アジサイには早すぎた 久安寺


OB会の撮影会で久安寺を訪れたがアジサイには少し早すぎでした。
画像は御影堂、宗祖弘法大師空海を祀る。

撮り足りなさを覚え二日続けて参拝。

本堂

久安寺本尊千手観音のおわします観音堂。

摂津国三十三所霊場第 19番札所。

開運の鐘。

まず、鐘を4回ついてから、お経を唱えます。

それからお願い事をする。

先駆けにカシワバアジサイが境内のあちこちに咲いています。

薬師堂の脇の池でカエルを見つけた。

水面は光を受けてきれいです、多くのカエルを見かけたのだが人の姿を見て驚いて水に潜ってしまいます。

静かな環境でないと観察できない。


バン字池にはたくさんの鯉がいます、人が近づくとえさを求めて寄ってきます。



葉っぱが年中赤いモミジの品種で最も有名なものは「ノムラモミジ」。

ノムラは漢字で「濃紫(のうむら)」と表記するので、ノムラモミジは濃い赤紫色のモミジという意味になります。

ヤマボウシが咲いていました。

ヤマボウシは上向きに咲くので咲いていても気付かない事が多い。

「山法師」の名前は、中央の丸い花穂を坊主頭に、4枚の白い花びらを白い頭巾に見立て、比叡山延暦寺の「山法師」になぞらえた。

弥勒山森林浴巡拝コース

四国八十八か所のお砂踏み巡拝霊場です。

境内山内一周1080メートル(約1時間)の山歩きが楽しめます。

御影堂右側わたりろうか下をくぐってお進む。


三十三所堂

西国観音霊場を祀る。
33メートルの須弥壇に、自宅仏壇をもたない人の先祖霊、遺骨をお預かりお参りできる慰霊壇を設けています。

朱雀池に咲く「ハス」

逆さまに映るリフレクションがきれいです。

日傘の女性のリフレクションを撮ろうと待ち構えるのだが、なかなかまともな画像が撮れません。

涅槃仏の壁面にさす光

裏側に光源があります。


一面に咲くアジサイが美しいのですが、時期が早すぎます、頃合いを見てもう一度訪れようと思っています。

紅葉がまた素晴らしい。

超穴場!久安寺の紅葉
楼門 14世紀、室町時代の建立。 奈良時代の開基、優雅第一と賞される楼門は「軒反 … 続きを読む →

空堀散策


路地歩きが好きなのだ、路地を見つけては散策するのを楽しみにしている。

路地から何やら趣のある建物が見えている。

この辺りは再開発されたのかな、おいしそうな食べ物屋さんが並ぶ。
突き当りを右に回ってみる。

そこは坂になっていて自転車が勢いよく落ちてくる。

車の行き来も多い。

空堀商店街

松屋町筋~谷町筋~上町筋まで東西約800mつづく商店街。
周辺の長屋や路地の散策も楽しい。

空堀の超有名カレー店「旧ヤム邸」
ここのカレーは何と、小麦粉を一切使用していない薬膳カレーです。

しかも、メニューは毎日変わるので、何回行っても違う味が楽しめます。

周辺には昭和時代初期の長屋などの建物や路地が残り、緩い坂道を行きつ戻りつの街散策も楽しい。

かつて、大坂城の三の丸の外堀である南惣構堀があった場所に現在の「空堀」が位置しています。

この南惣構堀は強力な堀で、大坂冬の陣で徳川軍が突破できなかったことで知られています。

空堀は、石畳の路地があって長屋が建ち並んでいる、昔ながらの街並みです。

道路幅員は約2.5~2.7m。
祇園や神楽坂はお茶屋や料亭が並ぶまちですが、空堀は人々が暮らす長屋が並ぶまちです。

大阪は平坦なまちですが、唯一上町台地が横たわっています。

空堀は、その上町台地の端に位置します。

だから、大阪市内では珍しくアップダウンがあるまちです。
石畳の階段や坂も空堀の特徴です。

空堀界隈
大阪市内でレトロな街並みが残るエリアと言えば「中崎町」が有名。 しかし、実はもう … 続きを読む →

以前にも行っているのだまた新しい視点で眺められる。

住まいの大阪六景 空堀通
大阪住まいの今昔館8F、ここにはもうひとつ「住まい劇場 ある家族の住み替え物語」 … 続きを読む →

大阪住まいの今昔館8Fなはミニチュアの空堀が展示されていて興味深く見学できる。


一歩商店街から外に足を向けると、レトロな町屋がずらっと並んでいて、大正時代にタイムスリップしたような感覚に陥ります。。

商店街の外側には、地元のデザイナーや建築家がプロデュースした、町屋を生かしたおしゃれなお店がたくさん

路地から商店街を見たところ。ちょうど空堀通りが一番高くなっています。


内側から通りを見ると…なかなか趣があります。
後で調べると「路地」と呼ぶのは、正式にはこのトンネル型の通路で、幅は6尺(約1.8m)、出口は二か所と決められていたそうです。


