瀬戸田訪問を終えて


瀬戸田の港に古い写真が残っていました。

最初に瀬戸田を訪れたのは2002年8月でした、たまたまコンパクトカメラの記録が残っていました。

その後何度か訪れているのですが15年以上は来ていないのでは。

ゆっくりしすぎて最終のフェリーに滑り込みセーフ、危うい所でした。

それにしてもサイクリングの若者が多い、旅客定員75名(うち客席内45席)、自転車積載台数は約50台となっていますが40台以上乗っていました。

暮れかかった陽に照らされ航跡がきれいです。

今回の失敗はたまたま夏休みの最終土曜日を選んでしまったこと。

姫路以西は快速がないことは解っていたのですが列車の混雑が想像以上です、姫路から岡山まで立ち客がぎっしり、岡山でどっと降り、またどっと乗ってきます。

倉敷でほとんど降りるのですがその混み方は通勤列車並み。

一瞬、コロナの恐ろしさが襲ってきました、これでは感染するはずと・・・・恐怖を感じました。

青春18切符の期限が9月10日、9月の天気予報を見ると雨とか台風の話ばかり、つい焦って日にちを設定してしまったのが間違いのもと。

帰りのホームから向かいのホームを見ていると何やらざわついている。

そのうち派手な電車が入線、どうも記念列車のようだ。

帰って調べてみると。

列車名を「Bar Train ~Night ラ・マル~」と銘打ち、車内では「ホテルグランヴィア岡山」のバーテンダーが目の前でつくるカクテル、生演奏などを楽しめるそうだ。

運転日は2022年8月27日(土)のみ。
岡山駅を16時57分に発車したのち、尾道駅へ18時20分に到着。

約100分の自由散策を楽しんだのち、尾道駅を20時03分に発車。
岡山駅へ21時12分に到着。

と、いうもの、いよいよ経済も本格的に動き出したのだなと感じた。

それにしても帰宅は11時30分、とんだ一日でした。
旅の計画は慎重に!!

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尾道航路


尾道に到着、「坂の街」「文学の街」「映画の街」として知られる。

文学では林芙美子、志賀直哉などが居を構え、尾道を舞台とした作品を発表した。

青春18切符第3弾は瀬戸田。

切符の使用期限が9月10日、学校の夏休みが終わる9月を待って実行すべきであったが、この先の天気予報を見るとほとんど曇りか雨、慌てて、8月最終土曜日に血行する羽目に。

それが様々な災いをもたらすとも知らずに・・・・

先ず腹ごしらえ、尾道とくればラーメン、駅前の「居酒家 とりかわ権兵衛」へ。

「サイクリストの聖地」として有名なしまなみ海道の本州側の入り口になっている尾道。

サイクリストのために作られた施設もあり、サイクルフレンドリーな町として注目を集めています。

自転車の若者が続々と繰り出す。

今日のフェリーはサイクルシップラズリ。

サイクルシップラズリは、2018年10月28日開催の国際サイクリング大会「サイクリングしまなみ2018」においてデビュー。

のちに、尾道と瀬戸田を結ぶ定期航路に就航しました。

Lazuli(ラズリ)はペルシャ語で「青」という意味。

しまなみ海道の海や島と、サイクリングロード(ブルーライン)を船で繋ぐことをイメージして命名されました。

サイクルシップラズリが結ぶ航路は、

尾道駅前
尾道新浜
因島重井東
須ノ上(佐木島)
瀬戸田沢(生口島)
瀬戸田(生口島)

