幻想的に箕面の滝ライトアップ

今年で30回目となるそうだ、箕面の滝ライトアップ。
箕面大滝ともいわれ、日本の滝百選の一つに選定されている。

阪急箕面駅から滝道の風情を楽しみながら2.8km、18時過ぎに滝に到着。
10数名の方たちが夕涼みを楽しんでいます。

古くは修験道の道場であった。

「箕面」の名は木々の間から流れ落ちる姿が蓑に似ていることから付けられたとか、周辺に「尾」のつく地名が多いことから水尾から転じたとも言われている。

滝の流し撮りの練習、中々うまくタイミングが合いません。

1/1000の高速シャッター、でも流れは止まってませんね。

滝の正面に移動、みどりと滝のコラボがいい。

19時、ライトアップの始まりです、光の中に滝が怪しく浮かぶ。

幻想的な滝の姿にウットリ。

ライトに照らされて緑もさえる。

少しカメラをひいてみます、静かに幻想的な滝の姿を楽しむ人たち。

角度を変えて滝の左側から。

滝見橋の後ろまでカメラをひきます、シルエットで浮かぶ見物の人々。

滝見橋の上ではアベックが語らっていますね。

滝の名句として知られる後藤夜半の「瀧の上に水現れて落ちにけり」(1929年作)は、この箕面滝を詠んだもの。
滝前に句碑が建っている。

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豪快な二段落としの滝 龍門の滝

今回最後の訪問地は、国指定の名勝地で、筑紫溶岩台地を削ってできた落差20メートル、幅40メートルの豪快な二段落としの滝 龍門の滝。

中間に滝壷がある二段落としの滝で、全体としては幅40m、落差20mの滝である。

1段目の滝は深い滝壷を穿っており、この滝壺に溜まった水が流れ出す2段目の滝は滑らかで、夏季には滝滑りの子どもでにぎわう。

この滝滑りの様子は地元の夏の風物詩ともなっている。

鎌倉時代に宋から渡来した高僧蘭渓道隆禅師が、中国の黄河上流の龍門に似ていることから、この滝を竜門の滝と命名し、この地に竜門寺を建立したといわれる由緒ある名瀑である。

2段目の滝は滑らかで、夏季には滝滑りの子どもでにぎわう。

下流の流れ。

淵は泡が渦を巻く。

少し下流に下ると脇から別の滝が合流する。

竜門寺境内からの滝、少し高いところにあるので一段目の滝壺がわずかに見える。

牛頭(ごず)観音塔を見かけた。

馬頭観音塔は至る所で見かけますが、牛頭観音塔は珍しく、まれにあっても「牛頭観音」と刻字された文字塔で、角があり明らかに牛とわかる顔を頭上に載せた観音像の石仏を見たのは初めてです。

馬頭観音はヒンドゥー教の神「ハヤグリーヴァ(馬の頭を持つもの)」が仏教に採り入れられて六観音の一つになったものと言われ、衆生の無智・煩悩を取り除き諸悪を懲らしめる菩薩ですが、牛頭観音という名の菩薩は仏教界には存在しません。

馬頭観音塔のほとんどは、馬頭観音菩薩が頭上に馬頭を抱く姿から、本来の教義から離れて亡くなった荷役馬や農耕馬を供養するために建てられており、この牛頭観音塔も飼育していた牛の供養塔として建てられたものと思われます。

龕堂(がんどう)の中には沢山の石仏がある。

中国の明末の高僧隠元禅師が、承応3年(1650年)7月、長崎へ来航されてから五年後の萬冶2年(1659年)徳川4代将軍家綱公より、山城国宇治大和田に広大な土地と僧糧を下賜され新地開創の令旨によって寛文元年、黄檗山万福寺が創建され黄檗宗が誕生した。

このような恩顧と因縁によって葵の紋の使用が許されました。

徳川家のは、巴葵ですが、黄檗で許されたものは、うら葵(三つ葉葵)といわれています。

尚、大本山万福寺は、徳川家初代、家康公より15代慶喜公までの霊牌が安置されていますが、4代将軍家綱公のご命日五月八日には、管長猊下をはじめ、一山の僧侶が出頭して法要が厳修されています。