ただしこの「路地」も1909年の建築取締規制の改正以降は禁じられたようで、つまりこの潜り抜けタイプの路地があるということは、明治以前から建物(長屋)があったというしるしなのです。

東西に100mほど続く石垣なのですがこの石垣は豊臣時代の空堀の名残だと聞いたことがあります。

こうして古い商店や民家などが残った空堀商店街が、結果としてレトロスポットとして人気を集めることになったのは面白いですね♪


海老江の下町情緒を残す石畳路地と光と影
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住友銅吹所跡


東横堀川

土佐堀川の上流部で南へ分かれて、中央区の船場・島之内の東縁を流れる。
全長約3km。西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となる。

1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命により大坂城の西惣構堀として開削された、大阪市で最古の堀川である。

なお、1594年(文禄3年)の開削とする説もある。

1615年(慶長20年)に大坂冬の陣で徳川方と豊臣方が和睦する際、大坂城の惣掘の一部であるので和睦の条件の通りに埋め立てられた。

しかし、大坂夏の陣で大坂城が落城するとすぐに掘り返され、ほぼ同時に堀止から西へ道頓堀川が開削され、1622年(元和8年)には末吉橋の下流側から西へ長堀川が開削された。

九之助橋は江戸時代初期には既に架けられていた。

橋の西側は九之助町で、このあたりには銅吹所を始め、鋳物屋、鍛冶屋などが多く、工業の町という印象が強かった。
町名や橋名の九之助は関係者の人名につながるようだが、その由来は不明である。

町橋であったため、橋筋の町を中心に町々からの醵出金によって維持されてきた。

興業の街らしく、欄間には町工場の様子が仕込まれている。

九之助橋は大正15年、第1次都市計画事業で、鋼アーチ橋になった。

東横堀川にはアーチ橋が多いが、鋼製とコンクリート製がほぼ交互に並んでいる。
これは偶然ではなく、設計担当の意志が働いていたと考えられる。

住友銅吹所跡

泉屋は元和?年(1623)に大坂・内淡路町に銅吹所を開設。

元禄3年(1690)に本店・居宅を同地に移転し、明治まで続いた。

当時の幕府高官やオランダ人もよく視察に訪れたといいます。

マイントピア別子 端出場(はでば)ゾーン
愛媛県新居浜市の別子銅山は、住友財閥の基礎を作ったことで知られ日本三大銅山(あと … 続きを読む →

東洋のマチュピチュ 別子銅山 東平ゾーン
標高750mの山中にある東平(とうなる)は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱 … 続きを読む →


銅吹所の炉

レプリカのミニチュア銅橋

明治初年、経営が極度に悪化していた住友を救った広瀬は明治12年(1879)、大阪鰻谷の住友本邸に別子産銅で製作した銅橋をかけ「事業は石橋を叩いて渡るがごとく、確実を旨とすべし」と家長以下自らも戒めていた。

元住友家本邸内ビリヤード場(玉突場)

明治9年(1876)に銅吹所廃止後に敷地は住友家の邸宅となりました。
明治12年(1879)には洋館や庭園がつくられ、ビリヤード場はその東側に建てられました。

文明開化期に多くみられる「擬洋風様式」で、ビリヤード場玄関のアーチや円柱飾りは洋風ですが、壁は土蔵造り、屋根は瓦葺きで、洋風と和風とが混在しています。

明治25年(1892)以前の建築と考えられており、独立建物のビリヤード場としては、わが国最古のものです

この地の銅吹所は明治9年(1876)に閉鎖されるが、銅吹所のあった東半分(冒頭写真の左側が銅吹所、右半分は西側の邸宅、手前の北側は長堀川)は日本庭園として整備しなおされ、後に天王寺茶臼山に移されるまでは住友家の本宅として機能していた。