旅客定員75名(うち客席内45席)、自転車積載台数は約50台。

見えているのは岩子島と向島大橋。

岩子島の名称は、昔はイワシがよく回遊してきたので、鰯島というところからきているようです。

また、尾道水道の西端(岩子島の北西側)には、大鯨島、小鯨島という無人島があり、鯨が回遊してきたことから名づけられたそうです。

岩子島は、日本有数のわけぎ(ねぎの仲間)の産地です。

ねぎよりも栄養価が高く、ヌタや卵とじにして食べると美味です。

因島 重井東港が見えてきました。

重井には港が2つあります。

1つは重井西港 こちらは三原港への航路として
もう1つは重井東港 こちらは尾道への航路として

重井西港は、看板案内が充実しているので迷うことがないんですが、問題は東港。

サイクリストの尾道へのショートカットとして、けっこう使えるルートなのだが案内が皆無で、地元の人しか知らない港でした。

以前訪ねた村上水軍を訪ねる旅、しまなみ海道を行ったり来たりしました。

しまなみ海道行ったり来たり
村上水軍上を訪ねる旅、それはまさにしまなみ海道を訪ねる旅でもあります。 因島大橋 … 続きを読む →


高根大橋をくぐれば瀬戸田の港です。

高根大橋は,広島県の「高根地区団体営農道整備事業」により,「西日光・耕三寺」で有名な生口島と高根(こうね)島との間に架けられた橋である。

架橋箇所は観光地であると同時に、瀬戸内海国立公園の一部であるため、周辺環境との調和のほか、直下となる両岸の農道や航路の交通に支障を来たさぬよう、配慮する必要があった。

こうした地理的条件や経済性などについて検討の結果、上部工形式は、両端を固定したアーチリブに支持される、中路式ローゼ橋を採用することとしたが、鋼橋のソリッドリブ固定アーチ橋は我が国では前例のない形式であった。

架設は、ケーブルエレクションによりアーチ部から行ない、両端を固定してアーチ系を完成させたのち、補剛桁・床版と順次架設する方法で施工した。

生口島の玄関口、瀬戸田港。

周辺には観光案内所やレンタサイクルなどもあり、観光の拠点となっています。

いよいよ、瀬戸田の観光です。

アクセス
[船] 三原港または尾道港から瀬戸田行きの連絡船を利用。瀬戸田港からは徒歩15分。
[自家用車] しまなみ海道 生口島北ICから20分程度。

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伊勢湾フェリー


伊勢湾フェリーは、三重県鳥羽市に本社を置く海運会社。
鳥羽と愛知県の伊良湖(田原市)を結ぶ定期航路(フェリー)を運航している。

3隻のカーフェリーで運航を行っていて、かつて常滑(師崎)航路を運航していた際は、更に3隻(三河丸・渥美丸・志摩丸)が在籍していた。

鳥羽港、江戸時代には鳥羽藩の藩庁が置かれ、城下町として発展する。

また上方と江戸を結ぶ菱垣廻船や樽廻船が遠州灘を往来する際は必ず鳥羽港に寄港することとなった。
港には廻船問屋や30余軒の船宿が立ち並び、大いに賑わった。

答志島、古くは『万葉集』にて、持統天皇の伊勢行幸にあたって都に残った柿本人麻呂により、 釧着く答志(手節)の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ(巻一・41)とよまれた地である。

伊良湖水道は潮流が速くフェリーの波しぶきも相当なものだ。

風も強くデッキに立っていてもよろけるほどだ。

乗船中には答志島、菅島、そして神島といった伊勢の島々を眺めながら、優雅な約1時間を過ごす事ができます。

沖は遠州灘で大型船がひっきりなしに行き来している。

伊良湖岬灯台、渥美半島の先端に建つ白亜の灯台。

円筒形で太さは4.5メートル、灯高15メートル、明暗白光3秒間隔、光達距離12.5マイル。

渥美半島沖にある伊良湖水道は潮流が速く、暗礁が沖まで続いている航海の難所であったため、当時の逓信省灯台局により建設され、1929年(昭和4年)11月20日に初点灯した。

