ポートアイランド北公園 港や船を見ながら散策


ポートアイランド北公園は、神戸港沖の人工島ポートアイランドにある海浜公園。

ポートアイランドの建設とともに、港や船を見ながら散策が楽しめる公園として、1976年5月8日に完成。
至近の対岸に神戸ポートターミナルがある事からクルーズ客船撮影の好適地としても知られる。

公園は、ポートアイランドの北岸、神戸大橋の袂に位置しており、神戸港と神戸の街並み、六甲連山を一望できる。

ポートターミナルからポートアイランド北公園までの徒歩ルート
総距離 689 m 歩数 約 984 歩

夕日の散策だと西側を選ぶといいでしょう。

至近の対岸に神戸ポートターミナルがある事からクルーズ客船撮影の好適地としても知られる。

神戸ポートターミナル、中突堤旅客ターミナル客船入港予定

「神戸港港湾殉職者顕彰碑、これは、神戸港で就労中に亡くなった労働者を顕彰しようと造られた慰霊碑です。

始めは神戸水上警察署の辺りにあったようですが、警察署の建設に伴い、現在地に移転してき。

重い袋を肩に担いでいる人など、港湾労働の当時を彷彿とさせるようなモニュメントです。」

神戸大橋を見つめるかのように、神戸の初代オランダ領事として知られる「ボードワン領事」像が。

後方はみなと異人館、2012年からシスメックスが建物の借受人となっておりゲストハウスとして使用されている。

神戸大橋は、本州側の新港第四突堤とポートアイランド間に架かる、日本初のダブルデッキアーチ型鋼橋。

赤色が印象的です。

ここは釣りをする人が沢山集まります。

海鳥が急に増えた、釣り人に海中の情報を教えてくれる。

ところで、釣り人にとってこれら海鳥は海の中の状態を教えてくれる大事な生き物である。
オフショアでボートゲームをやるときなどは、この海鳥がいる場所を捜す。

海鳥は空の上から餌を捜しているので小魚の群れがいるとたちまち発見して集まってくる。

水上バイクのツーリング集団が走り抜けていきました。
見ると結構の年配者。

定番コースは、パルアップ・ツーリングでおなじみの「神戸港」→「明石海峡大橋」→明石海峡大橋を一望できるレストラン「Geragera(ゲラゲラ、神戸市)」でランチを。

遊覧船も帰ってきました。

今日の夕日は雲が多くイマイチでした。

六甲の山並みが西日を浴びてきれいです。

夜の北公園は昼間とはまた違う一面をのぞかせます。

陽が落ちてからも人が集まってきます。

前方に錨山(いかりやま)と市章山(ししょうざん)が見えています。

色とりどりのイルミネーションに包まれた神戸の街の夜景を北公園側の海岸遊歩道から見ると、海面に光が反射してとても美しい夜景の景色が広がって幻想的。

スタート地点(ポートターミナル駅)に帰ってきました。

新港第4突堤にあるポートターミナルは、世界各国や日本中から訪れる大型クルーズ客船、日中定期国際フェリーが利用しているターミナルです。
半日、停泊した船に実際に乗ることができます♪船内でのイベントも多数ご用意しております。託児もあります。

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小樽出航が23時30分。
その間、小樽運河散策。

撮影スポットの浅草橋近辺で写真撮影。
もう少し時間が欲しかった。

六甲高山植物園でしばしの避暑


下界の殺人的な高温に耐えかねて六甲高山植物園を訪れた。

気温は27度くらいか、日陰では涼しい。

そこそこの人出、都市部脱出組か。

まだ紅葉には少し早い。

紅葉の始まっている木もある。

紅葉はまだだし少し中半端な感じ。

涼しいのが取り柄かな。

グループで来ている人たちもそこそこいる、然し、ゆっくり見るでもなくサッサと歩いていく、ウォーキングなのかな。

こもれびの下、気持ちよく歩く。

ヒメヒゴタイ

虫を見つけたら撮る。

名前のわからない花も結構あるな。

アサマフウロ


フジアザミ

マツムシソウ

キンロバイ


サワギキョウ

エンビセンノウ

ソナレマツムシソウ

ミヤギノハギ

休憩所でお昼にした。

キレンゲショウマ


ハマナス

ツルニンジン

キレンゲショウマ

キバナノホトトギス


ヒヨドリバナ


サクラタデ

飛んでいる虫、ばっちり撮れた。

悪魔の爪

トサミズキ

スプリンクラーの放水が光を受けてきれいです。

ショップアルピコラの映像館、展示の趣旨が良く分からなかった。

湿生植物区、あまり目立つものなし。

この辺り、紅葉している木もあるがまだまだこれから。

約4時間、涼しく過ごした。
下界は灼熱地獄、たちまち汗びっしょり。

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冬季の上高地などいかがですか

明日から閉山というギリギリの上高地を訪れた、9年前のことでした。


中千丈沢の押し出しから大正池を望む。
ゆうべはここから焼岳が見えたのに。
地吹雪舞う晩秋の大正池界隈
今回は上高地で霧氷を撮影すべく訪れたが・・・・・ 明日から閉山というギリギリの上 … 続きを読む →

