獅子谷、法然院2世忍徴上人が、石清水八幡宮の境内に一堂を建て一丈六尺の地蔵菩薩を安置したのに始まる。 寛文2年(1662年)ごろ、京都石清水八幡宮の祠のそばに一堂を建て、地蔵菩薩を安置したのが始まりといわれ、...
大阪府

司馬遼太郎の愛した街

売れ出すと東京へ移る作家が多い中、司馬遼太郎は河内に住み続けた。 彼が愛した、小坂、八戸ノ里界隈を散策した。 近鉄河内小阪駅前広場にある、鳩をもつ女性像、「平和を祈る乙女」。 昭和20年8月6日、広島に原爆が落ちたちょうどその日に河内小阪駅...
北陸

富山早朝散策 美しい日の出を求めて・・・・

旅に出たらその土地の早朝散策が楽しみで早く目が覚めてしまいます。 今日も富山の街を歩きます。 昨夜の富山駅、新幹線開通に伴い、駅の並行在来線部分が第三セクター「あいの風とやま鉄道」に移行、駅の南北問題が積み残しになっています。 とやま鉄道ホ...