半島先端の伊良湖岬は志摩半島(三重県)と向かい合い、両半島の間にある伊良湖水道の北側が伊勢湾、南側が遠州灘である。

沖に神島が見える。
古くは、歌島(かじま)、亀島、甕島などと呼ばれた。神島の名が示すように、神の支配する島と信じられていた。

後に八大龍王を祭神として八代神社(やつしろじんじゃ)が設けられた。
神社には、古墳時代から室町時代にわたる総数百余点の神宝が秘蔵されている。

各種の鏡(唐式鏡、和鏡)や陶磁器などである。

三島由紀夫は小説『潮騒』で船から見る神島を「あいまいな、神秘な兜のような形」と表現した。

鳥羽藩の流刑地であったため、志摩八丈と呼ばれたこともあった。

小説潮騒の舞台であり、5回行われた映画化ではロケ地となった。同作品中では歌島(うたじま)とされている。

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志布志へ


指宿へ菜の花を見に行きます。

指宿は12月下旬〜翌年2月上旬に菜の花の見頃を迎える。
年間平均気温は19度。池田湖周辺は日本で1番早く菜の花が咲くことで知られ、約94万本もの菜の花が咲く。

菜の花の季節に指宿を訪ねれば、ソラマメ、グリーンピース、スナップえんどうといった春が旬の豆類があちらこちらの畑に実っているのを見ることができるでしょう。

コスモフェリーターミナル、左が志布志航路、右が別府航路のフェリー。

乗船するのは「さんふらわあきりしま」2018年9月15日に就航した新造船です。

エントランスホール内のアトリウムで乗船プロジェクションマッピングを楽しむことができます。

6時45分、月が沈みます。

そして日の出です、船は宮崎沖を航行中です。

都井岬がみえてきました、ここまでくれば志布志も間もなくです。

都井岬には以前、野生の御崎馬を訪ねました。

都井岬に御崎馬を訪ねる
今回の宮崎行きのもう一つの目的は都井岬にありました、草原を颯爽と疾駆する馬の姿を … 続きを読む →

野生の御崎馬が棲息することで知られ、「御崎馬およびその繁殖地」として国の天然記念物に指定されている。
この野生馬は江戸時代に高鍋藩が軍用馬飼育のため、放牧を始めたものが、後に半野生化したものである。

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海王丸リターンズ


このイベントでは、平成29年10月、台風22号の影響で大半のイベントが中止となった「帆船EXPO」にも参加の大型帆船「海王丸」が、大阪のために再度寄港し、一般公開や登檣礼(とうしょうれい)などを実施した。

フルセイルの海王丸の雄姿。
入出港時には残念ながらこの姿は見れない。

「海の貴婦人」海王丸
総トン数:2556トン
全長:110.09メートル
全幅:13.8メートル
最大搭載人員:199名
所属:公益財団法人海技教育財団

前からのビュー、なかなかスマートです。

面白い絵が描いてあると思ったら、これ、ネズミ返し。
猫の絵、効果があるんでしょうかねえ。

海王丸の船首、バウスプリットが突き出た下の部分に取り付けられた、笛を持つかれんな女性像。

それが海王丸の船首像(フィギュアヘッド)。

「紺青(こんじょう)」と名付けられたこの船首像は、第2代日本丸建造を機に、「日本丸と海王丸に船首像を贈る運動」が企画され、全国からの募金により作成されたもの。

日本で初めて作られた船首像としてデザインも公募され、優しさのうちに凛々しさを秘めた日本女性の姿が表現されています。

歓送式典、乗組員の皆さんに花束、記念品が贈呈された。

すでにセレモニーは終わっていて練習生は離岸作業に忙しそうです。

神戸、大阪両税関軍楽隊による歓送の演奏。

離岸してから直ぐに実習性がマストやヤードに登り、登檣礼(とうしょうれい、英: Manning the yards)が始まりました。

舳からごきげんよーー の挨拶。

登檣礼とは、帆船の出航時に船員を帆桁(英語版)(ヤード)などに配置し、見送りに来た来客に対する謝礼を行うもの。
帆船において最高の礼とされる。

由来としては、乗組員を帆桁という戦闘準備が出来ない位置に配置することにより、船内で砲の弾込めなど戦闘を企図した行動をしていないことを相手に証明するという行動が元になっている。