吹雪の梓川沿いを河童橋まで
吹雪の中を河童橋まで歩くことにする。 中千丈沢の辺りも雪に埋もれる。 焼岳から穂 … 続きを読む →

猛暑はまだまだ続きそう


気象庁3か月予報 9月以降も厳しい残暑 “夏バテ”に注意
2023年8月22日 19時35分発表のNHKニュース

全国的に猛烈な暑さが続いていますが、気象庁が発表した長期予報によりますと、9月から11月にかけての3か月間も暖かい空気に覆われやすく、広い範囲で気温が平年より高い傾向が予想されています。

特に9月は、東日本や西日本を中心に猛烈な暑さとなる日もあり、厳しい残暑が続く見込みです。
専門家は、熱中症だけでなく、「夏バテ」にも注意を呼びかけています。

夏場の夏バテ対策も・・・・

画像は昨日(8/22)の一次的集中豪雨。

今朝(8/23)の夜明けの画像。
5時33分の画像です、日の出時刻が5時24分ですので9分ほど過ぎています。
いつもはきれいな朝焼けが見られるのだが・・・・

長期予報は9月も残暑が続くということなので涼しい場所を探そう。

ひとつの候補が六甲高山植物園、六甲山の山頂付近、標高865mに位置する六甲高山植物園は神戸から車で30分の距離にありながら、年平均気温は9℃と北海道南部に相当し、明治時代から避暑地として知られています。

真夏でも気温は神戸の市街地より約5℃低く、園内の木々が立ち並ぶエリアでは30℃を超えることがめったにありません。

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NHK連続テレビ小説「らんまん」で紹介された希少植物「キレンゲショウマ」の花が神戸市灘区の六甲高山植物園で見ごろを迎え、黄色いランプのような長さ約3~4センチの花が六甲の風に揺れている。
8月末ごろまで楽しめそう。

アジサイ科の多年草。四国の石鎚山(愛媛県)や剣山(徳島県)などの薄暗く涼しい木陰に自生する。
東京大植物学科の初代教授、矢田部良吉が発見し、新種の植物として1890年に発表した。
近年はシカなど野生動物の食害で減少し、環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。

植物学者・牧野富太郎の指導を受けて、1933年に開園した同植物園は、約3000株のキレンゲショウマの人工栽培地として知られる。
担当者は「自生地で数少なくなった貴重な花。
ひとときの涼を感じてほしい」と話している。

キレンゲショウマ

夏の六甲高山植物園2/3
キレンゲショウマはブナ帯の原生林内や、陰湿地の夏でも薄暗く涼しい場所に生える多年草。 … 続きを読む →

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日本唯一の大工道具博物館 竹中大工道具館


この時期ANAクラウンプラザホテル神戸は静かです。

布引ハーブ園へ向かう人はいますが足早に通り過ぎます。

新幹線新神戸駅脇の歩道(画面右側)を下りたところが竹中大工道具館です。
駅からは徒歩約5分(200m)ほどの距離にあります。

壁面の蔦の紅葉が真っ赤です。

紅葉の黄が鮮やかです。

入り口、紅葉の赤が鮮やかです。

展示物だけでなくミュージアムの建物も優れた建築物です。
建築に関する受賞歴もあります。

まずは博物館入口の門構え。

大工道具の博物館らしく、木のぬくもりを感じさせる素敵な入り口です。




遠景はジークレフ新神戸タワー。

鹿威しをモチーフに、枯山水で表現された日本庭園があります。

波紋も綺麗に表現されています!

建物の外観は、総ガラス張りになっておりまるでお洒落なレストラン!

収集した資料は32,000 余点、古い時代の優れた道具を保存することはさることながら、「道具」を使いこなす「人」の技と知恵や心、そこから生まれる「建築」とそれを取り巻く木の文化について、様々な企画展や講演会、セミナー、出張授業、体験教室などのイベントを定期的に開催しています。