境内の案内板より

宋の蘭渓道隆禅師が鎌倉時代中期に建立した竜門寺、龍門の滝の由来の説明板があった。

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龍門の滝へのアクセス、行き方歩き方

大分県玖珠郡九重町大字松木
TEL 0973-76-3150

【電車】JR豊後森駅からタクシーで約15分
【車】大分自動車道九重ICから約15分、玖珠ICから約15分

シルクのカーテン越しに見る裏見の滝

今回2カ所目の訪問地はシルクのカーテンのような美しい滝、鍋ヶ滝。

幅20m、高さ10mの決して大きいとはいえない滝ながら、ちょうどいいバランスで二つに分かれた滝がこれまた適度な水量で流れていくため、キレイな水のカーテンを作っています。

滝の裏側は大きくえぐられたようになっており、ちょっとした洞窟風である。
ここまで余裕の空間を持つ滝もそうそうあるまい。

裏見の滝としてとても有名な滝で、滝壺の裏から透かして見える風景がまた絶景です。
緑の木々と木漏れ日の光が癒してくれそうです。

「裏見の滝」の代表格です。

KIRINの「生茶」・伊藤園の「おーいお茶」などのCMもここで撮影されました。

叩きつけるような激しい水流。

ここでも流し撮りを試みる、うまく止まったかな。

前回訪問時の記事がこちらにあります。
癒しの流れるカーテン 鍋ヶ滝

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鍋ヶ滝へのアクセス、行き方歩き方

熊本県阿蘇郡小国町黒渕
0967-46-2113 (小国町役場情報課)

大分道九重ICから国道212号経由45分

「東洋のチロル」由布川峡谷を撮る

最初の訪問地、由布川峡谷はその美しさから「東洋のチロル」とも称され、新緑や紅葉、涼を求めてたくさんの人が訪れます。

峡谷へ降りていく猿渡入り口は60mにも及ぶ急勾配の階段が続きます。

由布岳と鶴見岳の間を流れる由布川の景勝地「由布川峡谷(ユフガワキョウコク)」(あるいは「由布川渓谷」)。

峡谷には上流から順に、椿、猿渡、谷ヶ淵の3か所の入口から降りることができる。

今回は猿渡入り口から入った。

深さ20〜60mものV字型の峡谷が約12kmにわたって続き、さまざまな場所から幾筋にも糸のように流れ落ちている水流や滑らかで迫力ある岩肌は、まさに自然の造形が誇る芸術作品のようです。

苔むした岩肌を糸のように滑らかに流れ落ちる水流。

流れの終末の滝壺は神秘的でもある。

滝の流し撮りと洒落てみた、水流のみを止めることで周囲の景色が流れ、いっぷくの芸術作品の出来上がりだ。

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由布川峡谷猿渡入り口へのアクセス、行き方歩き方

大分県由布市挾間町朴木
TEL:0977-84-3111 由布市商工観光課

JR久大本線向之原駅から車で約15分

日本の滝百選 平湯大滝

戦国時代、武田信玄の家臣山県昌景軍が飛騨攻めの最中、峠超えの疲労と硫黄岳の毒ガスにより疲弊し、平湯大滝付近で動けなくなってしまう。

その時、一匹の白猿によって教えられた温泉につかって疲労を回復したという伝説がある。
この温泉が平湯温泉である。

雪が降りしきる中、滝にレンズを向けるが、雪で視界がぼんやりしている。

落差64m、幅約6m。
「日本の滝百選」、「岐阜県の名水50選」に選ばれている名瀑である。

紅葉の名所であり、奥飛騨温泉郷の紅葉は、飛騨・美濃紅葉三十三選にも選ばれている。
また、冬季の厳冬期には氷結して氷瀑となり、毎年2月には氷瀑がライトアップされ、「平湯大滝結氷まつり」が開催される。

明治時代に日本アルプスを世界に紹介したウォルター・ウェストンは乗鞍岳登山の途中で見た大滝について、「画のような谷間の木の間に、柔らかい絹リボンのようにかかっている」と絶賛しています。