茶臼山に本宅が移されてからは、昭和20年(1945)まで別邸として存在した。

その後、住友銀行社員寮跡地であったこの地に、銀行事務センターの建設計画が持ち上がり、平成2年(1990)から平成5年(1993)にかけて発掘調査が行われた。

そこからは、100基を超える精錬炉、棹銅、住宅で使われていた高級陶磁器など、数多くが出土した。

このことにより、かつてここで大規模な銅の精錬が行われていたことが明白になったのである。

いずれにしても、この地は寛永13年(1636)に泉屋(住友)理兵衛(第2代友以)が銅吹所を開設して以来、泉屋にとって家業の基礎を築き、繁栄させた大切な場所である。

三井住友銀行事務センター

かつての銅吹所は、約10階建ての事務センターになっている。
右端が史跡公園。

ジオラマで摂河泉の中世都市を見る
大坂の商業の中心船場は、人々の暮らしの場でもありました。 このジオラマは、安政年 … 続きを読む →


今日のお昼は「いなり家こんこん」

小ぶりの創作いなり寿司が四種四個

「ちりめん」・「ひじき」・「タコ」・「えび」でしょうか?

メニュー表にのっていなかった「おでん」
「小鉢」

最後にコーヒー、これで800円、やすいね。

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汐掛道


住吉大社の表参道は大阪湾を渡ってきた海神たちが通った道で汐掛道と呼ばれる海から続く一直線の道でした。

今日は何の日?

松尾芭蕉が奥の細道に旅立った5月16日(陰暦元禄2年3月27日)にちなみ、日本旅のペンクラブが1988年に制定。
旅の心や旅人とは何かを思索する日です。

この道には芭蕉の句碑があります。
早朝 住吉大社
夜明けの住吉公園。 この橋は、大正初期の大改修(大正7年~8年)に造られ、唯一当 … 続きを読む →

「升買て 分別かはる 月見かな」と刻まれた、俳人・松尾芭蕉の句碑。

芭蕉は元禄7年(1694)9月、大坂で派閥争いをしていた2人の門人を仲裁するために故郷伊賀上野から奈良をすぎ暗峠を越えて来坂した。

13日に、住吉大社の宝の市神事へ参拝し、参道で売られた升を買った。

折から体調が悪かった芭蕉はその夜、招かれていた月見の句会には出席せず宿へ帰った。

その翌日の句席で「升買て……」と詠み、「自分もついつい一合升を買ってしまった。

すると気分が変わって月見より宿に帰って早く寝た方が良いような気がした」と、洒落っ気を利かして、前日の非礼を詫びたという。

その後、芭蕉は発熱下痢を伴い、大坂の花屋仁右衛門方離れ座敷に病臥、10月12日夕方、51歳の生涯を閉じた。

この宝の市を詠んだ句は、住吉公園東入り口に、明治元年(1864)芭蕉170回忌に大阪の俳句結社・浪花月花社が建てたもの。

汐掛道の沿道はきれいな花で飾られています。

今ちょうどルピナスの花が見頃。

松尾芭蕉が奥の細道に旅立った日に思いをはせながら歩きました。

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母の日は雨でした


雨は止むだろうと踏んで出かけたが予測は外れた。

「TWICE 5TH WORLD TOUR ‘READY TO BE’」

初のスタジアム公演をヤンマースタジアム長居にて開催することが決定!

多くの若い人たちが詰めかけて長蛇の列をなしていました。

空はどんよりと鉛色。

バラ園は今を盛りとバラが咲き誇る。


綺麗な花びらに雨粒がきれい。

マチルダ
何度かツアーに参加したことのある写真家、彼は無性にマチルダが好き。

マチルダは咲き始めがきれいで、だんだんと白くなっていきます。

レヨンドゥソレイユ

四季咲き性

クレマチスもきれいです。

何とか雨をしのいでいたが、だんだんと強い降りになってきたので残念ながら撮影中断。
何ともしまらない撮影になってしまった、スプ濡れになり撤退です。

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海老江の下町情緒を残す石畳路地と光と影


また阪神本線の高架下には、機械工具や金属材料、配管、建築金物などの企業四十数社が並ぶ「野田阪神機械工具街」があります。

空襲を免れた古い住宅街で、レトロムードたっぷりの商店街が賑わいをみせています。

周辺の商店街も賑わいをみせています。

そして光と影が絶妙なコントラストを見せる。

松下幸之助が「松下電気器具製作所」を創業したのは、大阪府大阪市大開と呼ばれる一角にある。

当初の従業員が5名ほどだったのが従業員50名を超える規模の会社にまで成長したのだそうだ。
なお、松下幸之助はこの地に思い入れが強く、死ぬまで本籍地をこの地から移さなかったとのこと。感慨深い話だ。