展示室は全て地下になっていて、吹き抜けに展示されている唐招提寺の模型を見ながら降りていきます。

唐招提寺金堂 組物模型

古代建築はとてつもなく大きい。
かつ逞たくましくて格好良い。

しかしそれは小さな道具を使って木材を自在に加工し、機械も無いのに重量物を持ち上げ組み上げていく大工の知恵と技の賜たまものなのだ。

そんな魅力を伝えたいと思い、国宝・唐招提寺金堂の「三手先組物みてさきくみもの」の実物大模型を造り、シンボル展示として吹き抜けの大空間に据えました。

「三手先」とは腕のかたちを模した肘木という部材が軒のきを支えるため外側に三つ分飛び出すという高度な構造形式で、日本建築では最高の格式を持っています。

製作は現代の名工・小川三夫棟梁が率いる宮大工集団・鵤工舎によって当時と同じ道具(ヤリガンナやチョウナ)を用いて再現されました。

材木も実物と同じ国産のヒノキを用いています。

模型の脇には3Dモデリングで作った木組みの分解アニメーションを設置しています。

一四〇点近くの部材が順番に積み上がっていく様は圧巻なのですが、一二〇〇年前にこのような複雑な木組みの技術が存在したことにも驚きます。

この館でいくつかある好きなスポット、最初の一つがこれ。

左官職人、久住有生さんの土壁です。

太陽光で陰影が出ているのですが、土に藁が混ざっているためか、エッジが効いているのに柔らかく、なにより優しい印象です。

こちらはかの有名な、日本最古の塔である法隆寺五重塔の精密模型です!

大工棟梁の理想像、「五意達者」

数々の道具を使いこなす大工たちは、超一級のテクノクラートでもありました。
それを教えてくれるのが、『五意達者』という桃山時代の言葉です。

「大工棟梁たる者は、○設計・墨付○数学・積算○加工技術○装飾下絵○建築彫刻、の5分野に達者であれという教えです。

高い技術力の一端は、曲尺(さしがね)に刻まれた裏目にも見られます。

これは、円周率や平方根も扱える一種の計算尺。
日本人が生み出した世界的発明です。
 
「『大工と雀は隅で泣く』といわれるほど難しかった屋根の隅の納まりも、熟練した棟梁は曲尺を駆使してぴたりと納めました」と。


儀式用の大工道具。

広隆寺では毎年1月2日に釿始め(ちょうなはじめ)が行われている。
古式床しく 釿始め(ちょうなはじめ) 広隆寺
宮大工の古式床しい釿始めの儀式が番匠保存会により毎年、1月2日に太秦・広隆寺で行 … 続きを読む →


千代鶴是秀の鍛冶場九三房

1. 再現の対象とした工房は、現在の東京都目黒区上目黒に作られ、大正9年から晩年まで使われたもの。
また、工法や装備などについても、同年代のものとした。

2. 再現の方法は、東京都世田谷区の土田刃物店二代目店主土田一郎氏への聞き取り調査を基本とし、実際にそれを再現する過程で検証するものである。

本名、加藤廣。
明治7年に生まれる。

父は米沢藩上杉家に仕えた刀匠・二代目長運斎綱俊。明治9年の廃刀令により刀鍛冶から道具鍛冶へ転向した叔父の石堂寿永に11歳で入門。

先人の技を丹念に研究し、名門刀匠家ゆえの文化的素養があいまって、数々の傑作をうみだす。
昭和32年、84歳で死去。

イロハモミジの透かし剪定がいい感じで、木漏れ日が素敵です。

布引ハーブ園のリフト、皆さん最後の紅葉を楽しんでいるんでしょうね。

日本らしい庭園が美しい!

建物の外観や中庭もきれいです。ミシュラン・グリーンガイド二つ星を獲得。




お茶室横の庭園がとても綺麗でした。

アクセス:
山陽新幹線「新神戸駅」中央改札口より徒歩約3分
神戸市営地下鉄「新神戸駅」北出口1または北出口2より徒歩約3分
シティ・ループ「12新神戸駅前(2F)下車徒歩約3分
神戸市バス2系統・18系統「熊内6丁目」下車徒歩約2分

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北極星が見守る古刹!能勢妙見さん


能勢妙見山は、大阪府豊能郡能勢町にある日蓮宗の寺院。

山号は無漏山。
本尊は妙見菩薩。
妙見山の山頂付近にあり、北極星信仰の聖地として知られる。

能勢妙見堂、また神仏習合時代の名残で境内入口に鳥居があることなどから、能勢妙見宮との通称もある。

正式には無漏山眞如寺 境外仏堂 能勢妙見山と言い、能勢町地黄にある真如寺の境外仏堂である。

信徒会館 星嶺

山頂付近には「星嶺」(せいれい)という、当山の寺紋(能勢氏の家紋である切竹矢筈十字)をかたどった信徒会館が1998年(平成10年)4月に建てられており、2階の礼拝堂は床が全てガラス張りという仏教の礼拝堂とは思えない構造となっている。

中には以前は寺院の売店があり、この売店は簡易郵便局も受託していた。

能勢妙見宮の簡易郵便局受託解除により郵政民営化直前の2007年(平成19年)5月2日限りで一時閉鎖扱いとなった。

その後2009年(平成21年)6月29日に、境内の北側にある特定郵便局であった元・妙見山郵便局の局舎にて委託者を変更して再開した。

売店があった頃はいつでも自由に内部に入ることができ、無料休憩所もあったが、現在では礼拝の時以外は立ち入れなくなっており、売店は寺務所の左手の廃業した旅館に移っている。

