名城の旅

東海

桜咲く 郡上八幡城

郡上八幡城は満開の桜の中にあった。 前回の訪問記「司馬遼に「日本で最も美しい山城」と言わしめた 郡上八幡城」を合わせてお読みいただければ理解が深まることと思います。 駐車場から山上を見上げれば、山内一豊夫妻の銅像を通して天守閣が望めるよう、...
東海

桜の季節に苗木城を訪問する

少し盛りを過ぎたが桜の時期に苗木城を訪問した。 苗木城の詳細は前回訪問記「巨岩と石垣との壮大な組み合わせ 赤壁城こと苗木城」に詳しく記しましたのでそちらを参照いただければ幸いです。 大手口道は長さ500m、高低差150mあり「四十八曲り道」...
東海

三重の三日月掘が見どころ 武田流城郭 小山城

今川氏の没落後、武田氏と徳川氏は大井川を境として、西を徳川氏、東を武田氏と、それぞれ駿河・遠江を領有することとなるが、武田軍は大井川を越えて山崎の砦に入り小山城を築いたという。 駐車場より模擬天守を見上げる。 過去に小山城に天守閣が存在した...
東海

同心円状に堀が巡る珍しい城 田中城

全国でも大変珍しい、同心円の形をした城郭ですが、市街化が著しくてその形状を楽しむことは困難。 史跡田中城下屋敷跡、田中城の南東隅にあり、一色氏やその子孫古沢氏の屋敷跡だとも伝えられています。 しかし、江戸時代後期には城主の下屋敷(別荘)が置...
東海

玉石垣が珍しい高天神城への押さえの城 横須賀城

横須賀城は徳川家康が武田氏の高天神城を締め付ける付城群の中核として、大須賀康高に命じて築いた城郭。 横須賀城の特徴は他に類を見ない天竜川より運ばれた玉石垣を用いた築城法。 天守閣は三層四階であった。 宝永年間に起こった大地震のため湊が隆起し...
東海

信玄公が攻略できなかった城 高天神城

小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げた。 優美な山の形から鶴舞城の別称を持つ。 高天神城は、山自体が急斜面かつ、効果的な曲輪の配置が施されたことで、堅固な中世城郭となっていた...
四国

天に向かって勾配を描く雄渾さ 丸亀城

丸亀城は、播州赤穂から17万6千石の領主として讃岐に入り、高松城を築いた生駒親正が1597年(慶長2)から高松城の支城として丸亀城の築城にかかり、1602年(慶長7)に完成したが、その後一国一城令により廃城となった。 石垣の窪んだ奥が廊下橋...
四国

生駒親正が玉藻の浦に築いた名城 高松城

別名「玉藻城」は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。 高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年(天正15年)讃岐1国の領主となった生駒親...
東海

東海北陸20名城 二俣城

天竜川と二俣川に挟まれた天嶮に恵まれた中世城郭として名高く、武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げた。 また、家康の嫡男信康が悲劇の切腹をとげた城としても知られる。 北にある信濃側から見れば山間部から遠州平野への入...
東海

東海北陸20名城 浜松城

浜松城は野面積みの石垣で有名。 歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」といわれた。 天守曲輪の石垣の特徴 邪(ひずみ)と屏風折(びょうぶおり) 天守曲輪に残る石垣は、斜面上半部だけに石を積んだ「鉢巻石垣(はちまきいし...
東海

東海北陸20名城 田原城

田原城は海に面した小さな丘に築かれており、海や水堀に囲まれた城郭の形状から別名を巴江城という。 枡池の向こうに楼門が見える。 天文16年(1547年)、戸田康光のとき、人質として今川氏の本拠地駿河国に送られる松平氏の嫡男竹千代(後の徳川家康...
東海

東海北陸20名城 吉田城

吉田城は戦国時代初期において三河支配の重要拠点のひとつとして、松平氏と今川氏の間で争奪戦が繰り広げられた城。 江戸時代には吉田藩の政庁としての役割を果たした。 かつては酒井忠次や池田輝政が城主を務めたこともある。 また、歌川広重による浮世絵...