平湯大滝公園から平湯大滝までは約0.7km(徒歩約12分)あり、シャトルバス(1乗車100円)も運行されている。

平湯大滝は、高原川(神通川の支流)の上流、大滝川にある。
「飛騨三大名瀑」のひとつ。秋はカエデやナナカマドの燃えるような紅葉が流れ落ちる滝に彩りを添える。

周辺はナラやブナなどの落葉樹の上限値ともいわれる高地。

平湯温泉の近くながら、原生林と岩壁に囲まれた谷間にあって、深山幽谷の雰囲気が漂います。

おりからの吹雪で三脚も倒れそうになります。
滝の下部が風のため大きく右になびいているのがお分かりでしょうか。

渓流も雪に覆われています。
渓流の風情を撮りながら写真をまとめようと登山道を下り始めたところでカメラのトラブル。

後続の撮影を断念。

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平湯大滝へのアクセス、行き方歩き方

住所:岐阜県高山市奥飛騨温泉郷平湯
電話:0578-89-1250 平湯大滝公園事務所

JR名古屋駅―(高山本線 ワイドビューひだ/約2時間10分)→高山駅―(濃飛バス/約1時間30分)→平湯バスターミナルより徒歩約15分

中部縦貫自動車道(安房峠道路)平湯ICより国道158号。
駐車場は平湯大滝公園または平湯温泉、平湯バスターミナルを利用することになる。

平湯バスターミナルより徒歩25分。
濃飛バス「平湯キャンプ場前(平湯温泉スキー場)」バス停より徒歩15分。

紅葉の阿弥陀ヶ滝

長良川の源流の一つ、前谷川の上流に位置する阿弥陀ヶ滝と紅葉の様子をお届け。

昭和33年に県指定名勝となり、昭和61年には「岐阜県の名水50選」、平成2年には「日本の滝百選」に選ばれている名瀑である。

白山信仰の修験道(滝行)の地である。

全山紅葉の真っ盛りです。

滝まではよく整備された遊歩道を5分ほど歩けば到着します。

落差約60m、幅約7m、きれいな滝です。

723年(養老6年)、白山を開山した泰澄により発見され、長滝と名づけられる。
戦国時代の天文年間、白山中宮長滝寺の道雅法師が長滝の近くの洞窟で護摩修業を行なっていたところ、目の前に阿弥陀如来が現れたという。

このことから、阿弥陀ヶ滝と呼ばれるようになったという。

落ち込み部の様子。

高速シャッター、荒々しさが出ますね。

紅葉に包まれた滝を切り取り。

滝の西側に「びょうぶ岩」と呼ばれる巨岩があり、北側には昼なお暗い洞窟があります。

この滝は「滝つぼ」「滝の両岸」そして「滝の裏側」にもはいることができます。

下流の散りモミジも素敵です。

渓谷の様子。

支流にも見事な小滝があります。

渓流と紅葉。

ススキも素敵だ。

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阿弥陀ヶ滝へのアクセス、行き方歩き方

岐阜県郡上市白鳥町前谷

東海北陸自動車道高鷲ICより、岐阜県道45号高鷲インター線、国道156号、岐阜県道314号石徹白前谷線経由で約15km。
長良川鉄道美濃白鳥駅より郡上市自主運行バス石徹白線で「阿弥陀ヶ滝」バス停下車、徒歩20分。