今回はこの海老江にある石畳保存地区を訪ねてみる。

工場とオフィスビル、商店や住宅の雑然と混在する中に古い町並と呼べる風景があちこちに残っているのもこの地区の特徴だ。

ただ気になるのは石畳が壊れ荒れ地と化している区画があること。

石畳のT字路もある。

ここは第二次大戦時に戦災を逃れた地域と一致している。

特に海老江7丁目では石畳の敷かれた路地が巡り、近くに幹線国道が走るところとは到底思えない風景が展開している。

生活路として防火バケツや自転車その他が置かれている路地風景は絵になる。

この石畳路地は独自の自治組織により、車の通行禁止など保存活動が行われているようだ。

路地から射す光が・・・
手前のカートは今回試しに使ってみた、慣れないので使いこご値はイマイチだったが肩にかかる重量は軽減される。

手作りっぽい木の蓋が新調されていましたが、この下はどうなってるんだろう。
上下水管はこの石畳の下を通ってるのかな。

路地に落ちる影が面白い。

少し下がってみる。

石畳が整然と残っている有様は素晴らしい。

そして路地に落ちる影・・・

この先はもう幹線道路だ。

電柱が影を落とす風景など絵になる。

レトロなアパートもある。

銅板長屋も大阪の特徴。

海老江八丁目から七丁目を経て大開へ至る通りがメインストリート。

そこに大阪名物の銅板長屋が見事に並んでいる。

見事な板塀の建物を見つけた。

板塀に光りと影、絵になる風景だ

街歩きでは光と影を求めて歩くことが多い。

ここも光と影が面白い造形を見せる、そして整然と並んだプラスチック容器、絵になります。

しかし、素晴らしい石畳の一家にぽかりと空いた空間は気になる。

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昨日の夕日


散歩に出ようと玄関から出るときれいな夕日、早速カメラを持ち出す。

雨の隙間に見られた夕日です。

現在は24節季の穀雨、穀物の成長を助ける雨のこと。

『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されている。

そして昨日は八十八夜。
八十八夜とは立春から数えて八十八日目の夜のこと。

八十八を組み合わせると『米』という字になり、昔から農業に従事する人々にとって重要な日とされてきました。

八十八夜に因んだ言葉に『八十八夜の別れ霜』というものがあり、霜の降りる時期も終わりを迎える目安とされています。

もう暦の上では夏ですね。

2023年5月6日は二十四節気の一つ『立夏(りっか)』です。

立夏は春分と夏至の中間にあたり、暦の上で夏が始まる日です。

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都会の秘境!? 淀川の終点『矢倉緑地公園』


秘境とは少々オーバーな。

しかしだけでも簡単に行けるところではないのでやはり秘境だ

以前から行こうと思いながらちょっと距離があるので渋っていた。

阪神なんば線「福駅」からスタート。

もともとは、神崎川と新淀川を結ぶ大野川、および中島大水道であった。
このため、交差する道路とはほぼ完全に立体交差が施されている。

大野川緑陰道路は、神崎川から分岐して新淀川に流れる延長約₆キロ、幅約30メートルの川でした。

明治末期から大正時代にかけて大野川沿岸に工場が立ち並び、河川汚濁がひどくなって、次第に河川機能を失うようになりました。

そのため、昭和30年(1955)ごろから埋め立てられ、昭和46年(1971)からは遊歩道と自転車専用道路が整備された緑陰道路の工事が行われ、昭和54年(1979)に全道が完成しました。

歩行者専用道路と自転車専用道路に分離され、ほとんどの場所で自転車道2レーン、歩行者道2レーンの計4レーンの構造になっている。

新緑に包まれた気持ちの良いウォークです。

大阪市は埋め立てに先立つ1968年3月、川を埋め立てた跡地に高速道路を建設する計画を発表した。

しかし西淀川区では当時すでに、公害問題・大気汚染問題が深刻な社会問題になっていた。

そのため「公害がさらに悪化することにつながる」として、高速道路建設計画に反対する住民運動が起こった。

運動の中で住民らは、大野川を埋め立てた跡地を緑地帯にするよう求めていた。

住民の声を受けて大阪市は高速道路建設計画を白紙撤回し、大野川緑陰道路が建設されることになった。

住吉神社

神社創建明暦2年(1656)。
当神社のある「福村」は正保元年(1644)、後光明天皇の時に開発された。

村人は主として漁業を業としていたため、航海の安全と豊漁を願って、12年後の明暦2年(1656)に、神崎川沿いのこの地に宮地を築き、殿舎を建て、住吉大神を勤請し、奉ったのが、当社の始まりである。