天正9年(1581年)に明智光秀に攻められた能勢頼次が本拠地の丸山城から当山に移り、山頂の大空寺の跡地に為楽山城を築いて光秀軍と戦うが、やがて光秀に降伏した。

しかし、本能寺の変で織田信長が光秀に殺されると、そのまま光秀の下にとどまっていた頼次は羽柴秀吉の攻撃を受け、丸山城は落城した。

頼次は為楽山城から脱出して備前国に逃亡したため能勢の領地を失ってしまった。

その後、頼次は徳川家康の家臣となり 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで活躍したことにより、再び能勢の地を領地として宛がわれ、頼次は能勢氏を江戸幕府の旗本として再興させた。

頼次は日蓮宗の日乾(後の日蓮宗総本山である身延山久遠寺21世)に帰依し、日乾を新たに頼次自ら開基として開いた真如寺の開山とした。

慶長8年(1603年)には日乾の手によって新たな妙見菩薩像が彫られるが、これを行基ゆかりの大空寺の趾であり、またかつての自城であった為楽山城の跡地に慶長10年(1605年)に建立した本殿(開運殿)に祀ることとした。

こうして山の名も妙見山と呼ばれるようになった。
これが現在の能勢妙見山である。

山頂までは多くの旧参詣道(ハイキング道)がある。その多くが山麓から1時間以上かかるが、自家用車で訪れる場合の最も手軽なルートは本瀧寺から登るルートとされる。

「日本一の里山」

里山とは、人が生活の燃料(炭・薪)などに使うため、定期的に伐採・利用される山(二次林)のことをいいます。

里山林では、十数年の周期で伐採・萌芽再生(切り株から新しい芽を出して樹木を再生)を繰り返します。

そのため、里山林全体はモザイク状(パッチワーク状)の景観となります。

炭や薪を利用しなくなった現在では国内の里山林は放置され、その独特の景観も見られなくなりました。

本当の意味での里山はほとんどの地域で絶滅しましたが、当地域の里山は千利休や豊臣秀吉などが用いたとの伝承もある菊炭(一庫炭の通称で、別名池田炭とも呼ばれる)を今もなお生産しており、里山景観が維持されている貴重な地域で「日本一の里」と言われている。

アクセス
妙見口駅下車、奥田橋・今西行き阪急バスでケーブル前下車または徒歩約20分で、「妙見の森ケーブルのりば」からケーブル、徒歩でふれあい広場へ

正月三が日

初日の出や初詣などで、大晦日から三が日にかけて例年非常に多くの人が訪れる。

そのため通常と異なる交通規制やこの時期のみ利用できる公共交通機関があるので事前に調べておくことが勧められる。

周辺のJR、阪急電鉄、能勢電鉄、妙見の森ケーブル、妙見の森リフトは終日運行している。(大晦日~元旦)

また、能勢電鉄妙見口駅から妙見の森ケーブル黒川駅までは通常徒歩かタクシーのみだが、この時期のみ阪急バスが運行している。

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姫路城 夜景


前項「坂越浦 レトロ散歩」の続編です、27日に強引な撮影を入れてしまって、続編が今です。

坂越では食事処も少ないので姫路まで移動、ついでにお城の夜景をとっておこうかといったところ。

ただ今19時前、桜門前、ほとんど人もいません。

以前、姫路城は何処からの眺望が一番いいかなと、ビューポイントを探して歩いたことがあったが・・・・

姫路城ビューポイント探訪
2015年3月27日再公開以来人出の多さを気にしながら訪問の機会をうかがっていた … 続きを読む →

喜斎門跡からの夜景、堀への映り込みがきれいだった記憶がある。

現在の桜門橋は発掘調査で出土した橋台の遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして築いたもの。

平成19年2月17日に多くの関係者の出席のもと、テープがカットされ渡り初め式が行われた。

渡り初め式には、三世代夫婦、お殿様、お姫様、お城の女王、お城おどり保存会他多くの方も参加。

桜門橋からの眺望。

大手前通りは、JR山陽本線姫路駅から姫路城大手門(桜門)前の姫路城前交差点に至る、全長約840m・幅員50mの道路。

日本の道100選の一つに選ばれている。

姫路城城下町、中曲輪・外曲輪に当たる範囲にある。

多数のブロンズ像などが設置されており、様々なイベントの場、憩いの場として親しまれている。

裸婦像

夏帽子の少女

この辺りからの眺望が一番きれいかな。

眺望デッキ「キャッスルビュー」から多重露光を試みる。

やぁ、疲れました、今日の歩行は23,000歩、帰宅時間は11時30分、かなり無理をしました。

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坂越浦 レトロ散歩


播州赤穂から一駅、「坂越」

日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落」坂越 これからゆっくりと歩きます。

坂越(さこし)は、兵庫県赤穂市東部の坂越湾に面する港町。

都市景観大賞(都市景観100選)にも選ばれた伝統的建造物群による古い町並みと、秦河勝聖域の島、生島(国の天然記念物、瀬戸内海国立公園特別保護地区、ひょうごの森百選)を包むように広がる美しい坂越湾の眺望で知られる。