癒しの流れるカーテン 鍋ヶ滝

熊本の旅二つ目の訪問地は「おーいお茶」「生茶」のCMロケ地になったことで一躍有名になった鍋ヶ滝です。

菊池渓谷から少し戻ります、大仏様の寝た姿に見えると言われる阿蘇5岳(左より根子岳・高岳・中岳・烏帽子岳・杵島岳)が見えています。

滝の裏側に入ることができる珍しい滝。
落水は水のカーテン状で美しい。

「おーいお茶」「生茶」のCMロケ地になったことで、観光スポットとして知られてきた。

滝の落ち込み部。

上方からの光と翠が美しい。

裏見の滝の代表例として知られる。
滝の規模の割に、滝裏の空間が広い。

鍋ヶ滝の成り立ちの看板がありました、クリックして拡大して見ていただくといい。

この鍋ヶ滝は落差9m、幅20mで、そんなに高い滝ではありませんが、正面から見ると広さがわかります。

ただ、水飛沫(しぶき)が飛んでいますから写真を撮るときにカメラのレンズに水が付きます。
レンズクリーナーは持っておく必要があります。

ちなみに水が付いたレンズはほったらかしにしておくと乾いても水玉の跡が残ります。
1~2日の内にきれいに拭き取ってください。

滝浦から左前方、かなり流量が多い。

右前方。

雄大に流れる滝と翠。
少し色づきはじめかな。

落ち葉の紅葉が美しい。

少し下がって滝を捉えます。
撮影用長靴はこちらでの購入が便利です

振返ると面白い光景が、倒木からまっすぐ上に延びた枝。

鍋のみどりへの小道と記された径を進むと滝の上に出る。
景観保持のためご協力をと書かれているが、もう少し何とかならないものか。

サンフラワーで大阪へ向かう、明石海峡大橋通過は5時17分。

南港入港直前、日の出を迎えましたが、残念ながらちょうど太陽の登る位置に大きな雲が。

粘ってやっと日の出を捉える、もう下船が始まっています、急がないと。

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鍋ヶ滝へのアクセス、行き方歩き方

住所:熊本県阿蘇郡小国町黒渕下滴水
電話:0967-46-2113

JR阿蘇駅からバス約1時間、ゆうステーション下車、車で約15分
大分自動車道九重ICから約1時間

菊池渓谷に紅葉を訪ねて

今回の菊池渓谷訪問は渓流と紅葉を撮ることにあったが、時期が少し早すぎたようだ。
過去の菊池渓谷関連記事:渓流に癒される菊池渓谷の光芒
菊池渓谷下見
秋の九州爽やかウォーキング 菊池渓谷

入山に際しては清掃協力金として100円おさめます、その時戴いたマップを載せておきます。
今回は展望所横の橋を渡り、広河原まで行き、橋を渡って時計回りに帰ってきます。

第一のポイントである黎明の滝。
落差はさほど大きくないが、巨大な岩石の間を裂くように流れ落ちる水の勢いには迫力がある。

シャッタースピードを1/8000まで上げると、迫力のある水勢がよくわかる。

第2のポイント「天狗滝」

この勢いのある滝は落差8mの天狗滝となって流れ落ちる。

流れ落ちた先の淵は「竜ヶ淵」と呼ばれています。

いま辿っている右岸側の径はこのような木の根道です、滑りやすいので慎重に歩を運びます。

菊池渓谷の主瀑、全長25mの「四十三万滝」、日本の滝百選にも選定されています。

昭和9年、九州日々新聞社が景勝地募集を行ったところ、43万票を獲得し第1位になったことからこの名が付けられたとも言われる。

また、古老の話によれば1日の平均水量が43万石(約7.8万トン)と変わらないことから、そのように呼ばれていたともいう。

阿蘇外輪山に源を発する名水は数多いが、無数の湧水が集まって作る渓谷美で知られるのが、熊本県菊池市の菊池渓谷である。

ハイスピードで撮ると荒々しさがよくわかります。

四十三万滝の落ち込み部。

実は今回の撮影旅行、三脚の携行を忘れてしまったのです、流れを写し止めるには低速シャッターが必須。
そのため、三脚を必要とするのですが、今回は手持ちでの撮影です、1/8秒くらいが限度です。

少し後ろへ下がって滝の全体を。

滝の脇の植生、色づきはじめといったところでしょうか、少し早すぎました。

菊池渓谷の魅力、それは広河原にあり、でしょう!

