名城の旅

夜景

真夏は夜間撮影が快適

酷暑を避け、夕刻に出陣。 大阪城の大手門、時折ランニングの人に出会うくらいで全く人出なし。 千貫櫓のライトアップも美しい。 多聞櫓とトワイライトブルーのコンビ。 振り返れば下弦の月。 お気に入りのスポット、暗がりで人気もなく、少々気味悪いく...
日本100名城

青葉の季節を迎えた犬山城

犬山城は江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつ。 また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。 黒門跡、現在礎石が一つ残る。 登城道の最後の坂を登りつめたところに岩坂門があった。 本丸門...
兵庫県

姫路城ビューポイント探訪

2015年3月27日再公開以来人出の多さを気にしながら訪問の機会をうかがっていたが突然前夜思い立ち訪問。 歩数31000歩、丸一日がかりの探訪でした。 まずピオレ姫路〔piole HIMEJI〕屋上から偵察。 ここはJR姫路駅からも近く、姫...
北陸

幽斎の正室麝香の里 熊川城跡

熊川城は若狭と近江を結ぶ若狭街道の熊川宿を猊下する山の中腹(標高180m付近)付近に築かれ、尾根が西と北に分かれる小ピークに主曲輪をおき、熊川宿へ延びる東尾根に階段状の曲輪を連郭式に配した山城。 熊川宿のほぼ中央の白石神社の本殿横から九十九...
北陸

小浜散策

今回の小浜訪問の目的は「ふぐ」、泊ったのは若狭ふぐの宿 下亟、食べきれないほどの量でフグ鍋は翌日の朝食に持越し。 小浜城址、小浜城を作る際に若狭の百姓にだけ多い年貢を取り立てた。 これに抗議し忠勝に処刑された庄屋である松木庄左衛門を祭る神社...
北陸

大谷吉継の敦賀城跡

大谷吉継は裏切りが常の戦国の世に、盟友・石田三成との堅い友情に殉じた武将、また晩年はハンセン病を患い、白い布で頭を覆って戦った武将として知られている。 現在、城跡には城塁を含め、その面影を偲ばせるものはない。 敦賀城伝承地は、北は結城町の赤...
九州

熊本城震災5か月目の復興状況をレポート

別名「銀杏城(ぎんなんじょう)」とも言われる熊本城、復興状況を見たいと思いながら5ヶ月目にやっと実現。 行幸橋のたもとの清正公、さぞやびっくりしたことだろう。 まず市役所14階から城の全貌を見る。 天守閣、本丸御殿、数寄屋丸が確認できる。 ...
名城の旅

乱世を生きた戦国武将最後の地を巡る 若江の戦い

八尾・若江の戦いは、豊臣家の江戸幕府に対する最後の抵抗を鎮圧するために行われた大坂の陣(大坂の役)のうち、1615年(慶長20年)に発生した大坂夏の陣における戦いの一つ。 東大阪市岩田町3丁目 飯島三郎右衛門の墓 飯島三郎右衛門は、市内高井...
北陸

若狭武田氏の拠点 後瀬山城

後瀬山城はJR小浜駅の南西に聳える標高168m程の山に築かれている。 現在主郭には愛宕神社が祀られており、北東麓から整備された参道が続いている。 参道を登り始めると、最初はかなり急な石段が続いていく。 大永2年(1522年)若狭国守護・武田...
北陸

京極高次の居城 小浜城

関ヶ原の戦いの戦功により、小浜に近江大津6万石を領し大津城主であった京極高次が若狭一国を与えられ若狭小浜8万5,000石で入る。 先ず、天守閣跡に上る。 天守台跡を望む。 ご覧の通りすぐ近くまで民家が迫り石垣の撮影が極めて困難だ。 状況は分...
九州

金石城

金石城(かねいしじょう)は、市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)とあわせて厳原城(いずはらじょう)ともいう。 享禄元年(1528年)に、宗将盛がこの地に築いた金石屋形(かねいしのやかた)を始めとする。 城内の一角には1988年(昭...
名城の旅

梟雄松永久秀の居城 多聞山城

松永久秀によって、眉間寺山と呼ばれていた標高115メートル、比高30メートルの山に築城された。 城には多聞天が祀られていたため多聞山城と呼ばれ、現在でも城跡の山は多聞山と呼ばれている。 多聞山城の主要部は若草中学校にあり、西部は仁正皇后陵、...