以来、海の守護神として、また、当村の氏神として信仰をあつめているそうだ。

西島水門

この水門は、神崎川と淀川を繋ぐために、設けられている。

神崎川との分岐点にある出来島水門とを通過して、西島川1.49kmを航行できる。

そのための船溜まりが、この西島水門のわきにあって、何隻かの小型船が繋留されている。
 
何隻かの船の航行を確保するための水門設置は、堤防を巡らせてしまうことに比べると、後々のメインテナンスを考えると、無駄なように思えるのだが、必要なのだろうか。

福漁港(福の舟溜まり)が見えます。

大阪市内に残る漁港の1つです。
これは堤防の内側にあります。

淀川とは、水門を通じて行き来します。

矢倉緑地の周りはウインドサーフィンの人でいっぱいだった。



釣り人とサーファー、どちらも万人向けの遊びではない。

それにしても寒そうだなぁ。

新淀川を渡っている橋は阪神高速湾岸線。
左手は舞洲。


曇りがちの天候で風も少々きつく肌寒く感じる。

猫も寒そう。

矢倉緑地

淀川沿いの道を河口の方向に足をのばすと、先端に矢倉緑地があります。
このあたりは京都・下立売の鍵屋・矢倉九右衛門が西島新田(出来島の西のあたり)の中野清芳とともに安永₅年(1776)に開発した矢倉新田です。