菊池渓谷へ来たならば、ここまでは足を運んでほしい場所です。
秋の紅葉のスポットの一つです。

渓流に足を入れ、流れ込みなどの姿を捉えます。

そうです、渓谷の滝を訪れるときは長靴が必携です。

撮影用長靴はこちらでの購入が便利です

流れの中をジャブジャブと歩きながら滝の姿を捉えて行きます。

春に訪れた時はこの辺りで光芒の撮影をしました。

今回はさらに上流を目指してみます。
岸に積もった落ち葉の紅葉がきれいです。

広河原の上流の「広河原の源流」と呼んでいる所は、岩の間から水が噴出しているのを見ることができるといわれますが、今回は確認できませんでした。

渓谷から「九州自然歩道」に上がると、通行止めになっています。
渓流をさかのぼっていたので気が付かなかったのですが、通行禁止区域に入っていたようです。

落石・倒木の危険があると言うことで、熊本県により通行止がなされています。

少し戻って紅葉ヶ瀬に来ました。
紅葉の時期になると、岸に落葉が積もり、紅葉のじゅうたんみたいになるので「紅葉ケ瀬」と言うそうです。

水の流れがとてもきれいです。

流れの中に入り右岸側に回ると勢いのある流れがあります。

この勢いのいい流れは最初に訪れた黎明の滝に流れ込んでいます。

紅葉ヶ瀬は非常に広い瀬でこのような小さな流れ込みがたくさんあります。

掛幕の滝(かけまくのたき)、最初に迎えてくれるのが、掛幕の滝。
渓谷の入口の橋の下に見えます。

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菊池渓谷へのアクセス、行き方歩き方

住所:熊本県菊池市原
電話:0968-25-7223(菊池市商工観光課)

熊本駅より熊本電鉄バス「菊池温泉」行き乗車。
終点「菊池温泉・市民広場前」下車。

菊池温泉より予約制「きくち観光あいのりタクシー(土,日,祝,振休,GW運行)」で菊池渓谷へ。

植木インターより県道53号線~国道387号線約50分

日本一とも称される紅葉名所 松川渓谷

この松川渓谷は、深いV字谷を刻んでおり、広い斜面は落葉広葉樹でおおわれ、とりわけカエデ類が多いので、春はビロウドのホワイトグリーンの芽吹き、秋は赤色が卓越した紅葉となります。

先ず雷滝に来ました、深いV字谷の下を渓流が流れています。

滝の廻りは見事な紅葉です。

雷鳴が鳴るがごときに豪快に流れる滝。

滝の裏側を通り向こう岸にわたります。

落差30mで、まさに豪快そのものです。

別名「裏見の滝」として知られた滝で、滝裏から流れ落ちる姿を見ることができます。

滝の裏側は雫がかかりカメラが濡れてしまいます。

滝壺と下流を見やる、見事な紅葉。

滝の落ち込み部。
ここでの主役は、カエデ、ブナ、ナナカマドといった広葉樹たち。

滝裏から見事な紅葉を見る。

滝と紅葉、岩壁、見事な眺め。

滝への道は細い道、大勢の人がひしめき合っています。

少し下って八滝の展望所、木漏れ日がきれいです。

上流の山はガスがかかっています。

180mほどの落差を8つの滝壷を作りながら落ちる滝。
展望台からの眺めは山水画のような美しさがあります。

少しズームアップして見ます。

八滝は渓谷の山頂近くから落下して、崖が数段にもなっていることから名付けられたとの事です。
紅く染まった紅葉がきれいです。

少しガスが出てきました。

どんどんガスが深まっています、そして日当たりの紅葉がきれいです。

さすがに新潟まで足を延ばすと時間がかかる、金沢からは19時43分発のサンダーバード44号だ。
途中、湖西線で動物と列車の接触事故もあったりで帰着は12時前だった。

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松川渓谷へのアクセス、行き方歩き方

住所:長野県上高井郡高山村
Tel:026-245-1100 高山村役場産業振興課

自動車利用:須坂長野東ICから 15km 30分
鉄道利用:長野電鉄長野線須坂駅下車 バス 30分

渓流に癒される菊池渓谷の光芒

今日は光芒撮影の本番、ホテルを5時出発です。
4時起床、見上げる空には月が、やった、晴れた!!

