民博 中央・北アジア

カレンダー
2024年4月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930  

中央・北アジアは、ユーラシア大陸の北東部を占める広大な地域です。

古くから東西南北をむすぶ交渉路としての役割を担い、多様な民族が行き交ってきました。

20世紀に社会主義を経験した後、市場経済に移行し、グローバル化の波にさらされながら伝統を再評価する動きがみられます。

「自然との共生」「社会主義の時代」というふたつの共通テーマをふまえて、「中央アジア」「モンゴル」「シベリア・極北」の3つの地域に生きる人びと。

村のカザフ人は、低い円卓を囲んでお茶を飲み、家族団らんの時間を過ごす。

女性がサモワールで湯を沸かしてミルクティーを入れ、男性が弦楽器ドンブラをかき鳴らし、子供がその周りで遊ぶ情景は村の日常生活のひとコマである。

樹皮製カヌー

白樺の樹皮は揮発性、防水性が高いので、カヌーの他、家屋の屋根や壁、容器などにも使われる。

このカヌーは大型で、仕留めたヘラジカ一頭を積むことができる。

内モンゴル自治区 男性用上着

ホッキョクグマの毛皮

男性用衣装匈奴時代の模倣デザイン

女性用衣装匈奴時代の模倣デザイン

馬乳酒用壺 モンゴル

ペルシャの幻術師

十三世紀、モンゴル軍に占領されたペルシャ高原の街メナム。

そこにはモンゴル軍の司令官、大鷹汗ボルトルからの求愛に悩む美姫、ナンの姿があった。

ある日、ナンは市場で青い衣をまとった不思議な人物、アッサムに出会った。

アッサムは幻術によって、ナンにこれまでにない快楽を味あわせ、さらにボルトルをもその術中に陥れていく。

初めて司馬遼太郎の筆名で書かれた幻のデビュー作である表題作など初期の作品全八篇を集めた短篇集。

「戈壁(ゴビ)の匈奴」

第一次大戦直後、広大な西疆(せいきょう)の砂の中で、ひとりの退役イギリス軍大尉にして考古学者が、大きな玻璃(はり)の壺を見つけた。鉛がふくまれているのか、打つと清涼な金属の音を発した。

砂漠で小石を拾っても、そこに死者の声が聞こえはせぬかと耳にあてる彼は、その壺を見つめるうち、「あの、考古学徒のみが享受しうる詩と奇蹟と科学の融けた『天国』が、静かに霧のように降りてくる」のを体験した。

彼が「天国」の向こうに見たのは「西夏の街衢(まち)、そこを往(ゆ)き交う異風の男女」そして「暁闇(ぎょうあん)の風を衝(つ)いてゆく十万の騎馬軍団」の幻景だった。

馬乳酒用ひしゃく モンゴル

草原の記

史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。

少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。

激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満洲・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凜々しくモンゴルの草原に立つその女性をとおし、遊牧の民の歴史を語り尽くす、感動の叙事詩。

馬乳酒用革袋 モンゴル

モンゴル紀行

少年のころ、夢想の霧の中でくるまっているほど楽しいことはない。そのころの夢想の対象は、東洋史にあらわれてくる変な民族についてだった……憧れだった草原の国を訪ね、悠久の歴史と現在を誌す。

ハウリの内部

ウズベク人、タジク人の民家の内部を再現。

タシュケントの民家

タシュケントの民家の台所

カザフ草原の暮らし

カザフ人は20世紀前半まで遊牧生活を営んでいたが、ソ連体制下で定住化が進められた。

この天幕はマンギシュラク半島のアダイ族のもの。

骨組みは20世紀はじめカラカルパク人によってつくられたもので、移動のときには分解し、ウマの背や荷車などに乗せて運んだ。

天幕内部の調度品はカザフ人の伝統工芸をよく伝えている。

フェルト、じゅうたん、壁飾りなど、カザフ遊牧民のおもな家畜であるヒツジからとれる羊毛を材料とするものがほとんどである。

この天幕のあるじの妻が20年がかりでととのえたもので、その豪華さはこの一家のゆたかさを示している。

北京における民家のなかで最も一般的な建築と言われているのは四合院と言われる住宅です。

四合院とは中国特有の密閉型建築で、敷地中央に配置された空間(中庭)を囲むように、四棟の家屋を東西南北に対称的に配置された建物のことを言います


モンゴル族衣装 男性用正装 青年女性用正装

チワン族の住居  広西チワン族自治区靖西  

居間の奥には祭壇が設けられ、祖先や神祇の名が墨書された紅紙が貼られている。

前門と祭壇を中心軸に据える配置、漢字使用や対聯・門神を貼る行為には漢族の影響が見て取れる。

悠々と流れる黒竜江。その下流近く、川沿いに街津口というちいさな町がある。

今は漢族なども多く住むが、もともとは中国の少数民族・ホジェン(赫哲)族の故地である。

かつてのホジェン族は河漁を主たる生業として、それに伴う多様な文化を生み出した。

魚の皮をなめして作る魚皮衣(ぎょひい)もそのひとつで、魚皮のなめし技術がとても優れているので、これが魚皮かと思うほど柔らかい。

その衣服を着た人びとを漢族はいささかの差別をこめて「魚皮韃子(ユピターツ)」と呼んだ。魚皮を着た韃靼人(だったんじん)ということになる。

関連記事


≪バスツアー/テーマのある旅特集≫クラブツーリズムお勧めツアーこちら!

コメント