日本国内では現在、独立行政法人航海訓練所が所有する帆船「日本丸」「海王丸」が訓練航海の為に出航する際に訓練生による登檣礼が実施される。

続いて全員でごきげんよう~の連呼・・・ジ~ンときました。

ごきげんよう~と三回連呼、港を後にします。
ご覧の通り皆裸足です。

登檣礼が終わると港務艇により180度面舵されます。

岸壁からは多くの人たちが見送りです。

ちょうど正面を向いたところ、さすが「海の貴婦人」スマートです。

旋回を終了、ここから自力航行です。

全員が甲板に立ち別れを惜しみます、船の別れは時間がかかり切ないものがあります。

人魚姫も出港を見送る。

ボーーと長音汽笛3回後、次の寄港地東京まで向い大関門を後にした。。

前回寄港時の様子

帆船EXPO 「海の貴婦人」海王丸
3隻目の入港は「海の貴婦人」海王丸。 海王丸が大関門に姿を現したのは日本丸通貨か … 続きを読む →

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帆船EXPO 帆船「みらいへ」入港

本日のしんがりは帆船「みらいへ」、もと大阪市が所有していた「あこがれ」です。

大関門通過は11時41分。

帆船「みらいへ」(もと「あこがれ」)
・総トン数:230トン
・全長:52.16メートル
・全幅:8.60メートル
・定員:旅客40名(1日コースの場合60名)船員13名 合計53名
・所属:一般社団法人グローバル人材育成推進機構

海王丸にくっつくように入港。

1993年に「あこがれ」として就航、大阪市が保有して大阪南港の「ATCオズ岸壁」を定係地として「セイル・トレーニング事業」に使用していた。
一般市民が航海を体験できた日本で唯一の帆船(スクーナー)であった。船名は一般公募で選ばれた。

売却された「あこがれ」は2014年7月5日から、船名を「みらいへ」に変え、神戸港を母港に体験航海事業を再開している。

3本マストのトップスルスクーナーで、船型は全通平甲板型。
帆装は横帆3枚(約215m2)、縦帆10枚(約568m2)、総帆13枚(約783m2)で、メインマスト高さは上甲板上約30m。

本日も体験航海の人たちを乗せ、セイルドリル(展帆訓練)をじっし、真っ白な帆を広げての入港。

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帆船EXPO 「海の貴婦人」海王丸

3隻目の入港は「海の貴婦人」海王丸。

海王丸が大関門に姿を現したのは日本丸通貨から大幅に遅れ、待っている人たちもイライラ。

・総トン数:2556トン
・全長:110.09メートル
・全幅:13.8メートル
・最大搭載人員:199名
・所属:公益社団法人海技教育財団

初代海王丸は、初代日本丸と共に1930年(昭和5年)に進水。二代目の就航に伴い、用途廃止され、現在は富山県射水市の海王丸パークに係留展示されている。

二代目は1989年(平成元年)に就航。

2004年(平成16年)10月20日、防波堤に座礁する事故が発生。
2006年(平成18年)1月5日、修繕を終え再就役した。

海王丸においては財団法人海技教育財団から一般人も体験航海として乗船することができる。
海王丸は「海の貴婦人」と呼ばれる。

海王丸II世は国有ではなく、民間の寄付により建造された。

現在は独立行政法人航海訓練所に用船契約される形で運航されている。

一般社会人向けの体験航海・遠洋航海コースも実施しているが、海事教育機関の練習船であるため、実習生の参加人数により一般募集枠が少なくなる場合もある。

日本丸II世との外見の違いは「船首像」「船体のライン数」「救命艇の形状」「後部フード(舵輪の屋根)の形状」。

日本丸II世で培われた建造技術をさらに進歩させ、帆走時には抵抗となるプロペラの迎え角を水流に平行とすることにより抵抗を減少させる、フェザリング機能を有する可変ピッチプロペラの採用などにより日本丸II世をしのぐ帆走性能を得た。

その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1990年、1991年、1994年、1995年と4回受賞(日本丸II世は3回受賞)している。

なかでも1995年には124時間で1394マイルを帆走する記録を打ち立てている。

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帆船EXPO 「太平洋の白鳥」日本丸

帆船EXPO、帆船はの入港パレードをお送りしています、2隻目は「太平洋の白鳥」日本丸。

日本丸の大関門通過は10時44分。

日本丸 (2代) – 二代目は1984年(昭和59年)に就航。
帆を広げたときの姿から、「太平洋の白鳥」と呼ばれる。

「太平洋の白鳥」日本丸
・総トン数:2570トン
・全長:110.09メートル
・全福:13.8メートル
・最大搭載人員:190名
・所属:独立行政法人海技教育機構

1984年、日本丸は50余年にわたって海の若人を育ててきた初代日本丸の代替船として建造された。

初代日本丸は鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」の遭難を契機として、1930年に建造され、当時の田中隆三文部大臣の「日本の海の王者にふさわしい船にしたい」という我が国の海運に寄せる期待を込めて「日本丸」と命名された。