播州赤穂産『坂越のかき』の養殖生産地である。

坂越大道 – 千種川の高瀬舟船着き場と坂越の港を結ぶ通り。

通りの両側には、坂越で最も往時の面影を残す美しい町並みが続く。

近年、古民家を活用したカフェや人気スイーツ店が出店、赤穂の新しい観光スポットになっている。

大道から延びる細い路地ものぞき見ながら、ゆるやかな坂道を海に向かって下っていきます。

しあわせなより道

店名の由来は、店主が好きな歌詞のフレーズから。

「ここに立ち寄って幸せになって帰ってもらえたら」との思いが込められています。

店主が好きなものを詰め込んだという店内は、やさしく温かな空気をまとっています。

「坂越の人気カフェ「暖木(のんき)」の姉妹店として、4軒隣にオープンした雑貨店「紡木」。

ノスタルジックな佇まいが町並みに溶け込んでいます。

大道のほぼ中央にある「坂越まち並み館」は、大正末期の建造物である旧奥藤銀行を、坂越のまち並み景観創造のための拠点として整備した施設です。

古いアメリカ製の大きな金庫が残されており、銀行として機能していた当時の歴史を感じることができます。

開けてもいいよと言われ開けてみると中は物置になっていました。

年代を感じさせるタコつぼ。

塩焼く煙も懐かしい西浜塩田風景(昭和初期)
暖木・紡木 店主より寄贈とのこと。

坂越の舟祭りは国の重要無形民俗文化財 10月第2日曜 開催。

坂越まち並み館のおばちゃんから通りを歩くだけではつまらん、路地路地に入り、路地から大通りをのぞくといいと教えられる。

なるほど言われるとおりだ、路地をのぞくより、路地から大通りを覗くのがいい。

自転車屋さんのユニークなカンバン。

こんなかわいいカンバンも。

奥藤酒造 創業は、慶長6年(桃山時代1601年)。

現在も操業する酒蔵では、神戸市にある剣菱酒造、伊丹市にある小西酒造に次いで兵庫県で三番目に古く、全国でも有数の歴史を持つ老舗の酒蔵として知られる。

ちなみに赤穂浪士が討ち入り前に飲んだという清酒は剣菱。

近年、兵庫県立上郡高等学校農業科の生徒が仕込んだ清酒の販売も行っている。

約400年続くこちらの大きな酒蔵の一角に、江戸時代の酒造りの道具や廻船に関する道具、当時の資料などが展示された「奥藤酒造郷土館」があります。

豪商奥藤家の栄華を思いつつ見学したあとは、銘酒「忠臣蔵」「乙女」などの利き酒体験もOK。お気に入りの銘柄を、お土産にぜひ。

教えられた通り奥藤家の路地を覗いてみる。

坂越港と千種川とを結ぶ低い峠越えの中心通りを下りきった場所に位置する『旧坂越浦会所』。

1831年~1832年に行政や商業などの事務をする為の村会所として設立されました。

また、赤穂藩の茶屋としても役割を持ち、2階には『観海楼』と呼ばれる部屋があり、窓からは美しい坂越港が眺められます。

現在では、歴史的建造物の公開施設として、多くの観光客を迎えています。

大避神社の祭礼の写真がいい。

やはりここは路地を覗かないとダメなんだ、あちこちに写真が飾ってある。

二階の藩主専用の部屋は観海楼と呼ばれていて、床の間付きの藩主専用の間、落ちの間と呼ばれる寝所はベンガラが壁に塗り込められています。

藩主専用の部屋だった『観海楼』からは、その名の通り美しい坂越の海が見渡せました。

現在は埋め立てによって海岸線が遠くなりましたが、当時はこの建物のすぐ前が海だったそうです。

「歩」という字はすこし止まると書く、たまには立ち止まることも大事  ぜひ入って休憩を・・・・  なるほど!!

ここでも覗いてみる。

聖徳太子のブレーンとして活躍した秦河勝(はたのかわかつ)は坂越に漂着し千種川の開拓を手がけたとされます。

その秦河勝をご祭神とする「大避神社(おおさけじんじゃ)」には、謎が!

