草津宿


草津駅(画像左)から旧草津川(今は天井川)を超え右端の立木神社までの草津宿をあるきます。

天保14年(1843年)の『東海道宿村大概帳』によれば、草津宿の宿内家数は586軒、うち本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒で宿内人口は2,351人であった。

高札場。

追分道標、「右東海道いせみち 左中仙道美のぢ」と刻まれた道標が建つこの地は、東海道と中山道のまさに分岐・合流地点。

かつて草津宿の追分見付と呼ばれていたこの地に、街道を往来する諸国定飛脚の宰領中から寄進された火袋付きの常夜灯が今に残されています。

追分とは道の分かれるところを指す言葉。
草津宿にある東海道と中山道との分岐点を「追分」という。

草津川の渡し、旧草津川は全国的にも有名な天井川で、平生は水がなく砂川とも呼ばれ、大名行列などの大規模な通行以外、仮橋が架けられず、通常は「徒歩(かち)渡り」(川の中を歩いて渡ること)が一般的でした。

天井川となっているため側道を土手の上まで上がります。

天井川の河底、今は市民の憩いの場になっています。

東海道の江戸方からは、草津川を越えて、堤防沿いに進むと、東横町・西横町と続き、中山道との合流点に至る。

ここで左折し、一町目から六町目まで続き、宮川を渡って、最後が宮町である。

中山道からは、天井川である旧草津川をトンネルで抜けると追分に至るが、トンネルができたのは明治19年(1886年)のことである。

その様子が「木曽海道六拾九次之内 草津追分」(右)に描かれている。 

板橋を渡った旅人の向こうに、民家の屋根だけが僅かに見える。
 
この川は天井川であるが故に浸水被害を繰り返しており、ついに昭和46年(1971)、新草津川に付け替えが行われ、旧草津川は廃川。

像「野風童」

込田公園。

昔はここに黒門がったところ。

道灌蔵、江戸城築城の祖として、文武両道に優れた武将名高い太田道灌を祖先に持つ太田家は、東海道五十三次の宿場の中でも大宿であり、また水陸交通の要所でもあった草津において、海道の動静を見守る関守を務め草津行政の中心となっていました。

太田家が酒造りを始めたのは廃藩後のこと。当時所領としていた100余町歩の田畑から収められる良質の近江米を有効活用するため酒造りを始めたといわれています。

以後酒造りを生業として発展。
今日まで人々に愛される美酒を世の中に送り続けています。

この辺りに貫目改所があった。

草津宿には、正徳2年(1712年)に全国5か所に設けられた貫目改所があった。
貫目改所は当宿のほか、東海道の品川宿・府中宿、中山道の板橋宿・洗馬宿に置かれた。

楽器屋さん、店舗の出サインがユニークです。

質屋さんの側面、住所表示がひっくり返っています。

八百久店舗兼主屋は滋賀県草津市草津3丁目に屋敷を構えている古民家です。

八百久は寛保年間(1741~1743年)から日用品(鋤、鍬、天秤、火鉢など)を扱う商家だった家柄。

何か突き出ていますがさて・・・・・

立木神社前の小川、見ていると突然鯉が飛びあがりました。

立木神社境内にある道標(1680)、かなり古いものです。

立木神社、社伝によると称徳天皇の時代である神護景雲元年(767年)、武甕槌命が常陸国(現・茨城県)の鹿島神宮より白鹿に乗って大和国(現・奈良県)春日神社への勧請の旅の途中、当地に到着した。

武甕槌命は持っていた柿の鞭を地面に刺して「この木が生え付くならば吾永く大和国三笠の山(現・春日大社)に鎮まらん」と言うと、柿の木が生成した。

それを見た里人はこの木を崇めて社殿を建立し、武甕槌命を祀り、社名を立木神社と称したのが始まり。

春日大社とは兄弟の間柄となるが、春日大社の創建は神護慶雲2年(768年)となっており、当社が兄といえる)。

右側面に天明7年(1787)の年号が刻まれていることから、現存する道標の中では比較的古いものといえる。

田中九蔵本陣、2軒あった本陣のうちのひとつで、現存しない。

篤姫(天璋院)が、嘉永6年10月6日(1853年11月6日)に御泊している。

田中七左衛門本陣に残る大福帳の一節に、篤姫(天璋院)の記録が残る

家屋の前にはこのようなプレートが残るのみ。

草津は古くから東西移動の際の交通の要衝だった。

室町時代には伊勢参宮で京都と伊勢の中継地点として発展し、応永29年(1422年)には将軍足利義持が伊勢に向かう際に、草津に大規模な宿泊施設「草津御所」の築造を開始している。

永禄11年(1568年)頃には、織田信長が足利義昭に和泉堺、近江の大津・草津に代官を置くことを願い出ている。

渇ッ!!

家屋の前にはユニークな道標が残る。

草津宿本陣(田中七左衛門本陣)、国の史跡。
2軒あった本陣のうちのひとつで、現存する本陣としては最大級である。

弘化三(1846)年の旧姿に復原され、平成8年(1996年)から一般公開されている。

「大福帳」には、浅野内匠頭、吉良上野介、土方歳三など歴史上重要な人物の名前も多く残る。

疾駆!!

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