名城の旅

九州

豊後路の小京都へ杵築城を訪ねる

杵築城は、室町時代初期に木付氏によって八坂川の河口にある台山(だいやま)の上に築かれた。 台山は、北は高山川、東は守江湾に囲まれた天然の要害である。 駐車場脇の入り口から台上の城を目指す。 昭和45年に3層の天守閣と築地塀が復元され、国東塔...
九州

「暘谷城」と呼ばれた日出城

1602年(慶長7年)に日出藩の初代藩主木下延俊が義兄であった細川忠興の支援を受けて築城した。 別名「暘谷城」と呼ばれ、3代木下俊長が 中国の古書、『淮南子』から引用して名づけたと伝えられる。 近代要塞みたいな雰囲気の内堀を進む。 日出城の...
九州

黒田官兵衛が築いた中津城

中津城は黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。 江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた。 三斎池(さんさいいけ) から模擬天守を望む。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦などの功によって黒田長政は筑前52万石となり、如水(官兵衛...
北陸

前田利長の隠居城 富山城

利長は男子がなかったので、異母弟の利常(利家の四男、初名は利光)を養嗣子として迎え、越中国新川郡富山城に隠居した(隠居領は新川郡22万石)。 幼い利常を後見しつつ富山城を改修、城下町の整備に努めた。 慶長14年(1609年)、富山城が焼失し...
北陸

運命の一日 魚津城の戦い

魚津城の戦いの運命の一日って意外と知られていないと思う。 それは、天正10年(1582年)6月3日落城を悟った上杉方の守将13人が自刃して果て、魚津城は落城し織田軍の勝利となった。 ところが、その前日の6月2日には京都の本能寺で織田信長が重...
北陸

松倉城の支城 天神山城

富山県魚津市天神山(別名・松尾山、標高163m)にあった日本の城(山城)。 別名・萩城。 天神山の山頂部からは弥生式土器が出土しているため、2世紀末の倭国大乱に関係する弥生時代の山城跡と考えられている。 魚津へ向かう途中、有磯海サービスエリ...
北陸

加賀藩三代目藩主前田利常の隠居城 小松城

本丸には天守台が築かれ、天守の代用として御三階櫓が築かれた。広大な水堀に浮かぶ姿から浮き城の別名を持つ、難攻不落の実戦を想定した要塞であった。 現在、城域はそれぞれ隣接する小松市役所、芦城公園、石川県立小松高等学校として開発され、遺構の保存...
北陸

天下取りへの転換点 金ヶ崎城

南北朝、戦国期を通じ常に天下取りへの転換点となった金ヶ崎城址への訪問記。 金ヶ崎城跡のふもとには、足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王を祀った金崎宮(かねがさきぐう)がある。 城の縄...
兵庫県

童謡の里龍野

春の盛り、日本のうた“赤とんぼ”の作詞者である詩人三木露風の生誕地龍野を訪れた。 前回訪問時の記事「播磨の小京都 龍野城」、龍野城の訪問記です。 姫新線の列車から降り立つと、ホームの柵越しに「赤とんぼ」の像が出迎えてくれます。 市域のほぼ中...
北陸

福井さくら巡り~越前大野城

1575年(天正3年)、織田信長より越前一向一揆を平定した恩賞として越前国大野郡の内の3万石を与えられた金森長近がその翌年、最初に居城とした戌山城の近くの亀山(大野盆地の小孤峰)に城郭を築いたのが越前大野城の始まりである。 福井から昨日下っ...
北陸

柴田勝家の居城 北ノ庄城

城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。 以前の訪問記がこちらにあります、併せてお読みいただけ...
北陸

桜満開の福井城

今、福井は桜満開、福井城の散策です。 早朝の福井城、登る陽を受けて桜が紅く輝く。 御廊下橋、福井城内に明治初期までかかっていた木橋を現地にほぼ忠実に復元したもの。 総ヒノキの橋は屋根のおかげで色あせることもなく、美しい姿を保っています。 本...