拝殿に向かう階段は12段。境内のヤスライ井戸は12本の石柱から成り、注目の拝殿天井絵は12×8枚あるという……。

石段を登って神門をくぐると、大避神社の拝殿が鎮座します。

拝殿の両脇に絵馬堂が連なる珍しい形をしており、そこに江戸時代以降の貴重な絵馬が約40ほど掲げられています。

播磨灘に位置する天然の良港坂越浦には、渡来人であった秦河勝を始め、南朝(南北朝時代)の忠臣であった児島高徳など、多くの偉人伝説が残る。

地元に残るそれら人々の伝承記録をみると、坂越が瀬戸内往来の重要な中継地として長くあった事が窺える。

807年(大同2年)、中国からの帰途であった空海、901年(延喜元年)、都から九州の大宰府へ下る途中であった菅原道真、1565年(永禄7年)、長崎・平戸から京都に向かう途中のイエズス会宣教師ルイス・フロイスの他、1587年(天正15年)、九州遠征中の豊臣秀吉を見舞った細川幽斎も、その帰途に坂越に足跡を残す[6][7]。

17世紀に入ると、瀬戸内海有数の廻船業(西廻り航路)の拠点として発展[8]、奥藤、大西、岩崎、渋谷などの豪商が廻船業を営み、坂越浦には西回り航路用の大型廻船31艘、内海航路用の小型廻船15艘余りが犇いていたという。

また、西国大名の参勤交代の港としても使われていた。

この頃の坂越港には、数回にわたってオランダ船の入港記録もあり、1787年(天明7年)には、蘭学者でもあった司馬江漢が坂越に立ち寄っているのが興味深い(『江漢西遊日記』)。

18世紀以降、北前船が停泊する日本海諸港の台頭によって瀬戸内の港町の多くが衰退する中、坂越は「赤穂の塩」を運ぶ北前船の港として明治時代まで栄え、坂越浦から、高瀬舟の発着場があった千種川まで続く「大道(だいどう)」と呼ばれる通りの風格ある町並みは、往時の繁栄を今に伝えている。

裏道の終点にある『船岡公園』は、旧『坂越浦城』の跡地に整備された展望公園。

芝生広場と休憩用の東屋があります。

坂越浦城は坂越浦砦とも呼ばれ、室町時代に播磨地方を支配していた山名氏が築いた城。

江戸時代には赤穂藩の番所が置かれ、坂越浦に出入りする船を監視していました。

もう少し登れば妙見寺観音堂だが炎天下を歩き続けもう限界です、ここから引き返します。

秦氏は、「古代史最後の謎」といっても過言ではない、京都に足跡が多く存在する。

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広隆寺は真言宗系単立。 山号を蜂岡山と称する。 蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺( … 続きを読む →


やっと「暖木」までたどりつまました。

ここでおいしいかき氷にありつき、息を吹き返しました。
今日は結局、23,000歩歩いていました。

千種川、「ちぐさがわ」とも呼ばれる。

ここを渡れば坂越駅はもうすぐ。

清流で知られ、名水百選に選ばれている。

加古川・市川・揖保川・夢前川と並び播磨五川と呼ばれる。

水深が浅く流速が速いために川底の石の苔の育成が良く、兵庫県下で屈指のアユ釣り場として知られる。

若かりし頃ここまで鮎釣りに来ました、もう50年以上昔の話です。

これから姫路まで行き夕ご飯を頂きます、何度でも途中下車できるのが青春18切符のいいとこですね。

交通アクセス
JR赤穂線坂越駅から、坂越港までゆっくり歩いて徒歩約30分。

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播磨灘を眺めながら御崎めぐり


青春18切符第二弾は播州赤穂。

御崎めぐりとレトロな港町「坂越」を訪ねます。

赤穂の駅頭には「日本の魂のふるさと忠臣蔵と、山鹿素行の武士道の教えが生きたまち」のカンバンが。

山鹿素行は朱子学を批判したことから播磨国赤穂藩へお預けの身となり、そこで赤穂藩士の教育を行う。
赤穂藩国家老の大石良雄も門弟の一人であり、良雄が活躍した元禄赤穂事件以後、山鹿流には「実戦的な軍学」という評判が立つことになる。

延宝3年(1675年)、許されて江戸へ戻り、その後の10年間は軍学を教えた。
その教えは、後代の吉田松陰などに影響を与えている。

赤穂御崎温泉街にある「伊和都比売(いわつひめ)神社」、海に向かって立つ美しい鳥居が目を引きます。

神社のすぐ下は御崎海岸遊歩道として整備されおり、海を眺めながらのんびり散歩できます。

赤穂御崎が平成25年に恋人の聖地に認定され、記念のモニュメントが境内にあります。

古くから姫神信仰が盛んでご利益のある「姫守」が人気。

夕日のメッカでもあり、ほんとは夕日を撮りたかったのだが雨続きの毎日であきらめる。

赤穂市内唯一の式内社で祭神は伊和都比売。

もとは神社前の沖の大薗(現在灯台のあるところ)と呼ばれる御前岩(八丁岩)の上にあった社を赤穂藩浅野家初代藩主浅野長直により天和3年(1683)に現在の場所に移された。