早朝出発でホテルの食事はなし、コンビニでおにぎりとサンドイッチを調達、朝食です。

昨夜のうちに管理組合と交渉、広河原への立ち入りの許可を取る。

広河原の一等地で待つこと1時間、水面に光が見えてくる。

僅かに光芒が射すが、こんなものではない。
辺りを見渡すとなんと昨日の地元のカメラマン氏が来ているではないか、色々と細かい情報を得る。

このままここに踏みとどまる選択はあるが、なんせ競争率が激しい。
カルラマン氏の教えに従い単独行動をとることとする。

少し下ったところで渓から立ち上る朝霧を撮る。

教えられた水天宮の橋のたもとで待つこと暫し、きたっ、強烈な光芒です。
撮影を始めてから2時間が経過している。

上流を見やると川面は青く光り、強烈な光の帯が水面を射る。

もう息をのむ美しさ、ただただ、シャッターを押しまくる。

光芒天使の梯子、レンブラント光線などの別名もある、ここでは木々から漏れた光が渓流を照らし、苔むした岩を照らす。

教えられた橋下に三脚を据え、しばらく観察。
撮影に夢中になったカメラマンは誰も動かない、夢中でシャッターを押しているのだろう。

すぐそばの苔むした岩に射すやさしい光、何とも言えない光景です。

朝の光芒は上流の広河原から時間とともに下流の方へ向って移動して行きます。
このような岩場を伝いながらの撮影です、当日はけが人が三人出た。

光芒を見ながらどんどん渓流を下る。

四十三万の滝の上部まで下ったがここからは河原を下ることができない、元来た道を引き返し、歩道を下る。

四十三万の滝、日本の滝100選の一つ。
菊池渓谷は阿蘇外輪山の溶結凝灰岩を浸食してできた渓谷で、両岸が切り立った深い谷に、瀬や滝が連続している。
紅葉の頃が美しい。

昭和9年、九州日々新聞社が景勝地募集を行ったところ、43万票を獲得し第1位になったことからこの名が付けられたとも言われる。

また、古老の話によれば1日の平均水量が43万石(約7.8万トン)と変わらないことから、そのように呼ばれていたともいう。

四十三万の滝から下流を見やると渦巻く水流が渓谷を駆け下る。
ここもこれより先へは危険で進めない、再び歩道に戻り下流を目指す。

天狗滝の上部から木の隙間を通して虹が見える。
足場はかなり危険な状態、無理をして河原へずり降りる。

素晴らしい光景です、苔むした柱状節理を光芒が照らす。

天狗滝を上から見たところ、先ほどここに虹が見えたのだが消えてしまった。

紅葉ヶ瀬下流、ここの光芒も素晴らしい。

黎明{れいめい)の滝、昨日の下見は霧に包まれていたが今日は朝日に光り輝いている。

角度を変えて待つこと暫し、素晴らしい光芒が現れました。

待っている間雨の予報ばかりでガッカリさせ続けていたのに、一転素晴らしい晴れ間をプレゼントしてくれました。
ありがとう。

熊本の奥座敷菊池は、栄華を極めた菊池一族の深い歴史と、色鮮やかに季節を映しだす美しき渓谷の郷。

「菊池一族の興亡」

九州一の渓谷美で人気を集める菊池渓谷と、なめらかな泉質を誇る温泉のまち菊池市。
母なる大河・菊池川の上流にあるここ菊池市には、もう一つの顔があります。
中世の肥後最大の豪族・「菊池一族」の本拠地だった歴史のまちです。

平安期に栄華をほしいままにした藤原氏の血をひく菊池一族が、中央での政争の巻き添えで大宰府の役職を離れ、肥後入国したのが延久2年(1069)。初代・菊池則隆公のときで、ここから一族興亡のドラマが始まる。

平家、源氏の武士が台頭。その後平清盛を筆頭とする平家が治め、やがて源頼朝が挙兵する源平合戦へ、と流れる歴史は皆さんよく御存知。
この頃菊池氏 6代・隆直公も、いち早く平家打倒を旗印に大宰府を攻めるが、結局平家の軍門に降ることになる。