矢倉新田は度重なる高潮の被害を受け、淀川の大改修工事ではほとんどが河川敷になりました。

現在、淀川と神崎川にはさまれた西端が矢倉緑地となっています。

矢倉緑地は昭和₉年(1934)に第₁室戸台風で水没した田畑を埋め立てた土地で、平成12年(2000)に開園しました。

水に触れ合うことができる潮だまり。
隣の淀川とトンネルで繋がっていて、満潮だと小魚が入ってくることもあるそうです。

市内ではめずらしく自然石で海水面と接する公園で、潮溜まりがあり、小魚が泳ぐ様子が見えます。

渡り鳥の滞留地になっており、カルガモやユリカモメが見られます。
大阪湾に沈む夕陽が美しく見えます。

向かいの高架橋は阪神高速5号湾岸線です。

矢倉緑地の南側、大阪湾の沖合いには高速道路の大阪5号湾岸線が走っています。

写真右端側には中島料金所やPAがあります。

干潟にやってくる野鳥の観測所です。
穴から覗けるようになっています。

季節によって色々な種類の鶏がやってくるようです。
観測所の作りは南港の野鳥園と同じ。

阪神淡路大震災の時に、大幅な地盤沈下でコンクリート護岸が水につかってしまい、 陸だった部分に土砂が堆積して、自然に干潟ができてこうなったようです。

大阪市は海に面しているが過去に何回も高潮の被害を受けている。

その災害を防ぐため大阪市の海岸や川の堤防は大阪湾の平均海水面より5.7~7.2mの高さになるように堤防が築かれている。

ところがこの緑地は堤防の外側に位置する。

新淀川と神崎川の河口の間にあるのだが、海に面しているのに護岸がない。

護岸のない場所は大阪市ではここだけだそうだ。

丘の上に東屋がある。

家族が食事をしていました。

広い駐車場もあり、多くのの車が駐車していました。
それにしても万人向きではないな、やはり秘境か。

しかし、子供たちに川の終わりをちゃんと見せてやりたいな。

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春爛漫 長居植物園


春は、寒い冬から気温が上がり始め、朝晩はまだ肌寒さがあるけれど、日中が次第に暖かくなる時期。

秋と並んで一年の中では最も気候の良い穏やかな季節とも言われる。

そして「二十四節気」の6番目の節気 「穀雨」。

「春の柔らかな雨に農作物が潤う」という意味で、2023年は4月20日(木)~5月5日(金)です。

画像はアヤメ(菖蒲、文目、綾目、学名:Iris sanguinea)、アヤメ科アヤメ属の多年草である。
病気を治す薬としても使われる。

日本にオオムギが伝来したのは縄文時代のことである。

『類聚三代格』には、弘仁11年(820年)の太政官符として「麦は(米の)絶えたるを継ぎ、乏しきを救うこと穀の尤も良きものなり」との記述がある。

サクランボ

たっぷりと水分と栄養がため込まれ、元気に育つよう、天からの贈り物でもある恵みの雨が、しっとりと降り注いでいる。

サルビア・グレッキー

文字通り赤い花をつけるサルビアの意。

シャクヤク

牡丹は、中国では「花の王」とされる高貴な花。

日本でも美しい女性を例える表現として「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という慣用句があります。

バラ プレイボーイ

バラ 焔の波

焔のごとく紅いバラ。

バラ つるエデン・ローズ

バラ つるマリア・カラス

トゲナシハリエンジュ

シャクナゲ 紫焔

シャクナゲ 紅焔

シャクナゲ 貴婦人

松は春になると、ひゅんと伸びた新芽の先に雌花、新芽の下部に雄花をつけます。

そして雌花の大きくなったのものが、マツの球果(松かさ、松ぼっくり)になります。

小池に架かる橋、その向こうはアジサイ園、もうすぐ多くの人を惹きつけます。

最も気に入っている景色の一つです。

豊後梅

アンズとの雑種に由来するとみられ、葉・花・果実が大きい。

睡蓮は種類や品種によって開花時期が異なりますが、5~10月までの長い間花を楽しむことができますます。

フランスの画家モネの絵画から、一度は花を見かけたことがあると思います。

コウホネ(河骨、学名: Nuphar japonica)はスイレン科コウホネ属に属する水草の1種。

アサザ(浅沙、阿佐佐、Nymphoides peltata (S.G.Gmel.) Kuntze)はミツガシワ科アサザ属の多年草。

ユーラシア大陸の温帯地域に分布し、日本では本州や九州、稲美町などに生育する。

ハナミズキは離れた位置から見てもきれいです。

ハナミズキ(花水木、学名: Cornus florida)は、ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。

植物学における標準和名アメリカヤマボウシの別名。

北米原産で、日本へは1912年にワシントンD.C.に贈ったサクラの返礼として贈られた木として知られている。

庭木や街路樹によく使われる。

カツラは葉の香りに由来し、落葉した葉は甘い香りを発することから、香りが出ることを意味する「香出(かづ)る」が名前の由来といわれている。

別名ではトワダカツラともよばれる。

お気に入りの木の一つ。

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ネモフィラが見頃 長居植物園


先日の雨すごかったですね、でもほぼ昼までの予想だったので雨が止むのを待って出かけました。

一面のねもふぃら、よく見ると花びらが雨の雫できらきら輝いています。

長居公園では今盛りの藤とのコラボが楽しめます。

アップで撮ると紫の花びらがきれいです。

ネモフィラはムラサキ科ネモフィラ属(Nemophila)に分類される植物の総称。

または、和名をルリカラクサ(瑠璃唐草、学名:Nemophila menziesii)と呼ぶ。

ネモフィラ属は、カナダ西部からアメリカ合衆国西部、メキシコにかけてとアメリカ合衆国東南部に11種が分布している。

大阪まいしまシーサイドパーク|大阪府、山中湖花の都公園|山梨県、国営ひたち海浜公園|茨城県など今やあちらでもこちらでもネモフィラブームの感があります。

青いネモフィラの花言葉は「あなたを許す」「清々しい心」。
青色からすがすがしさを感じることが由来とされています。
なお「あなたを許す」は、ギリシャ神話の悲恋からとされています。

白いネモフィラの花言葉は「成功」。
白はまっさらでポジティブなイメージがあります。
白がもつ前向きなイメージにちなんでつけられたのかも知れません。

黒・ネモフィラの花言葉は「愛国心」「荘厳」。
いずれも由来について詳しい記載はありませんが、何物にも染まらない黒からは荘厳さや自国を思う気持ちを感じたのかも知れません。

紫のネモフィラについても記載がないので、黒と同じ花言葉として認知されています。

藤とのコラボもいいね。

同じ紫系の花同士、並べて取ると似合います。

最後に藤のアップ、フジは先端部分がまだ咲ききらない頃が見頃、先端まで咲ききってしまうと目元の豪華に見える部分が散ってしまいます。

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