森の上に頭を少しだけ見せている「赤穂御埼灯台」

赤穂御崎温泉の高台にあり 南は播磨灘に面し小豆島をはじめ家島諸島や条件次第では四国を見ることができ、北に赤穂の市街地を一望にできるスポットです。

★海上保安庁の正式名称は「赤穂御埼灯台」ですが、赤穂御崎にあわせて「崎」の字を使っています。

「きらきら坂」

路面は石張り、階段の段差部分は幾何学模様のタイル張りとなり、イタリアの町並みのように美しく、落ち着いた雰囲気に生まれ変わっています。

その道沿いには、カフェやジェラートショップ、ガラス舎などが集まり人気のスポット。

坂を下れば播磨灘。

神社の祠があり多くの人々の信仰を集める場所でしたが、いつのころからか恋人たちが「たたみ岩」で愛を誓うと恋が成就すると言われるように。

1日に2回、潮の干満によって岸から「たたみ岩」まで道が出来て、わずか数時間だけ歩いて渡ることが出来る。

ライトアップもされるようになったので幻想的でさらにロマンティックに。

海岸沿いには遊歩道が整備されています、奇岩や節理等の崖と磯が続く変化に富む岬で、沖に家島諸島や小豆島を望める景勝の地だ。

播磨灘を眺めながら二人で散歩を・・・・、好いことがありそうですよ。

大石名残の松

石碑には「 血涙を呑んで赤穂開城を終えた大石内蔵助は元禄14年(1701)年6月半ば妻子をこの港より海路遠く大坂表に送り出し自らは6月25日其の後を追って山科に向った。

其の時、御崎の巌頭に立つ老松を見返りつつ名残を人びとは、これを「名残の松」と云い伝えているが今は枯れ幹に儚く昔の語り種を残す。 」と刻まれています。

過去の訪問記

江戸軍学の理想を実現した 赤穂城
江戸時代、赤穂藩の藩庁が置かれた。 元和偃武の後、本格築城された城郭である。 縄 … 続きを読む →

歴代赤穂藩主の菩提寺 花岳寺
播磨国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、また、大石良雄の祖先が … 続きを読む →

御崎へのアクセス
公共交通機関JR「播州赤穂駅」よりウエスト神姫バス東御崎下車、徒歩すぐ
車山陽自動車道「赤穂IC」より約20分

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千姫の小径から 好古園へ


文学館を辞し「千姫の小径」を南へたどり「好古園」へ向かいます。

千姫は、7歳で豊臣秀吉の息子・豊臣秀頼と政略結婚。

大坂夏の陣で炎上する大坂城から救出され、江戸に帰る途中、桑名城主・本多忠政(ほんだただまさ=徳川四天王・本多忠勝の子、正室は家康の孫・熊姫)の子・本多忠刻(ほんだただとき)と運命的な出会いをします。

桑名の七里渡しの船中でたまたま本多忠刻と同船となり、惹かれ合ったというドラマチックな展開に。

津和野藩主・坂崎直盛(さかざきなおもり)は、千姫輿入れの行列を襲っての強奪を企てますが(千姫事件)、大名の坂崎氏はこれによって断絶。

その後、本多忠政は桑名藩主から、西国の押さえとして姫路藩主となり、元和3年(1613年)、千姫も姫路城に移り住んでいます。

千姫の小径は西部中濠と船場川の間に南北にのびた土の道です。

道にはモミジや桜が植えられ、左右の水と共に心を和ましてくれる散策路となっています。

千姫の小径は、千姫が忠刻とくつろいだ西の丸の化粧櫓(徳川家から輿入れ時に賜った10万石の化粧料で造ったとされる櫓)、侍女たちが待機した長局(ながつぼね)の白壁を見上げるコースとなるのが名の由来です。

姫路城は内堀(現存)、中堀(一部現存)、外堀(埋め立てされている)の3重の堀で守られており、さらに船場川の川筋を鍵形に付替えて、外堀の一部に利用して、防御機能を高めていました。

姫路城と姫路駅の間を横断する国道2号はかつての中堀にあたりますが埋め立てられて国道になっています。

千姫の小径の脇を流れる船場川は外堀としても機能の他、瀬戸内海交通の要衝である飾万津(しかまづ=飾磨津)との舟運も担っていました。

上りは陸から綱で引き、下りは流れに任せて下っています。

好古園(こうこえん)は兵庫県姫路市、姫路城のすぐそばにある平成4年に開園した日本庭園。

発掘調査で確認された姫路城西屋敷の地割りを生かして、趣の異なる9つの庭園で構成されています。
季節により様々な花が咲きますが、特に紅葉の美しさに定評があります。

画像は築地塀(ついじへい)

好古園の影の主役ともいえる築地塀。
各庭を仕切る役目の他、余計なものを隠す背景としても役に立っています。

6年前の晩秋に好古園を訪ねています。
晩秋の好古園
「好古園」は、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むもの。 … 続きを読む →