その後特筆すべきは、鎌倉時代の中期蒙古襲来時における、10代・武房公の活躍である。
2度にわたって蒙古軍は北九州に襲来した。
(1274年・文永の役、1281年・弘安の役)時の幕府は西国の武士に出動を命じた。

このとき肥後から出陣したビッグ3が武房公、竹崎季長(下益城郡小川町)、大矢野三兄弟(天草郡大矢野町)である。
彼らの奮戦で蒙古軍は退散。
この戦いの模様は「蒙古襲来絵詞」という絵巻物に描かれており、原本は皇室にあるが、菊池神社歴史館に複製が展示してある。

元弘元年(1331)後醍醐天皇は、時の北条政権の討滅を謀ったが、北条方に察知され隠岐へ島流しとなる。
そして京都では別系の天皇が即位。
しかし後醍醐天皇は島から各地の武士へ決起をうながし、京畿では楠木正成が挙兵するなど、世は騒然としていた。

12代・武時公は、後醍醐天皇の勅詔と錦旗を奉じて、少弐、大友といった九州の有力武士と九州探題(福岡市姪浜)の北条英時を攻略しようとするが、両氏は離脱。

単独で一族郎党と探題に突入し、勇戦するが…。
敗戦必至と覚悟した武時公は、長男武重を呼びよせ、「故郷へ帰り一族を立て直して、北条を討つように」と遺訓を残して自害した。
「抽が浦の別れ」として語り伝えられ、後の楠木正成の「桜井の駅の別れ」のモデルになったという。

京都をめざす足利尊氏と新田義貞を大将とする朝廷方が箱根でぶつかったのが建武2年(1335)。
このとき尊氏討伐軍の先鋒をつとめた13代・武重公は、千の兵を率いて箱根山に進撃。

三千余騎の足利直義(尊氏の弟)と戦った。武重公は手頃の竹を切らせ、その先に短刀をつけた武器を作って待機。
直義軍めがけていっせいに槍を突きまくり、大きな成果をあげた。
この合戦の菊池軍によって初めて採用された戦法で、「菊池千本槍」として今日まで伝承されている。

また武重公は、菊池家憲と呼ばれる一族の結束を祈願した「寄合衆内談の事」を作成した。
一族の惣領の独裁ではなく、各有力氏族による合議で物事を決定しようというもの。
武重公の血判が押されてあり(血判文書としては最古のもの)、現在も菊池神社に保存されている。

後醍醐天皇は吉野(奈良県)へ移られ、尊子は京都で別の天皇をたて、いわゆる南北朝時代を迎える。
その直前に天皇は皇子懐良親王を征西将軍に任命し、九州に派遣。親王は九州の南朝方の主力・菊池氏を頼り、苦節13年の後に菊池に入る。

懐良親王を迎えたのが15代・武光公。
親王の指揮下、武光公が大将となって、北朝方の拠点大宰府へたびたび迫り、正平14年(1359)筑後川の戦いで勝利した。

親王は征西府を大宰府に移されるまでの約11年間、菊池で暮らされた。
親王の居城だった「雲上宮」、観月を楽しんだ「月見殿跡」は、菊池神社のすぐ近くで、今も往時の名残をとどめている。
また親王のお手植えのムクノキ「将軍木」の前の能舞台で、松囃子能をご覧になった。
菊池神社例祭のときには、現在もここで上演される。

菊池一族は始終南朝方だったが、肥後の守護大名的存在として幕府から遇された。
19代・持朝公のときには、筑後守護も与えられる繁栄振りが続く。

しかし22代・能運公には子がなく菊池嫡流が途絶え、天文12年(1542)、大友義鑑が菊池義武を追って、中世500年の歴史を刻んだ菊池一族の幕は下りたのである。

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菊池渓谷へのアクセス、行き方歩き方

住所:熊本県菊池市原
電話:0968-25-7223(菊池市商工観光課)

熊本駅より熊本電鉄バス「菊池温泉」行き乗車。
終点「菊池温泉・市民広場前」下車。

菊池温泉より予約制「きくち観光あいのりタクシー(土,日,祝,振休,GW運行)」で菊池渓谷へ。

植木インターより県道53号線~国道387号線約50分