初代日本丸は 引退までの54年余りにわたって、実習訓練を行って来た。

正確な記録の残る昭和27年(1952年)4月1日以降でも162次の航海を行い、6,509名の実習生を育て、約127万kmの航海を完遂。

米国建国二百年祭(1976年)に参加するなど、華々しい航海を続けてきた初代日本丸ですが老朽化には勝てず、1974年以降は遠洋航海の規模を縮小するなどの応急的な航海を続けていました。

二代目の就航に伴い、用途廃止され、現在は神奈川県横浜市西区の日本丸メモリアルパークに係留展示されている。

日本丸の帆走性能は初代日本丸のそれをはるかにしのぎ、世界でも有数の高速帆船として世界の帆船の仲間入りをした。
その年で最も帆走速力の出した帆船に贈られるボストン・ティーポットを受賞。

天保山へと向かう日本丸、右は先に入港の大成丸。

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帆船EXPO 大成丸入港

大阪港開港150年を記念し、海や船に親しめるさまざまな企画が盛りだくさんの「帆船EXPO」が開催される。

26日10時30分からの入港パレードでは、「日本丸」「海王丸」「大成丸」「みらいへ」の4隻の帆船や汽船が、大関門を通過して順次入港し、消防艇による歓迎放水が実施されました。

9時54分、大関門に現れたのは中国の客船「蘇州号」、上海と大阪南港を週一回往復。

九州の旅ではよく見かける船だ。
雨の船出
今年の最終記事は九州からの船旅です。 新門司出航は雨の中、気分を入れ替えようとレ … 続きを読む →


歓迎放水をおこなう消防艇「ゆうなぎ」

放水砲を自在に操り、あらゆる角度へ色水放水を行う「孔雀放水」を実施します。

救助艇「ゆめしま1号」も参加です。

10時30分きっかりに「大成丸」が大関門に現れました。

「大関門(だいかんもん) :明治38年大阪港建設時に天保山の西南西約3kmの沖合に築かれた防波堤の切れ目で、大阪港への入港航路となっており、通称「大関門」として市民に知られる。

北側に白灯台、南側に赤灯台が設置されている。

大成丸
・総トン数:3990トン
・全長:91.28メートル
・全幅:15.5メートル
・最大搭載人員:176名
・所属:独立行政法人海技教育機構

消防艇「ゆうなぎ」による歓迎の放水。

空からヘリも歓迎。

大成丸は世界的にも数少ない蒸気タービン推進の練習船。
ディーゼル船に比べ速くて振動が少ないタービン船は、かつては客船向きとされていました。

しかし燃費が悪く、航空機や新方式の高速船が普及した現在は軍艦やLNG船に残るのみ。

大成丸という名前の練習船は過去に2隻ありました。
 
初代大成丸は1904年就航の帆船でした。
長さ84.14m、幅13.33m、総トン数2423.68tの4檣バーク型で、現在横浜で保存されている初代日本丸に近い規模の船だったようです。

終戦直後の1945年10月に神戸港で触雷して沈没。
 
2代目大成丸は、日本郵船の貨客船小樽丸(1948年就航)を改造した船でした。
船体を10m延長する大改造が行われ、1954年に練習船大成丸として就航。1981年に引退。
 
この船の丸窓が2つ、現在の大成丸の船内に保存されています。

3代目大成丸は1981年就航。
航海訓練所の練習船では最年長。

フォクスルデッキ(船首部分のデッキ)が一段高く、ドッキングブリッジ(後部デッキ上の左右に長い構造物)があり、後部マストも煙突から独立しているなど、他の練習船と比較するとやや古い様式の外観。
 
排気音はゴーッ‥‥と言う感じの連続音で、ディーゼル船と異なる。

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日の出の瀬戸内航路


早朝5時小豆島沖を航行中、闇には灯台の灯りが時折り灯る。

低い雲間からの日の出。

太陽は中空に達しているが雲が多くまだ薄暗い。

デッキを照らす陽光。

親子が記念撮影。

右手前方に明石海峡大橋が見えてきた。

雲の切れ間からの陽光がきれいです。

明石海峡大橋を過ぎたあたりは好漁場なのかおびただしい数の漁船が出漁中。
遠景に湾岸道路、京阪神の街並み。

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