季節のサルスベリの花がきれいです、門をくぐると「活水軒」(レストラン)今日はこちらのレストランでお昼です、庭を眺めながらの食事です。

活水軒と潮音斎(ちょうおんさい)を結ぶ、総檜造りの渡り廊下。

中央が曲面になっています。

左右に水の流れや池が見え、特に順路向かって左の滝状になっている水の流れが美しい。

渡り廊下を渡ると流れのある庭、秋にはもみじが美しい。

潮音斎

池側に大きく開かれた縁台(観庭台)がある建物。

中秋の名月を眺めるのに最適な方向に向けて開けているそうです。

池の奥にある樹林や雄滝、水の流れが美しい。

池泉回遊式の「御屋敷の庭」や本格的数寄屋建築の茶室・双樹庵のある「茶の庭」など九つの庭園群で構成され江戸の情緒を醸し出すそのたたずまいは時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われています。

正式名は姫路城西御屋敷跡庭園好古園。

「好古園」とは、江戸時代に現在の庭園入口付近に存在した藩校「好古堂」に因むもの。

御屋敷の庭

池泉回遊式の、区切られた9つの中で最大の庭。

池に架かる石橋や、池を泳ぐ錦鯉、周囲にある姫山樹林を借景にした日本庭園らしい景色が見所。

松の庭

瀬戸内地方のアカマツ林をイメージした庭園。

散策中にあちこちでお城の廓が見えます。

庭園の面積は、約一万坪、九つの庭を見逃さないように回るのは大変。

世界遺産・姫路城を借景にした本格的な日本庭園は姫路観光にも人気の場所です。

キキョウのブルーがきれいです。

15種類の竹類を植栽した庭園で中央に八角の和傘をイメージした四阿「聞竹亭」を配す。

好古園までのアクセスは

姫路城の西隣に隣接しているので、観光で来られた方は、お城を見学された後などに是非立ち寄っていただきたい。
姫路城からは一度大手門を出て西へ、お堀沿いに歩いてゆくと右手に見えてきます。

【バスの場合】

姫路駅北口から神姫バス乗車【姫路城大手門前 】下車、徒歩約5分
9、10、17、18番乗り場からは〔7、8、9、11、12、13、41、42、43、45、51、52、53〕のバス乗車【聴覚特別支援学校・好古園前】下車すぐ
観光ループバスをご利用の場合、姫路城周りを一周した後、好古園前に停車します。

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安藤忠雄の世界 姫路文学館


久し振りに青春18切符の旅です。

あいにくの雨で撮影も思うに任せません。

今回は姫路文学館、国宝姫路城の北西に位置し、建築家安藤忠雄氏の設計によるユニークなデザインが古い町並みに新しい風景を添えています。

アプローチは長めで、亀甲柄の石壁やコンクリートの組み合わせがいい感じ。

1991年(平成3年)に播磨地方縁の文学者達の資料の収集を目的に姫路市によって北館が開館、1996年(平成8年)に南館が開館した。

安藤忠雄設計の施設は現代建築の秀作として知られており、姫路城にも近接していることから、海外の観光ツアーのコースにしばしば組み込まれる。

初代館長は中西進、その後は上田正昭を経て、現館長は藤原正彦。

平成3年、国土交通省から「手づくり郷土賞」(素材部門部門)を受賞した。
2015年(平成27年)6月8日から改装工事に入り、2016年(平成28年)7月30日にリニューアルオープンした。

主に建物は3つあり、北館(本館)、南館(図書室)、望景邸から成ります。

1階は姫路市の歴史、文豪の紹介がされていてなかなか楽しめます。

2階は一部文豪の作品展示があります。

南館には〈司馬遼太郎記念室〉があります。

文学館の関連施設『望景亭』は大正時代に建てられた近代和風建築で、『姫路文学館望景亭(旧濱本家住宅)』として棟門・和室・茶室・廊下・石垣が国登録有形文化財。

この望景亭は城下町/武家屋敷ルーツではなく、幕末~近代に播州・姫路を代表する実業家・濱本家の別邸として1916年(大正5年)~1929年(昭和4年)にかけて建立されたもの。

江戸時代から当地の大地主で、姫路藩御用達だった濱本家。

明治維新後は姫路銀行/姫路商業銀行/姫路瓦斯/播磨紡績などを創立・経営した姫路を代表する実業家に成長。

濱本八治郎別邸の後は陸軍の隊長として姫路に着任された賀陽宮恒憲王が居住したり、戦後のGHQの高官の住まいを経て、1958年(昭和33年)から姫路市所有に。

「男山市民寮」や結婚式場「瑞泉閣」として市民に利用されました。
しかし姫路文学館の建築に伴い、建物は元の1/3程度に縮小。

唐破風の玄関や棟門も縮小の際に別の場所に移築されたもので、“望景亭”の名も元からの名前ではなく1991年の再開館の際に裏千家十五世・千宗室による命名。

姫路文学館へのアクセス、JR・山電姫路駅前の神姫バスターミナルに行き9・10・17・18番乗り場から乗車。

約6分「市之橋文学館前」下車北へ徒歩約4分。

もしくは6番乗り場で城周辺観光ループバス乗車10分「清水橋(文学館前)」下車西へ徒歩約3分。

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