生根神社

住吉大社界隈
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住吉大社より古くから当地に鎮座していたという伝 承がある。

ご祭神は少彦名命で、現在の本殿(大 阪府指定重要文化財)は淀殿の寄進で造営されまた。

唐破風付き入母屋造りの拝殿。

総木曽檜材にて桃山時代の建築様式を取り入れた造りとなっている。

住吉大社元摂社である。
通称は「奥の天神」・「奥天神」。

「奥の天神」と称される所以は、住吉大社から見て大海神社の奥(北側)に鎮座すること、また文明十四年(1482年)に境内に天満宮を勧請したことで天神と呼ばれるようになったことによるとされている。

また御祭神の少彦名命を天津神として「沖の天津神」から出たという説もあるようです。

御神木・モチの木。

推定樹齢500年で、大阪市の保存樹に指定されています。

境内社の天満宮の菅公木製御神像は、文明14年 (1482)、天台法主・融円律師作で国宝級の価値を有 している。

菅公像は時代を経るにつれて怒顔から 笑顔に変わる傾向がありますが、木製御神像は無表情で過渡期にあることがわかります。

本殿東側 にある神明穴立石は少彦名命ゆかりの海浜の石を運 んで「何首鳥」(漢方薬、強精剤の名前)と刻んで崇め たもので、和歌浦より一夜で住吉浜までやってきた …という伝説もある。

穴の位置は東西を向いて 伊勢神宮を遥拝するように立てられている。

参照:
万葉集と古代史の謎 和歌浦逍遥
神亀元年(724年)2月に即位した23歳の聖武天皇は、同年10月に和歌の浦に行幸 … 続きを読む →

玉津島は古くは「玉出島」とも称されたが、大阪市西成区玉出には生根神社が鎮座しており、そこは元々、一帯は住吉大社の神領であったことから、何かしらの関係性を期待できるところもあるといった記述を散見する。

境内角に住吉区東粉浜と帝塚山東の町名表示が掛かり、その境界に「旧東成郡西成郡境界」の碑が建っている。

ここは住吉郡では?奈良時代から続く歴史ある「住吉郡」が消えさった時期があったのです。
明治29年(1896)に東成郡となりました。

「住吉」が「住吉区」として復活するのは、大正14年(1925)のことです。

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